010.Shower the people
アリゾナ某所。
「本当はエイミーも、連れて来たかったんですけど。
彼女も、アイさんに会いたがってましたし」
アイからの呼び出しで一人ユウの生家に訪れたシンは、到着後リビングでは無くいきなりキッチンに通されていた。
Tokyoオフィス以上に整った厨房設備はシンが初めて目にするものも多く、流石に世界的な料理研究家という事なのだろう。
今キッチンに居るアイは、シンが会う度に感じていた『危険なオーラ』が微塵も感じられない。
穏やかな表情で冷蔵庫の中身をチェックしている彼女は、熟練した料理人の顔そのものである。
「エイミーの事は私も気に入ってるし、これからも会う機会はあるだろうから。
あっ、そのシールした牛肉傷んでないかな?」
「まだ変色もドリップも無いし、大丈夫みたいですよ。
本場のチルドビーフは、ステーキすると美味しいんですよね。
……ここって、ユウさんが育った家なんですか?」
冷蔵庫の中身をアイと一緒に確認しながら、シンは声を上げる。
「そうよ。
今は忙しくて利用頻度は低いのだけれど、処分するにはこのキッチンのお陰で手間が掛かりすぎるのよね」
「それで、何で僕を呼び出したんですか?」
分かりきった質問ではあるが、シンとしてはフウの伝言だけでは無くアイの本音を確認したかったのである。
「シンは格闘技の腕前も、ユウと互角近くまで到達してるんでしょ?
アンジーも、自分では敵わないって言ってたわよ」
「どうなんでしょう?
ボコボコにされる事はなくなりましたけど、互角とまでは言えないような気がしますけど」
「そうすると貴方を教育できるメトセラは、私しか居ないという事になるわね。
私と匹敵するもう一人の実力者は、もう地下に潜ったきり表の世界には出てこないから。
そうね……今後はジャンプで週1回ほどは此処に来て頂戴。私自ら鍛えてあげるわ」
「僕ごときとそんな約束をしちゃって、大丈夫なんですか?
かなりお忙しいと思いますけど」
「その謙遜の仕方は、米帝語としてはあんまり良くないわね。
ニホン式の遜り方は、アンジーが聞いたらお説教されちゃうわよ」
「……」
「次世代メトセラの一番の有望株は、貴方だからね。
ノーナの発言は兎も角として、貴方から目を離す事はできないでしょう?」
「はぁ。
前にカーメリでも言いましたけど、僕はヒーロー願望は全く無いんです。
できるだけ、静かに慎ましく暮らすのが理想なんですけど」
「世界に対して余計な干渉をしないのがメトセラの本分だから、それを否定する事は出来ないけどね。
ただ自分自身の日常を守るためには、この世界の安寧を無視出来ないのは過去の体験からも分かってるでしょ?」
「ええ」
「貴方がレイのように隠居するには、あと50年は頑張って後継者も育てて貰わないとね」
「ああ、そう言えばレイさんも宜しくと言っていましたよ」
「あいつ……最近は私と顔を合わさないように逃げ回って。
本当に不肖の弟子なのよね」
「レイさんは自分にとって兄のような人ですけど、格闘技も料理も殆ど見たことが無いんですけどね」
「軍隊に逃げ込むまではみっちりと鍛えたから、ユウと同等の腕前はあると思うわよ。
まぁ育児についてもユウの予行演習として真面目にやったから、私としても手を抜いたつもりは無かったのだけれど」
(……なるほど、それでレイさんのあの態度は納得できたな)
「別に堅苦しい教え方をする気はないし、ただ一日を一緒に過ごしてくれればそれで良いのよ。
基本が出来ている貴方に格闘技や料理を一から教えるつもりは無いし、私と一緒に過ごして自分で必要なものを見つけなさい」
「……はい」
「それじゃぁ、傷みそうな食材から料理しちゃいましょうか。
シン、手伝ってくれる?」
「はい。アイさん」
☆
翌日。
シンは前日の厳しい訓練で動けなくなっていた……という事も無く、寮の厨房で夕食の準備中である。
前日にアイと大量に作った米帝風のビーフシチューを持ち帰っているので、今日の夕食はパピが大喜びするだろう。
一緒に調理中のエイミーとは、先日のフウとの会話から広がった思いがけない話題が出ていた。
「ああ、あのEOPは私も見たことがありますよ。
『チタウリの滅びの少女』ですね」
「やっぱり、見たことがあったんだ。
でも今チタウリって言わなかった?」
「ええ、フェルマさんやマイラの生まれた惑星ですから。
シンは知らなかったんですか?」
「えっ、あの惑星は死滅したんじゃなかったの?」
「あの状態で、生存者を放置できる訳がないじゃないですか。
生き残った人達は、二人のように移住した別の星系で暮らしていると聞いてますよ」
「うん。ねーたんと二人でこのほしに来たんだよ!」
マイラは料理に強い興味があるようで、最近では寮の厨房でも手伝いをする事が多い。
後片付けや細かい作業も的確に出来るので、シンは将来有望な助手が一人増えた事を喜んでいる。
「ねーたんはあいじんでもいいから、シンのそばにいたいって!
ねえ、あいじんってなんなの?」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
Tokyoオフィス、旧中華圏偵察の当日。
シンは頭部に専用ストラップで装着した8Kカメラ以外は、全くの普段着である。
今回は亜空間飛行のみの任務なので、放射能防護服等の重装備は必要無いからである。
指定された航路をリビングのソファでチェックしていると、シンの目の前に顔見知りの人物が現れる。
「えっ、同行する科学者って、フェルマさんだったんですか?」
リアルタイムの無線での指示が出来ない亜空間飛行なので、撮影場所を指示する専門家一名の同行は必須である。
ちなみに彼女の服装は体にぴったりとした薄手のニットとジーンズ姿なので、いつもの白衣姿よりも整った体のラインがしっかりと出ている。
シンに対する特殊な気持ちにやっと整理が付いたのか、その態度は初対面の頃のクールな印象に戻っている。
「私か、ナナさんとの2択なんだけど、チェンジする?」
ここで微妙に含み笑いをしながら、フェルマがシビアな冗談を発する。
「いいえ、チェンジ無しでお願いします」
「シン君は『チタウリの滅びの少女』のEOPを、見たことがあるのよね?」
「……はい。
でも僕が視聴済みだって事実を、何でフェルマさんが知っているんですか?」
「それは勿論、偉い方から連絡があったからに決まってるじゃない。
それじゃぁショックを受ける事は無いと思うけど、できるだけ私の指示通りに飛行してくれる?」
「了解です」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
Tokyoオフィスの屋上から飛び立った二人は、あっという間にニホン海を通過して旧中華圏の上空を低い高度で飛行していく。
横抱きにした柔らかい感触のフェルマからはとても良い香りが漂ってくるが、シンは目前の光景に意識を集中してそれを無視している。
亜空間飛行は障害物があっても透過してしまうので問題は無いが、あまり頻繁に続くと精神的なダメージが大きいのでシンは慎重にコース取りをしている。
彼女の指示で高度やコースを何度か変更しているが、地表には動くものが全く見えず文字通りの廃墟である。
「ああ、此処はデトロイトみたいな印象ですね」
都市部のアスファルトやコンクリートは、かなりの部分が崩壊して地表に広がっている緑に取り込まれている。
予想していた朽ち果てた生物の痕跡や、突然変異を起こした植物は全く視界に入ってこない。
「米帝の建物と違ってコンクリートや鉄筋の強度が低いから、崩れているのが多いでしょ?
あと数年で、高層ビルは全て崩壊してしまうでしょうね」
「ここは昔のチェルノブイリと同じ状況ですね」
「発電所近辺の、米帝や欧州連合が行った放射能除去は効果を上げているみたいね。
それに野生化した豚や牛が、かなり繁殖してるみたい」
薄暮の中に光っているのは、動物の群れの眼球なのだろう。
半減期を過ぎて人間以外の生物が、地上を跋扈しているのは嬉しい誤算である。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
フウが懸念していたストレスを与えられる間もなく偵察飛行を終了したシンは、Tokyoオフィスの屋上に帰還していた。
シンは自分よりも同行していたフェルマを心配していたのだが、彼女は目にした光景に動じる事も無くストレスも全く感じていないようである。
エレベーターから降りたシンは報告のためにリビングに向かうが、何故かシンの手を引っ張ったフェルマがそれを阻止する。
「?」
「シン君、いきなりリビングへ行っては駄目よ」
「はいっ?」
「Dosimeterは問題無いみたいだけど、念のためにシャワーをしっかりと浴びてから着替えましょう」
事前に準備していたのか空き部屋にシンを誘導したフェルマは、シャワールームのドアを開ける。
「えっ?そんな必要が?
亜空間飛行ですから、影響は無いと思いますけど……」
「貴方、専門家の意見を無視するの?
ガタガタ言ってないで、早く服を脱いで!シャワーを浴びるんだから、全部よ!」
彼女はシンに強く言いながら、自分もあっという間にニットやジーンズを脱ぎ捨てて全裸になってしまう。
綺麗なお椀型のバストは下着の補正が無くても型崩れせずに、セーターを着ていた時と同じ張りのあるラインを保っている。
水着モデルのような見事なプロポーションに体毛がまったく見えないのは、欧米女性に良く見られる全身脱毛をしているからだろうか。
シンと一緒にシャワールームに入った彼女は、両手に付けたボディシャンプーでシンの全身を背後から素手で洗っていく。
下半身は特に念入りに洗っているが、彼女の張りのあるバストがシンの背中に当たりシンは不本意ながら下半身に反応を起こしてしまう。
シャンプーは過去に防衛隊の拠点でも使った事がある除染専用のものなので、シンは彼女のあまりにも丁寧に洗いすぎる手を跳ね除ける事が出来ない。
「ねぇ、今度はシン君の番よ。しっかりと私の身体も隅々まで洗ってね!」
頬を赤く染めた彼女は、吐息交じりの声でシンの耳元に囁く。
「……」
「駄目よ、もっとちゃんと洗わないと除染にならないから。
特に粘膜の部分は、しっかりと念入りに洗わないとダメ……なのよ」
「……」
数分後。
シャワーを終えた二人は、大判のバスタオルで体を拭ってから全裸のままでカウンターの数値を見ていた。
室内の明るい照明下で見る水滴が残ったフェルマの全裸は、まるで大理石で出来た彫像のように輝いて見える。
「このタイミングで検知されないという事は、内部被爆の心配も無いみたいね。
アンキレーの防御性能は凄まじいわね」
「あの……そこを握りながら話さないで下さい」
「あら、御免なさい!ついこの間の癖で。
でもこの状態は……シン君に嫌われていないみたいで安心したわ」
「嫌いだなんて思った事は一度もありませんけど、今日のこれも騙まし討ちみたいじゃないですか?」
「ふふふっ。でもこれは科学的にも必要な措置だから。
それに、睡眠薬で眠らされたみたいに気分は悪くないでしょう?」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「なんで直ぐに顔を出さない?
なんだ、二人してシャワーを浴びてたのか?」
二人の濡れ髪と同じシャンプーの香りを誤解したのか、フウは呆れたような表情を浮かべている。
ここで懸命に弁解するのもおかしな話なので、シンは念の為の除染作業だそうですと一言だけコメントしてから報告を始める。
「……以上偵察飛行は、指定ルートで問題無く完了しました。
撮影済みのメモリーカードと機器を、返却します」
「音声コメントは映像にも入れてありますけど、報告書は別途作成して提出します」
ここでフェルマが、シンのコメントに一言だけ補足する。
「ご苦労さま。
もう深夜だから、暫くリビングで休憩してからフェルマを送ってやってくれないか?」
「了解です」
シンはなぜかフェルマの顔を正面から見る事ができずに、目を逸らしながらフウに答えたのであった。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
空腹を訴えるフェルマのリクエストでチキン・サンドを作ったシンは、リビングのビールサーバーから冷えたパイントグラスにビールを注ぐ。
笑顔でありがとうと呟いた彼女は、同じソファのシンの隣で一緒にサンドイッチをつまみ始める。
横並びしている二人の距離は近く、シンは自分の真横に座るフェルマの横顔を何かに気がついたようにじっと見つめている。
先ほど目を逸らしたのは気恥ずかしさが原因だが、無意識に観察してしまうのは彼の身についている習性である。
強い視線に気がついたフェルマはシンに顔を向けるが、ここでシンは漸く言葉を発する。
「もしかして、あのEOPの少女ってフェルマさんじゃないですか?」
シンの鍛えられた観察眼は、動画の中で見た少女の特徴的な仕草とフェルマとの共通点を短時間で見抜いていたのである。
「ええ、良くわかったわね。
指摘されたのは、初めてだわ」
「容姿では分かりませんでしたけど、身についた癖や動作の特徴は年月が経っても変わりませんからね」
「映像だと放射能汚染で瀕死に見えるみたいだけど、私達の種族は放射能に強い耐性があってね。
死にそうだったのは、主に飢餓が原因だったのよ」
「あんな映像が宇宙にばら撒かれて、嫌じゃないんですか?」
「いやそれは逆よ。あの映像のお陰で私達姉妹は此処に居られるのだから」
会話の合間に口にしているビールグラスの水滴が、グラスの表面から伝わって彼女のきれいな首筋のラインに静かに流れていく。
「?」
「シン君には馴染みが無いと思うけど、EOPの作品はちゃんと出演料が支払われるのよ。
そのお陰で私達は、自由に移住先の惑星を選ぶことが出来たわ」
シンは彼女に同情しているわけでは無いが、深く感情移入して見ていた悲劇のヒロインが目の前に居る事実に感情を抑えることが出来ない。
寮で一緒に暮らしているマイラの姉という気安さと、他言出来ないような恥ずかしい体験の数々も、結果的に二人の距離を縮めるのに役に立ったのだろう。
「マイラのお世話をして貰って、とっても感謝してるわ。
できれば本人の希望通り、末永く手元に置いてやって欲しいのだけれど」
「ええ。マイラはとっても良い子ですし、彼女が望む限りは見守っていくつもりです。
寮のメンバーにも可愛がられていますしね」
「あと私のことも忘れないで居てくれると、もっと嬉しいのだけれど」
フェルマはグラスを持っているお陰で無防備のシンの右頬に、いきなりキスをする。
上腕に触れる柔らかい胸の感触と、鼻腔をくすぐる良い匂い、そして頬に触れた唇の感触。
EOPの映像を思い出して感情が高まっていたシンは、それらを拒絶する事が全く出来なかったのである。
「何で僕をそんなに過大評価するんですか?
フェルマさんほどの美人さんなら、ヒューマノイドの男性は選び放題でしょう?」
「そう?客観的に見て、あなたは私達姉妹の唯一の選択肢なのだけれど」
「???……そのビールを飲んだらジャンプで送っていきますよ。
確かフウさんと同じタワーマンションでしたよね?」
「ふふっ、送り狼になって貰えるなら歓迎するわよ」
「いえ。
最近は忙しくて体力を温存する必要がありますので、残念ですが遠慮させていただきます」
シンは感情が高まって潤んだ瞳を隠すように、そっぽを向きながら答えたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




