006.How Can It Be
都内某所の研究所。
「シリウスは、健康そのもので問題は無し!
ストレスも無いみたいだし、とっても良い成長具合だね」
ナナは、シンの横でしっかりとお座りをしているシリウスを見ながら誇らしげに宣言する。
「……それでシリウスを引き取りに来たのに、何で僕がこんな怪しげな診断を強制されるんですか?」
以前ユウも全裸で押し込められた検査カプセルに、シンも服を脱いで入るようにしつこく促されている。
ナナの横に居る助手のフェルマはシンから意図的に視線を逸らそうとしているが、ときおり我慢出来なくなり?シンを横目でチラチラと見ている。
先日の騙まし討ちの件でナナに対する印象が最悪になっているシンが、検査カプセルに素直に入る気にはなれないのは当然である。
フェルマについては丁寧に謝罪されたのでもう気にしてはいないが、いかに根に持たない性格のシンであっても度重なるナナの無茶振りには我慢も限界に来ているのだろう。
「君は、自分がかなり危うい状況に居るのを、忘れがちだよね」
「はいっ?」
ここ数日健康診断でシンから隔離されていたシリウスは、シンを心配そうに見上げて傍から離れようとしない。
育ての親であるナナと、いつもより声のボリュームが大きいシンとの諍いに彼女はどうしたら良いのか混乱しているのだろう。
「アンキレーを使っている3人は今のところ異常は無いけど、これから先も大丈夫だっていう保証は無いからね。
特にユウと君は頻繁にジャンプをしているから、何が起こるか予想がつかないんだよね」
「……」
「君は自分にもしもの事があったらどうするつもりなのかな?
数百光年の彼方から君に逢いに来た、エイミーはどうなると思う?
そしてなによりシリウスは君のために作られた生命なのだから、残された一人ぼっちの彼女の面倒を誰が見るんだい?」
「……わかりました。
でも身体検査を口実にして、また何か余計な事をしたら怒りますからね!」
自分が持っている強い責任感を利用して屁理屈を言われているのは理解しているが、本当に健康診断ならばそこまで強行に断る必要も無いだろう。
「ふふふ、了解。
次から検体は、本妻のエイミーちゃんに了解を取ってからお願いする事にするよ」
シンは着衣を脱ぎながら、フェルマのガン見している視線を遮るように背中を向けたのであった。
☆
「日本の系列のレコード会社から、連絡が来たけどどうしようか?
国内版を是非リリースしたいという話だと思うんだけど」
いつも夕餉の支度中に掛かってくるレイからの音声通話は、もはや定例行事の様だ。
彼はメールでのやり取りより、音声通話のコミュニケーションを優先する傾向があるのだろう。
「今はマイラが来たばかりのタイミングなので、ちょっと時間が取れそうにないですね。
追加作業が無ければ、リリースは問題無いと思うんですが」
シンは大きな寸胴から、パスタ用の茹でザルを引き上げる。
5kgのデ●チェコ大袋を一気に茹でているので、茹で上がりの重量は12kg近くになりずっしりと重い。
「メジャーデビューしていると、色んなライブハウスに出入りし易くなるメリットもあるけどね」
「でもあんな地味なアルバムが、此処で売れるとは思えませんけどね」
シンは巨大なサイズのフライパンに。茹でたパスタを2分割して煽り始める。
特に指示を出さなくても、横から具材やソースを絶妙のタイミングで投入するエイミーとは息もピッタリである。
さすがに50cmのフライパンを片手で煽るのは不可能なので、高火力のガス台2口を交互に使っているのであるが。
「で話は変わるんだけど、この間フランを作ったんだって?」
「ええ、卵料理が好きなマイラの食欲増進が目的ですけど。
久しぶりに作ったわりには、美味しく出来ましたよ」
一枚分のフライパンはパスタに火を通しすぎないように注意して、早々とおかわり用の保温バットに移して蓋をしてしまう。
もう一枚のフライパンは大きな2枚の皿に先に盛り付けてから、残りを通常サイズの皿に取り分けていく。
ルーとパピはパスタになるとかなりの量を食べるので、あらかじめ大きな皿に盛り付けているのである。
「それって、余ってない?」
「えっ、もしかしてレイさんってフランが好きだったんですか?」
保温バットと人数分のサラダを、ワゴンに乗せてエイミーが先にリビングダイニングへ運んでいく。
「うん。ニホンのプリンも好きなんだけど、ちょっと違うんだよね。
そうか……シン君の作った本物のフラン、食べたかったなぁ」
「今度作った時には、Tokyoオフィスまで直接届けますよ。
手渡ししないと、マリーに全部食べられちゃいますからね」
シンはワゴンに皿を並べると、リビングに向けて歩き出す。
「ホントに?それじゃぁ楽しみに待ってるよ」
☆
翌日。
昨夜急遽作ったフランを抱えて、シンはTokyoオフィスを訪問していた。
マリーに見つからないように手渡した未カットのフランは、レイ直々のリクエストであるとアンにしっかりと念を押しておく。
「大統領のフォース・リコーン視察に同行ですか……意図が良くわかりませんけど?
襲撃予告があったとか、何かトラブルが発生しそうだとか?」
リビングでの会話で前触れなく義勇軍のタスクの話になったので、シンは困惑気味だ。
いきなり大統領の国家行事に同行するなど、かなりの緊急事態以外はあり得ないからである。
「いや……元々はこっちから同行を頼んだ案件なんだよ」
フウの口調も、いつもに比べて何故か歯切れが悪い。
「???」
「本来なら私一人で行く予定だったんだが、随員が最低1名は必要だと大統領が言い出してな。
それなら随員はお前にして、ジャンプで運んで貰えば移動時間が稼げるからな」
「フウさんが一人で行く予定だったとは、本当に視察なんですね」
「ああ。
ちょっと言い難いんだが、これは口外しないと約束して貰えるか?」
「はいっ?」
「実はベックが、今フォース・リコーンで研修中なんだよ。
放っておいても大丈夫なお前と違って、ベックはそのレヴェルにはほど遠いからな」
「ああ……でも最近のユウさんの話だと、技量的には上がってるから問題無いと言ってましたけどね」
「歩兵としての基礎は出来てると思うんだが、あいつの場合はプラスアルファが足りないんだよ。
経験を積んでなんとか義勇軍に戻って欲しいんだが、それは本人次第だからな」
☆
寮の朝食の席。
エイミーは午後からまたシンが遠出をすると聞いて、機嫌を損ねている。
ほぼ日帰りの任務であると説明してやっと許してもらえたが、同行出来ないのがかなり悔しいのだろう。
義勇軍では作戦参加に関しては明確な年齢制限があるので、15歳未満にしか見えないエイミーが義勇軍の一員として視察に同行するのは事実上不可能なのである。
「えっ、これは何ですか?」
ハナがお膳に乗った小鉢を見て、首を傾げている。
普段は好き嫌いを全く表明しない彼女としては、とても珍しい反応である。
「あれっ、Tokyoオフィスの朝食で食べてなかったっけ?」
今朝はエイミーがメインで朝食を用意したので、純和食に近い定食メニューである。
「いえ、私はちょっとこれは……」
「Tokyoオフィスの自家製納豆は、癖が無くて食べやすいんだけどね」
朝食の席では、ルーが納豆に刻んだサーラを混ぜたものを大きな丼にのせてかきこんでいる。
彼女にとってのサーラは、味付けで塩をかけるのと同じ感覚なのだろう。
隣のマイラは何の違和感も無く、大きめの茶碗にたっぷりとのった納豆をスプーンを使って頬張っている。
小食だったマイラも最近は寮の食事に慣れて来て、食べる量がしっかりと増えているのは嬉しい出来事である。
「私はダイナーの食事で育っちゃいましたから、米帝の保守的な味覚になっちゃってるのかも知れませんね」
「いや、今のところ苦手なのは納豆くらいだから、しっかりと適合できてるんじゃないかな。
マイラは嗅覚が鋭いみたいだから、逆に納豆の香りが好きなのかも知れないし」
「うん!とってもとっても、おいしいも!」
「チリとかの豆料理は好物だし餡子も大丈夫だから、何かきっかけがあれば食べられるようになるんだろうね」
「シンは小さい頃から、納豆を食べていたんですか?」
「うん。なんか白いご飯と納豆は、かなり昔から食卓に出ていた気がするなぁ。
ニホン料理には縁遠かった僕の母親も醤油は良く料理に使っていたし、ニホンに滞在した経験があったのかもね」
「いまやシンは、私より遥かにニホン料理に精通していますからね」
小さなお茶碗に昆布の佃煮をのせたトーコが、ポツリと呟く。
「いつまでも食わず嫌いだと大人げないですから、ちょっとでも食べてみる事にします。
……あれっ、なんか粘りがほとんど無くて匂いもしませんね」
ハナはかなり上手になった箸使いで、小鉢の納豆を持ち上げる。
「ハナの分の納豆はエイミーが工夫して、大根おろしと昆布の出汁醤油であえてるからね。
納豆の旨みはしっかりと残ってるけど、食べ易いと思うよ」
エイミーは慌ただしくルーのお代わりを配膳しているが、特にコメントせずに黙っている。
「うん!これなら食べられます!
美味しいです」
ここで早朝から不機嫌だったエイミーが、ハナの一言でにっこりと表情を変えたのであった。
☆
「視察先がカネオヘ基地だとは、意外でしたね」
「オワフ島まで一緒にジャンプしたのは初めてだが、なんか時間が短縮されてるんじゃないか?」
「ええ。行き慣れてる場所だと、どんどん亜空間飛行の所要時間が短縮されるみたいですね」
「なんか海兵隊の基地は、ヒッカムとは雰囲気が違いますね」
正面ゲートに来た二人は、いきなり徒歩で現れたので歩哨に怪訝な表情で見られている。
シンはホワイトハウスの身分証を提示して、来訪を伝えてくれるようにゲートの係官に依頼する。
数分後。
装甲が外されて軽量化した古めかしいハンヴィーが、ゲートの前に停車した。
運転席には、野戦服を着た見慣れたショートヘアーの女性が収まっている。
「大統領、ご無沙汰してます。
シークレットサービスの皆さんは何処に居るんですか?」
「詰所で昼食中じゃないかしら。
それにしても、人気ミュージシャンがこんな辺鄙な場所に何の用なの?」
「プロモーションにご協力いただいたみたいで、お陰さまで廃盤にならずに済みそうですよ」
「どういたしまして。
さぁ乗って頂戴!時間がもったいないから」
「それにしても、視察なのに野戦服を着て単独行動ですか?」
「ふふふっ、私も海兵隊の予備役ですからね!それにマスコミ非公開だから、軍服の方が楽なのよ。
視察っていうのも名目上だけで、実際は息抜きの休暇みたいなものだから。
それじゃぁ早速、中を見て回りましょうか」
大統領は普段は触らせてもらえないハンドルを握って、かなりの上機嫌である。
「SID,周辺の安全をチェック宜しく!」
フウがいつもの習慣で周囲に鋭い視線を走らせながら、胸元のコミュニケーターに指示を出す。
「フウ、そんなに肩肘張らなくても大丈夫よ。
基地の中は警備も厳重だから」
「僕が同行している限りは、核トマホークで攻撃されても守ってみせますよ」
「ええ、信頼してるわ。
ところでシン君、約束の物は用意してくれた?」
「ええ、でも『おにぎり』なんてシンプルなもので良かったんですか?」
シンは手荷物として持参した、クーラーボックスを指し示す。
「時間を掛けてランチをするより、移動中の車の中で食べられるでしょう?
それにシン君が作る料理は、何でも好きだからね」
この様子だと、彼女は昼食の時間に警備を出し抜いて単独行動をしているのだろう。
「へぇっ、思ったよりもシンは気に入られてるんだな」
シンとの直接のやり取りを初めて見たフウは、感心した表情を浮かべている。
「そりゃぁ、私の大事な若いボーイフレンドだもの。
ここが目的のライフルレンジね。
前哨狙撃兵のコースは私も受講したから、懐かしいわ」
大統領の存在に気が付いた数名のインストラクターが彼女に小さく頷いて見せるが、訓練は続行されている。
訓練で使われているバイポットを装着したスナイパーライフルは、海兵隊で普通に使われているスタンダードな装備である。
「ああ、あれがフウのお目当ての子ね」
ハンヴィーから降車しなくてもファイアリングラインはすぐ近くなので、一同は車内に留まったまま訓練を眺めている。
髪型がショートになっているベックは見分け難いが、プローンポジションをとっている女性がそうなのだろう。
スポッティングスコープを覗いたインストラクターが指示を出し、シューターはそれに従ってボルトを操作し次々とターゲットをヒットしていく。
ショートアクションのライフルでの無駄が無い操作は熟練の域に達しているが、時折のミスショットはトリガーコントロールの未熟さが原因であろう。
「う~ん、かなり優秀そうだけどその範疇に収まってしまう子みたいね。
この時間帯まで訓練が長引いているのは、リトライを繰り返している彼女のリクエストなんだろうけど。
シン君や対物ライフルでファイタージェットを撃墜する兵の中じゃ、影が薄そうだわね」
自らも受講したコースなので、アンジーの口調はかなり辛辣である。
「だが、此処に来るまでには優秀の範疇にも入っていなかった奴だからな。
悲惨だったライフルの腕前も、かなり上達しているようだし。
なんとかDORせずに頑張ってるのを見れて、それだけでも来た甲斐があったかな」
「ええ。僕が言うのはおこがましいかも知れないですけど、彼女は地力を蓄えている最中だと思います。
謙虚に貪欲に学ぶ姿勢があるなら、きっと今やっている訓練も無駄にならないような気がしますけどね」
「もしかして、シン君にもそんな時期があったのかな?」
大統領はシンから手渡されたバスケットを開いて、おにぎりに齧り付いている。
「ええ。毎週のようにフウさんにCQBでしごかれて、もう大変でしたよ」
「お前の訓練は戦闘力を高めるというより、威力を抑えた状態でコントロールする為のものだったからな。
相手をしてる側は命懸けだから、こっちも楽じゃなかったぞ」
「ふ~ん、あっこれ牛肉の佃煮が入ってるんだ。
お米も公邸で食べるのよりも、美味しい気がするなぁ」
アンジーは優しい眼差しで訓練中のベックを眺めながら、おにぎりの味を褒めている。
「Congoh配送の銘柄指定米ですからね」
「私が昔この訓練を受けてた頃は、かなりの劣等生でね。
あやうく落第しかけた経験があるのよ」
「へぇっ、それは初耳だな」
「私が変わった切欠は、アイさんに特例でCQB訓練を受け始めた頃だから。
……ねぇ、フウ、このお米をちょっと分けてよ」
雑談が和やかに続く車内だが、シビアな訓練は続いている。
かなりタイトなスケジュールの訓練スケジュールなので、昼食抜きなどはごく当たり前なのだろう。
シンはプライドが高いだけで実力が伴わなかった彼女が、土埃にまみれた姿で懸命に訓練を続けている様子をじっと見ている。
それは数か月前に見ていたブートキャンプの新兵の姿に重なり、地道なトレーニングの重要さをシンに再考させてくれる。
(Aspirat primo Fortuna labori.
『幸運は私たちの最初の努力に微笑む』だったな)
久しぶりに母親のラテン語の口癖を思い出した、シンなのであった。
お読みいただきありがとうございます。




