017.Today Is the Day
食後の片付けをいつものように他のメンバーに任せたシンは、リビングでL-00を抱えてリラックスしていた。
シンとエイミーの料理に頼りきっている寮生にとって、食後の片付けは日常の数少ない分担作業である。
尤も厨房は調理が終了した時点で清掃は完了しているので、リビングのテーブルを拭いてから使った食器を大型食洗器にセットするだけなのであるが。ちなみに大皿に残っていた料理は、保存容器に入れて冷蔵庫に貯蔵されている。食べ残しゼロを標榜しているCongoh関連の施設では、残食が出るのは恥ずかしい事であると意思統一がされているのである。
今リビングでシンが抱えているL-00は、数十年前にレイが田舎のポーンショップで手に入れた品である。
アラスカの倉庫に死蔵されていたこのギターは、長い眠りから覚醒して素晴らしい音色を響かせている。
ちなみにシンが静かに爪弾くスリーコードに合わせて口ずさんでいるのは、古いブルーズのスタンダードナンバーである。
片付けの手伝いをお客様だからと断られたジョディは、オールドフォレスターから注いだオンザロックを片手にシンの歌声に耳を傾けている。
もちろんハード・リカーが寮にあるわけは無いので、この封を切ったばかりのボトルは最近の飲み会でユウが残していったものであろう。
キッチンから戻ってきたメンバーは、お喋りもそこそこにソファでシンの歌声に聞きながらリラックスをしている。
夜型人間であるハナとトーコはこれからがメインの活動時間なので、濃いコーヒーや緑茶でカフェインをしっかりと補充中である。
「……自分は音楽は良く判らないが、シンの歌声は聴いているとなんか落ち着くな」
いきなりソファで寝落ちしそうになっているマイラを見ながら、ジョディは呟く。
「ジョディさん、シンは既に全米でCDデビューしてるんですよ」
漸く翌日の仕込み作業を終えてキッチンから戻ってきたエイミーが、リビングに置いてあったサンプル版のCDをジョディに手渡す。
「あれっ、このジャケットは見覚えがあるな?
ああ、大統領執務室にいつも流れてるのは、シンのCDだったのか!」
「……シンのうたすきっ!……シンだいすきっ!」
ここですくっと起き上がったマイラが寝言の様に呟くが、またすぐにソファに倒れこんで寝息を立て始める。
隣に座っていたルーは、慣れた様子でマイラを抱き上げ自分達の部屋へ運んで行く。
ハナとトーコの二人はこれから仕事のゴールデンタイムなので、気合を入れた様子で夫々の部屋へ戻っていく。
シリウスは既に部屋で寝ているが、シンが夜中に大浴場に行く時間には何故かしっかりと目覚めているのはとても不思議である。
「料理や歌だけじゃなくて、これでヘリの操縦も得意なんだろ?
多芸多才で何でも出来るっていうのは、お前みたいな奴の事を言うんだろうな」
エイミーも自室へ向かったので、今リビングはシンとジョディの二人きりである。
「ああ、でも僕達はかなりズルをしてますからね」
ギターを愛用しているカーボン・ファイバーのケースに戻すと、シンはキッチンから持ってきたちょっと硬くなったパルミジャーノの塊を、小さなナイフでスライスする。
バーボンのつまみとしては、歯応えがある濃い味のチーズや手作りのジャーキーが最適であろう。
「ズルって?」
「周囲の人たちは……まぁこの寮では僕とかハナがそうなんですが、ハイスクールに通った経験が無いんですよ。
みんな6歳までに親に知識を詰め込まれているので、初等教育を受ける必要が無いんです」
皿にチーズと自家製のジャーキーを並べるが、ジャーキーには結晶の粒が大きいピンク色の岩塩を振りかけている。
「?」
「だから僕たちは、皆がアルファベットの勉強をしている間に、他の知識や経験をいち早く積んでるって理由です。
ジョディさんがご存知のユウさんも、パイロットの訓練は7歳位で始めたって聞いてますよ」
シンはチーズとジャーキーが山盛りになった皿を、無言でジョディの前に置く。
「……なんか言い方が悪いかも知れないが、生き急いでいるって感じだな」
ジョディは辛辣な発言をしているが、ジャーキーを咀嚼している表情は実に幸せそうである。
和牛の赤味肉で作ったこのジャーキーは、なぜか北米出身者には好評なのである。
「それは逆だと思いますよ」
シンは冷蔵ショーケースから取り出したドクターペッパーを、一口含んでから続ける。
「?」
「僕の母親も厳しくて、妹が生まれる前には詰め込み教育だけじゃなくて試練の毎日だったんです。6歳で冬のアラスカを、一人で縦断した事もありましたし」
「それは試練というよりは、虐待に近いんじゃないか?」
「でも母親が飛行機事故で亡くなって、今もこうして生きていられるのは様々な試練をくぐり抜けた自信があるからだと思いますよ」
「年の割りには落ち着いて見えるのは、同年代の子達とかけ離れた経験の所為なのかな」
「毎日忙しく過ごしているのは、生きるためのエネルギーを絶えず充填している感じですかね。
もちろん偶には、ギターを抱えてリラックスする時間も必要ですけど」
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「あれっ、今日は随分とお酒が進んでますね?」
シンは、殆ど空になったオールドフォレスターのボトルを見て驚いている。
ジョディは顔色も普通で全く酔ったようには見えないが、つまみで出してあったジャーキーやチーズもきれいに無くなっている。
明かりが消えていないキッチンではシンがまだ作業中であり、小休止のために彼はリビングに戻って来たのである。
「ああ。つまみが旨すぎて、ちょっと飲みすぎたかも。
それにここのネットワーク映像は実にバラエティに富んでいて、見ていて飽きないからな。
一緒に飲む相手が居なくて時間を持て余すかと思っていたが、その心配は不要だったよ。
それでシン、まだ仕事があるのかい?」
口調も滑らかで表情はいつもよりも優しく、彼女はとてもリラックスしているように見える。
「ええ、炊飯の準備や納豆の製造は僕の担当ですし、それに今日は二人分の夜食の準備も必要ですから。
ところでジョディさん、明日の朝食は和食で大丈夫ですか?」
「ああ、焼き魚は勘弁して欲しいが、それ以外なら大丈夫だ」
「あれっ、カナダ出身だから魚料理は大丈夫じゃないんですか?」
「白身のフライなら大好物なんだが、あの骨の多いサンマとかはどうも苦手でな。
ミサワの隊員食堂で小骨が喉に刺さってから、なんかトラウマになったみたいなんだ」
「ああいう傷みやすい青魚は寮では仕入れてませんから、大丈夫ですよ。
ユウさんから分けて貰った、マグロとかカツオの刺身を出すことはありますけどね」
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「温泉に入る犬なんて、聞いた事がないぞ!」
タオルで前を隠すことも無く、ジョディは一人大浴場に入ってきた。
「あれっ、まだ起きてたんですか?
ジョディさんって、宵っ張りだったんですね」
仕事をやっと終わらせたシンは、シリウスと一緒に深夜の温泉に浸かっていた。
ヴァーチャルウインドにはいつものハワイの風景では無く、シンが好きな伝説のブルーズマンのモノクローム映像が表示されている。
「シン、お前は米帝生まれでは無いよな?
なんでこういう古めかしい音楽が好きなんだ?」
浅い足湯に浸かって尻尾を湯の中でブラブラさせているシリウスを見ながら、ジョディは発言する。
いつもより口数が多くなっているのは、酔いが少し残っているのと慣れない混浴の照れ隠しもあるのだろう。
もちろん全裸のジョディは堂々としているが、動画の照り返しの光で顔がほんのりと赤くなっているのが分かる。
全身を綺麗に脱毛している彼女の肢体は適度な筋肉と脂肪のバランスで、薄暗い中ではかなりの艶かしさだ。
「僕に音楽の手ほどきをしてくれた、教会の神父さんの影響なんでしょうね。
その人は創世記のブルーズも大好きで、良く古いレコードコレクションを聞かせてくれたんですよ」
シンはかけ湯をしている彼女の危険な光景から目を逸らしながら、平静を装って彼女に返答する。
年上美女の全裸など見慣れているシンではあるが、夜半で疲れている場合には体が反応してしまう場合があるからだ。
「ああなるほど。
賛美歌が上手なのは、教会で歌っていた経験があるからなのか」
「ええ。
それにしてもジョディさんは、ここの温泉がかなり気に入ったんですね」
「ああ、ミサワに居た時には周辺の温泉地をよく巡っていたからな。
ここならガイジンという事で注目されないし、それに大統領に言われたからお前と『裸の付き合い』をしておこうかと思ってな」
彼女は静かに湯船に入り、手足をしっかりと延ばしリラックスしている。
「ここは混浴なんで寮のメンバーとは良く一緒になりますから、そんなに過剰に意識しないでも大丈夫ですよ。
それに大統領の言っている『裸の付き合い』は、ちょっと違う意味だと思いますけどね」
「此処ではシンが唯一の男性なんだろ?
寮の女の子達にご奉仕されて、もっとハーレムっぽい生活をしてるのかと思ってたよ」
浴槽のシンの傍に近づいてきたジョディは、ようやく緊張が解けたのか目を凝らして引き締まったシンの上半身を見ている。
シンは彼女の熱い視線に気が付いているが、あくまでもここは温泉なので素知らぬ振りを続けている。
「それでジョディさんから客観的に見て、今の僕の状態はハーレムに見えますか?」
「いや……正直な感想に言うと、大勢の妹を世話するお兄ちゃんかな」
「ああ、そういう感じですかね。
僕にとっては、皆大切な家族ですから」
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「エイミー、おはよう!」
キッチンで慌しく調理をしているエイミーに、ジョディは声を掛ける。
睡眠時間は短かったがアルコールと温泉のお陰で眠りは深く、彼女の目覚めは爽快だったようである。
「ジョディさん早起きですね!
朝食はご飯なんですけど、おかずはベーコンエッグで良いですか?
焼き魚は駄目って、シンから聞いてますけど」
分厚いベーコンのスライスをフライパンでしっかりと焼いてから、彼女は生卵を落とし蓋をする。
米帝式の焦しベーコンは火が通りすぎなので、この辺りの加減がとても難しい。
「うん。ありがとう。
シンはまだ寝てるのかな?」
「シンはいつものトレーニングを終えて、まだシャワーだと思います。
シンとシリウスは、私よりトレッドミルで走る距離が長いですから」
出来上がったベーコンエッグを皿に移し、ワゴンにその他の料理も載せていく。
巨大な炊飯ジャーも軽々とワゴンに移しているので、ジョディは見かけによらないエイミーの腕力に驚いていた。
「あんなに忙しいのに、早朝トレーニングまでしてるのか!」
「シリウスにとっては、温泉とトレーニングはシンを独占できる貴重な時間ですからね。
それにシンにやって貰うドライヤーとブラッシングが、彼女は大好きなんですよ」
ワゴンに載せた朝食をリビングに運びながら、エイミーは説明を続ける。
「うわぁ、このベーコン旨そうだな」
促されてテーブルセットに腰掛けたジョディに、エイミーはてきぱきと朝食を配膳していく。
「これはイタリア産の熟成生ベーコンを使ってますので、塩加減を見てから味付けして下さいね。
いきなり醤油やソースを掛けちゃうと、もの凄く塩辛くなるかも知れませんから」
「……うん、何も掛けなくてもちょうど良い塩加減だね。
いやぁ、この濃い味のベーコンと半熟卵を合わせると絶品だな」
「お口に合ったみたいで、何よりです!」
「うわぁ、このご飯も美味しいなぁ。
こんなに美味しい白米って、初めて食べたかも」
「チャーハンとかに使ってるのと、同じお米なんですけどね。
まだ炊き立てで品温が高いですから、より美味しく感じるんですよ。
ジャーにまだ沢山ありますから、遠慮なくお代わりして下さいね!」
リビングに出てきたルーとマイラにおはようと挨拶すると、彼女はご飯と味噌汁のお替りを繰り返し朝食を十分に堪能したのであった。
「ご馳走様!
ここのメンバーは、朝からこんなに美味しい食事が出来て幸せだよな!」
重ねた自分の食器を抱えてキッチンに向かったジョディは、てきぱきと調理をしているエイミーに声を掛ける。
ジョディの大袈裟な賞賛の声に、エイミーは満面の笑顔で応えたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




