006.Solid Ground
Congohトーキョー支社が併設されているプロメテウス大使館は、それほど大きな建物では無い。
しかし頑強で高い塀に囲まれた大使館の敷地は、建物の規模からすると不釣り合いなほどに広い。
更にセキュリティ上の理由から遮蔽物になる樹木は一切植えられていないので、まるでサッカー場の中央に小さなクラブハウスがぽつんと建っているような光景である。
なぜ地価が高いトーキョーで、このような贅沢な土地の使い方をしているのだろうか?
実は何も無いはずの敷地の下には巨大と言ってもいい建造物が隠されていて、大使館の建物は主に地下施設への入り口として機能している。
この地下施設は最近作られたものでは無く、遥か昔の大戦中に皇国防空本部として利用する為に作られた大規模シェルターなのである。
Congohが独自技術で改修した施設は、カモフラージュされた大型エレベーターを通して様々な用途に使われているが、そんな地下スペースの最下層にシンは早朝トレーニングに訪れていた。
火器を使った定例で行われる訓練なので、エイミーは安全面の配慮から同行していない。
高層ビルの地下駐車場のような最下層の空間はサッカーのフィールドに近い面積があるが、壁際には建築資材が積み上げられていて雑然としている。
空気の流れが無く淀んだ感じがするのは、最下層なので空気の循環が悪いからであろう。
フル防弾装備に防弾ヘルメットと、シンが身に着けた戦闘服はまるでテレビに出てくる戦隊ヒーローのような格好だ。
関節部分にも緩衝バッファーが入った大袈裟な外見だが、これは見栄えでは無くシン自身の体を保護するために必要な装備なのである。
また腰のホルスターや弾帯は空で、シンは武器を使用した反撃が出来ないようになっている。
同じフル装備だがより軽量の積層ケプラー製プロテクターを身に着けたフウが、屈伸運動をしながらシンに声を掛ける。
フウの方はシンと違って肩にはサプレッサー付きの短機関銃MP5をぶら下げ、弾帯には複数の予備マガジンがしっかりと用意されている。
「Are you Ready?」
シンが無言で頷くと、エアホーンの警告音と共に入り口の金庫室のような堅牢なドアがロックされ、演習中の赤ランプが点る。
エアホーンが鳴った瞬間、フウはMP5を腰だめでシンが立っていた方向へポイントするが、シンの姿は既にそこには無い。
フウは高い位置にMP5をポイントし直し、右目でダットサイトを通して周囲を見ながらシンの気配を探している。
かすかな音が天井から聞こえた瞬間、フウはMP5のトリガーを柔らかいタッチで引き絞る。
セレクターは『フル』のままだが、絶妙なコントロールで発射されたのは2~3発のみだ。
フウの滑らかな動作は前身の力が程良く抜けた自然なもので、一目で銃器の扱いに習熟しているのが分かる。
サプレッサー付きなので発射音はタイプライターのような軽い音が響くだけだが、燃焼したパウダーの白煙が周囲に立ち込めて視界を塞ぐ。
天井に張り付いたナイロン弾頭は防弾装備の相手には殺傷能力は無いが、ひどい青痣と殴られたような激痛が伴うトレーニング専用弾である。
発砲直後にもダウンライト照明が天井や壁を跳ね回る不思議な影を作り出しているが、高速で動いているシンの姿をはっきりと肉眼で捉えるのは困難だ。
シンがこのトレーニングを終わらせるにはフウの体をタップする必要があるが、ボディコンタクトする近接格闘戦はその終了条件に含まれない。
ほぼ毎週行われているこの訓練では、ナイロン弾でダメージを受けたシンが格闘戦でダウンして終わるのがいつものパターンだが、その終了までの所要時間は徐所に長くなっている。
カシャカシャ!
二度目の連射がターゲットを外した瞬間、トリガーの位置が前方にトリップしているのにフウは気がついた。
ロッキングボルトは所定の位置でクローズしているが、トリガーメカニズムの何処かが故障して発射不能の状態だ。
(!!)
未だマガジン交換をしていないので予備マガジンを含めた残弾は豊富にあるのだが、フウは迷わずにMP5のスリングを肩から外し地面にそっと置く。
予定より早くなった近接格闘に備える為に近くの柱を背にして神経を集中するが、もちろんMP5が故障した状況をシンにわざわざ知らせたりはしない。
すると前方の柱の陰から、姿がブレて見えそうな速度でシンが飛び出して来た。
獲物を捉えた猛禽類のような速度で一気に間合いを詰めたシンが、防御姿勢のフウのガードに拳を打ち当てる。
タングステンの金属片が取り付けられた超重量級のコンバット・グローブが、フウのプロテクターに強烈なインパクトを与える。
プロテクターの積層ケプラーが、衝撃を吸収しきれずにバラバラになりそうだ。
身を捻ってかろうじて衝撃を受け流したフウは、パンチを放ったシンの手首を極めたままその体を柱に向かって投げ飛ばす。
背負い投げのタイミングだが、その強引さは並みの人間の筋力では不可能だろう。
空中でネコのように身を捻ったシンは、柱に脚から接地すると重力を無視した動きでそのまま柱の上を駆け上がる。
そのまま天井に近い位置で強く足を踏み抜き、フウの頭上を飛び越えるように柱から空中へ大きくジャンプする。
にやりと口許を歪ませたフウは、背中のインサイド・ホルスターからサイドアームのグロックを取り出し空中のシンの背中をポイントする。
過去の訓練では一度も使った事が無いフウのサイドアームの存在を察知したシンはしまったという表情を浮かべているが、フルフェイスのバイザーでその表情は見えない。
フウは躊躇無くグロックを空中のシンめがけて連射する。
今までならこの時点で訓練はストップだが、ナイロンの弾頭はシンにヒットする事無く全弾が天井に貼りついた。
シンが空中でジャンプした軌跡を強引にキャンセルし、落ちるようにいきなり着地したからだ。
普通の人間、いやどんな運動能力を持った人間でもこのような自然法則を無視した動きは出来ない。
これは重力を制御する特殊能力を持った者だけに、可能になる動作である。
重力を無視した自由自在な動き。
そう、シンの持っているアノマリアであるグラヴィタスは、重力に干渉しコントロールする能力だ。
シンが自らの身体に干渉することで自然法則を無視した運動能力を発揮する事が出来るが、頑丈なメトセラの身体であっても過剰な運動エネルギーを吸収することは不可能だ。
そのために関節や体の各所にショックを吸収する機能が内蔵されている取り回しの悪い戦闘服を、シンは着用しているのである。
フウは着地したシンに向けてチャンバーに残った一発を至近距離からヘッドショットするが、予想していたシンのタングステンの付いた肘当てによって簡単に防御される。
フウはシンから目線を切らずに、全弾を撃ちつくしたグロックからマガジンをリリースする。
左手は同時に弾帯のマガジンを掴み、僅かにグロックを傾けた最小の動きでマガジンを叩き込む。
ベテランのIPSCシューターにも引けを取らないスムースな動きだが、ホールドオープンしないように改造されているフウのグロックにはまだチャンバーに弾が入っていない。
フウがスライドに指を掛けた瞬間に視野から一瞬消えたシンが、フウの背後に回り込んで肩を右手でタップした。
終了のエア・ホーンが地下の広いフロアに鳴り響き、ここで漸く演習が終了したのであった。
☆
ごつい戦闘服を装備室の乾燥ラックに収納したシンは、ベンチに座り込みフウに上腕を治療してもらっていた。
プロテクターに付けられたタングステン合金は非常に硬いので傷ひとつ付かないが、至近距離からの着弾の衝撃はプロテクター内部の生身の身体にしっかりとダメージを与えるのである。
シンと同じくプロテクターを脱いだフウは、下半身のショーツと首に掛けたバスタオルだけの姿である。
豊かな胸の谷間や腹筋が隆起した細いウエストは勿論だが、滲んだ汗でショーツが透けて見えるので目のやり場に困る光景である。
半裸状態のフウなどシンにとっては日常で見慣れた光景ではあるが、汗の匂いにまじって漂う成熟した女性の甘い香りにはいつまで経っても慣れることが出来ない。
「大分実戦にも耐えられるようになってきたな」
厚手のビニール袋に入れられた氷を、大判のタオルを使ってシンの上腕に固定し終えるとフウは言った。
「ええ、パピさんに教わって以前よりは細かい制御もできるようになったと思います」
ここで言う細かい制御とは、フウのMP5の機関部に干渉し発射不能にした重力制御の事を指している。
銃器の部品に干渉するには、その構造を細部まで熟知していないと難しいのである。
「プロメテウス義勇軍の基準には満たないが、何とか二流どころのボディガード位の技能はあるかな」
「これだけ訓練しても二流ですか?」
「リミッターが掛かった状態の戦闘能力は文句無いが、市街地でポンポン頭蓋骨が破裂した死体をこしらえる訳にはいかんだろ?
出来るだけ目立たないように相手を無力化できるのが一流と呼べる条件だからな。
同盟国以外のエージェントや外敵は必要ならば排除しても構わないが、出来るだけ人目を意識して行動しないと」
「……判りました。出来るだけ注意するようにします」
シンは無意識に首に巻いたチョーカーを指で弄びながら、神妙な口調で応えた。
「しかしこのバッファー入りの戦闘服は、着るのも使うのも大変だな」
ハワイにある気密服用と同じロッカーを横目で見ながら、フウが呟く。
シン専用に作られたこの戦闘服は、動きの自由度は気密服よりは高いが質量は比較にならないほど重い。
「ええ、それにこれを着て出歩いたら、間違い無く戦隊ヒーロー物の撮影だと思われるでしょうね」
「シンプルな解決策はあるんだがな……」
シンに背を向けていた彼女の声は、呟く様に小さくこの場のシンには届かない。
「ところでシン、お前自身を含めて準備が出来たからもうそろそろ寮に戻れ」
向き直って首にかけたタオルで額を拭いながら、フウは言った。持ち上がったタオルで上半身のふくらみが、綺麗なピンク色の頂までしっかりと見えている。
「ところで、エイミーのお世話はどうするんでしょうか?」
微妙に目線を逸らしながら、シンは戸惑ったような口調で答える。
「もちろん戻るのは一緒だ。彼女が嫌だと言うまではな」
「フウさん、寮に職員や学生以外が住むのは問題ないんでしょうか?」
「お前の妹だという事ならば問題無いが、その辺りも含めて準備は完了しているから心配無い。
ついでにお前の部屋は家族用にアップグレードされているから、快適だぞ」
「はぁ……」
エイミーと一緒に過ごす事には何の異論も無いが、それにまつわる周囲の目に関してはシンはどうする事も出来ない。
心ならずも、思わず小さなため息をついてしまうシンなのであった。
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