008.Innocent Days
5月3日~5月5日につきましては、GWなので12:00に連続更新します。それ以降は日曜日正午更新の通常ペースです。
翌日朝食の席。
「シン君、昨日からすっかりお世話になっちゃって。
本来なら、接待すべきなのは私の方なのに」
飲み会はいつも通り延々と続き、帰宅できなかったヌマザワは学園寮の空き部屋に泊まっていた。
エイミーによって起こされた彼女は、早起きのメンバーと一緒に朝食の席を囲んでいる。
ちなみにハナとトーコは、この時間はまだ起床していない。
非番であるケイとパピは、休日は昼過ぎまで起きてこないので当然此処には居ない。
「いいえ、僕も楽しかったですし、何よりケイさんやユウさんも楽しんでいたみたいですよ。
それにしても趣味の話で、すごく盛り上がってましたよね」
シンは早々にエイミーと二人で朝食を済ませているので、自分でドリップしたコーヒーを啜っている。
「同僚には同年代の女性が居ないから、久しぶりに私も楽しかったわ。
それに私も帰国子女だったから、ユウさんとは話が合うのよね。
あらっ、この味噌汁すごく美味しいわね、まるで料亭で食べてるみたい!」
「エイミーは、ユウさんに本格的に和食を教わってますからね」
ルーとマイラに慌しく配膳しながら、エイミーはヌマザワににっこりと笑顔を向ける。
「ねぇ、この寮ってもしかして男性はシン君以外には居ないの?」
「そんな事はないですよ。管理人さんは男性ですし」
「イズミが言ってたハーレムの主っていうのは、本当だったのね。
うわぁ……この炊き立てご飯の美味しいこと!」
前日かなり深酒していたにも関わらず、二日酔いには無縁な彼女は食欲旺盛である。
お膳に載っているのは温泉旅館で良く見るような定番の献立では無く、エイミーが考えた和洋折衷のメニューである。
ヌマザワに用意されたお膳には、厚みがあるベーコンやふっくらと焼きあがったオムレツが納豆と一緒に載っている。
「ははは。それ良く言われますけど、ハーレムの主っていうより用務員って感じなんですけどね」
「うわぁ、このオムレツ、フカフカで中も半熟だわ……ああ幸せっ!」
ヌマザワはもう朝食に夢中で、シンの返答も上の空の様である。
「……シン、音声通話が米帝から入ってますよ」
ここでタイミングを計ったように壁面のコミュニケーターから、SIDの声が割り込んでくる。
「ん、繋いでくれる?」
「ああ、シン君?ジョーだけど」
「あっ、お久しぶりです!色々とプロモーションに協力してくれたって聞きましたよ!」
会話は言うまでも無く、米帝語である。
「ははは。たいした事はしてないけどね。
それでさ、来週トーキョーにちょっと行く予定があってさ、グレニスがシン君に案内をお願いしてくれって」
「ああ、喜んで!
グレニスさんに事前に行きたい店とか場所があったら、リクエストをメールしてくれるように言っておいて下さいね!」
「ねぇ、シン君、もしかしてジョーって?」
ここでやっと会話の内容が耳に入ったのか、ヌマザワはシンに怪訝な表情で尋ねる。
「ええ、この電話はテキサスからですよ。
ジョーさん、ニホンのレーベルのプロデューサーが此処に居ますけど、話しますか?
あなたの担当もやってると聞いてますけど」
「ジョー、いきなりプロモーションで来日するってどういう事なの!
アルバムリリースは来年の予定でしょ?」
彼女の米帝語は流暢だが、ニホン語の印象と比べるとかなり乱暴に聞こえるのは仕方がないだろう。
「げっ、なんでミズ・ヌマザワがっ……。
シン君、ちょっと急用が出来たから、メールで連絡するね!それじゃ!」
「あれっ、ジョーさんって苦手な女性が居ると、いつもこんな感じですよね?」
シンはニホン語に切り替えて、肩をすくめる大げさなジェスチャーをする。
「シン君、都内を案内するなら事前に私に連絡してくれる?
放っておくと、またトラブルを起こしそうだから」
「そうですか?結婚してから、大分真面目になったみたいですけど。
この間会った時は、見かけも短髪になってさっぱりしてましたけどね」
「グレニスの目の届く範囲は大丈夫だと思うけど、夜の繁華街を案内なんかしちゃ駄目よ!
ちょっとアルコールが入ると、昔の悪い癖が出てくるからね」
「ははは。夜の接待に関しては担当はレイさんでしょうから、僕は大丈夫ですよ。
大体僕はニホンだとまだ未成年なんで、そんな場所に気楽に立ち入り出来ませんし」
「ああ、世慣れてるから貴方の実年齢をすぐに忘れてしまうわ。
そういえばレイも彼と親しかったわね」
☆
翌週。
「ユウさん、わざわざ付き合って貰って申し訳ないです」
来日したジョーの奥方の希望でカッパバシを案内する事になったシンは、ユウに助力を頼んでいた。
シンも此処が道具街である事は知っているが、土地勘が無くグレニスの細かいリクエストに即座に応えるのが難しいからである。
ちなみにエイミーは、Tokyoオフィスでフウと一緒にエイシャをお世話しているので今日は同行していない。
「いや、私も補充したい道具があるから丁度良かったよ。
グレニスさん、最初は包丁ですよね?」
「ええ、愛用している包丁はニホン製だから、本場の店でいろいろと見てみたくて」
初対面のユウを見てシン君のお姉さん?と即座に関係性を言い当てたグレニスは、米帝語が流暢で料理全般に詳しいユウに好感を持った様だ。
「ステンレスの一体型の包丁は、確かこの店が在庫が豊富ですよ」
「へえっ、ユウさんだから、鋼の和包丁を勧めるのかと思いましたけど」
「いや道具だから、適材適所で選ぶべきでしょう?
刺身を作るなら兎も角、手入れが大変な和包丁よりは、ステンレスでも良く切れる包丁も沢山あるしね」
外国人の訪れる頻度が高いのか、年配の店主はグレニスをカタコトの米帝語で接客している。
米帝の大きなガンショップのように、ショーケースに整然と並んでいる包丁に囲まれてグレニスは嬉しそうである。
テキサスの自宅のキッチンを見ていても分かるが、彼女は几帳面な上に道具に拘りがあるタイプなのだろう。
「うわぁ、ちょっと買いすぎたかな。
でも次はいつ来れるか分からないしね」
店主の割引価格の提示で必要以上に買い込んでしまったグレニスが、店を出るなり溜息を付く。
「ここは紛い物は一切扱ってない信用できる店ですから、良い買い物が出来ましたね。
それにしても私はここで何度も買ってるのに、割引してもらった経験が無いのは何故なんだろう?」
「それは……店で商品を選んでるユウさんは、表情が真剣すぎて怖いからだと思いますよ。
職人さんは、道具を値切って買うのを嫌がるって言うじゃないですか?」
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「リストを拝見しましたけど、なんか洋食を中心に食べ歩きする希望なんですか?」
昼時に近づいているので、駐車場までの道すがらシンはまずグレニスに尋ねる。
「ええ、シン君の作ったカツメシを食べてから、ちょっとニホン料理について勉強してね。
将来は近所でヨーショクの店をやるのは、どうかなと思ったのよ。
特にオースティンは食に対して保守的じゃないから、ニホン食の一ジャンルであるヨーショクも受け入れられるような気がするのよね」
「じゃぁまず、庶民的なカツカレーの店に行きましょうか?
その後はユウさんもお勧めの、老舗の洋食店が良いかな」
「ええ、店選びは土地勘があるシン君にお任せするわ。
それでカツカレーって、カツメシとどう違うの?」
「ソースが違うんですよ。
ニホン式のカレーライスは食べたことが無いですよね?」
「ええ。インド料理レストランには、何度か行ったことがあるけど」
「ニホン式のカレーライスは国民食で、寿司や天婦羅よりも日常的に食べられているメニューなんです。米帝で言うと……そうだなぁマカロニチーズに近い位置付けかなぁ」
「ああ、その例えは正解かも。
私もニホンで暮らし始めた頃、周りが予想を超えるカレー好きなんで吃驚したもの。
ところで、ジョーさんの姿が見えませんけど?」
「ああ、ジョーさんはレイさんと一緒にオチャノミズに行ってると思いますよ。
ヴィンテージギターの専門店は僕じゃ案内できませんから、レイさんにお任せしてるんです」
「ヌマザワも同行してるし、まぁジョーも悪さは出来ないでしょうね」
グレニスは笑顔で、意味深なコメントを付け加えたのであった。
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「ああ、やっぱりこの店を選んだんだ。
マリーも常連だし、庶民的なカレー店としてはなかなか良い選択だね」
車で移動後、シンがまず案内したのはジンボチョウにあるカレー専門店である。
古びたガラス戸、打ちっぱなしモルタルの床、カウンターだけの店内に並んでいるのはビニールシートの丸イスであり高級感は微塵も無い。
だが活気がある店内では、カウンターで調理している店員が揚げ物をフライヤーに絶え間なく投入している。
一行は横並びにカウンターの奥に着席すると、シンが相談することも無くオーダーを入れてしまう。
「カツカレーを3つ。普通盛りと大盛りとジャンボを一つずつお願いします」
グレニスは入店と同時に目の前に置かれたエスプレッソカップと、スプーンが入っている水のグラスに目を丸くして驚いている。
またタッパウエアに入った薬味の福神漬けも初めて目にしたのだろう、小声でユウにこれは何?と尋ねている。
ほぼ待ち時間無しで提供された3人分のカレーは、ユウがジャンボで、グレニスが大盛り、シンが普通盛りとシンの意図通りに配膳されている。
ユウはマリーが利用するための事前の根回しで何度も来ているので、彼女の食欲はヴェテランらしい店員も知っているのだろう。
「見かけは地味だけど、これはボリュームもあって美味しいわ!
カレーソースも辛過ぎなくて、丁度良いバランスね。
……ええっ、ユウが食べている大きいサイズでも6ドルちょっとなの?」
「ここは学生街でもありますから、価格が高いとやっていけないんでしょうね。
店にお金を掛けないで質実剛健な雰囲気ですけど、ここは清掃も行き届いてるし良い店ですよ」
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「ここは随分とレストランらしい雰囲気のお店ね」
2軒目に訪問したのは、ユウが頻繁に利用している老舗の洋食店である。
手頃な価格ながら凝った内装の店内は、カウンターだけの大衆店の後だけに豪華に見えてしまうのは仕方がないだろう。
「ええ、私も定期的に食べに来て、勉強させて貰ってます。
そういえば、エイミーと一緒に来たこともあったなぁ」
「お勧めのメニューは何かしら?」
「そうですね……何を食べても美味しいですけどやっぱりビーフシチューは外せないかな。
あとオムライスとか、ハヤシライスも美味しいですよね」
「まだ胃袋の余裕があるから、今言ったのを全部注文して貰えるかしら」
「了解です」
ユウはオーダーをウエイトレスの女性に、慣れた様子で伝えていく。
会話には無かったフライ物やサラダも注文しているのは、料理全体のバランスを考えているのだろう。
店内はランチ終了直前なので混雑しておらず、料理は待ち時間が無く次々と運ばれてくる。
「うわっ、このシチュー、ビストロで出てきてもおかしく無い美味しさね!」
取り皿から口にしたシチューの、ナイフが必要ない程の柔らかさにグレニスは驚いている。
「ニホンの老舗の洋食屋さんは、デミグラスソースが自家製で力を入れてる店が多いですからね。
ユウさん、これはA3クラスの和牛ですかね?」
「うん。すね肉は見分けるのが難しいけど、たぶんオージービーフでは無いと思うよ」
「さっきのカレー屋さんでも思ったのだけれど、ニホンはどこでも炊いたご飯がこんなに美味しいの?」
「う~ん、それはテキサスで外れのステーキ店が無いのと同じ理屈じゃないですかね。
当たり前のように毎日食べられている主食ですから、おかしな物を出している店はあっという間に淘汰されちゃうんでしょうね」
「そうそう、テキサスの自宅でも軟水器を導入したのよ!
ジョーは喜んで毎日ライスを食べるのが習慣になって、だいぶスリムになってきたみたい」
「あれっ、ここのオムライスって……」
シンはこの店を何度か利用しているが、オムライスを食べたのは今日が初めてである。
「でしょ?私もシン君が作るオムライスにそっくりだから、初めて食べた時には驚いたのよ!」
「僕の作るオムライスは母親のレシピそのままですから、もしかして母はこの店に来た事があったのかも知れませんね」
「シン君、どうやったらこんなに綺麗に卵で包めるの?」
グレニスが皿の上で綺麗に卵を纏ったオムライスを見て、まず調理法に疑問を持ったようである。
「ああ、滞在中に時間があればTokyoオフィスか寮のキッチンで実演して見せますよ。
寮に来て貰えるなら、温泉も入れますし」
「それじゃぁ、今日娘を引き取る時に見せてくれると嬉しいな」
☆
Tokyoオフィス。
「この展開は予想外でしたね」
「ああ。
まだ1歳だから、こんなにアクティブに動けるとは思わなかったんだが」
久しぶりに訪れたTokyoオフィスの広いリビングで遊んでいたシリウスとマイラだが、その楽しそうな様子を見ていたグレニスの娘エイシャが力強いハイハイで近づいていく。
フウが調乳したミルクを飲んだ後ローソファーでうとうとしていたエイシャだが、いつの間にかソファから一人で降りたようである。
気が付くと嬉しそうにシリウスに抱き着いて、毛並みに嬉しそうに顔を埋めている。
「寝落ちする前に、ハイハイからちょっとつかまり立ちしてましたよ。
1歳にしては成長が早いですね」
「ああ、マイラまで遊び疲れたのか一緒に寝ちゃってるなぁ。
シリウス、申し訳ないけど、しばらくそのまま我慢していてくれる?」
「バウッ!」
小さな吼え声は、寝ている二人をしっかりと意識しているからであろう。
「この子の自宅では、たしか犬は飼ってなかったよな?」
「ええ、初めて目にした動物だと思いますけど、物怖じしない子ですよね」
傍で見ていると、少女と幼女が中型犬と一緒に昼寝している微笑ましい姿だが、天才犬であるシリウスにはかなり迷惑な状況であろう。
しっかりと抱きついて眠る二人のおかげで身動きがとれずに、仕方がなくシリウスも伏せたままの待機状態になっている。
木漏れ日が差し込むTokyoオフィスのリビングでは、今日も平穏なゆったりとした空気が流れていたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




