002.Rescue You
翌日の昼食時。
「昨日のカツメシ?っていうメニュー、とっても美味しかった!
それにシンが炊いたご飯って、前にカレーソースを取り寄せて試食した時とぜんぜん違う味なんだよね。
あれっ……このスパイシーな匂いって、もしかして?」
副司令の肩書きを濫用して食堂にいち早く顔を出していたレアが、馴染みのあるカレーソースの匂いに気が付く。
ちなみに炊き上がったご飯の味が違うのは、シンの助言でゾーイが最近手配した軟水器とIH炊飯ジャーのお陰である。
「ええ、カレーです。出張中のユウさんが協力してくれたんで、なんとか提供できるようになったんですよ。ただし仕込みに時間が必要なんで、毎日出すのは難しいですけどね」
シンは超大盛りにしたカツカレーを、レアの前に配膳する。
「うわっ、久しぶりに食べるとやっぱり美味しいや!
なんかハワイでご馳走になった時より、こっちのソースの方が味に深みがある感じがするね」
「これは本格的なフォン・ド・ボーを使ってるんで、いつものカレーソースよりも上等な味に仕上がってると思いますよ。知り合いのヴェテラン料理人に教わった、隠し味も追加で使ってますしね」
シンと一緒に厨房に入っていたユウが、横からレアに種明かしをする。
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前評判が高かったニホン式カツカレーが突然厨房で提供されたので、食堂は前日以上の盛況になっている。追加の炊飯器も調達しカレーソースやトッピングも大量に用意したのだが、おかわりを繰り返す隊員達によって用意されたカレーソースが凄い勢いで無くなっていく。
カレーソースの評価が予想以上に高いのか、2杯目には豚カツをトッピングせずに大盛りカレーを注文している隊員が多いのは予想外なのであるが。
食堂にエイミーと親子のように連れ立って入ってきたアイは、食堂に漂っている強いカレーの香りと盛況になっているテーブルの様子に顔を顰めている。
厨房の中からテーブルの様子をさりげなく観察していたシンは、入ってきたアイが表情を変えたのに目敏く気が付いていた。
「アイさん、このカツカレーいつものユウさんのカレーソースより、美味しいですね」
カツカレーを口にしたエイミーは、いつもの犬塚食品製カレーソースの味との違いを直ぐに認識したようだ。
「うん。私が用意してあった冷凍フォン・ド・ボーを使って、此処の厨房で作ったみたいだね」
具材の大きさやご飯の炊き具合をチェックしていたアイは、スプーンで掬ったカレールーを頬張りながら言う。
普段は邪道であると公言していたユウ謹製のカレーソースだが、アイは味見だけでは無くエイミーと一緒にカツカレーをしっかりと味わっている。
このカレーは香辛料の調合から此処の厨房で作られているので、犬塚食品で委託生産されたものとは違って彼女の許容範囲に収まっているのだろう。
ちなみに厨房では仕込んでいたカレーソースの在庫が無くなってしまったので、カツカレーの提供を早々に終了していた。
シンは遅い時間に食堂に入って来た隊員のために、前日に仕込んだハヤシ風デミグラスソースを使って豚カツバージョンのカツメシを出す事にしたようだ。
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綺麗に空になった食器を返却しながら、アイは厨房の中に向けて一言発する。
「ユウ、やってくれたわね!」
「Yes、General!
何か問題でもありましたでしょうか?」
ユウは皮肉を込めて、アイの母親としての問いかけに敬礼で応える。
彼女自身としては、定期配送便のカレーソースの入荷を止められた事に意趣返しをしたかったのであろう。
ちなみにエイミーは事情が分からないので、アイの横でキョトンとした表情をしている。
「今度はコリアンダーの量が少なかったわよ!
ここの隊員ならスパイスに慣れているんだから、もうちょっと微妙な配合を考えなさい!」
まるで負け惜しみのような一言だが、その顔には微笑が浮かんでいる。
「Yes、General!」
ユウは厨房の中から敬礼を返すが、その表情にはしてやったりという微妙な笑みが浮かんでいた。
「まさか厨房に用意していた課題が、こうあっさりとクリアされるとは思わなかったわ」
シンを見ながら呟くアイの一言だが、シンもエイミーと同様に事情を理解できずに首を傾げている。
「カレーソースの配送を態々止めてもらって、どうするかシンの対応を見るつもりだったのだけれど。臨機応変に対処できていたし段取りも良かったから、とりあえず合格点をあげても良いわね」
「……」
「それにしても、シンは想像以上にユウと仲良しなのね!驚いたわ」
「はい?僕もエイミーと同じく,ユウさんには姉のように色々と教わっていますけど」
「姉弟か……まぁそんな所でしょうね。
ユウにはキャスパーが居るから、まぁ仕方がないかな」
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夜半。
リビングダイニングでは、今日もリサとシンがビールを飲みながら雑談している。
付き合いが長くなりつつある二人の間にはリラックスした空気が流れているが、それはあくまでも年の離れた友人関係であり彼女がシンの母親の知古だった事実も大きいのだろう。
シンが夜食用に用意した余り物を使ったカツサンドが珍しいのか、つまみ食い目的のレアもいつの間にかリビングに顔を出している。
「リサさん、ワイリーは元気ですか?」
「ええ。最近は餌の心配が無いから太っちゃって、もう野生の面影がすっかり無くなっちゃってるわ。
アバラ骨が浮き出たカイオーテも、体重が増えると柴犬みたいな外見になっちゃうのよね。
ちなみに留守中は、貴方も知ってるドナが面倒を見てくれているわ」
「あれだけ人に慣れちゃってると、飼い犬と見間違いそうですよね」
「ところでシン君、明日はミラノで人と会うって聞いてるけど?」
此処でリサが、シンのスケジュールを確認する。
「ええ。あんまり気が進みませんけど、レイさんがセッティングしたので断れなくて」
「あれっ、せっかくミラノ市街まで行くなら私が案内したのに!」
シンの作った食事ですっかりと餌付けされてしまったレアは、カツサンドを片手にビールを煽っている。
彼女とも休暇のハワイで会って以来の関係で、シンの作る料理を殊の外気に入っているのである。
「なんかイタリア国内でも不穏な動きがあるから、ミラノ市内でも注意は怠らないでね」
「はい?……もしかしてテロが発生する可能性があるんですか?」
「うん。なんか内務省で大きな動きがあって、この基地も重点警備対象になっているみたいだし。
人が多い都市部や観光地に行く場合も要注意だわね」
「???」
「昔アンが、ミラノで爆弾テロに遭ったって話は聞いてる?」
「いいえ、初めて聞きましたけど」
「彼女はヴィルトスを発動させて無傷だったんだけど、一緒に居た友人が犠牲になってね」
「あの一件でアンはすっかり変わったなぁ……あんまり義勇軍には興味が無かったのに、教練に熱心に参加するようになってさ」
当時既にカーメリに在籍していたというレアが、打って変わって真剣な表情で呟く。
「テロリストの駆逐は我々の担当外だけど、身近で起こると無視できないし。
機密保持も大切なんで、普通の市街地だと対処が難しいのよね……」
リサも過去に経験があるのか、心の葛藤を感じさせる複雑な表情で呟いたのであった。
☆
翌日、ミラノ市街。
待ち合わせのバールで、シンはMVの担当プロデューサーと面会していた。
改めてモニカと自己紹介した彼女はイタリア語が苦手なようなので、シンは会話を米帝語に切り替えている。
「カーメリ空軍基地で研修って聞いてたのだけれど、あなたまだ学生さんよね?」
正午過ぎにも関わらずカメリエーラにカプチーノを注文して怪訝な顔をされた彼女は、お上りさんの米帝の観光客だと思われているのだろう。
シンは流暢なイタリア語でルンゴを注文するが、今度は濃いカッフェすら飲めない情けない奴という表情をされてしまう。
「はい。ニホンのインターナショナルスクールに通ってます」
シンはブラウンシュガーを沢山カップに入れているモニカを見ながら、ブラックのままルンゴに口を付ける。
単純にお湯で割ったのでは無くドリップの時点で湯量を調整しているようなので、予想外に美味しい味である。
「その学生が、何でイタリアの空軍基地で研修を受けてるの?」
「ええっと、士官教育を受けないと少尉に任官できませんから。
僕の母国はスイスみたいに国民皆兵なんで、軍事教練を受けるのはごく当たり前の事なんですよ」
プロメテウスの内情を詳しく説明せずに、シンは事実のみを簡潔に説明する。
「まぁあなた個人の事情は置いておいても、顔出しNGってどういう事なの?
リリース予定のCDの評判がとっても良いのに、顔を出せなかったらプロモーションにならないじゃない?」
「僕は軍隊にも所属して作戦にも参加してますから、顔が広く知られると不味いんですよ。
今後活動に制限が出ちゃいますから」
「そんな軍隊の雀の涙の稼ぎのために、ミュージシャンとしてのキャリアを棒に振って良いの?」
「僕の稼ぎはある大国からの業務依頼が多いんで、多分貴方の年収の数10倍以上は稼いでいると思いますけどね。それに音楽をやっているのは趣味なんで、これで将来生きていくつもりは微塵も無いんですよ」
「数10倍なんて大袈裟な!
何、貴方って世界を救う仕事でもしてるって言うの?」
プライドを傷つけられたのか、モニカは強い口調で反論してくる。
「はい。
僕の軍務というのは、簡単に言うとそういう類ですね」
「……貴方って、本当に政府機関の人間なの?
ふぅっ、じゃぁ顔出ししないにしても、出演するのは大丈夫なのよね?」
「ですから契約書にも、プロモーションには協力しない旨の一文を加えて貰ったんですよ。
顔にモザイクが入ったMVは、誰も見たくないと思いますけどね」
「ねえっ、あなた実は年齢を誤魔化してない?」
『シン、緊急事態です』
前触れ無しにシンの胸元から聞こえた音声に、会話中だったモニカの表情が怪訝なものになる。
「何、今の声?」
シンはカメリエーラを呼んで急いで会計を済ませると、席から立ち上がる。
破格のチップのお陰で、彼女は満面の笑みを浮かべている。
「行きましょう」
「何、まだ話が途中な……」
「領事館まで送りますよ。
ここで急いで動かないと、巻き込まれるかも知れない」
渋々とオープンテラスから出ようとしているモニカを急かしながら、シンは周囲を注意深く警戒している。
「シン、街頭カメラで武装集団を多数確認してます」
「うわっ、これは送って行く余裕はなさそうかな。
モニカさん、MVには出演しますから、これから見るものは他言無用でお願いしますね」
「えっ、どういう事なの?」
「とりあえず約束して下さい。
人命が掛かっているんで」
「わかった、これから起こることは他言しません。
これで良い?」
「SID、コミュニケーターの内蔵バッファで録画可能な時間は何分かな?」
「10分前後ですね」
「SID、一番人数が多いターゲットに誘導してくれる?
モニカさん、ちょっと失礼しますね」
「えっ、何!うわぁぁぁぁ……」
いきなり横抱きにされた上に、体が空中に急上昇している感覚で彼女は大声を出している。
だがその声が周囲に届く前に、二人の姿は路上から忽然と消えていたのであった。
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数時間後のカーメリ基地、義勇軍の宿舎。
シンがテロリストを一網打尽にしている映像を見ながら、リビングでは緊急ミーティングが行われている。
流れている映像はシンの胸元のコミュニケーターで撮影されたものなので、まるでファーストパーソン・シューティングゲーム(FPS)のように見えてしまう。
ちなみにアイとゾーイは後始末について政府関係者と協議をしているようで、この場には居ない。
「亜空間飛行を使ったから、目撃者は居ないんでしょう?
それにしても特殊技能の使い方が見事だわね」
AK-47を取り落とし、バタバタと倒れこんで行くテロリスト達の映像を見ながらリサが発言する。
SIDの悪ふざけの画像処理で、FPSに見立てた画面の右側には無力化したテロリストの人数が数字として表示されているがその数はすでに2桁に達している。
シンは武装した相手だけを的確に選別し、一瞬にして銃器の機関部を破壊し相手の両手両足を骨折させているのだが、映像ではそこまでの詳細は分からないだろう。
現実的には首をキュッとねじ切った方が、楽で簡単な対処方法なのであるが。
「ええ。地上にいても僕の姿は認識できないと思います。
ただし避難させるのが間に合わなかったので、横抱きにしていた女性には一部始終を見られちゃってますけどね」
シンは事態を収拾するために、モニカを横抱きにしたままでテロリストを掃討したので彼女は全てを見ている筈である。
事前に口約束をしていたにしても、彼女が沈黙を守ってくれる保証は無い。
「ああ、待ち合わせしていた相手の女性でしょ?疲労でぐったりして、口も効けないみたいだけど」
彼女は歩哨が付いた別室に軟禁されているので、当然このリビングには居ない。
「アンジーは数時間一緒にジャンプしていても、ケロリとした表情でしたけどね」
「そりゃぁ、彼女は元軍人で鍛えてるし、一般人とは基礎体力がぜんぜん違うでしょう」
「ねぇ、ニューラライザーを使って、記憶を消しちゃえば良いんじゃない?」
レアがいつものお気楽な口調で提案する。
「ええ。その後に基地の保安要員に、領事館に送って行って貰えば大丈夫でしょう。
テロに遭遇してトラウマで記憶が混濁するなんてケースは、良くある話だから」
「完璧に消すには、きょう一日分の記憶を消さないと駄目ですよね……はぁ、またミーティングのやり直しかぁ」
シンは押しが強い彼女とのやり取りを思い出して、憂鬱な表情を浮かべたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




