19話
よろしくお願いします
夜中に活動したせいもあって、二人は昼近くまで寝てしまっていた。
「おはよう」
目の前であいさつする耀をみて、沙久羅は顔を赤くする。毎日の事と思ってはいるが慣れるものではなかった。今日は手も握られているから尚更だった。それに、昨日の耀の姉達の嫁発言も手伝って、更に恥ずかしさが増す。
「…おっ、おはよう」
ただ、朝の挨拶くらい普通に答えられれば良かったが、それもできなかった。
耀はそんな沙久羅の行動が不思議でならなかった。
「どうしたの?」
いつもより顔が赤い気がするし、最近は慣れたと思っていたこの挨拶の仕方も、今日はぎこちない。
耀は起き上がると、沙久羅の髪を一撫でして手を離した。
「…なんでも、ない」
沙久羅も起き上がるとさっさとベッドから立ち上がり、着替えるために部屋を出て行った。
「…姉さん達、からかい過ぎなんだよ」
耀は舌打ちして沙久羅の出て行ったドアを見た。
やっと少しは打ち解けてきたかと思ったら、また振り出しのようになってしまった。
「あとで覚えてろよ」
耀は一人呟いて、怒りを少し納めた。
「耀、お昼御飯、何にする?」
沙久羅はドアの外で聞いて来た。
「…簡単なので良いよ。沙久羅の好きにしていい」
耀は聞こえるように少し大きな声で答える。
「わかった」
短く答えて、沙久羅はパタパタとドアの前を去って行った。
最近の沙久羅ならドアを少し開けて聞いたりすることもあったが、やはり、今日はいつもと違う。
溜息が自然と零れる。
そうこうするうちにキッチンから良い匂いが漂ってきた。今日は焼きそばらしい。最近、沙久羅の中で色々な具材を入れた焼きそばがブームらしい。好きにしていいというと大抵焼きそばが出てきた。
着替えを終え、キッチンに向かおうとしたときに携帯の着信音が鳴り響いた。
「はい」
発信者を見て、耀は少し口調が固くなる。
「……そうでしたか、しかし、あなたが自らお電話をされなくてもよいでしょう?」
耀は少し呆れたように言う。
「……私はお断りしたはずです。その代わり、彰芳と結希をそちらにしたじゃないですか。……桜華会も人手不足なんですよ。解ってください」
耀は困ったように携帯に語りかけた。
「……それで、お話とはなんですか?……え、手を引け?それはできないことですよ。……あなただって解ってるじゃないですか。……時間が掛かったとしてもそれだけは譲れません。お話がそれだけなら切りますよ」
そう言うと耀は携帯を切った。
相手はまだ何かを言おうとしていたようだが、構わなかった。
誰に止められようとも、引く気はなかった。
「あの、電話、終わったの?」
遠慮がちに沙久羅がドアの隙間から顔を覗かせて聞いた。
「ああ、ごめん。お昼にしようか」
耀は携帯を閉じると沙久羅に笑顔で答えた。
沙久羅も少しホッとしたように笑顔を零す。電話の時の耀があまりにも怖い表情をしていて声を掛けられなかった。沙久羅には一度も見せたことのない表情。どんなことを話していたのかは聞きたかったが、聞けなかった。聞いてはいけない気がした。
その後の耀の様子はいつもと変わりなかった。
耀の提案で商店街で買い物をしようということになった。
沙久羅は平日のこの昼下がりに学園都市内を歩くことをしていいのか不安だった。
「大丈夫だよ。警察官にも呼び止められないから。その代わり、俺から離れちゃ駄目だからね」
耀はそう言うとのんびりと街に繰り出した。沙久羅は不安に思いながらも付いて行った。
「あら、藤梛の。今日は何を御所望ですか?」
商店街の一角で耀を認めた女将が聞いて来た。
「まだ決めてないんだけど。面白いもの、入ってる?」
耀は慣れた感じで聞き返した。
「…面白いものですか。うちは特にこれといって良いものは入ってませんが、時竺さんとこに良いのが入ったらしいですよ」
女将は思い出したように答えた。
「時竺のとこか、あそこは確かに面白いものが入るけど、高いよね」
「藤梛の方が何を仰います?どの店でも買い占めることがお出来になるくらいなのに」
羨ましいと言いたげに女将は言った。
「俺は梛ではないから、本当に動かせる値はほんの少しだよ。そうだ、女将、これとこれ、運んどいて」
目の前にあった野菜を少し頼むと耀は次の店に行こうと沙久羅を促した。
「毎度ありがとうございます」
女将は気前よく声を張り上げて言うと、そそくさと支度にとりかかった。
「言いたいことを良く言う人だね」
沙久羅は感心したように言った。
「あの女将は良くても悪くてもずけずけと言うんだよ。表裏がないから俺は構わないんだけどね」
耀は苦笑して沙久羅を振り返った。
それから数件お店を周り、午後の3時になろうかという頃に耀は口を開いた。
「次は時竺のとこに行くから。構わない?」
沙久羅は耀の行きたいようにと頷いた。
「時竺のところは本当に面白いものがたくさんあるんだよ」
楽しそうに言って、先を急いだ。
歩き出して数分で目的の店に着いた。商店街の奥の路地を一本入った普通ではまず入り込まないようなところにその店はあった。
「怖そう」
そのままの感想を口にする。
「沙久羅でもそう言うんだね」
その荒れ果てた店の前で明るく笑うのは不釣り合いの様な気がした。
「時竺」
店に入り、耀は声を限りに叫ぶように呼んだ。
「おや、その声は藤梛の。後ろにもう一人おいでなさっているようですが…」
店の奥から出てきた初老の男性は瞼を固く閉じても狭い店の中を危なげもなく歩いてくる。
「目が…」
「ああ、初めてのお方ですか。驚いたでしょう?こんな廃れた店で。何せ片付けてしまうとどこに何があったかもわからないもので、このままにしておりますものですから、そのうち人が来なくなりましてね」
くすくすと笑いながら言う男性はそれほど困ってはいないように見えた。
「時竺は元は職人で、目利きは超一流。俺達も時々世話になってるんだよ。目が見えなくてもそれだけは変わらない」
耀は感心したように沙久羅に説明した。
「凄い人なんだね」
「お嬢さんでしたか。いや、お恥ずかしい。藤梛の、あまり変な噂を流さないでくださいね」
時竺は恥ずかしそうに顔を少し赤らめて言った。
「時竺、それで譲ってほしいものがあるんだけど」
耀に言われ、時竺はなんでしょうと聞いた。
「この娘に魔術で使う水晶を少し分けて欲しいんだ。昨日、使ってしまってね」
耀の言葉にえっと沙久羅が見上げた。
「ほほう、どうりで変わった気をお持ちな方だと思いましたよ。魔術をお使いになるとは。最近は魔術変換が難しいせいもあって敬遠されがちですが。そう言えば、藤梛ののご友人もお使いになっていましたな」
時竺は思い出したように言った。
「結希に白魔術を教えているのが、彼女だよ」
時竺へ耳打ちするように耀は言った。
「ほうほう、それはまた凄い方ですな。では、これが使えそうですね」
時竺は店の奥に一度戻って、何やら箱を取り出した。
「これって」
沙久羅もさすがに驚く。見たこともないような美しい作りの水晶球。水晶球の中に何やら文字の様なものが刻まれていた。
「力ある言葉を発する者が使うとその能力を増幅する働きのある水晶です。あと、使い捨てにもできる水晶球もおつけしましょう」
「あまり高いと買わないよ」
耀が念押しする。
「解っておりますとも。藤梛ののお連れさんですから、安くしときますって」
商売上手な初老の男性はもう売る気満々だった。
「…じゃ、それで」
沙久羅の知らないところで交渉が行われ、耀が代金を支払った。
「私の買い物をするなんて聞いてなかったよ」
店を出たところで沙久羅が言った。
「言ってなかっただろ。でも、思ったより良いものが手に入ったから、良いじゃないか」
耀は沙久羅が少し怒っている理由がわからなかった。
「あんなに高いもの、買ってもらわなくても良かったのに…」
「俺には高いものではなかったよ。沙久羅に必要だと思ったから買っただけだし。教えてもらう講習代だと思ってよ。それでも嫌なら返してくる」
「わかった。確かに欲しいものではあったんだし。貰っておくわ。でも、今回限りよ。私のものは私が買う。耀に頼ってしまうようになる私は私自身が許さない」
沙久羅は耀を真っすぐに見て言った。これだけは譲らないと。
「…ごめん。沙久羅の気持ちを考えてなかったね」
耀は寂そうに俯いて言った。
「もう良いよ。解ってくれればそれで。…そうだ、歩いてお腹空かない?来る途中のケーキ屋さん、美味しそうだったから、そこでお茶にしよう?」
少し落ち込んでいる様子の耀を見かねて、沙久羅は明るくそう言って手を引いた。
私は最終的にこの人に逆らうことはできそうもないな。
沙久羅は苦笑して、耀を少し振り返って思わずにはいられなかった。
ありがとうございました。




