003.Working Man
早朝の食堂。
「シン、昨日は災難だったな」
カプチーノにブラウンシュガーを入れながら、ゾーイがシンに労いの言葉を掛ける。
昨夜はイタリア政府との交渉が深夜過ぎまで続き、シンとは顔を合わせていなかったのである。
「無差別テロだったので命令を待たずに対応しましたけど、拙かったですか?」
シンは基本的に朝食をしっかりと食べたいタイプなのだが、朝食当番が存在しないカーメリではそれは無理であろう。
今日も自分でドリップしたルンゴに、朝食用として用意されているブリオッシュだけというシンプルな朝食である。
ちなみに同室のエイミーとシリウスは、まだ起床していない。
シンの慣熟フライトは空域使用の関係で早朝に始まるので、一緒に起きると彼女達が時間を持て余してしまうからである。
「いや、ミラノ市内に偶然居合わせた特殊部隊が、事態収拾に協力したという線で話が纏まったから問題無い。
もし放置していたら数百人規模の犠牲者が出ただろうから、感謝されることはあっても非難される筋合いは無いだろ」
「はぁ、それは良かったです」
シンはテーブルに山盛りになっている籠から、2個目のブリオッシュを手に取った。
このブリオッシュは基地内にあるCongoh運営のブーランジェリエから毎朝調達されているらしく、焼きたてで味も抜群である。
「内務省の偉いさんは、対処してくれた部隊に深く感謝していたぞ。
もちろん部隊というのが、お前一人だけだというのは教えてないがな」
「はぁ」
「米帝みたいに勲章の授与は無理だと思うが、口止めの代わりのギャラは相当出してくれるみたいだから良いアルバイトになったな」
☆
(また、あのやりとりの繰り返しかぁ)
シンは数日前と同じバールで、モニカと待ち合わせをしていた。
テロに巻き込まれ記憶障害で入院していた彼女とは、今日この場所で会うのが初めてという『設定』である。
研修期間中に独断で行った『非常事態に対する迅速な対応』は高い評価を受けたので、シンはご褒美を含めて研修を早期終了することが出来た。
座学については既知の内容が多く退屈していたシンとしても、拘束時間が大幅に減ったのは願ったり叶ったりである。
ちなみに今日バールで待ち合わせをする時間が捻出できたのは、飛行訓練以外が自由時間になったからに他ならない。
シンの事を覚えていてくれたカメリエーラが常連客と同じ笑顔で迎えてくれるが、先日の記憶を消されてしまっているモニカは怪訝な表情である。
「君はイタリアに研修に来てるって聞いてるけど、バールでナンパでもしてるの?」
「いいえ、この店は以前に利用したことがあるので。
注文はカプチーノで良かったですか?」
「ええ……なんか私も、此処に来た事があるような気がするのよね」
「それは既視感って奴じゃないですか。
それで僕が出演するMVの件なんですけど」
「えっ、私は出演してもらうための交渉で態々来たのだけれど?」
「いえ、出演についてはモニカさんと約束しましたので((たとえ貴方が覚えていないにしても))大丈夫ですよ。
ただし内容については、これからご相談させて貰いますけど」
☆
隊員の志気に大きく影響するので、滞在中は昼食当番を続けてほしいとの要望をシンが無碍に断るのは難しい。
時間が取れるようになったのでシンは厨房に居る時間が自然と長くなり、品数が大幅に増えた昼食はいつの間にかアリゾナと同じようにビュッフェ形式になっている。
ユウが手伝ってくれた日には握り寿司すら並んでいるので、昼時の食堂に並んでいるメニューは今や和洋折衷の混沌状態になっている。
さすがに出入り禁止であるイタリア軍の男性隊員の姿は見えないが、イタリア軍の女性隊員や女性事務官も大勢食堂に来ている。
これらは基地内のカーメリ隊員達の幅広い交友関係が、しっかりと反映されている結果なのであろう。
「シンは、お客さんのニーズを捉えるのが上手ね。
料理も均等に無くなっているし、この様子だと今日も仕込んだ料理はまったく残らないわよね」
昼時の厨房にコック服姿で入ってきたアイは、テーブルの盛況な様子を厨房の中から眺めている。
「それは、アラスカのチーフコックさんからコツを教えて貰ったんですよ。
食べている様子を観察すれば、その食堂のニーズが見えてくるって」
「さすが毎日、ハーレムの食卓を切り盛りしてるだけはあるわね」
「寮の女の子達は、食事の嗜好や食べられる量はすべて把握してますから今更観察はしませんよ。
気になるのは、未知のニホン料理に接したときの反応くらいですかね」
「シンはもしかしたら、前線の部隊より兵站をマネージメントする分野に適性があるのかも知れないわね」
「えっ、そうですか?」
「ノーナからも念を押されているのだけれど、シン君はこの惑星の運命に大きく関わってくる存在だから、しっかりと教育するように言われてるのよ」
「僕は正義の味方や救世主になるつもりはありませんし、そんなヒーロー属性は無いと思いますけど」
「そう、それで良いのよ。
メトセラは自分自身の日常を守るために頑張るものだから、大義名分は必要無いもの。
……ああ言い忘れてたけど、明日は最終日だから昼食の準備はしなくて良いわよ。
朝のラストフライトが終わったら、昼はポピーナに行って手伝いをしてくれる?」
「ああ、あの有名なピッザのお店ですよね。
でも平日は営業していないって、聞いてますけど?」
「ここで仕官研修を受けた隊員は、あそこでピッザ作りを教わるのが伝統になっているのよ。
シンは今更教わることはないでしょうけど、何事も経験だから」
「Yes、General!」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「シン君、研修お疲れ様!
美味しい昼食を毎日作ってくれて、ありがとう!」
シンが手伝いのつもりで足を踏み入れたポピーナの店舗では、レアの音頭でシンの送別会を兼ねたパーティーが始まっていた。
普段はパーティションで仕切られて使わていないパーティ用の部屋には、基地に所属する義勇軍の隊員が勢揃いしている。
「シン、こっちへいらっしゃい」
エイミーを横に従えたアイは、シンの戦闘服の襟章を交換しながら耳元に囁く。
「少尉、2週間お疲れさま。
次の機会はアリゾナで、民間人として会いましょう」
アイは小さくウインクをしてシンから離れていくが、今度はエイミーがシンの腰に手を回してしっかりと抱き付いてくる。
「ふふふっ、やっと返却してもらいました!
しばらくは離しませんよ」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
パーティーはアイが作った料理が並ぶ本格的なもので、シンは普段は食べる事が無い米帝スタイルの伝統料理に舌鼓を打っている。
エイミーはアイに料理の解説を受けながら、様々な料理を頬張ってご機嫌である。
「エイミーは、アイさんのお気に入りになったみたいね。
彼女はキャスパーと違って料理や格闘技にも興味があるから、相性も良いんでしょう」
「なんか短い時間で、距離が近くなった感じがしますね」
「それにしても、シン君の飛行訓練は張り合いがなかったわ
難しい課題も簡単に消化するし」
「そうですか?
僕は毎日リサさんと一緒で、この2週間とっても楽しかったですけどね」
「ふふふ、貴方の母さんもりっぱなタラシに成長した君を見て感慨深いでしょうね」
パーティが始まって暫くしてから、Gスーツ姿のユウが顔を見せる。
普段は体重の増減が殆ど無い彼女だが、顎のラインがシャープに見えるのは連日のハードなフライトで体重が戻っていないのだろう。
「シン君申し訳ないけど、帰ったらTokyoオフィスに暫く滞在してくれないかな?
私はパイロット不足で当分離脱できそうもないし、なんとかレイさんがこっちに来るまでに問題を整理しないといけないから」
「レイさんまで此処に来るっていうことは、かなり大変な状況なんですね。
今は手伝ってくれるエイミーも居ますし、大丈夫だと思いますけど」
「フウさんと、アンがオーバーワークになってるからちょっと心配でね。
ゴメンね、何かと忙しい時期なのに。
今の進行具合だと、ジャンプで頻繁に戻って手伝い出来る状況じゃないから」
「???」
「テスト中の機体の、ローカライズしたアビオニクスの出来栄えが散々でね。
墜落寸前のフライトが何度も続いて、もう大変なんだよ」
「ああ、ユウさんならいざという時には、ジャンプで脱出できますもんね」
「ただし新規導入する機体をロストしたら、今後の計画は大幅に遅れるだろうからね。
今Tokyoではレイさんがバグ対策に躍起になってるけど、まさか米帝で実戦配備されてる機体にこんなに苦労するなんて予想外だよ。
サラさんがパイロットの交代要員で来てくれるまでに、テストが軌道に乗れば良いんだけど」
「Tokyoオフィスの方は、任されましたので安心して下さい。
ああ、あとサラさんに宜しく伝えて下さいね!」
☆
ジャンプで2往復し、シンはエイミーとシリウスを寮まで運び終えた。
荷物がなければ往復を繰り返す手間は省けそうな気がするが、歓迎会で余った料理をお土産にしたのが案外と嵩張ったのである。
フウに帰還報告するためにシンがTokyoオフィスに現れると、リビングに居たマイラがまっしぐらにやってきてシンに抱き付く。
その様子は先程のエイミーとそっくりだが、彼女と大きく違うのはマイラが鼻をすんすんさせて恍惚の表情をしている点であろう。
「シン、やっと帰ってきたか!
ユウから伝言があったと思うが、暫くこっちを手伝って貰えるか?」
「了解です。
こっちも忙しかったみたいですね」
「いや、大きな事件とかは無かったんだが。
最近はユウに依存していた部分が多かったのを、今更ながら思い知らされてるよ」
「シン、おかえり!
姐さんがユウのニホン食を食べれないって、最近機嫌が悪くてさ。
シンが戻れば一安心かな」
「ねぇルー、もしかしてマイラはレイさんにもこうして抱き付いてるの?」
満面の笑みで見上げてくるマイラの頭を撫でながら、シンはルーに尋ねる。
「いや、それは無いなぁ。
そういえばここまで懐いている男性は、シンだけだよね」
「ねぇ、マイラ?」
「あい!」
「どうして僕にくっつくの?」
「シンは良いにおいがする!ねーちゃんも同じこといってた!」
「……なるほど。いつの間にかニホン語が上達したね。
フウさん、トーコとハナの様子はどうですか?」
シンはソファに腰かけて、離れたがらないマイラを膝の上に乗せる。
彼女はここが定位置だとばかり、シンの膝の上でしっかりと寛いでいるようだ。
「二人はイタリア絡みでレイの作業を手伝ってるから、かなり悲惨な状態だな。
トーコは放っておくと体調が心配だからチェックしてるが、ハナもかなり体重が落ちてるみたいだし」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「シン、お疲れさま」
夕食の支度を済ませたシンがリビングで休憩していると、アンが顔を見せる。
彼女はTokyoオフィスの雑務だけでは無く、ニホンのポピーナの運営や、ワコー技研のインターンシップもあるので非常に忙しい。
「いや、それは僕の台詞だよ。
トーコやハナの面倒を、忙しい中いつも見てくれて感謝してるよ」
「あの二人は生活の時間帯が夜にずれてるから、ちょっと大変ですわね。
それで……ちょっとお話があるんですけど、今宜しいかしら?」
「うん、大丈夫だよ。
あれっ、ピートが……珍しいね」
普段は寄って来ないピートが、いつの間にかシンの膝の上に乗っている。
シンの右手に頭をこすりつけて、マッサージするように自分から催促をしているようだ。
「彼女もユウさんと会えなくて、寂しいんですわ。
……今回もテロに対処して、活躍したと伺いましたけど?」
「ん、活躍というか、手の届く範囲で出来ることをやっただけだよ。
僕は●ーパーマンじゃないから、万能じゃないしね」
ピートの首筋や顔面を優しい手つきでマッサージすると、彼女は喉をならして催促を続ける。
気分屋だとユウから聞いているので、シンはピートの機嫌を見ながら慎重にマッサージを続けている。
「でもテロに対処できる能力があるなんて、羨ましいですわ。
私の能力は限られているし、本当に力が無くて」
「それは違うんじゃないかな?
ユウさんが良く言ってるよ。アンちゃんをいつでも頼りにしてるって」
「……」
「ワシントンでも適材適所でユウさんを呼んだだけで、近接戦闘の必要があればアンに真っ先に声を掛けたと思うよ。
ホワイトハウスみたいな狭い場所で、侵入者に対処するならアンのブレードが最適だからね。
それに後顧の憂いが無しに僕が研修に行けるのも、アンが居てくれるからだよ」
「ふん、やっと少尉になったばかりなのに、先任の私にずいぶんと生意気な口を効きますのね!」
少し元気を取り戻したのか、お嬢様言葉に混ぜ込んだ皮肉をアンが笑顔で返してくる。
「はっ中尉殿、いつもご助力感謝しております。
……あっそうだ、パネトーネを買って来たから一緒に味見しない?」
シンはピートを膝にのせたまま、緩い様子で敬礼を返す。
その締まらない様子を見ながら、アンはいつもの笑顔を浮かべたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




