005.One Hot Minute
ユウ帰還の翌日、シンと寮生一同は居候先のTokyoオフィスから寮に戻ってきていた。
もちろん引越しするマイラも一緒で、彼女の数少ない荷物はシンのジャンプで運搬済みである。
ちなみにマイラの面倒を見るルーの居室はアップグレードされ、家族用のダブルベットの部屋に変更されている。
「シン君、おかえり!」
「ただいま戻りました!
お二方は、食事は大丈夫でした?」
「ああ、この辺りはアサカと違って外食で美味しい店が沢山あるからね。
まぁ週5回くらいは、須田食堂を利用してたけど」
ケイは素直に白状するが、泣きが入らなかったので食事には不自由していなかったのだろう。
須田食堂にはバラエティに富んだ定食メニューがあるので、たとえ毎日通ったとしてもメニューを制覇するのは簡単では無いのである。
入国管理局の二人と初対面のマイラは、恥ずかしいのかシリウスの小さな背中に隠れている。
「この子がマイラちゃんか。
ふふふ、おちびちゃんは人見知りなのかな」
実は子供好きらしいケイは、エイミーよりかなり幼いマイラを優しい眼差しで見ている。
「その割には、ずいぶんとシリウスに馴れてるみたいだよね?」
シリウスは誰に対しても無駄に威嚇したりしないが、幼女にとってはハスキーの血を引く強面の犬であるのは間違いないだろう。
「ああ、なんかシリウスって僕と同じ匂いがするんですって。
それで、あっという間に仲良しになってたみたいですよ」
「ふ~ん、くんくん。
特に同じ匂いはしないみたいだけど?」
「パピさん、汗臭いかも知れませんから近寄って匂いを嗅がないで!」
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夕食後。
「あれっ、マイラいつの間に?」
「……シリウスについてきた!ここはなあに?」
「温泉だよ」
「こ、これがっ!」
彼女の英語には、大人びた慣用句が何故か多い。
今の一言も、映画かドラマで覚えた台詞なのであろう。
「一緒に入ってみる?」
「うん!」
シンはこれからも利用するであろうマイラに、脱衣所の使い方を含めて温泉の入り方を教える。
シリウスはさっさと浴室に入って、いつもの浅い足湯に浸かり温泉を堪能している。
「あたたかくてきもちいい!でも、うすぐらくてふしぎなばしょ」
かけ湯をして湯船に入ったマイラは溺れる心配は無いだろうが、念のためにシンは自分の膝の上に乗せている。
全裸で膝の上に乗っているのだが、彼女には羞恥心など一切無くシンにくっついていられるのでご機嫌である。
「マイラはどんな景色が好きなのかな?」
「いったことがないけど、うみ!」
「SID、ライブカメラのビーチの映像を出してくれる?」
「はい。ハワイベースのプライベートビーチの映像です」
「ん……まっくら?」
バーチャルウインドにハワイベースのライブ映像が表示されるが、時差があってもまだ現地は夜明け前の時間帯である。
「目が慣れるまでじっと見てごらん」
「うわぁ、ほしがたくさん……なみのゆらゆらがみえてきた!」
「もうちょっと遅い時間だと、朝日が見れるんだけどね」
「おんせん、きもちいい!」
「気に入ってくれて良かったな。
せっかく寮に来たのに、温泉を利用しないと勿体ないからね」
☆
寮に引っ越しを済ませたマイラは、翌日から学園に通い始めていた。
ルーと手をつないで仲良く登校する彼女は、ルーの年が離れた妹に見えないことも無いだろう。
だが参加した授業で一旦米帝語で会話を始めると、彼女の幼かった印象が一変する。
米帝語でエイミーと議論を始めるとその内容は幼女とは思えない論理的な内容であり、普段のニホン語の会話とのギャップが非常に大きいのである。
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昼食時のカフェテリア
久々に顔を合わせたリコは、大好きなシリウスが健康診断で居ないこともあってマイラに興味津々である。
だが重度の人見知りであるマイラは、慣れていない場所という事もあってシンの横にべったりとくっつき落ち着きの無い感じである。
ちなみにカフェテリアのメニューがマイラの口に合うか心配したシンは、前日に連絡して厨房担当者にメニューの確認をしている。
彼女は基本的に食べれない食材は無いが、初めての香辛料や味付けによっては食が進まないという可能性もあるからだ。
本日の定食である海南鶏飯は癖の少ないメニューなので、美味しそうに食事をしているマイラを見てシンも安堵の表情を浮かべている。
ライスに付いているジャスミンの風味も、それほど強く無いのでマイラは気にならない様である。
「シン、私の時はそんなに心配してくれなかったですよね!」
「だって、エイミーは初対面の頃から好き嫌いが殆ど無かったもの」
「ええ。そういえば今のところ嫌いな料理とか食材は、全くありませんね」
「Tokyoオフィスの朝食で、初めての納豆を美味しそうに食べてるのを見た時には吃驚したなぁ」
「……」
「でも僕は、好き嫌い無くなんでも良く食べる子が好きなんだよね」
「へへへっ」
「ふんっ!」
同席していた好き嫌いが多いトーコは、シンの一言で不機嫌な表情を浮かべている。
ルーも初めて食べるメニューである海南鶏飯を気に入ったようで、チキンの出汁で炊き込んだライスもお代わりをしてひたすら食べ続けている。
「ああ、マイラちゃんはフェルマさんの妹なんだ」
ちらちらと恥ずかしそうに目線を投げてくるマイラを見ながら、リコはシンに呟く。
「あれっ、リコはフェルマさんと会った事があるの?」
「うん。Tokyoオフィスで挨拶程度だけど。
お姉さんと同じで、彼女も整ってる顔立ちだよね」
このカフェテリアに居る面々は芸能人など比較にならない美形揃いなのだが、容姿に無頓着な面々なのでそれを指摘する者は誰も居ないのである。
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フルメンバーが揃った寮の夕食時。
最近のケイとパピは業務での拘束時間が短くなり、食事も寮生と一緒に採ることが多くなった。
以前の拠点である陸防官舎は都内に近いアサカにあったが、渋滞が多く日常の移動に必要以上の時間が掛かっていたのである。
さらに一名だけの急場の出動はシンに移動を頼めるので、燃料費すら節約できるとキャスパーは非常に喜んでいる。
「卵かけご飯?何それ?
生卵をかけるの?うえっ」
今晩もお馴染みの中華主体のメニューだが、ケイはふと思いついたのか卵かけご飯を食べようとしている。
Congohの定期配送便で送られてくる冷蔵品の鶏卵は、ブランドこそ付いていないが生食が可能なほど鮮度が高い。
ルーが不満を表明しているのは、生まれ育った生活環境の違いなのであろう。
「いやここの卵は黄身が濃厚で、ダシ醤油をかけて食べると本当に美味しいんだよ。
スーパーで売ってる卵とは、味がぜんぜん違うんだ。
ところでパピ、お前ニホンにこれだけ長く居るのに、生卵を食べれないのか?」
「だって、子供の頃から生卵なんて食べた事ないもん」
パピの一言を聞いたルーが一瞬だけピクッと箸を止めたが、直ぐに何事も無かったようにご飯をかき込んでいる。
ルーはパピのさりげない一言に、何か思う事があったのだろう。
「そういえば、すき焼きを食べる時も卵を使ってなかったな」
「それは食わず嫌いですね。
でも米帝や欧州のスーパーで売ってる卵は品質管理が甘いですから、生では食べない方が良いですよ」
卵料理好きのマイラは、ケイが卵かけご飯を美味しそうに食べているのを見て興味を持ったようだ。
「マイラは卵が好きだから大丈夫かな、食べてみる?」
「うん!」
シンは湯気が立ち上る白ご飯に、生卵を割って窪みを付けたご飯の上にそっと落とす。
少量の出し醤油をかけると、スプーンを握っているマイラの前に茶碗を配膳する。
「まずは軽く混ぜて食べてみて。
しっかりと混ぜるのが好みの人も居るけど、それは納豆みたいに好みの問題だから」
「ん~おいひい!
……ん???」
すっかりとニホンの食事に適応出来ているエイミーと違って、初めて食べる食材が多いマイラの反応は見ていてとても新鮮である。
やさしい視線ながらも周囲から注目されているのに気が付いたマイラは、口を動かしながらもキョトンとした戸惑いの表情を浮かべている。
「シン、私にも卵かけご飯を頂戴!いや、小さい茶碗じゃなくて丼の特盛で!」
マイラの横に腰かけていたルーは既にニホン食の食わず嫌いを克服済みなので、いつもの通りの平常運転である。
☆
数日後。
ユウが帰還したTokyoオフィスは、いつものゆったりとした空気を取り戻していた。
午後のリビングで休憩中のユウの傍では、手慣れたブラッシングでご機嫌のピートがゴロゴロと喉を鳴らしている。
ユウが帰ってきたので、当然ながらピートはシンの姿を見ても軽く一瞥するだけで近寄っても来ない。
先日の膝の上に乗ってきた様子を思い出したシンが、少しだけ寂しい気分になるのは仕方が無い事なのだろう。
「デブリ処理をやりたいって?」
「ええ、別に義勇軍の任務にならなくても、ボランティアでも構わないんですけど。
何度か高高度まで上がりましたけど、低軌道衛星の周辺にデブリが散乱しているのが体感でわかるんですよ」
ちなみにフウと直々の相談があったシンは、寮から一人ジャンプで来ているのでエイミーは此処には居ない。
「う~ん、社会還元になるのは確かだがボランティアはどうかな。
それにどうやって処理してるのか、手の内をある程度説明する必要もあるだろうし」
「軌道を下げて自由落下させるのは、危険も無いし格安で請け負っても良いと思うんですけどね」
「ああ、それならマリーが同行しなくても、シン君一人で任務が完了できるんだね。
でも処理するデブリの座標を特定したりするのが、難しそうだよね」
ブラッシングを続けながら、ユウがコメントする。
ピートは気持ち良さから、ブラッシングされながら寝落ちしてしまいそうな様子である。
「かと言って、それが出来るのは地球上でマリーとお前だけだから安売りは不味いだろ。
任務自体を考えてみるから、ちょっと時間を貰えないか?」
「はい。それはフウさんにお任せします」
「ただ百万個と言われているデブリを、ボランティアの街の清掃みたいにコツコツ処理するのは現実的じゃないだろうな。
特定の座標のデブリをまとめて処理する手順が確立されれば、米帝からの委託業務として成り立ちそうな気がするが」
「……」
引き続きリビングに留まっているシンは、膝の上のピートのおかげで身動きの取れないユウに話し掛ける。
「ユウさん、ちょっと教えて欲しいんですが……」
エスプレッソマシンの前でシンは慣れた手つきでタンピングを行い、ポルタフィルターをセットしてドリップを開始する。
部屋の隅にあるドリンク機器が並んでいるコーナーには、コーヒーマシン以外にも現在はシーズンオフで稼動していないショーケースやソフトクリームマシンも並んでいる。
「卵を使った料理?」
「ええ、中華だと蟹玉とか、炒める料理しか無いのでレパートリーが少なくて。
食の細いマイラも卵料理なら食べてくれるんで、レパートリーを増やしたいんですよ。
僕の作れそうなニホン料理で、何かないかなぁと思って」
ドリップが完了したエスプレッソをユウの手の届くサイドテーブルに置くと、シンはブラウンシュガーのポットもダイニング・テーブルから移動する。
ユウは小声でありがとうと呟くと、うたた寝しているピートを起こさないように静かに砂糖を入れたコーヒーを攪拌する。
「やっぱり最初は卵焼きかな、あとは茶碗蒸しとか。
あと意表を突いて、卵かけご飯とかもあるよね」
ピートは一瞬顔を上げて周囲を見回していたが、安心したのかユウの膝の上で再び目を閉じる。
「卵焼きは以前に出汁焼きを教わりましたけど、茶碗蒸しは作った事が無いですね。
あと卵かけご飯は、マイラがすっかり気に入ってレギュラーメニューになってますよ」
「あとでレシピを教えてあげるけど、茶碗蒸しはフランとそんなに違わないから、シン君なら簡単に出来るんじゃないかな」
「……そういえば、フランも最近作ってなかったなぁ。
茶碗蒸しは蒸し器で作るんですよね?」
「いや、寮にもあるコンベクション・オーブンで出来るんじゃない?
温度調節に気をつければ、蒸し器と遜色無い状態で出来ると思うよ」
「なるほど!
じゃぁフランも含めて考えて見ますね!」
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寮の夕食後。
「マイラはお菓子はあんまり好きじゃないみたいだけど、これはどうかな?」
シンは大きなケーキ型で作ったフランを、小分けにカットしてメンバー其々の前に配膳する。
濃い色のカラメルソースが天辺にしっかりと絡みついたフランは、見かけもかなり甘そうなデザートである。
「へえっ、でっかいプリンですね。
シンがお菓子作りなんて、アップルパイを作って以来じゃないですか?」
トーコはニホン育ちなので、スーパーで売っているゼラチンで固めた小さいプリンを見慣れているのだろう。
「うん。これも本当久しぶりに作ったんだけどね。
ニホンだとプリンって言うんだっけ?
ユウさんに言われて、暫く作ってないのを思い出してね」
「これは……プリンの様な見かけですけど、味がかなり違いますね」
スプーンを口に運んだトーコは、食べなれたプリンとは全く違う味に戸惑っている様子である。
ニホンでも様々な種類のプリンが出回っているが、ここまで卵の味が濃厚で複雑な味の既製品は存在しないのだろう。
「米帝だとメキシコ料理に分類されて、フランっていう名前みたいだよ。
これは僕が母さんから引き継いだ数少ないレシピの一つで、妹の大好物だったから昔は毎日のように作ってたんだけどね。
あれっ、エイミーは普通のプリンって食べた事が無かったっけ?」
「ファミレスのプリンアラモードなら、食べた事があるんですが。
……何か見たことがあるような、無いような、不思議な感じがします」
エイミーは目の前に配膳されたフランを、手を付ける事無くじっと見ている。
物の由来を判別できる能力を持っている彼女が戸惑っているのは、プロメテウス本国でモノリスもどきに遭遇して以来であろう。
(バニラビーンズとか、カルヴァドスを使ってるからなのかな)
入手ルートが複雑な天然の香料と珍しい蒸留酒を使っているので、エイミーが混乱しているのかもとシンは単純に考えていた。
レシピを教えてくれた母親は、マダガスカル産の本物のバニラと高価なカルヴァドスを使うのに、何故か強い拘りを持っていたのである。
「うまうま!おかわりっ!」
普段は小食でお代わりを要求したことがないマイラが、ここでシンにリクエストをしてくる。
「あれっ、マイラは気に入ってくれたんだ!」
「あい。おいしいも!」
「私ももっと食べたいです!」
「シン、ダブルで頂戴!」
ハナとルーも騒がしくお代わりを要求しているが、相変わらずエイミーは深刻な表情で黙り込んだままである。
漸く意を決した様子でスプーンを口に運ぶと、適度な固さがあるフランをゆっくりと味わうように咀嚼する。
「ああ、なんだか懐かしい味……」
その小さな呟きはシンの耳には届かなかったが、彼女の潤んだ瞳にシンはしっかりと気が付いていた。
食べ物に対してはユウと同様に許容範囲が広いエイミーは、不平を言う事が無い代わりに味を大袈裟に賛美することも滅多に無い。
その彼女が、口に入れた食べ物の所為で感情を刺激され涙ぐんでいる様子を見るのはシンも初めてである。
(何か母星で、似たような食べ物があるのかも。
今度ノーナさんから連絡があったら、忘れずに聞くようにしなくちゃ)
配膳されたフランをゆっくりと時間をかけて味わったエイミーは、無言ながらいつもに増して柔和な微笑みを浮かべていたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




