015.Hello Old Friend
SIDの数回に渡る誘導でフライト中のAA327便を見つけたシンは、短距離ジャンプでコックピットにいきなり出現する。
シンに横抱きされたジョディは亜空間飛行中にあまりの現実離れした光景に絶句していたが、さすがに超音速飛行に慣れた元ファイター・パイロットらしくパニックは起こしていない。
ハイジャックの当事者である副操縦士は、シートベルトをしたままで前かがみになり身じろぎをしない。
シートの横には小さな薬瓶が落ちているが、中身は空っぽである。
「うわぁ、睡眠導入剤の大量摂取か!
今は処置してる余裕が無いから、手荒だけど御免ね!」
シンは意識の無い副操縦士を狭いコックピット内で重力制御で持ち上げ、吐瀉物が喉に詰まらないように床に横向きに寝かせる。
飲んだらしい薬のラベルを見るとメジャーな市販品なので、一瓶飲んだ位では眠りが深くなるだけで自殺は不可能である。
ただしこのままオートパイロットで飛び続けた場合には、最終的には燃料切れで墜落し彼の目的は達成されるのだが。
「ジョディさん、コース変更をお願いします。
もうワシントンの制限空域を出てますので、燃料が足りなくなるかも知れません」
窓から外を見ると、アンドルーズからスクランブルした州軍所属のF-16が監視のために随伴している。
本来なら制限空域に入った時点でパイロットからの警告が無線に入る筈なのだが、大統領から指示が出ているのか何のコンタクトも無い。
「オートパイロットオフ。
I have control!」
ジョディは初めて座ったであろう旅客機のコックピットで、グレアシールドの自動操縦計器の位置を確認しながら実に落ち着いている。
ここでシンもコパイシートに収まって、ヘッドセットを装着する。
これがパニック映画の一シーンならばまず管制に連絡する処だが、話がややこしくなるのでそれは避けた方が無難であろう。
「高度を稼いでから、コース変更のために旋回する!
シン、EICASのディスプレイでエンジン出力を見ていてくれるか?」
「了解!
ジョディさん、乗客がパニックにならないように、先に機内アナウンスをお願いします!」
「……こちら臨時機長です。
現在この機は、アクシデントのためワシントン上空を通過中です。
問題は解決し直ちにダレス空港まで向かいますので、乗客の皆さまはご安心下さい。
なおコース変更のため機体が揺れる可能性がありますので、通路を出来るだけ歩かないようにお願いします」
……
コース変更を終えてコックピットから出て来たシンとジョディは、あらかじめ用意していた黒服機関支給のサングラスをかけて人相を隠している。
いきなり開いたコックピットのドアから出てきた二人に、機長とスチュワーデス達は唖然とした表情を浮かべている。
機内アナウンスは聞いていたが、まさか本当にコックピットから放送していたとは信じられなかったのである。
「大統領の要請で救出に来ました。
たった今コース変更しましたので、現在この機は自動操縦でダレスに向かうルートを飛んでいます」
シンは淀みない口調で、機長に説明する。
ついでに重力制御を使い乱暴に担いできた副操縦士を、スチュワーデス専用のシートに座らせてシートベルトで固定する。
「睡眠導入剤で爆睡中の犯人は、到着したら空港警察に引き渡して下さい。
呼吸も正常なので、多分胃洗浄は必要ないと思います」
「大統領命令で迅速に対処するとは聞いていたが……君たちどうやってコックピットに入ったんだ?」
シンは笑顔で唇に人差し指を当てるポーズを取ると、隣で何故か不機嫌な表情になっているジョディをいきなり横抱きにする。
彼女は数分前に初めて触った新型のFMSの操作が上手く出来ずに、コミュニケーター経由でSIDの助けを借りたのでイライラしていたのである。
「Have a nice day!」
二人の姿はコックピットのドアの前から、忽然と消失したのであった。
☆
「シン、おかえり!
ジョディもご苦労さま、大活躍だったわね!
AA327便は無事に到着したって、連邦航空局から連絡があったわよ」
執務室にいきなり出現した二人に、大統領は驚きもせずに労いの言葉を掛ける。
ちなみに出発時と同じように人払いがしてあったので、執務室には大統領以外のスタッフは誰も居ない状態である。
「……はい」
ジョディは短時間の内に、あまりの多くの出来事があったので精神的に疲れてしまったようだ。
体力はあるので立ち姿はしっかりとしているが、目が虚ろで焦点が定まらない感じである。
「これでワシントンの件は、理解してもらえたわよね?
言うまでも無く彼の能力については、他言無用だから」
「……他言しても、誰にも信じて貰えないと思いますが」
「彼に活躍してもらうには制約があるから、ダーティーワークに彼の能力は一切使えないわ。
あなたもこの言葉の意味は分かるでしょう?」
「……はい。でも態々彼を私に引き合わせのは何故ですか?」
「うん。それはしっかりとした理由があるのだけれど、もうちょっと後でね。
とりあえず彼の為人を理解して欲しかったから」
「はぁっ……その、ちょっとソファをお借りして良いですか?
流石に展開が急すぎて、疲れました」
「ふふふっ、じゃあ明日一日休みを上げるからシン君と親睦を深めて来なさい。
シン君、丸一日彼女を預けるから、温泉に放り込んでビールでも飲ませてリフレッシュさせてくれるかな?」
☆
「ここが……イケブクロか?
シンジュクには観光で来たことがあるが、此処はずいぶんとダウンタウンなんだな」
着地した屋上からの街並みを見て、ジョディは声を上げる。
ランドマークである高層のオフィスビルや市役所の新しいタワービルは目立っているが、他に高層建築が見当たらない彼女が言う通りの地味な風景なのである。
「ええと、このビルの全フロアが僕が所属する学生寮です」
屋上から階段を下りてリビングに入っていくと、シンにソファに腰掛けているメンバーから声が掛かる。
「あっ、シンお帰りなさい!夕食の準備には間に合いましたね!
えっと、お客様ですか?」
ソファで手書きのノートを見ながらメニューを考えていたエイミーが、シンに応える。
「うん、米帝政府の人なんだけど大統領からおもてなしするように頼まれちゃってね!
あっルー、悪いけどジョディさんを大浴場に案内して貰えるかな?
着替えはいつもの来客用セットで良いから」
「うわっ、可愛い女の子ばかりじゃないか!ここは女子寮なのか?」
ソファに座っているメンバーを見て、ジョディは声を上げる。
ケイやパピはまだ帰還していないので、女の子ばかりという表現は適切なのであろう。
「いえ、ふつうに男女共有ですよ」
「お姉さん、軍隊経験者でしょ?
たぶんパイロット……空軍じゃない?」
ジョディを案内してエレベータに一緒に乗り込んだルーは、彼女に気安く声を掛ける。
普段使う事が無い米帝語だが、カタコトだった以前に比べればかなり流暢になっているようだ。
「なんで分かるんだい?」
コミュ力が高いルーの笑顔には抗えずに、ジョディは優しい表情で返答する。
かなり高圧的な性格である彼女だが、やはり年下の可愛い女の子には甘くなるのだろう。
「ボクも義勇軍のパイロットの端くれだからね。
なんとなく雰囲気で分かるんだ」
「へえっ、それは光栄だね」
「お姉さん、これが来客用のジャージと下着ね。
今着てる服は、こっちに渡してもらえばクリーニングしてから返却するから。
あっ白いブラウスが必要なら、ユウさん用の新品があるから用意できるよ」
「ユウさん?
うわぁ、広い風呂場だなぁ……まるで天然温泉みたいだな」
「うん。単純泉だけど、ここは本物の温泉なんだよ!」
「えっ……?ここって学生寮なんだろ?」
「うん。雫谷学園っていうインターナショナルスクールのね。
お姉さん、なんか面白い人だね。
英会話の練習になるから、ボクも一緒に入ろうかな」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「ジョディ!随分と久しぶりだよね!」
ルーと談笑しながらリビングに入ってきた彼女を、シンの連絡で寮に現れたユウが出迎える。
「ユウ!まだ生きてたのか!
さっきから名前が出てるから、まさかとは思っていたが。
航空防衛隊を辞めて、どうしてるか心配してたんだぞ!」
「ああ、やっぱりユウさんの知り合いだったんですね」
「シン君、Tokyoオフィスの食事の支度があるから一旦戻るけど、また夜にお邪魔するよ!
どうせ飲み会になるんでしょ?」
「ええ、大統領から接待するように言われてますから。
それじゃぁ、つまみを期待してます!」
「了解!
ジョディ、また後でね!」
……
夜半、寮のリビングルーム。
いつも通り、寮での宴会は夕食時より沢山の皿がテーブルに並んでいる。
いつもと一寸だけ違うのは、会話で使われているのがゲストに合わせて米帝語である点だけであろう。
ジョディはニホンに駐在している間に味を覚えた中華料理が好物のようで、ビールを片手に焼き餃子や春巻きを美味しそうに頬張っている。
「ここは学生が住む為の施設なんだよな……でも生ビールが飲み放題っていうのは素晴らしい!
ニホンの生ビールは、やっぱり旨いなぁ!」
彼女はリビングに設置されているビールサーバーから、自分でおかわりを注ぎながら嬉しそうである。
先ほどの疲れた様子は微塵も無くなっているので、接待役のシンとしても一安心である。
「ヨーロッパでは、ビールとかワインは殆どの国で16歳からOKなんですよ。
この寮はヨーロッパから来てるのは、まぁ今はルーだけですけど……ビールサーバーがあるのはそういう訳なんです」
シンの言い訳はニホンの法律を明確に無視しているのだが、ここで敢えてそれを指摘する者は居ない。
実は学園寮にビールサーバーが設置されたのは、Tokyoオフィスと学園のカフェテリアに設置した分のおまけ扱いなのである。
「へぇっジョディは一旦空軍をリタイアして、ロースクールに入り直したんだ。
すごいね!」
同じ米帝の軍隊出身の気安さで、パピがジョディを呼び捨てにする。
ジョディもユウ以外は初対面なのだが、軍務経験者が多い寮のメンバーとはしっかりと打ち解けているようである。
「ああ、堅実に貯金していたし、退役軍人には特別な奨学金があるからな。
それになにより、ライバルが居なくなって張り合いが無くなったのが大きかったかな」
「もしかしてライバルっていうのは……」
ここでケイが、ユウをちらりと見ながら呟く。
彼女も海外生活の経験があるので、米帝語は非常に堪能である。
「ユウ、航空防衛隊を辞めてからの経緯を話して貰おうか!
お前は私の人生にコミットしてるんだから、嫌でも私には聞く権利があるだろう?」
「もう……昔から勝手に張り合おうとしてたのは貴方だけなんだけどね。
ほら例の事件の後に、イチガヤの本庁に無理矢理飛ばされたから、嫌気が差して転職しただけだよ。
もともと私はプロメテウスの国籍を持ってるから、里帰りしたようなものだけどね」
「私もウイングマークを手放すのは勇気が必要だったが、思い切りが良かったんだな」
「えっ、手放してないよ?」
「???」
「今も少尉だし、頻繁にフライトしてるけど。
この間はイタリア空軍のお手伝いで最新鋭機を操縦したし、Viperとかドラゴンレディとかウォートホッグにも乗ってるし」
「……そんな戦場漫画みたいな話、簡単に信じられるか!」
「ほんと漫画みたいな軍隊だよね、プロメテウス義勇軍って。
私も気がついたら、ジェットパイロットになってるしさ」
ルーはケイの横で、お勧めの純米大吟醸酒をグラスへお酌してもらっている。
「ジョディもCIAのアナリストなら、プロメテウス義勇軍の特殊性は知ってるでしょ?」
ユウは飲みなれているオールドフォレスターのロックを手に、ジョディに応える。
「ああ、ワシントンの顛末も、今日一日シンと行動して漸く納得できたよ。
それでシンとお前の関係は何なんだ?
かなり親しそうに見えるが?」
「ニホン料理の師匠で、年が近い姉さんという感じですかね。
困った時には、いつも頼りにしてますし」
「まぁ私の方が先任だけど、シン君が居てくれてとっても助かってるよ。
なんてったって、今の義勇軍の切り札だからね」
「もしかして、議事録にあった記念塔のスナイパーって、お前なんじゃないか?
あの尋常じゃない射撃の腕前は、しっかりと覚えているぞ」
「あなたこそ、ほとんど初対面なのに呼び捨てなのは、シン君をかなり気に入ったんでしょう?」
「うっ、まぁいろんな点で有能なのは認めるが……」
「でも競争相手が、0歳児から大統領まで沢山居るから、大変だよね」
冷酒をチビチビと飲みながら発したルーの一言で、シン以外の一同は大爆笑したのであった。
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