014.Watching The Detectives
「シン君、この方がメールで言っていたお姉さんなの?
それほど、年が離れてなくてお若いのね!」
来日して以来さらに親しくなったグレニスの頼みで、シンはテキサスの自宅を再訪していた。
仕事絡みでシンが定期的にテキサスに来るのを彼女は知っているので、よく料理に関するアドバイスを頼まれているのである。
当初はアイをジャンプでピックアップする途中に立ち寄る予定だったのだが、雑談の中でグレニスの話が出たので今回はアイも同行することになったのである。
ジーンズにウエスタンブーツ姿のアイは、この土地では極当たり前のファッションである。
普段はジャケット必須の高級店を利用する事が多いので、彼女のこういうカジュアルな服装は珍しい。
ジーンズ姿の所為なのだろうか、普段よりも若々しく見えるのがとても不思議である。
「ええ。今自分が色々と教わっている師匠でもあります。
飲食業界では非常に有名な方なんで、お願いされているヨウショクの試食という事でお連れしました」
「シン、その呼び方は年寄り臭くて嫌いだから、ちゃんと『お姉さま』と呼びなさい!」
素直にグレニスも知っているユウの母親であると紹介しても良いのだが、容姿と実年齢のギャップが大きいメトセラ特有の事情を説明するのが実は大変なのである。
「それにグレニスさん、『お姉さま』はこの近所でも有名なダイナーを経営してるんですよ」
「えっ、もしかしてあの有名店のオーナーさんなんですか?
私何度も利用した事があります!」
「あなたがやっていたテックスメックスの店にも、お邪魔した事があるわよ。
味も雰囲気もとっても良い店だったのに、閉店は残念だったわね」
外見から見るとグレニスと同世代にしか見えないアイだが、会話をしているとグレニスは自然と丁寧な口調になる。
やはり滲み出てくる人生経験や貫禄は、若作りの服装でも隠すことは難しいのであろう。
「シー!シー!」
二人が熱心に話し込んでいる中、ベビーベットからシンの存在を察知したエイシャが大きな声を上げている。
シンがむずがっていたエイシャを抱き上げると、彼女は途端に静かになり天使のような無垢の笑顔を浮かべる。
エイシャはもはやシンに懐いているというレヴェルでは無く、シンを本当の父親と認識している様にも見える。
一行は試食の用意がしてあるキッチンに向かうが、エイシャはやはりシンと離れるのを嫌がりそのまま彼の腕の中にしっかりと収まっている。
「どうでしょう?」
シンは空いている片手のスプーンで味見をするが、ハヤシライス風のソースは旨み成分を抑えた淡い味の仕上がりになっている。
グレニスは過去に何度か味見をしたシンに感想を求めることも無く、真剣な表情で試食を繰り返しているアイの様子をじっと見ている。
「うん。とっても良く出来ているわね。
味の再現というよりも、こっちの人の舌に合わせて調理してるのね」
「はい!」
自分の意図を的確に理解してくれたアイに、グレニスはとても嬉しそうな表情を浮かべている。
「ニホンのヨウショク専門店だと、旨み成分が強すぎてこっちの人には味がわからないからね。
それでカレーじゃなくて、カツメシにしたのは何か理由があるの?」
「ニホンを訪問した時に、キョートでハヤシライスを気に入ったのが大きいと思います。
それに組み合わせるフライは、カツカレーの豚肉よりもカツメシの牛肉の方が受け入れられるように思いましたから。
それになにより私が試作中のカレーライスは、まだ満足の出来る味になっていませんので」
「そっちはユウに相談すると良いわよ。
あの子は香辛料の配合をする所から、ニホン式カレーを上手に作るから」
「メールアドレスはニホンで交換しましたので、早速連絡してみます!」
「まだ開店するのは、かなり先になるんでしょう?」
「はい。まだ娘が小さいので数年先ですけど、その間にヨウショクの味をじっくりと研究したいと思っています」
つかまり歩きが出来るようになったエイシャは、ふかふかの絨毯の上でシンを相手に遊んでいる。
こうして見ていると、やはり子供の父親がシンであっても誰も不思議に思わないであろう。
「ラーメンから始まって、ニューヨークではニホン式カレーの専門店が出来たりしてるから、これからヨウショクは米帝でも注目されるジャンルになるでしょうね。
でもホンモノの味はブームじゃなくて末永く支持されるから、頑張って味を追求して欲しいわ」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
試食の後、一行はグレニスの運転で市内のクラブへ向かっていた。
地元のクラブのステージを使ってリハーサル中のジョーが、グレニスにシンを案内するように依頼していたのである。
以前にシンも訪れたこのクラブは少年期のレイに所縁の場所であり、アイは当然このクラブについても知っているだろう。
「懐かしいわ……オーナーのお葬式以来だから、何年振りかしら」
「あっ!アイさん!」
客席にアイの姿を見つけたオーナーの恰幅の良い女性が、小走りでやってくる。
「随分と久しぶりね。立派に2代目を務めてるみたいじゃない?」
「アイさん……相変わらず若々しくて変わらないですね!本当に羨ましいです!」
「ジャスミンさん、レイさんにはお逢いしたのを確かに伝えましたよ」
「ああ、この間メールが来たわよ。こんど訪ねて来てくれるって!」
ここで同行していたグレニスは、予想外の光景に驚いていた。
アイがジャスミンと顔見知りなのはともかく、グレニスはオーナーが代替わりしたのはもう10年以上前だと知っていたからである。
「シン君、なにか演ってよ!
生で君の演奏を聴いたことが無いから、楽しみにしてたんだよ」
ステージでリハーサル中のジョーから、PAのマイクを通して催促が入る。
リハーサル風景は入店した客に無料で公開されているので、進行や中断についても自由なのであろう。
ご丁寧にシンが使うためのギ●ソンのJ-45まで、ステージにはスタンバイされていたのである。
「それじゃぁ、ちょっとだけお邪魔しますね」
シンは抱っこしていたエイシャをグレニスに渡そうとするが、彼女はシンから離れるのを嫌がってシンに潤んだ眼差しで訴えてくる。
「いやぁ、もう母親の私よりすっかりシンに懐いちゃって……シン君、エイシャの事しっかりと責任を取ってよね!」
「ははは……」
シンはジョーからアコギを受け取りながら、情けない声を上げたのであった。
☆
学園寮、午後のティータイム。
「このピーカンパイとアップルパイは……テキサスへ行ってたんですね!」
ハナはカットされた2種類のパイを見て、馴染みのダイナーのメニューであるのにすぐに気が付く。
これらは物心付いた頃から頻繁に食べていたメニューなので、彼女にとっては見間違えようが無いのである。
「うん。グレニスさんに頼まれてた用事があってね。
あっそうそう、今度来る時にはハナを連れて来て欲しいって」
「?」
「グレニスさんがヨウショクの味見をお願いしたいんだけど、ハナなら説明が不要だし適任だからね。
僕とエイミーの舌はもうニホン人寄りになってるから、参考にならないみたいなんだよ」
「ピーカンパイはいつもの味ですけど、このアップルパイはとっても美味です!
ローマで食べたリンゴケーキにも、ぜんぜん負けてないですね!」
エイミーはこのデザートが尊敬しているアイのレシピなのを知っているので、手放しの絶賛である。
「ん~うまうま!」
ちなみにマイラは、寮の食事で不味いと言った事が無い。
もしかしたら『不味い』というニホン語を使った事が無いのかも知れないが。
「シンが作ってくれたアップルパイと、似た味ですね」
アイに対して思い入れの無いトーコは味を客観的に判断できる一人だが、しっかりと食べ続けているので気に入っているのだろう。
「シン、ホワイトハウスから音声連絡が入っています。
繋いで良いですか?」
SIDが遠慮がちに会話に割り込んで来るが、Tokyoオフィスには固定電話が存在しないので音声連絡はすべてSIDを経由しているのである。
「OK……こちらシンです。
大統領、音声連絡なんて珍しいですね」
「うん。ちょっと厄介な事態が起きていてね……近々こっちに来て貰えないかな?」
「緊急事態ですか?フウさんからは、何も連絡がありませんけど」
「う~ん、危険な状態ではあるんだけど、緊急では無いかな」
「ええっと、確かエイミーの予定は空いてるから……明日で良いですか?」
「うん有難う。
ただし今回は、シン君だけ来てもらえば良いかな。
それで今の内に言っておくけど、ちょっと厄介な人が同席するから覚悟しておいてね。
名前はジョディ・ライアン。CIAの分析官で、最近安全保障会議のアドバイザーになった子なのよ」
☆
翌日。
ホワイトハウス、公邸のプライベールーム。
「大統領閣下、私は『若いツバメ』に会わせてくれと、言った覚えはありませんが?」
シンは公邸で引き合わされた凛々しい女性に、いきなりツバメ呼ばわりされて苦笑いをしている。
ちなみにヴァイパードライバーだった彼女は、空軍を退役後に学位を取得しCIAに入局したという変わった経歴の持ち主らしい。
「ワシントン襲撃事件で、問題を解決した当事者と会いたかったのでしょう?」
「はい。どうにも納得できない事ばかりですので」
「作戦の立案と指揮、そして無人機を全機撃墜したのは彼一人の功績なのよ」
「はぁっ?
閣下のお言葉ですが、そんな馬鹿げた話は信じられません!」
「ふうっ、その反応は辞職した警備主任と一緒だわね。
ところで安全保障会議の議事録にも、しっかりと記録が残っているだけれど読んだのかしら?」
「……拝読しましたが、肝心な部分があの文章では全く理解不能です!」
「To preach to the wind だわ」
大統領は苦笑いしながら、シンに向けてお手上げだというジェスチャーを行う。
「あれっ、今日はクロエさんは不在なんですか?」
重苦しくなってきたこの場の雰囲気を変えるために、シンは明るい口調で大統領に尋ねる。
「ええ。食料調達業者と打ち合わせでね、夕方には空路で帰ってくる予定なのだけれど。
セキュリティが絡むから、調整が大変なのよね」
同席しているジョディはシンを忌々し気に睨んでいるが、かなりの空腹なのか腹部からキュンという小さな音を聞こえてくる。
彼女は真っ赤になった顔を俯いて隠したが、今度は胃袋から更に大きな音がグウッと響き渡る。
「……すいません」
高圧的な態度から一転してしおらしくなった彼女を見て、大統領とシンは顔を見合わせて笑顔になっている。
「そうだ、シン君何か作ってくれない?
職員用の食堂は決まったメニューばかりで、飽きちゃってるのよね」
「これから炊飯すると時間がかかりますから、パスタとかですかね」
「ああ、そういえばクロエが外出する前にIH炊飯ジャーをセットしておくって言ってたわ。
もしかすると、シン君が来るのを見越してたんじゃないかな?」
3人は、同じフロアにあるプライベートキッチンへ移動する。
大統領はここで直接食事をする機会も多いので、大きなコールドテーブルには粗末な丸椅子が複数個置いたままである。
「ああ、美味しく炊きあがってますね。
それじゃぁ、チャーハンのバリエーションでも作りましょうか」
大型のIH炊飯ジャーの中身を確認したシンは、勝手知ったるキッチンで調理を始める。
大統領は自分でグラスを用意して、マグナムグラスの白ワインで喉を潤している。
最近は大統領の好みに合わせて中華料理の素材も常備しているので、必要な食材に関しては全く問題無い。
ジョディは手際良く作業を続けるシンを、空腹で胃の辺りを押さえながらも意外そうな表情で見ている。
カッコンカッコンと威勢の良い中華鍋を振る音の後、調理はあっという間に終了した。
「出来ましたよ。
これはシブヤの中華料理店のメニューで、豚絲炒飯です」
シンは大盛りにしたチャーハン用の深皿を、レンゲを添えて二人に配膳する。
大統領はかなりの健啖家なので、ジョディの分もそれに揃えてかなりの分量になっている。
「へえっ、餡かけが玉子チャーハンの上にかけてあるのね。
……うん、とっても食べやすくて美味しいわ!」
「……」
ジョディは無言で、チャーハンをレンゲを使って一心不乱に口に運んでいる。
「ジョディさん、お代わりの分です」
すごい勢いで皿を空にした彼女に、シンは更に大盛りにした2皿目を配膳する。
彼女は小さくシンに頷くと、お代わりの皿もあっという間に食べきってしまう。
「貴方、忙しさにかまけて食事をちゃんと食べていないわね?」
「……はい。こんなに暖かくて美味しい食事は久しぶりでした」
「ジョディさん、なんかチャーハンを食べなれてるみたいですけど?」
「ああ、好物だからな。
だがご馳走になったこれは、ニホンで食べたどのチャーハンよりも旨かった!」
「あれっ、ニホンに駐在した経験があるんですか?」
「うん、ミサワ基地に1年ほど居たことがある」
「……ミサワってことは、第35戦術航空団ですね。
ユウさんから聞いた事がありますよ」
「ユウ?ユウってもしかして第8飛行隊の……」
ここで緊急のアナウンスが入り、ジョディの言葉が遮られる。
電話ではなく邸内で音声が流れるのは、かなり深刻な事態が発生した時のみである。
「大統領、執務室にお戻り下さい。
緊急事態です!」
☆
「5分ほど前に連邦航空局からNORADに、ハイジャックが発生したと連絡が入りました。
AA327便の副操縦士が、コックピットに立て籠もっているようです」
一報を受けた補佐官が、執務室に集まったスタッフ全員に説明する。
「あら、それってクロエが乗ってる便じゃない?」
「主席補佐官、確かジャーマンエアーの件以来、コックピットドアのリモート開錠システムが順次導入されていると聞いていますけど?」
ジョディはCIA所属なので、一般には流布していない内部情報を知っているようである。
「残念ながら当該の機体に関してはまだ未搭載で、コックピットドアの暗唱番号が変更されていると外から開錠するのはほとんど不可能だ。
それに機長がトイレに行く際に、スチュワーデスをコックピットに残す内務規定も守れていなかったようだ」
空軍のパイロットだった補佐官は、航空業界と太いパイプを持っているので内情にもとても詳しいのである。
「コックピットに居る副操縦士からの連絡は?」
「一切の返答が無いらしい。
衛星電話経由の機長からの連絡ではコックピットの中は静かで、離陸後にセットした自動操縦システムが解除された形跡も無い様だ」
「これはテロというよりも、自殺志願者みたいね。
シン君、これは米帝国内に関するトラブルなのだけれど……」
「ええお手伝いしますよ。
それでジョディさん、米帝空軍出身だと伺いましたけど旅客機の操縦は自信がありますか?
いえ、着陸では無くてコース変更が出来れば問題無いと思いますが……」
「オートパイロットを切って、コース変更する位なら問題無いと思うが」
突然のシンの発言に、怪訝な顔をしながら彼女は応える。
「良かった!僕は固定翼はセスナしか操縦した事が無いので、どうしようかと思いましたよ。
それじゃ大統領、彼女に同行をお願いして良いですか?」
「もちろん!」
大統領は満面の笑みで頷いたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




