007.Here She Comes
エイミーを伴った引っ越し?は、特に問題無く終了した。
寮の管理人にはフウから既に連絡が入っていたようで、二人が訪れる前にシンの私物は新しい部屋へ移動済みという手回しの良さだ。
家族部屋は間取りが広く、Congohトーキョーのプライベートルームと内装や設備に関してはほぼ同じである。
壁面には埋め込みタイプの大型モニターがあるし、コミュニケーション・ユニットも各部屋に標準で付いている。
またCongohトーキョーのシャワー室と同じ、ペット用の水洗トイレが人間用とは別に標準で設置されている。
これはトーキョーオフィスで飼っていたペットの為に開発されたシステムだと聞いていたが、背が低い専用の便座とセンサーによって自動洗浄を行うというかなり贅沢な設備である。
エイミーはほとんど手ぶらで移動していたが、彼女の服はクリーニングが終わるとこちらに転送されてくるし、衣類で必要なものがあればCongoh社員用のWEBで注文すればすぐに配送されるので何の心配も無い。数少ない荷物を収納すると、シンはエイミーに声を掛ける。
「IDカードも貰ったから、とりあえず近所を散歩してみようか」
「はいっ!」
部屋を出ようとした二人だが、思わぬタイミングで部屋のドアが開いた。
「えっ、誰?トーコ?」
シンが声を掛けるが、姿が見えない。
だが目を凝らして足許を見ると、小さな動物?が部屋へ入ってきた。
「子犬……何処から来たんだろ?」
尖った鼻先とつぶらな瞳のその子犬は、シンとエイミーを見る事無くシャワールームへ駆け込んでいく。
慣れた仕草でシャワールームのドアに付けられたペット用のフラップドアをくぐると、シャワールームから水が流れる音がする。
再び二人の前に現れた子犬は、尻尾をゆさゆさと大きく振りながらチラリと一瞬だけシンを見た後エイミーの方へ向かう。
「えっ?」
しゃがみ込んだエイミーの顔をなめ回しながら愛想を振りまくその犬は、一見してシンの見知ったシベリアン・ハスキーの幼犬の様だ。
体躯が小さめなのは幼犬なのか、それとも品種改良された犬種なのかは見ただけでは判別出来ないが。
「エイミー、どこの子だか管理人さんに聞いてくるよ」
雫谷学園の寮は規則が緩く、一般的なペットの飼育は禁止されていない。
「ふぁわい」
幼犬にのしかかられながら、嬉しげな声を出してエイミーが答える。
「えっ、あの犬って昨日ナナさんがシン君の飼い犬だって置いていったよ」
管理人さんのいきなりの爆弾発言で、シンは頭を抱える。
「ははぁ〜またあの人らしい、たちの悪い冗談なんだね」
ナナと面識があるらしい管理人は、彼女の性癖について予備知識がある様だ。
「ちょっとナナさんに連絡を取って聞いてみます」
「ああ、ここのコミュニケーション・ユニットから聞いてみたら?
SID,今ナナさんと連絡が取れるかな?」
「研究所へ音声電話を接続します……Hi,This is Nana Speaking.How you doing!」
「ナナさん、シンですけど」
「おおっ、そろそろ連絡が来る頃だと思っていたよ。ねぇねぇ、可愛いでしょ?」
「ええ小さくてとっても可愛い……じゃなくて、なんで相談無しに押しつけてくるんですか!」
「ハスキーについては子供の頃から一緒に育ったから詳しいでしょ?
トイレは自分で世話できるように躾けてあるから。あと当分の間は、こっちから送ったペットフードを食べさせてね?」
「もしも~し、フウさん僕の声聞こえてますか?」
「あの子はすごく役に立つよ!だから愛情を込めて育ててあげてね」
「……」
「もの凄く賢いから手間は殆ど掛からないから!それじゃぁ、そのうち様子を見に行くから宜しく!」
「もしも〜し、……切られちゃったか。管理人さん、あの、そういう訳で」
項垂れた様子でシンは力なく呟く。
「ご愁傷さま。でもあの子は結構ちゃんと躾けられているみたいだし、家族部屋だから大丈夫じゃない?」
「僕は犬が好きだから良いですけど、妹がどう思うかですね……」
「学校行ってる間だけなら、大人しいみたいだから見ててあげるよ。
あと、この荷物を一緒に持っていって。お世話用品一式と当面のペットフードだって」
☆
「あっ、シンどうでした?」
「うん、知り合いから無理矢理に押し付けられたみたい」
シンは預かったコンテナから当面のペットフードと普段使っていただろう食器とリードを取り出して、残りの荷物を壁面に収納する。
ペットフードの缶詰は無地の白いラベルで、どうやら特注品の様だ。内容物の表示にはシンが聞いたことが無い成分が色々と混じっているので、怪しさ満載である。
「ずいぶんと可愛らしいですけど、これは何という生き物ですか?」
クッションに腰かけているエイミーの足元に、お座りの姿勢で座っている幼犬は落ち着いた様子でシンをじっと見ている。
「えっ、犬種?たぶんハスキーだと思うけど」
「この子、普通の犬じゃないですよ。だって私に愛想良く近寄ってきますもの」
「えっ、それはどういう意味?」
「バステトは犬と相性が悪くて、多分地球で飼われている犬科動物は寄ってきませんから」
「普通の犬じゃないってこと?」
「ええ、間違い無く」
(あのマッドサイエンティストなら、やりかねないな……)
シンはトーキョーオフィスの、生い立ちにナナが関わっているという黒猫の事を考えていた。
あの賢すぎる黒猫は当たり前のように食べたい物のリクエストまでしてくると、ユウが苦笑していたのを思い出す。
「おい、そこの小っちゃい奴!」
「バウッ」
やはりシンの呼びかけについて、しっかりと反応している。
「お前、犬じゃないってホントか?」
「バウッ」
シンとしては冗談のつもりで聞いていたが、ちゃんと返答?があったのが不思議だ。
「ふふふ、シンどうやら彼女は貴方を気に入ったみたいですよ」
「へっ、女の子なの?」
「ええ、さっき話をしましたから」
「???」
「バウッバウッ」
「シン、名前を付けてくれって彼女は言ってますよ」
シンの脳裏には、生まれた時からいつも傍に居た大型犬の事が浮かんでいた。
オオカミのような大きな口でシンの面倒を見ていたその犬は、老衰で亡くなるまで大事な家族の一員だったのである。
同じ名前で呼ぶのは少しだけ抵抗があるが、同じ犬種のハスキー?がシンの傍に来たというのも何かの縁だろう。
「ん〜、じゃぁシリウス、お前はシリウスだ!」
「バウッ」
「彼女は気に入ったそうです」
「エイミー、この子の言ってる事が解るの?」
「えっ、シンはわかりませんか?」
首をかしげているエイミーは、ジョークでは無くあくまで本気でシンに尋ねている様だ。
(バステトってこんな能力があったっけ?今度キャスパーさんに合った時に訊いてみよう)
「シリウス、一緒にお散歩に行く?」
「バウッ」
シンは用意してあったリードを取り出すと、幼犬の首輪に取り付けエイミーに手渡す。
エイミーが歩き出すと、幼犬はリードを引っ張る事なくエイミーの横に距離を取ってヨチヨチと歩き出す。
(躾が良すぎるというか……これは本当に普通の犬じゃないのかも)
多くの疑問点はあるにしてもエイミーとの相性は良さそうなので、ちょっとだけ安心したシンなのであった。
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