009.Once In A Lifetime
5月3日~5月5日につきましては、GWなので12:00に連続更新します。それ以降は日曜日正午更新の通常ペースです。
Tokyoオフィスに戻ってきたグレニスは、リビングに差し込む木漏れ日の中、シリウスに寄り添って昼寝しているエイシャの姿を見て思わず笑顔になる。
中型犬に寄り添って眠る幼女と少女の姿はまるで一枚の絵画の様でもあり、グレニスは観光用に持っていたデジカメのシャッターを夢中になって切っている。
「貴方、エイシャの子守をしてくれていたのね。
流石にシン君の愛犬だけあって、赤ちゃんの扱いも上手なのね!」
撮影を終えてしゃがみ込んだグレニスは、シリウスに穏やかに話し掛ける。
警戒心を感じさせずに背中を撫でる手付きは、とても手慣れているので彼女は犬を飼っていた経験があるのだろう。
シリウスから手を離してグレニスがそっと抱き上げたエイシャは、漸く目が覚めたのか視界に入ったシンに両手を突き出して声を上げる。
「だぁ、だぁ!」
「シン、おまえの事を父親だと勘違いしてるんじゃないか?」
含み笑いをしながら、フウはいつもの調子でシンに悪い表情を向ける。
「ああ、ジョーは赤ちゃんの扱いが苦手で抱っこも殆どしませんから、それはあるかも知れませんね。
抱っこされたりオシメを替えてもらった事がある男性は、シン君だけですから」
「……グレニスさん、あの、彼女が大きくなってもオムツの話は内緒でお願いします。
僕もオムツを替えた事があると知り合いに何度も言われて、恥ずかしい思いをしてますから」
ここで事情を知るフウが横を向いて懸命に笑いを堪えているが、シンは当然の事ながらそれをしっかりと無視している。
「了解。
でもエイシャは、やっぱりシン君にご執心みたい。
ハンサム好きは、私からの遺伝なのかしら」
グレニスの腕の中でむずかるアイシャの目線は、しっかりとシンを捉えて離さない。
シンはじっと見つめてくる無垢な視線に抗えず、ソファに一緒に座っていたエイミーに目配せしてから彼女に近づいていく。
「シン君は昔から、やっぱり赤ん坊に好かれるタイプなんですか?」
むずかっていたエイシャをシンに渡しながら、グレニスはフウに真剣な口調で尋ねる。
シンに抱っこしてもらったエイシャは、途端に落ち着いて満足そうな笑顔を見せる。
リラックスした表情で徐々に瞼が重くなっている様子は、先ほどシリウスの毛皮に抱き着いた時と同じなのだが、グレニスにはそれは分からない。
まるでシンの温もりや匂いに安心しているような、マイラと同じ反応である。
「うん。なにせ妹の育児は、彼一人でやってたような物だからね」
「まぁ、それで赤ん坊の世話に慣れてるんですね。
それじゃぁ、妹さんがシン君べったりなのは仕方が無いのかも」
実際にシンに育てられた妹本人では無いのだが、エイミーは何故か顔を真っ赤にして黙っている。
ここで目が覚めたマイラもシンの姿を見つけて、腰にしっかりと抱き付きいつものように鼻をすんすんさせている。
「フウさん、もうちょっとだけエイシャを見ていて貰えませんか?
ちょっとキッチンでやることがあるので」
シンは優しくマイラの頭を撫でながら、フウに言った。
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キッチンについて来たマイラに、シンは珍しく米帝語を使って注意を与えている。
厨房に入ったら念入りに手洗いをすること、熱源がある調理機器に近づく時には注意すること等々。
普段のニホン語での幼い言動とは違って、知能が高いマイラは米帝語で話すとがらりと印象が変わるのである。
「プレーンオムレツはこんな感じですね。
オムライスはこれの応用編なんですよ」
シンは鮮やかな手並みで、フライパンから艶々した表面の綺麗なオムレツを皿の上に載せる。
「次に、良く使い込んだ油が馴染んだフライパンで丸める前のオムレツを作って……」
シンは太い調理用の菜箸を使って、卵を掻き回している。
「ご飯を投入したら、ここでフライパンの柄を叩いて……こうやって卵を巻き込んでいくんですよ」
醤油で炒めた焼き飯を、オムレツで巻き込んでいく手並みはまったく迷いが無い。
空いているガス台を使ってユウもオムライスを作っているが、やはりシンほど綺麗に包むのは難しいようである。
ちなみにエイミーは寮のキッチンでシンから手ほどきを受けているので、かなり上手にオムライスを作る事ができるようになっている。
「やっぱり鉄のフライパンの方が、上手に出来るのかな?」
火加減に苦戦しているグレニスが、固くなってしまった失敗作のオムレツを皿の上に落とす。
彼女の半熟卵に関するレパートリーはポーチドエッグだけなので、火加減に関しての感覚が掴めないのであろう。
「材質もそうですけど、油が馴染んだ熱伝導の良いフライパンじゃないと難しいですね。
テフロンやアルミのフライパンは、油を馴染ませるのに向いていませんから。
「……ところでシン君、こんな時間にオムレツやオムライスを沢山作って大丈夫なの?
私はまだお腹一杯だから、入らないわよ」
シンと同様にグレニスは食材の無駄を嫌うタイプらしく、コールドテーブルに並んだオムライスの山を見て困惑の表情である。
「うまうま!」
卵料理が大好物なマイラは一人だけご機嫌でシンの作ったオムレツを試食しているが、如何せん作った量が多すぎる。
特にフライパン一杯のサイズで作った複数の大盛りオムライスは、洋食店で満腹になったメンバーはまだ誰も手を付けていない。
「大丈夫です。いまTokyoオフィスの食いしん坊担当が、来てくれますから」
「シン?」
キッチンの入り口から、SIDに呼び出されたマリーが顔を出す。
「ああマリー、練習用に作ったオムライスが沢山あるんだけど食べる?」
「Merci!でもこれって、マイラの分では?」
ルーと一緒にマイラのお世話をしていたのだろう、マリーも彼女をしっかりと可愛がっているようである。
「マリねー、いっしょにたべよ!」
「彼女は食がまだ細いから、こんなには食べれないでしょ。
それに満腹になると、寮の夕飯が入らなくなっちゃうからね」
「……シン君、今日は鉄のフライパンも買うべきだったわね。
これだけ質の良い鉄のフライパンは、米帝では見つけるのが大変そうだわ」
マイラと並んですごい勢いでオムライスを食べているマリーを見て、グレニスは安堵の表情を浮かべながらシンに呟く。
食材の無駄を嫌う以上の何か特別な理由があるのだろうとシンは察しているが、ここで彼女のプライベートに余計な詮索をする必要は無いだろう。
「明日は観光でキョートへ行くって、聞きましたけど?」
シンはいつもと変わらない口調でグレニスに尋ねる。
「ええ、私の希望なのよ。
Tokyoに戻ってくるから、そうしたらまた買い物に付き合って貰えると嬉しいかな」
「了解です。
メールで連絡してくれれば、調整しますよ」
「それで、キョートではどういう店が良いと思う?
今回私は洋食を食べにニホンに来たようなものだから、出来るだけ色んなものを食べて帰りたいのよ」
「キョートなら、ユウさんの方が詳しいかなぁ」
「あそこはヒューストンと同じで食については保守的じゃないので、洋食の美味しい店が沢山ありますよ。
洋食を食べ歩くなら、トーキョーと同じ位良い街ですよね」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「ねぇ、ユウさん、ちょっと聞きたい事があるんですけど?」
グレニスをタクシーで送り出した後、キッチンで後片づけをしながらシンがユウに尋ねる。
キッチンに残っているマイラは、食洗器に入れる前の予備洗いをシンクの前で手伝っている。
もちろんそのままでは手が届かないので、足元にはエイミーが使う専用の踏み台を使っている。
「ん、何かな?」
「非メトセラの、ネイティブテラナーとの付き合いの仕方なんですけど?」
「あれっ、シン君は私と一緒でメトセラのコミュニティから距離がある育ち方をして来たと思うんだけど。
まだ何か戸惑う事でもあるのかな?」
「ええ、何か最近知り合いが急激に増えているんで……」
「今は私もシン君もレイさんとは違って同じタイムラインで生活してるから、特に問題になるような場面は起きてないよね?
私から見てもシン君は、人付き合いがとても上手だと思うけど」
「ちょっと自分でも疑問に思う事があって……何で女性ばかり僕の傍に集まって来るんでしょうかね?
増えていく知人は、何故か皆女性なんですよね」
「……」
ここで『女難の相』というニホン語を、シンにどうやって説明しようかと頭を悩ませているユウなのであった。
☆
数日後。
シンはいつもの業務連絡を受けるために、Tokyoオフィスに一人で来ていた。
「今日は連絡事項が複数有る。
まず最初にお前が少尉に正式に任官したので、私が担当していたTokyoオフィスでの訓練は全て終了する事にする。
所属や命令系統は変わらないが、お前も訓練を受ける側で無く、周りの面倒を見る立場になったのを自覚するようにな」
「面倒を見る立場、ですか?」
「お前の周りには、義勇軍に在籍しているルーとハナ、そしてリコが居るからな。
お前の家族としての想いだけでは無く、義勇軍の先任として彼女達の成長を促す役割があると考えて欲しい。
特に歩兵としての力量を引き出すという意味では、ルーの面倒はしっかりと見て貰いたいな」
「……了解です」
「今後の教育プログラムに関しては、強く立候補している教育係のOBが居るからその人の指示に従うように」
具体的な名前は出さないが、フウはいつもの悪巧みを考えている表情なのでシンはその意図をすぐに理解できてしまう。
「あともう一点。
これはシンにしか頼めない案件で、即答にする必要は無いからちょっと考えて欲しいんだが」
「もしかしてデブリの件ですか?」
「いや、その件についてはまだ関係機関と調整中だ。
考慮して欲しい案件なんだが、ユーラシア大陸の旧中華圏を出来るだけ低空で鮮明に撮影して欲しいという調査依頼だな」
「亜空間飛行についての、情報が洩れてるんですかね?」
「いや、たぶんアンジーが、シンに頼むように指示を出したんだろう。
彼女は亜空間飛行を、実際に体験しているからな」
「それって8Kのハンディカメラを持って、指定されたエリアを飛行すれば良いんですよね?
特に問題は無い、簡単な作業かと思いますけど?」
「場所が旧中華圏でなければ、そうなんだがな。
衛星写真では得られない情報が欲しいんで、できるだけ低高度での撮影が必要なんだそうだ」
「特に迎撃されないでしょうから、それこそ無人偵察機での撮影が簡単に出来そうな気がしますけど」
「どうやらエリアが広すぎて、高度を下げるとコントロールしている電波が届かないという事らしいんだ。
必要とされる複数の中継機器は、放射能汚染が懸念されるので設置不可能だし。
現状運用している偵察機が墜落するケースは起きていないが、コントロールを失うと自律飛行で帰還フェイズに入ってしまうからな」
「なるほど」
「そして何より、現場の惨状が直接肉眼で見えてしまうというのが問題だ。
もうかなりの時間が経過しているが、お前の精神にダメージを与えるのが目的では無いからな」
「……ああ、それはかなり強い免疫が出来たので問題無いと思いますよ」
「何故そう自身満々に言い切れるんだ?
偵察機から撮影した数枚のスチール・フォトを見た事があるが、それでもかなり衝撃的な内容だったぞ」
「ノーナさんの母星を訪問した時に時間がかなりあったんで、EOPの映像作品を沢山見せて貰ったんですよ。
その中にはその惑星のメトセラが失敗を繰り返して、死の惑星になったドキュメンタリーもありましたから」
「……」
「EOPについては概念的に知っていましたけど、まるでシナリオのある商業作品みたいにアングルを変換できるのには驚きましたよ。
それに没入感が高いんで、見終わった後には暫く動けませんでしたね。
あんな光景を見た経験があるのは、この惑星では僕だけだと思いますよ」
シンがEOPで見せられたのは、とある惑星の廃墟で一人生き残っていた少女の姿だった。
放射能汚染と餓えによってやせ細ったその少女は、死を目前にしても懸命に生き続けようとしていた。
彼女は自らの体験が誰かに見られているなど微塵も考えて居なかっただろうが、EOPはその一部始終を記録していたのである。
「ノーナの奴、そんな事は一言も言ってなかったぞ」
「PROPHETAの教育用のカリキュラムなんで、もしかしたらエイミーも見た事があるのかも知れませんけどね。
僕は護士としての教育の一環で、閲覧させて貰えたみたいですよ」
「滅びの追体験か……なんかトラウマになりそうで怖いな」
「トラウマというよりも、教訓なんでしょうね。
僕はあの廃墟の中の少女の姿を一生忘れる事は出来ないでしょうし、それが彼女の生きた証なんだろうと思います」
お読みいただきありがとうございます。




