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幸せへの道

作者: PAle


「ダバ、明日から来なくていい」

 久しぶりにかけられた言葉は、未来を黒く塗りつぶすものだった。


 ダバ、というのは名前ではない。元にはもっと人間らしい名前があったのだが、大きな図体と遅い動きで、駄馬と呼ばれることの方が多かった。それに対抗してくれるような友人はいなかったし、自らに期待もなかったダバはそれと呼ばれるたびに、ああ自分はいらないのだろうと落ち着く絶望に包まれることができた。その許容する姿がおかしかったのか、同じ工場で働く者たちは皆、彼をダバと嘲笑を込めて呼んでいる。

「え、あ。はい、え」

 歯切れ悪く答えるダバにかける言葉もないのか、工場で一番偉い男はさっさと背を向けた。この男も、外に出れば敗者の一人なのだろう。それでも小さな工場の中では王様だった。ダバはそんな小さな世界でも駒のひとつに過ぎない。

 小さな梱包の工場で、ダバはハーモニカの箱詰めを担当していた。赤い真鍮製のハーモニカに傷ひとつ付けぬようにと心がけて箱詰めするが、周りの人たちはそんなダバをノロマだと笑うのだ。

 明日から、仕事がない。今でさえ薄給であり、ひと月を生きるのが精いっぱいであったダバには、それはとても酷いことのように思えた。理由を聞こうとも思ったが、今はどの工場も不況であり、もちろんダバの働く工場でも仕事の数が減っている。それならば役に立たない自分が消えるのは最適な判断なのだろう。自分のことに関して厭に客観視できるダバは、そうやって納得した。

 そうなると困るのは生活である。今の家賃は払えないだろうと諦め、大家に謝って家を引き払った。物に執着しない性格だったため、荷物という荷物もなく、むしろ金に換えてしまって手元に残ったのは赤いハーモニカだけだった。真鍮でできている良いもので、前、工場で数が余ったと嘆いていたものをひとつ拝借してきたのだ。特に音楽についての知識もなかったが、空気を吹けばピイピイとなるのは楽しかった。何も作れない自分に、そうやって何かを与えてくれるのだ。


 仕方なく、ダバは細い道を歩き始めた。行く末にはビエレムンという、美しい都市がある。


 一年じゅう宴が続き、嘘や偽りなく民は暮らす。美しい街に緑が溢れ、人々に笑顔は耐えず幸せに暮らしているという。ダバは幸せというものに縁がなく、それがどういうものかよく知らない。その民に聞けばわかるのだろうと街へ続く道へ歩きだしたのだ。

 食事は日持ちする乾いたパンと、川の水があれば十分だった。望まないことには順応していて、道は森へ入り木々が生い茂っても、迷うことなく道を進んだ。


「……おや」

 ダバが工場を出て何日か過ぎた頃、道の先に小さな老人が倒れていた。髪はとうに白く染まり、細くしわがれた手足はとても弱って見える。

「おじいさん、大丈夫ですか」

 ダバが声をかけると、その老人は細い目を開けた。幾重にも刻まれたシワがその人生を語っているように見え、ダバは自分のするりとした肌が厭に恥ずかしいものに思えた。

「……うん、誰だ? 私にかまうな、話もしたくない!」

 ワアワアと喚く老人だが、ダバが大きな男だと気付いたのだろう、やっとその目を見た。

「なんだ、話す熊かと思えば、人間か。何をしている」

「私はビエレムンという街に向かっております。美しい街に行って、幸せとは何かを聞こうと思っています」

 そう言うと、老人はホッホと老人らしく笑った。それからダバの手を借りて立ち上がり、腰に刺した古い剣を抜いた。

「我が名はバウワと申す。かつて自国のためにこの剣を振るい、国の繁栄のために立ち上がってきた騎士である。我が剣は国の為に使われ、国の為ならばこの命とて惜しくはない!」

 誇らしげに剣を抜いたバウワにダバは手を叩き、何もない代わりにハーモニカを鳴らした。それから、頭を下げる。

「私は、うん、ダバと申します。仕事もなく、何の為にあるのかすらわかりません。幸せを知りに向かっております」

「何の為にあるかわからない? それはさぞや辛いだろう」「そうでしょうか。そうなんでしょう」

 バウワは剣を鞘に戻し、しかし、と逆説を吐いた。頭を垂れ、暗い声で一字一句を吐き出すようにしゃべる。

「しかし、私は国に捨てられた。こんな老いぼれた剣士は、幸せに満ちた国には不要だったのだろう。剣を持つ時代は終わった。しかし、私はそれ以外の生き方を知らない」

「それは、」ダバはありふれた言葉を吐きそうになった。それはどうしようもない同情である。しかし、ダバにそれ以上のかける言葉は見つからない。「さぞやお辛いでしょう」

 バウワの背丈が小さくなったと感じるほどに落ち込み、また地面に座りこんでしまう。そうすると小さな老人はまるで風景の一部のようで、ダバにはそれは生きている人間だと認識することすら難しくなってしまう。

「だから、もういいのだ。邪魔な老いぼれはこの森の中で消えるとしよう」

 ダバは、その言葉でどうしようもないような、悲しい気持ちになってしまう。それが許されるならばダバもそうしていたい。思考を止めていいならば彼にとて諦めることなど簡単なのだ。

「ならば、バウワさん。私と来ませんか」

「お前と? バカを言う。こんな先のない者に何ができよう」

「何かをしてほしいんじゃありません。貴方に諦めてほしくないのです。私が諦めないでいいように」

 そう言えば、老人は顔に驚きを浮かばせた。それからもう一度、ホッホと老人のように笑った。

「お前が終わらないために、お前に着いて来いと言うのか。お前は思っていたよりも強欲で、独善だな」

 バウワは立ち上がり、ダバの手を勝手に握った。その手はダバのものよりも小さく、そして固かった。いつか自分もこうなるのだろう。こうであればいい。ダバの心の片隅がそう言った。


 それから、ダバとバウワはその道を進み続けた。森を抜け、小さな街にたどり着く。そこはダバのいた街と同じように枯れた世界であり、路上で小さくなった子供の目がギラギラとダバたちの足元を見ていた。

「酷い街だ」

「今はどこもこうでしょう」

「だからこそ」

 バウワとダバは宿を探し、雀の涙ほどもない手持ちで泊まらせてくれる古い宿屋を見つけた。変な匂いのする固いベッドと隙間風が絶えず流れる部屋だが、彼らにとって雨の当たらない屋根と野犬に襲われることのない壁だけがあれば十分だった。

 明け方、元々眠りの浅いダバと生命維持に乏しいバウワは太陽が上がると同じ時間に起き、他に目的もないため宿屋を発った。朝霧の中はまだ肌寒く、ダバは大きな手足を凍えさせながらも立ち止まることをしなかった。そこの前に飛び出してきたのは薄着の少女だ。

「こんにちは。おはようの方がいい?」

「おはよう、ございます」

 ダバは冷たくなった手に自分の息を吹きかけながら、その少女を見た。手足は細く、その身体を支えるにはあまりにも心許ない。薄手のワンピースだけで、足は裸足だった。

「おはよう、大きな旅人さん。私、寒くて死んでしまいそうなのだけれど、何かお恵みをくれませんか?」

 それもそうだろう、少女はハキハキと喋るが、鼻は真っ赤なくせに肌は死人のように真っ白だ。こんな寒空の下にいれば、長くを待たずとも死んでしまうだろう。

「それはとても不憫なことです。しかし、私にはもう手持ちの銀はありません」

「宿にいたでしょう?」

「使い切りました。もう、このハーモニカしかありません」

 赤いハーモニカを見せてみると、少女は顔にありありと落胆を示した。そうやってお恵みを探すしか、彼女に生きる術はなかったのだと、頭が遅いダバでさえわかった。

「それなら、仕方ないのね。諦めるわ、さようなら」

「待ってください、銀はありませんが、私の靴をあげましょう」

 ダバは靴を脱ぎ、既にボロボロになった靴を少女に差し出した。それに驚いたのは少女とバウワだった。これから先、見えぬ先まで歩くというのに、彼は大切な靴を渡すというのだ。バウワには酷く滑稽なことか、もしくはダバの気でも狂ったのかと疑った。

「おい、それではお前はどうやって歩くのだ。まだ先は長いのだろう」

「はあ、靴がなくとも歩けます。でも、こんな子の足が寒いままだというのは、あんまりじゃないですか」

 それは、そこでバウワは言葉を止めた。それはお前が辛いじゃないかと、言うのはあまりに無粋だ。ダバは頭は悪くとも、その程度のことはわかっているのだろう。

 少女はその靴を受け取る。しかしその手は震えていた。そうだろう、お恵みとは裕福なものからの施しだ。これは、少なくともその優越感や偽善の心を埋めるために渡された靴ではない。

「……これは、その。全く恥ずかしい話だけど、これはいただけません」

「どうしてですか。私は構いません。貴女には必要でしょう」

「だって、あんまりじゃないですか。こんなもの、どうやったって」

「あんまりですか、そうなんでしょう。でも、そんなことで死ぬこともないでしょうに」

「そのために死ねます。プライドというものを捨てたくはないの」

 少女は倒れる子供と同じようにギラギラとした目でダバを見る。しばらく見合っていたが、そうなんですか。とだけ言い、ダバはその靴を受け取った。彼は決して施しを躊躇しない男だが、同時に誇りや名誉を全く知らないままここまで来た。靴を履いていると、その代わり、と少女が呟く声を聞いた。

「その代わり、貴方たちはどこへ行くのか教えてくれません?」

「私たちか? ビエレムンという都を目指している。幸せを知るために」

 バウワが低い声で答え、靴を履き終えたダバが頷く。少女は少しだけ考える素振りを見せてから、可愛らしく首を傾げた。

「ねえ。私も連れていってくれない?」

「お前、幸せを知らないのか」

「知らないわ。そして、そんなものを信じてもいないの」

 悲しい顔をした少女に同情でもしたのか、バウワが困ったようにダバを見る。そうなれば、最初からダバに断る理由はない。彼は最初から誰も拒んだことなどないのだから。

「いいですよ、一緒に行きましょう」


 少女はカッティと名乗り、バウワが最後に持っていた路銀で靴と上着を買ってもらった。至極嬉しそうなカッティと、剣で音を鳴らしながら歩くバウワ。ハーモニカを離さないダバという三人は、整った道を進んでいく。

「私も楽器を持っているのよ。私を産んだ女が最後に残してくれたの」

 カッティは母をそう呼び、古びた黒いケースを持ち上げて見せた。カッティが、その身以外に唯一持っているものだ。執着できる最後のものが、そのケースに入っているのだという。中にはまだ綺麗なヴァイオリンが丁寧に入れられていた。

「使い方がわからなかったのだけど、人づてに聞いて練習したのよ。今では綺麗な音が出るの。何の曲も知らないけれど、私が好きなように音が出るわ」

「おお、これは美しい」

 バウワが感嘆の語句を並べ、ダバは感心したように息を吐く。彼らにその楽器の価値はわからないが、それが綺麗な音を出すことは容易に想像できる。カッティが得意げに細い弦を持ち、顎でヴァイオリンを支える。

「産んだ女に、これをくれたことだけは感謝しているわ」

 彼女はさみしそうに伏せた瞳で言ってから、その弦で弓をなでる。すると透き通ったような甲高い音がキイキイと響き、森の木々の中に音が反響して消えていく。その音にしばらく耳を澄ませていたダバだが、やがて思いついたかのようにハーモニカを咥え、合わせるようにピイピイと鳴らす。音が外れることもあるが、楽しそうな二人の音色は先の見えない道を照らしているようでもあった。

「ええい、私の楽器がないではないか」

「それならば、歌えばいいじゃないですか」

「私に歌えと言うのか!」

 ぶつぶつと文句を言っていたバウワだったが、やがて剣で道を擦ってリズムをとり始める。それでさえ滅茶苦茶だったが、三人にそんなことなど関係なかった。道を行きながら、ピイピイキイキイカンカンと、三人の音色が響いていっていた。


 そのまましばらく歩き、日が三度ほど昇った頃、先から走る人影が見えた。三人は音を止め、走ってくる人影を見る。

「……はぁ、たすけて、ください……」

 それは、まだ年端もいかぬような少女だった。カッティよりも小さく、歳もまだ十を過ぎていないだろう。しかし風貌は散々なもので、手足に重い枷が付けられている。

「どうしましたか」

「私は奴隷です。今、その飼い主から逃げてきました。このままでは下卑た男の元にでも売られてしまいます。どうか、助けてください」

 三人は顔を見合わせ、すぐに少女の腕を掴んで道を外れる。木々の隙間に隠れたとき、後ろから男の声がガヤガヤと聞こえてきた。

 その声は商品だとか売るだとか逃がすなということを、さらに下種な言葉で並び立てながら走っていく。大きな犬も連れているので、匂いで追ってきたのだろう。犬はダバたちのいる近くで立ち止まり、よって男たちもその辺りを捜索し始める。

「どうするの?」

 カッティが震える声で聞いてくる。もちろん、こんなところを見つかればダバたちだって奴隷の仲間になるだろう。しばし息を潜めていたダバだったが、バウワに剣を貸すように頼んだ。

「どうするのだ。戦うのは無理だろう、あっちも剣を持っている」

「はい、私も剣なんて使ったことはありません。すいません、少し非道いことをします」

 ダバは躊躇うこともなく、バウワから借りた剣で奴隷の少女の髪を切り落とした。カッティは無言で悲鳴を上げ、少女も驚いた顔でダバを見ている。しかしそれに対しての説明も一切なく、ダバは自分の手首に剣を押し付けて血を流し、切り落とした髪につけた。そしてバウワの剣を置き、木の陰から飛び出して男たちの前に出る。

「うわあ! 誰だお前!」

「はあ、しがない旅人です」

「旅人? それにしては軽装だな」

 突然、巨大な男が草陰から飛び出してきたのだ。疑うような顔の男たちの前に、ダバは血塗れた髪を差し出す。それだけで、男たちは驚いたように顔をひいた。

「気を付けた方がいいですよ。ここには凶暴な野犬が出ます。先ほども小さな少女が食べられていました」

 ポタポタとダバの手から落ちる雫は本物の血で、男たちはダバから少し離れる。それから、げんなりしたような顔でダバを見た。

「おい、これは俺たちが探していた商品なんだぞ。こんな髪の束になっちまいやがって」

「そうですか。あちらに死体がありますが。いえ、死体というにはあまりに少ないですが」

 その言葉の意味がわかったのか、男たちは顔をさらに歪ませる。それから、ダバに軽く言葉をかけてさっさと来た道を戻って行った。そんなものを持っている限り、ダバも大概におかしな奴と思われたのだろう。

 その姿が見えなくなってから、バウワたちが草陰から出てくる。カッティは慌ててダバの傷口を締め、少女も心配したように駆け寄って来た。

「大丈夫? 何も血を流すことないじゃない」

「いえ、血がないと疑われます。この程度で済むのならいいことでしょう」

「痛いのは誰だって嫌よ」

 カッティが手早く手当し、バウワが先に行った者たちが戻ってこないか見る。その間に、ダバはもう一度少女を見る。ダバの腰ほどしかなく、長い髪の一部が短くなっている。手と足に枷が付けられ、鎖で繋がっていた。

「えっと、ありがとうございます。大丈夫でしょうか」

 少女は礼儀正しく頭を下げ、ダバも大丈夫ですと答えて頭を下げる。

「私の方こそ、髪を切ってしまってすいませんでした」

「いえそんなことは、どうだっていいです」

 少女が動く度に繋がれた鎖がジャラジャラと音をたて、細い手足には痛々しい痕がいくつもあった。それでも少女の目は曇りがなく、顔には笑顔さえ残っていた。

「何かお礼をしたいのですが、私には渡せるものが何もないのです。何か、私にできることはありますか?」

「いえ、貴女が生きていてくれるのならいいのです。気を付けて行ってください。今度は見つからないように」

 ダバは物に執着しない性格であり、少女を助けたことでさえ見返りや名誉が欲しくてやったことではない。それで納得できるほど少女の受けた恩は軽いものではないし、そしてそれでも押し切って渡せるようなものは少女にはない。

「……それでは、私も連れて行ってください」

 少女はダバの腕を掴み、その顔を見上げる。それを振り払うこともせずに、ダバはただ少女の顔を見返した。

「いつか、私が何か手に入れたとき、貴方にこの恩を返します。それまで、どうか一緒に連れて行ってください」

 カッティとバウワはダバに従うつもりのようで、何も言わずに先を見ていた。それはダバが何と答えるかわかっていたからかもしれない。

「私たちは、幸せを知るためにビエレムンという街を目指しています。とても裕福な旅ではありません。それでもいいのなら、一緒に行きますか?」

 少女はとても大きく頷き、綺麗な笑顔を三人に向けた。


 それから、しばらくは道のままに歩き続けた。少女には名前がなく、自らで恩を返すことを忘れないためにオンと名前を決めた。ダバのハーモニカと、バウワの剣、カッティのヴァイオリンが音色を奏で、オンは鎖を鳴らしながら意味を成さない言葉で歌を歌う。音は外れて汚く濁っていたが、それでさえ四人には楽しいことのように思えていた。ピイピイキイキイカンカンジャラジャラと愉快な音を鳴らしながら、四人は先を目指して歩き続ける。

「おや、あれは看板だな」

 何度も日の昇降を見送ってから、行く先に古びた看板を見つける。そこには、もうすぐビエレムンに着くと書かれている。カッティは跳んで喜び、オンも鎖をジャラジャラと鳴らしながら喜んだ。

「もう少しだ、お前も嬉しいだろう」

 バウワに声をかけられ、ダバは少しだけ困ったように笑った。嬉しいかと聞かれれば、そうでしょうか、としか答えられない。

 そして、カッティは嬉しそうに急ぎ、オンも続いて先に走る。バウワは老いぼれているからとダバと同じようにゆっくり歩いたが、鼻歌を歌いながら歩いている。ダバは、いつもと変わらないように見えた。その心の中は、思っていたよりも嬉しくはない。そのことにダバ自身も戸惑っていた。

 しかし、数日も歩かないうちにビエレムンの城壁の前に四人はたどり着く。その中では野犬に怯える必要もないのだろう。寒い雨に震えながら、先の見えない道を進む必要もないのだろう。ダバは門兵に近づき、中に入りたいと頼む。

「なに、入りたい? 四人か?」

 小汚い四人を見下したような目で見てから、門兵は嫌な笑いをしてから四人を通した。その笑い方に気付いたのはダバくらいであろう、他の四人は嬉しそうにしながら中に入っていってしまう。


 何か、ダバは動きの遅い心で思う。何か、嫌だ。


 中に入ると、そこは美しい街並みだった。

「うわあ……」

 あまり心を動かさないダバでさえ、その街には感嘆の息を漏らさずにはいられない。美しい煉瓦の街並みと、綺麗に舗装された道。門の目の前はちょうど交差点のようになっていて、綺麗な水を惜しげもなく噴き出す噴水を中心にいくつもの馬車が道を進んでいる。

「綺麗ね、きっとここが幸せなのよ! こんな美しい街なら、それはそれは幸せなのでしょうね!」

 カッティはダバの腕をひき、オンやバウワと街の中へ進んでいく。ダバとて街の美しさはとても素晴らしいもののように思えた。街を進めば美しい街並みが続き、空でさえ澄み切った青に見える。広い道ではちょうど市場が開かれているようで、ガヤガヤと美しい服を着た人たちが笑顔を絶やさずに買い物をしていた。

「見たことのないものばっかりです、あれはなんでしょうか。とても、きれいな、」

 オンとカッティが市場で売られている工芸品に見とれ、バウワもおいしそうな果物を見て息を吐いた。ダバとて笑顔ばかりの人たちに少しだけ安心して、バウワと話そうと近づく。

「綺麗ですね。良い街です。ここは、みんな幸せそうだ」

「そうだろう、そうだろう! 人の生活とはそういうものであるべきだ! 我が祖国も、同じように……」

 目に涙を浮かべるバウワにかける言葉が見つからず、ダバがふっと目をカッティとオンに向ける。その時は、カッティが工芸品の店の主に追い払われるのと同じだった。

「汚い娘はおよびじゃない! 店が汚いと思われるじゃないか!」

「そんな、私は見てるだけで、」

「買う金もないのだろう! ああ汚い! うちの店はもっと上等なんだよ!」

 ダバがカッティに駆け寄り、店主の前に立つ。その大きな図体に少し驚いたようだが、その恰好が汚いものだと気付いたのかすぐに睨みつける。

「あんたの連れかい? 汚いんだからもっと端を歩くように言っておきな!」

「彼女はただ見ていただけです。それが、そんなにいけないことでしょうか」

 その問いかけがそんなに滑稽だったのか、店の主はゲラゲラと笑い出した。周りにいた通行人も同じようにクスクスと笑い、ダバたちを指さして嫌な笑いを浮かべている。

「当たり前だろう、お前たちみたいなのがいたら、綺麗な街の景色が台無しじゃないか! お前たちみたいなのは、暗い路地の奥にでもいたらいいだろう!」

 カッティとオンの耳をふさぐ。それから、なるべく静かな声で、目を閉じていた方がいい。とだけ言った。そうだ、このとても嫌な感じ。工場にいた人たちと同じなのだ。存在を否定され、そこにいるだけで笑われる。立っているだけで嘲笑の的になる。いなければいいのにと、ここに心があることすら否定されるような、ことばとたいど。

「汚い恰好。それに細い身体!」

「あの小さいのは鎖がついている! きっと奴隷なんだ!」

「大きいだけで、何もできそうにないのね」

「もうくしゃくしゃの爺さんだな」

「ああ汚い、汚い!」

 ダバは、カッティとオンの手を掴む。それからバウワに目配せして、急いでそこから立ち去った。後ろから罵声が聞こえる。オンが泣いているように思え、聞かない方がいい。と呟いた。それは、それは自分に言ったようなものだ。


 薄暗い路地に入ると、カッティたちは再び言葉をなくした。そこにはぼろをまとった人がたくさんいた。ダバたちと同じように、街からはじき出されたような場所で、もう既に息をしていないように見える人さえいた。

「あれは……これは、どういうことなの?」

 カッティが震える声を絞り出す。バウワは怒りで壁を殴り、オンは何も言えずただしゃくりあげている。だから、説明できるのはダバだけだろう。

「あの人たちは、私たちみたいな弱い人を、汚い人を見下して、それよりも美しいことで幸せだと思っているのでしょう」

「そんな……!」

 カッティが震える声を出す。言いたいことは、ダバでもわかる。それならば、それが幸せならば、ダバたちは幸せになんてなれないだろう。ずっと、見下されて、笑われて、潰されるだけだ。

「こんな街が幸せの街だと! 私は認めんぞ! こんな場所が、綺麗で笑っているなんて、絶対に……」

 バウワは悔しそうに壁を何度も殴り、くそっと吐き捨てるように言う。もちろん、ダバだって悔しいような気持ちはある。だが、それ以上に大きなものがあるのだ。それは諦めているせいかもしれないし、もしかしたら本当に気が狂ったのかもしれない。だが、それでもいいような気がした。

「私だって許せません。だけど、そういう人もいるのですよ。どうしたって」

 その言葉に、バウワが怒り狂った目でダバの胸ぐらを掴む。カッティが怯えたように肩を震わせ、オンを抱き寄せる。それでもバウワはダバを離さなかった。

「お前は! こんなことをされてまでそうやって静かにしているつもりか! そこまで感情のない男だったのか!」

 ダバはバウワの顔から眼を逸らさなかった。最初に出会ったときと同じように、この人のように老けていきたいと、ダバはまだ思っている。愚かにも、思っている。

「私は、もうおかしくなったのかもしれません。はい、おかしくなったのでしょう。今は、この街の人たちを可哀想だと思うのです」

 その言葉に、バウワはよくわからないという顔を向ける。もちろんカッティも、オンだって同じようにダバを見上げる。ダバは、少し困ったように笑う。

「私がここまで一緒に旅をしてきた人たちは、生きる希望もなかったり、方法もなかったりしましたが、とても良い人たちなのです。それを知らない人たちが、とても、可哀想に思うんですよ」

 それは。バウワは呆れたような顔をする。それは、なんて馬鹿な話なのだろう。見下されることよりも千の罵声よりも、そんなことを哀れと思うことは、なんと愚かなことなのだろう。

それでも、バウワは手を離した。その考えはとても理解できてしまう。目の前の図体ばかり大きな男は、如何に優しく美しいものであるか、この街は理解することを拒んだのだ。

「……馬鹿じゃないか」

「はい、ですから私はおかしくなってしまったのでしょう。工場で笑われている頃には、私はそういう、笑われて当然のものだと思っていましたが、みなさんはそんな酷いものではないでしょう。身なりを整えれば、きっと、この街にも馴染んでしまうと思います」

「お前だってそうだろう」

「そうでしょうか。不思議なのですが、あまり嬉しくはないです」

「私だって嬉しくないわ」

 カッティが口を開き、オンも頷く。もう、誰も悲しい顔はしていない。カッティは笑い、ダバの手を掴む。

「この街に似合う人になんてなりたくない。この街で得られるような幸せなんていらないわ」

「私も、貴方にはそんな幸せは似合わないと、思う」

 ダバは。初めて戸惑った。誰かに優しくされた記憶がないのだ。それでも、目の前の人たちは、ダバの話を聞き、そして幸せよりもダバを選ぶのだ。それはとても言葉にできない感情で、とてもここから逃げ出したくなる。それでも、この人たちといたいと、初めて、望んだ。

「私に、考えがあるのです」

 ダバは、考えていたことを声に出す。もう怖いものはなかった。ダバの動きの少ない心が、望む。笑われたり貶されることばかりだった毎日を耐えるために、わざと鈍くした心がもう一度動き出す。そうしてくれた人たちといれるのならば、もう笑われることなど怖くない。

「音楽隊を、やりませんか?」

「音楽、隊?」

 ダバは大きく頷き、カッティのヴァイオリンを指さす。

「カッティはあれがあります。私もハーモニカならばできます。バウワさんは、リズムを取ることが上手なので、太鼓でもいいと思います。それから、オンは歌えます。私たちで、音楽隊を、やりませんか?」

 それは、とても無茶な話だ。そんなことができるはずもない。それでも、バウワに言い返す言葉はなかった。もともと、四人とも汚いもので生きてきたのだ。路銀がないことは苦にもならないだろう。こんな街にいるよりも、ダバやみんなと一緒に、音楽をやっていた方が。

「……難しいぞ」

「はい、そうでしょう。無茶だとはわかっています。だけど、私はもうおかしいので、みんなと一緒に旅をしていたいんです」

 それでダバは笑うから、もう誰にも言い返せなくなってしまう。最初から反対するようなことはなかった。現実味がなくても、絶対に不可能でも、それはとても面白そうな話なのだ。

「やろう。私、やりたい」

 カッティは答え、オンも同じように頷く。バウワですら諦めたように息を吐き、大きく頷いた。

「やろう。やりたい。やらせてくれ」

 四人で笑い、再び歩き出す。もう、幸せになるために歩くこともない。街で落ちていた桶を拾い、バウワは太鼓にいいだろうと叩いて音を出す。オンが笑いながら歌い、ヴァイオリンとハーモニカの音が重なっていく。

 街から出た。門兵はまた笑っていたが、そちらの方が可哀想に、とカッティが言い残してもう振り返らなかった。そんなものにかけている時間の方が惜しい。

 ダバは、何もない行く末と、自分と来てくれる三人を見る。それだけで良い。それだけで満ち足りた。そういう気分は初めてだ。先を行く三人の後ろ姿を見て、ようやく気付いたことがある。

「ああ、そうか」

 幸せは、最初からここにあった。そうなのだろう、ダバはようやく納得がいった。振り返りダバを待つ三人の元へ向かう。三人とも、幸せそうに笑っていた。ダバも笑顔を返す。


 始まるのだ、ここから、小さな音楽隊は。

 




どこに投稿したのかは忘れましたが、どこかのサイトに投稿させていただいた話です。

期待はずれでしたら、申し訳ありませんでした。

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