020.I Just Want To Touch You
タムラ製作所本社の会議室。
シンがアラスカ基地まで迎えに行ったベルは数年ぶりのキョート訪問であり、とても機嫌が良さそうである。
普段はアラスカベースの航空機ハンガーに籠っているので、外出自体も久しぶりなのだろう。
ハナは一人で新幹線に乗り会議前に合流しているが、彼女はニホンの旅客鉄道を初めて利用したのでそれなりに楽しんでいた様だ。
ちなみに最近は中華連合の残党がちょっかいを掛けてくる事が無くなったので、SIDの監視だけで護衛としてのメンバーは同行していない。
「カメラのアップグレードは兎も角、厚みや重量を変更せずに指定された回路を付け加えるのは不可能です!」
コミュニケーターを担当しているのは、見目麗しい女性でしかもこの会社の副社長である。
「エリコちゃん、今までもバージョンアップする度にそのセリフを言ってるよね。
今回も解決する為の、隠し玉があるんでしょ?」
ベルは長年の知り合いのようなフランクな口調で、副社長に尋ねる。
ちなみに会話はすべてニホン語であり、彼女がこれほどニホン語が堪能なのは同席しているハナも初めて知ったのであるが。
「……新型の複層基盤はミルスペックに適合させるのが大変なんで、出来れば使いたくないんです!」
「聞いた?ハナちゃん。
エリコちゃんが、新技術を駆使して何とかしてくれるってさ」
「……あっ、ええ。
それは有難いですね」
「どうしたの、コミュニケーターの基板をじっと眺めたりして?」
会議室のテーブルの上に置かれた現行のコミュニケーターは、副社長の説明のために分解されている。
コミュニケーターについては動作確認を行う為にハナも所有しているが、分解された内部を見たのは初めてである。
「いえ、中身の基板がこんなに美しいのは予想外だったので」
「私達の周りは普通じゃない人が多いけど、基板を見てうっとりとした表情をしてる人は珍しいよね」
「貴方、この基盤の美しさを分かってくれるのね!」
副社長がビジネスライクな表情から一転して、熱の入った口調でハナに語りかける。
「はい。仕上げの美しさも勿論ですが、実装されているパーツも品質が高いのが一目で分かります。
それにフレキシブルケーブルを使ってない、シンプルな構造にも驚きました」
「Congohのミルスペックに適合させるには、振動に強いのも大きな要素だからね。
回路断の原因になるケーブルコネクターは、出来るだけ使わないのが一番なんだよ」
日頃ファイタージェットのレストアで、ケーブルの束と格闘しているベルならではの意見である。
「基板だけじゃないのよ!
このケースの内部仕上げを見て頂戴!」
「微妙にエンドミルのツールマークがあるという事は、これはCNCの削り出しなんですね」
「加工したチタニウムを更に硬化処理して、強度を高めているの。
液晶面も超硬の特殊ガラスを使っているし。
大口径ライフルで撃たれても、簡単には貫通しない強度を持たせてるのよ」
「それに、このケースの繋ぎ目の形状が変わってますね」
「この辺りはすべて特許技術なのだけれど、コストが掛かりすぎて一般の製品には使えないのよね。
シールを使わないで防水機能を持たせられるから、大手メーカーは飛びついて来そうな構造なんだけど」
「まぁ製造原価は、一般的なスマホの数百倍だからね」
「えっ、コミュニケーターってそんなに高価だったんですか?」
「知らなかった?
なんせ受注生産で、組み立ても熟練したエンジニアの手作業だからね。
ここだけの話、一台でベンツが買えちゃう値段だから」
☆
「君はCongohの人だよね?会議に参加しなくても良いのかい?」
ヴィジターのIDカードをぶら下げたシンは、自販機が並んだ喫茶スペースで作業服姿の人物に声を掛けられる。
作業服の下には上質なシルクのネクタイが見えるので、現場を巡回している管理職の人なのだろう。
「僕は技術系の人間では無いので、今日は単なる引率なんです。
会議室に入っても邪魔でしょうから、此処で休憩している方が有意義かと思いまして」
「おおっ、君はレイさんに良く似ているね!
もしかして彼の息子さんなのかな?」
「いいえ、良く言われるんですが甥っ子です。
あの、失礼ですけど何方様でしょうか?」
「これは失礼。私はここの会社で社長をやってるタムラです」
年期の入った作業服姿のその人物は、シンに笑顔で名刺を差し出したのであった。
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「それじゃぁ、コミュニケーターは副社長をやっている娘さんが担当なんですか?」
シンは自販機の缶コーヒーを飲みながら、レイと顔見知りである社長と世間話に講じていた。
「うん。娘は携帯ガジェットの設計が専門でね。
フィンランドの携帯電話会社を皮切りにいろんな会社を流れて回って、最近やっとニホンに戻って来たんだよ」
レイと似ているシンに親近感を感じるのか、社長の口調は初対面にも関わらずかなりフランクである。
「なるほど」
「以前からコミュニケーターの設計にはフリーの立場で関与していたのだけど、専任にして貰えるのを条件に入社してね。
彼女にとってはコミュニケーターっていうのは、まさに夢が実現したような製品だからね」
「夢、ですか?」
「コスト管理が厳しいメーカーの量産品と違って、オーダーメイドだから採算を度外視できるからね。
単なるツールとして使っている君達には理解できないかも知れないけど、マルチバンドで世界中どこでも通話できるあんなデバイスは他に例が無いんだよね」
「そういえば、アラスカからアリゾナまで通話出来ない場所に遭遇した事は無かったですね」
「君はそんなに若いのに、なんか苦労してそうだね。
私の娘もワーカホリックじゃないんだけど、コミュニケーターのアップデートの話があると張り切っちゃってね。
目途が付くまで昼夜問わず働いて、会社から帰って来なくなるんだよ」
「……あの壁の写真は、オワフ島のショッピングセンターですか?」
シンは雑談の最中に、喫茶スペースの壁に下がった集合写真に気が付く。
「ああ、あれは副社長の発案でね。
数年に一度の、社員旅行の時の写真かな」
「副社長は、もしかしてハワイがお好きなんですか?」
「うん。別荘のコンドミニアムもあるし、頻繁に行っているね。
でもここ数か月は忙しくてご無沙汰してるだろうけど」
「……あのちょっと教えて頂きたいんですけど」
「?」
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「ちょっと昼休憩にしようか?
エリコちゃん、ここって社食があるんだっけ?」
「ありますけど……たぶんお口に合わないかと思いますよ。
うちには外国人の従業員も居ますけど、特に配慮したメニューは用意してませんから」
ベルとハナはニホン語が堪能だが、食事に関してもニホン食が好きだとは限らない。
社員食堂のメニューは家庭的な和食が殆どであり、彼女の懸念はもっともであろう。
「ふふふっ、それじゃぁ久々にラーメン屋にでも……」
「お待たせしました。デリバリーです!」
挨拶の後に会議室から席を外していたシンが、両手に大きなビニール袋を下げて入室してくる。
「これは……デリバリーって一体どこから?ニホンに支店でも出来たの?」
黒いスチロールにホワイトマーカーでメモ書きがあるテイクアウト容器は、彼女が常連であるホノルルの店のものである。
「いえ、ハワイですよ。
ドレッシングは、Ranchじゃなくてイタリアンで良かったんですよね?」
「……ええ。
でもこういう弁当は、プライベートジェットを使っても税関を通過できないと思うのだけれど?」
Congohに関して多少の知識がある副社長は、所有しているプライベートジェットの存在を知っている様である。
たぶん最寄りの空港で受け取って、急いで運んで来たと結論したのだろう。
シンは副社長の問い掛けに答えずに、テイクアウト容器を室内のメンバーに手渡ししていく。
すべての注文は肉を10オンスに増量しているので、容器は見かけよりはずっしりと重さがある。
「おおっ、これはSTEAK ●HACKのプレートじゃないか!懐かしいなぁ」
「あれっ、ベルさんってハワイベースに居た事があるんですか?」
「うん。ハワイに行く前はずっとテキサスに居たんだけどね。
結婚したばかりのジョン君と交代して、私はアラスカベースに移ったんだよ。
ジョン君は子供を育てるつもりだったから、あそこは子育てには最適な場所でしょ?」
「……まだステーキが焼き立てじゃない!一体どうやって?」
副社長は大好物を目の前にして、好奇心より食欲が打ち勝ったようだ。
白いプラスティックフォークを使って食べ始めた彼女が、今日初めて目にした笑顔を浮かべている。
ちなみに熱いステーキと冷たいサラダが大量に詰められたこのプレートは、電子レンジで温めても生野菜が茹ってしまうので出来立てと同じ状態にはならないのである。
「ハナも遠慮してないで、肉が冷めないうちに一緒に食べよう!
ここのステーキは赤味肉で脂が少ないから、とっても食べやすいんだよ」
「この間ハワイに行った時にも、昼食でご馳走になりましたよ。
それじゃぁいただきます!」
☆
「今日の昼間に出た話ですけど……」
ミーティング終了後、予約してあった宿舎に入った3人はビュッフェ形式の夕食を採っていた。
此処は落ち着いた佇まいで外国人旅行客にも人気がある、かなり高級なホテルである。
アリゾナの社員食堂はメニューも豊富でとてもレヴェルが高いのだが、ニホン食に関しては調理の問題があるので少数のメニューに限られている。
ベルは普段食べる事が出来ない握り寿司や、和風の煮物などをバランス良く自分の皿に盛りつけている。
「あれっ、シン君は私のプライベートに興味があるのかな?
モテモテの君に注目して貰えるなんて、とっても光栄だね!」
「あの……テキサスに居た頃は、レイさんとずっと一緒だったって聞いてますけど?」
昼間のステーキプレートのおかげで空腹にほど遠いシンは、暖かい掛け蕎麦のみのシンプルな夕食である。
「なんだレイの話?つまんないな」
「ご本人は昔話が嫌いみたいで、僕が聞いても細かい事は一切教えてくれないんですよ。
レイさんが僕と同じ年齢の頃、どうだったのか聞いてみたいんです」
同席しているハナは、箸を止めてシンを意外そうな表情で見ている。
他人の噂話が嫌いなシンが、本人不在の場所で過去の事を尋ねるのは非常に珍しいからである。
「……レイはメトセラの中でも、特に技術的な遺伝子記憶を大量に持っていてね。
日常生活で使っている機器を、常人が思いつかない発想で次々と改良を続けていたな」
シンがベルに尋ねた意図を理解したのか、彼女は昔話を語るように静かな口調で話し始める。
「私はCongohの現地駐在員としてレイのお守り役だったんだけど、まぁ姉弟みたいな関係かな。
彼も君と同じようにハイスクールの授業は免除されていたから、テキサスの拠点で次々と特許出願を繰り返していたね」
「和光技研との付き合いはその頃から始まってね、米帝に輸入された中古モペットをレイが手に入れた時から始まっているんだよ」
「レイは実名で膨大な数の特許を取得していたから、早い時期からARPAに目を付けられていてね。
パイロットになる希望があったレイが米帝空軍に行く事になったのは、まぁ自然な流れだったのかな」
「彼の発明は技術的なブレイクスルーが数え切れない位あって、燃料噴射制御システムからフライバイワイヤ、最近の軍事用ASICSまで幅広いからね。
あと、言うまでもないけどSIDの初期バージョンも彼の設計だしね」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「レイさんって、子供の頃からかなり生産的な事をしてたんですね。
僕はハナやトーコみたいにプログラミングが出来ないし、なんか引け目を感じちゃいます」
「生産的ではあったけど、人間的には君とは正反対の滅茶苦茶なタイプでね。
まぁナナさんの血を強く受け継いでいるから、仕方がない部分はあるのかも知れないけど」
「滅茶苦茶ですか?
ナナさんと違ってレイさんは、僕から見ても落ち着いていて穏やかな人に見えますけど?」
「昔話をしたくない理由の一つとしては、君にそういう若い頃の暗黒面を知られたく無いというのがあるんだろうね。
君の事は実の弟のように、大切にしてるみたいだから」
ベルは、シンの左手に巻かれている大きな腕時計を見ながら呟く。
文字盤に小さく米帝空軍のロゴマークが刻まれたその時計は、レイが退役の際に記念品として贈られた特注品なのであろう。
特別な記念品やアラスカの倉庫の秘蔵品をさりげなく渡しているシンという存在は、やはりレイに取っては特別なのだろうとベルは理解していた。
「君はCDを出したり、アイさんに見込まれる料理の腕前もあるのだから、自分を卑下するのは関心しないな。
それに君が研究職や他の事をやる時間は、まだ無限にあるんだし」
「……はい」
「そして何より、君は女性を惹きつけるカリスマを持っているからね。
その能力に関しては、レイも遠く及ばないかな」
「……」
ベルの客観的な一言は正しい評価なのだろうが、今は返す言葉が見つからないシンなのであった。
お読みいただきありがとうございます。




