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007.Let Me Down Easy

5月3日~5月5日につきましては、GWなので12:00に連続更新します。それ以降は日曜日正午更新の通常ペースです。

 海兵隊兵舎ワーキングスペース。

 

「お~い、ベッキー!」


「はいっ、教官殿。何か御用でありますか!」

 ステンレスのブル・バレルにクリーニングロッドを通していた手を休め、ベックが返答する。


 彼女の足許には、クリーニング用であるM40のデプロイメントキットが広げられている。

 スカウトスナイパーの受講開始以来、相棒となっているM40A5(スナイパーライフル)は彼女自身が管理しなければならないのでクリーニングは毎日の必須事項なのである。

 ちなみに室内には、クリーニングに使うソルベントの刺激臭が漂っている。


「視察に来ていた来賓の方から、これをお前に手渡すようにと頼まれてな」


「どちらの視察の方か、聞いて宜しいでしょうか?」


「ああ、あれは大統領視察の、随員で来ていたプロメテウス義勇軍の准将だな」


「……今何処に?」


「もう大統領は視察を終了しているから、随員も既にお帰りになっただろう。

 確かに渡したぞ」


「はっ。態々(わざわざ)有難うございました!」


 教官が立ち去った後、ベックは周囲を見渡してクーラーボックスをそっと開ける。

 中にはバスケットに入った、ここ数か月ご無沙汰だったラップに包まれたお握りが並んでいた。

 ご丁寧にベックが好んで食べていたコンビニの三角お握りに、サイズや海苔の巻き方も巧妙に似せて調理されている。

 空腹だった彼女は、無造作にラップのお握りを手に取って大きく頬張る。


(来てたのはフウさんだとして、この手の込んだ仕事はシンだな。

 ユウさんのおにぎりは美味しいけど、味に関係しない部分で凝ったりしないからな。

 うわっ具がツナマヨじゃないか!)


 入国管理局実働部隊に仮所属していたベックは、コンビニ弁当やファミレスの外食で生活していたので食に強い拘りは無い。

 だが仕方が無く食べていたコンビニおにぎりですら、米帝で同じレヴェルのものを食べるのは殆ど不可能である。

 米や具材に拘ったニホン独自のコンビニおにぎりは、廉価にも関わらずかなりレヴェルの高いニホン料理なのである。


 ワイキキの日系コンビニまで行けば似た味のおにぎりは売っているが、休日が殆ど無いベックにはそれすら入手する伝手が無い。

 久しぶりに口にするニホン式のおにぎりは、栄養補給と割り切って食べている普段の味気ない食事とは全く違う感動を彼女に与えていた。


(こっちは鮭ハラミだ……あいつ私をホームシックにするつもりなのか!)


 同じクーラーボックスに入っていた緑茶の缶飲料で喉を潤しながら、彼女は好きな具材が満載のおにぎりを食べ続ける。

 保冷材と一緒に入っていたのでひんやりと冷たいが、それでも米の強い旨味を感じるのはユウが選んだ銘柄米だからだろう。

 最後の一つを口にしていると、同じ訓練を受講中の同僚が怪訝な表情で彼女に声を掛けてくる。


「おいベッキー、お前なんで物を食べながら泣いてるんだ?」


「えっ……?」


 彼女が自分の頬を触ると、そこはしっとりと濡れている。

 おまけに膝の上は滴った涙で、染みがしっかりと出来ていた。


「あれっ、あれ……いつの間に?」


「お前も食べ物に感激するなんて、初心(うぶ)な処があったんだな」


 同僚は空気を読んだのか、それ以上余計な詮索をせずに部屋を出て行ったのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「ベックは、思ったよりも頑張っていましたね」


 ジャンプでフウを抱えてTokyoオフィスに戻ってきたシンは、ぽつりと小さく呟く。

 ベックは彼に取って関わり合いになりたくない面倒な人物ではあるが、彼女の孤軍奮闘する様子はシンに強い印象を与えていた。


「お前、ベックに渡す分のおにぎりなんていつの間に用意したんだ?

 あいつとは仲が悪かった筈だろ?」


「炊事兵に慣れちゃってるんで、兵隊が食べ物で苦労してる姿は誰であっても見たくないんですよ。

 それに今は僕の方が階級は上ですから、一兵卒に多少気を使っても罰は当たりませんよね」


「……まぁあいつがパピみたいに傭兵もどきになられると困るから、ちょっと里心を植え付けておくのも良いかもしれないな」



                 ☆



 翌日の夕方。


 今日はシンが米帝でリリースしたアルバムをニホン国内で発売する為の交渉に、担当者が寮を訪ねて来ている。

 交渉に臨んでいる女性プロデューサーは実はイズミの昔からの友人らしく、予備知識としてシンの事を色々と聞いているようだ。


「えっとヌマザワさん、追加のレコーディング作業は一切行いませんしプロモーションはどんな形であれやりません。

 それで良ければ、発売はOKです」


 ドリップケトルを使い自ら淹れたコーヒーを彼女の前に置きながら、シンはいきなり本題を切り出す。

 シンはリビングダイニングに設置されている業務用のエスプレッソマシンは滅多に使わずに、いつもは手淹れのペーパードリップを使っている。


「シン君はあんまり販促に熱心じゃないみたいだけど、何か理由でもあるのかな?

 せっかく米帝でアルバムが評判になってるのに、間に合わせのMV(ミュージックビデオ)以外は何もしないなんて」


「変に顔だけが売れて、街を自由に歩けなくなるのが嫌なんですよ。

 それに本業にも差し支えるので、顔出しNGはアルバムの契約条項にも含まれていますし」

 ブラウンシュガーとフレッシュミルクの容器を追加で彼女の前に置きながら、シンは隠すことなくずばり本音を言う。


「……」


「あっ、冷めちゃうんでコーヒー飲んでくださいね」

 シンは彼女と対面になっているソファに腰掛け、自分のマグカップからドリップ直後の香りを楽しむ。

 イタリア滞在中に飲んでいたルンゴと比べても、お湯の量で濃度を調整していないのでコーヒーの香りが実に心地よく感じる。


 シンに促されてコーヒーに口を付けた彼女は、はうっと小さな声を発する。

 スタバで出てくる飲み慣れたラテと違って、手間を掛けてドリップした芳醇な味と香りに驚いたのだろう。

 

「ところで、君がこの間演奏したトリオの演奏、Y●uTubeで見せて貰ったけど凄いじゃない!

 ああいうハードなテイストのブルーズアルバムを、リリースする気はないのかな?」

 ブラックのままでコーヒーを味わいながら、彼女は興が乗ったのか顔をぐっとシンに近づけて聞いてくる。


「音楽であればジャンルを問わず興味がありますけど、機会があればですかね。

 今回の契約は単発ですし、今は時間的な余裕が無いのでちょっと難しいかも知れません」



 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「週末にお時間を取らせて悪かったですね。

 この後何か予定はありますか?」


「いえ、今日は直帰予定だったし、特に予定は無いけど」

 タフな交渉相手だったシンが話が纏まると一転して柔らかい雰囲気になったので、彼女その豹変ぶりに驚いていた。

 年相応には見えないとイズミからは聞いていたが、交渉事を終えた後のギャップも非常に大きいのである。


「じゃぁ、このまま夕食を食べていって下さい。

 色々と生意気な事も言ったので、お詫びも込めてですけど」


「えっ、この寮ってまかないが出るの?」


「いいえ、僕が作りますから。用意が出来るまで温泉にでも入ってのんびりしてて下さい。

 エイミー、着替えを用意してヌマザワさんを温泉まで案内してくれる?」


「温泉?おんせんって今言わなかった?」


「ええ、この寮の大浴場は温泉完備ですから。

 あれっ、もしかして温泉はお嫌いですか?」


「いえ、大好きよ。

 でもイケブクロで温泉が出てるなんて、聞いた事がないけど」


「ああ、源泉はうちの寮専用ですから。

 単純泉ですけど湯量があって掛け流しですから、とっても気持ち良いですよ」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「脱衣所はここです。

 あとは基本的なニホンの温泉と、同じ作法でお願いします」

 間違ってもニホン人には見えないエイミーなので、この台詞に違和感があるのは仕方が無いだろう。


「ありがとう。

 ……地下だけあって、何か圧迫感があるわね」


「SID、窓にハワイのプライベートビーチの映像を出してくれる?」


「???」

 エイミーが薄暗い空間にいきなり呼び掛けたので、彼女は怪訝な表情である。


「了解です。トーコさんお気に入りの朝焼けの映像を出します」


「今の声は誰……うわっ!」

 壁面の巨大なバーチャルウインドに、いきなり高細密なビーチの映像が表示される。

 特殊な偏光フィルタを使っているので、近づいてもそれを現実の風景と区別するのは難しいレヴェルである。


「夕食までは時間がありますから、リゾート気分でごゆっくりどうぞ」

 にっこりと笑ったエイミーは、彼女を一人残して大浴場を後にしたのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 リビングに着衣が入った籠を抱えて、ヌマザワはリビングに戻ってきた。

 メイクも落として、彼女はしっかりとリラックスした表情になっている。


「エイミーちゃん、こんなジャージまで用意してもらっちゃって悪いわね」

 Congoh謹製のトレーニング用のジャージは、高品質の素材を使っているので着心地抜群である。


「湯加減はどうでした?」


「もう最高よ!ここがイケブクロだって忘れちゃいそうな気持ちの良さだわ」


「あっ、お帰りなさい!」

 ヌマザワと会話をしながら、帰還したケイとパピにエイミーは声を掛ける。


「ただいま。

 あれっ、お客さん?珍しいね」

 ケイがリビングでエイミーと話しをしているヌマザワに小さく目礼し、装備を置きに別室へ向かう。

 現状部屋を改装する予算が無いので、セキュリティを厳重に設定した部屋を武器保管室として使っているのである。


「ねぇエイミーちゃん、あの人達って、サバゲの帰りなの?」


「いいえ、防衛隊の演習帰りかと思いますけど」


「持っていた銃って、もしかして……」


「ええ、勿論本物ですよ。

 でもニホン政府の関係者なんで、ご心配には及びませんから」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「グラスも冷やしてありますから、温泉の後には喉越し抜群ですよ。

 もうちょっとで夕食の準備が出来ますから、これでも食べて繋いでいて下さいね」


 キッチンから顔を出したシンは、冷えたパイントグラスに注いだビールと、焼きたてのジャンボ餃子の皿をヌマザワの前にことりと置く。


「ねぇシン君、なんでビールサーバーが学生寮にあるの?」


「うちの学園は欧州出身者も多いんで、16歳以上はビールもオッケーなんですよ。

 もしかして、ビールはお嫌いですか?」


「いえ、大好きよ」


「お代わりは好きなだけ出来ますけど、夕食前なんでセーブして下さいね」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「これ、本当に貴方が作ったの?

 どっかからデリバリーしたんじゃないの?」


 食卓に並んだ中華料理の大皿の数に、ヌマザワはかなり驚いている様だ。

 四川風の家庭料理である回鍋肉や青椒肉絲は普段はあまり作らないが、来客用に馴染みのあるメニューとして用意したものである。

 (もっと)も焼き餃子は定期配送便で来た冷凍品であるし、その他のメニューも余った野菜や肉類を手早く炒めたシンプルな中華料理なのであるが。


「いつも食事はエイミーと僕の担当なんで、御覧の通り餃子以外は出来立てですよ。

 もしかして、シンプルな家庭風の中華料理はお嫌いですか?」


「いえ、大好きよ。

 それにこんな大勢の食卓で食べるのは、本当に久しぶりだわ」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 食事の流れから、ユウが合流して飲み会が始まるのはいつもの週末の光景である。

 ソファの前のローテーブルには、夕食の余りものに加えて、ユウが持参した和風のつまみが並んでいる。


「へぇっ、ヌマザワさんは社内プロデューサーなんだ!

 普通の会社員さんに会う機会は滅多にないから、なんか緊張しちゃうな」

 パピは大量に余った焼き餃子をつまみながら、ビールを巨大なピッチャーに入れてジョッキ代わりにグイグイと飲んでいる。


 若干人見知りの傾向にあるルーは、ニホン酒の師匠であるケイの横で静かに冷酒を飲んでいる。

 トーコとハナは食後に仕事のゴールデンタイムに突入しているので、もちろん此処には居ない。


「あの、貴方はY●uTubeに出ていた、スリーピースバンドのドラムスの人ですよね?

 てっきり、スタジオの仕事をやってる方かと思ってましたよ」


「ヌマちゃん、口調が固いよ!私のことはパピって呼び捨てで良いからさぁ」


「はぁ……」


「パピはこんな成りだけど、中身はニホンのオヤジと一緒だから気にしないでね。

 ヌマザワさんは、ニホン酒は苦手なのかな?」

 いつもの純米大吟醸の冷酒を飲みながら、ケイが新しいグラスを彼女に勧めている。


「いえ、大好きです。

 でもビールを飲みすぎて、ちょっと冷えちゃったかも」


「それじゃぁ、熱燗でも用意しましょうか。

 ビールをずっと飲んでると、お腹を下しそうだし」


 このメンバーで体が冷える心配などは全く必要ないが、ユウは来客であるヌマザワに気を使っているのだろう。


「あっ、ユウさん僕がやってきますから、そのまま飲んでいて下さい。

 丁度キッチンで、トーコとハナの分の夜食を作る時間なので」


「シン君悪いね。

 私が持ってきた久●田 碧寿は、ぬる燗にしてくれる?」


「了解です」


「なんか料理もお酒も、接待で使う高級な店よりも美味しいんですけど!

 ユウさん……、もしかしてイズミが言ってたユウさんって貴方のこと?」


 酔いが回ってきたのか、彼女の口調が一気に砕けて来ている様である。


「ええ。セッションで良くイズミさんとご一緒したんで、顔見知りなんですよ」


「あなた防衛隊の戦闘機パイロットだったって、ホントなの?

 こんなに綺麗でたおやかなのに、想像できないわ!」


「ヌマちゃん、ここに居るメンバーはみんな現役バリバリの兵隊ばかりだからね~。

 全員で暴れたら、Tokyo、いやこの国が壊滅するかもよ」


「またぁ、そんなヒーローマンガみたいな冗談言って!」


 パピの一言はあくまで客観的な事実なのであるが、それをこの場で口にする空気が読めない者は居ない。

 こうしてゲストを加えたいつもの飲み会は、賑やかに続いていくのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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