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040.Castle In The Clouds

「ああ、せっかくだから楽器店に寄ってみようか。

 午後のマスタリング作業まで時間があるし」


 昼食を済ませた二人は、レイの案内で楽器店が集中している48丁目に向けて歩き出す。


「うわぁ、此処って高額な楽器ばかりですね」

 入店した楽器店のフロアは、地味な店頭の様子とは違いヴィンテージや新品のギターで溢れている。

 高額な値札が付いた楽器がショーウインドでは無く無造作に壁に掛けられていて、値札をちらりと見たシンはかなり驚いている。


「いや、これが今のマトモな楽器の値段なんだろうね」


「???」


「此処にあるのは、新品でも良質な材料で職人が手作りをしている楽器だから。

 この位の値段になるのは、まぁ妥当なんじゃないかな」


「なるほど。

 でもこのヴィンテージギターの値段から考えると、レイさんの個人倉庫はとんでも無い宝の山なんですね」

 60年代の綺麗なストラトの値札を見て、シンは呟く。

 ほとんど同じモデルが、段ボールに入ったままパレットに山積みになっていたのを思い出したからである。


「ああ、あの倉庫にF●nderの製品が大量にあるのは、C●Sに買収される前に在庫を買い叩いた奴だから。

 結果的にあのパレット一枚でもかなりの財産になったけど、当時は買い付けの交渉をした時にかなり不思議な顔をされたけどね」


「あの尋常じゃない量っていうのは、もしかして冷戦の頃に……?」


「僕はいつでも軍の中枢に居たからね。

 その可能性はいつも考えていたし、自分なりにスヴァールバルに置いてある種子みたいな事を意識していたのかも。

 カナガワにある木材倉庫とは少し意味合いが違う、万が一の保険みたいなものなのかな」


「……」


「ああ、これかな……」


「これって、ハイエンドコンポーネントっていう奴ですよね?」


「うん。

 僕の好みからは大きく外れてるんだけど、マツさんが研究用に一本欲しいらしくてね。

 ニホンで買うとコネを使っても高いから、現地で調達してくれって」


「塗装の透明感が、なんか違いますね」


「うん、これはたぶんUV塗装って奴で、ラッカーのトップコートとは見た目もかなり違うよね。

 この辺りもマツさんの研究対象みたいだけどね」


 店員に一声掛けてアンプを借りたレイは、ギターをアンプにプラグインする。

 特殊なナットが付いているモデルなので知識が無いとチューニングは難しいが、レイは慣れた様子で7フレットのハーモニクスを使い調整している。

 S●ARZELのペグの動きがかなり渋いので、ほとんど試奏もされていないのだろう。


「へえっ、これは新品と思えない音がするね」

 アンプを通して聞こえるレイのシンプルな試奏に、店内に居た全員が注目する。

 ブルーズの簡単なリフやシンプルなカッティングなのだが、やはり本場のミュージシャン達は耳が肥えているのだろうか?


 レイの事を名が通ったスタジオミュージシャンだと勘違いした店員が大幅なディスカウントを提案して来たので、レイは黒いクレジットカードを取り出すと即座に会計を済ませてしまう。

 このギターはショップのオーダー品なので、販売価格の裁量の幅が大きいのだろう。


「シン君、これ申し訳ないけどカナガワのマツさんの所まで運んで貰えないかな?」

 店を出たレイは、無造作にロゴ入りのギグバックをシンに手渡す。


「はい。今日は手ぶらで来てますから、お安い御用ですよ。

 このギグバックなら背負えるし、両手も空きますから」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「それじゃぁ、僕はこの辺で失礼します。

 レイさん、後の作業はお任せして良いですか?」


 マスタリングのチェックが終了したので、シンはレイに目配せをして退出する事にする。

 同席していたエンジニア達が去り際にシンを絶賛する声を掛けてくれたので、レコード会社内部での評判は悪くないのだろう。


「うん。マツさんに宜しく!」


 巨大な高層ビルの上層階にあったスタジオから出たシンは、ロビーでギグバックに入った高価なギターをしっかりと背負い直す。

 下手に有名なロゴマークが入っていると、引ったくりのターゲットになり易いからである。


(とりあえずお土産は、手に入りやすいチーズケーキとベーグルかな。

 あとユウさんには忘れずにホットドック!)

 此処(NYC)では観光客レベルの土地勘しかないシンは、頭に入っている数少ない有名店に向かって歩き出したのであった。



                 ☆


 翌日のカナガワ某所。


「シン、メジャーレーベルから全米デビューだって?

 凄いじゃないか!」


 久しぶりに会ったマツは、シンのCDリリースの件を聞いていたようでかなり興奮気味だ。

 ちなみに今日は沢山の荷物を抱えたジャンプで訪問しているので、エイミーは同行せずシン一人である。


「いや、偶然が重なったラッキーという奴ですかね。

 それに僕はミュージシャンを生業(なりわい)にするつもりは無いので、アルバムもこれが最初で最後かも知れませんしね」


「相変わらずお前は謙虚なのか、無自覚なのか分からない奴だな。

 それで、もう収録(レコーディング)は終わってるのか?」


「ミックスダウンとマスタリングの立ち合いから、昨日帰ったばかりです。

 サンプルが出来るのはまだ先ですけど、届いたら送りますね」


「それは今から楽しみだな!

 おおっ、このベーグルかなり旨いぞ……これはどこの店のだ?」


 昼時にお邪魔したので、シンはいつものように軽食になる手土産を持参していた。

 毎度カツサンドだと流石に飽きられてしまいそうなので、今回はベーグルサンドである。


「ニューヨークの有名店のベーグルで、挟んでる具材は寮のキッチンで見繕いました」


「へえっ、ニューヨーク土産にしては水分も抜けてないし、モチモチしてるぞ。

 相変わらず調理の腕も見事だな!」

 

「恐縮です。

 それで、これが本題のレイさんから預かって来たギターです」


「おっ、わざわざ担いで来てくれたんだ。手荷物を増やして悪かったな」

 もちろんマツは、シンが飛行機に搭乗していないのを知らない。


「店頭でレイさんが弾いてるのを聞いてましたけど、これも良い音がするギターですね」


「ああ、CNCを有効に使った設計とか、独特のクオーターソーンの木取りとか、UV塗装とか色々とチェックしてみたいギターなんだよ。

 自分の作ったギターがこれに負けてるとは思えないが、同業者の仕事もチェックして勉強しないといけないからな」



 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎



 学園寮の夕食時。


 いつものボリュームがある夕食の後に、シンはカットしたお土産のチーズケーキを配膳する。

 ルーはマイラの世話で多忙なのか最近は寮に居る時間が少ないが、Tokyoオフィスにもお土産として2ホールを置いて来たのでそちらを食べているだろう。


「うわっ、これっ美味しいっ!

 ねぇどこの店で買ったの?近所にあるなら毎日通っちゃうよ!」

 このNYスタイルのケーキは、濃厚なクリームチーズの風味とグラハム(全粒粉)クラッカーで作った香ばしいボトムとのバランスが素晴らしい。


 シンは時差を利用して日帰りで帰ってきたので、このチーズケーキについては入手先の説明を省いていた。

 だが食後のデザートとして出てきたその味は、チーズケーキ好きなパピにはスルーできない位に美味だったのであろう。


「ちょっとニューヨークで買ったなんて、格好良いよね。それで今度はイタリアで研修だろ?

 世界を股に掛けて仕事が出来るなんて、羨ましいよね~」


 パピは海兵隊在籍時に様々な作戦で世界中を回っていた筈だが、最近はニホンを出ることが無いので退屈しているのだろうか。

 尤も軍事作戦で海外に行ったとしても、現地で観光出来る可能性は全く無いのであるが。

 

 会話の最中もエイミーを含めた他のメンバーは、大きくカットされたチーズケーキを夢中で食べている。


「それがですね……今回の研修は僕としてもかなり憂鬱なんですよ。

 何でもユウさんの母君が絡んできているみたいで」


「ああ、あの噂の……」

 ユウとも親しいケイは、彼女の母親について何かしら聞き及んでいるのだろう。

 ちなみに甘味があまり好きでは無い彼女も、この半生タイプのチーズケーキは口に合ったのか取り分けた分は綺麗に完食している。


「今回はまだ同行するメンバーがはっきりと決まっていませんが、とりあえず留守番を宜しくお願いします。

 ユウさんも同行する可能性があるんで、お二人の負担がかなり高くなりそうで心配なんですけどね」


「でもいざという時には、ユウやシン君はすぐに戻れるんだろう?」


「ええ、研修なんで非常事態なら直ぐに戻ってきますよ」


「シン、私の同行は簡単にOKが出たみたいですよ」

 エイミーは残ったホールケーキにカットを入れて、追加を皿に載せながら発言する。

 お代わりをしたエイミーを見て、パピも残りを確保するためにテーブルから立ち上がった。


「ああ、それは良かった!これで心配事が一つ減ったよ」


「なんでも今回の研修の責任者の方が、二つ返事で了承されたみたいで」

 口に含んだ濃厚なチーズケーキの味に、会話をしながらもエイミーは笑顔である。

 残ったわずかなスライスは、食べるのが遅いハナが皿に載せてしっかりと確保している。


「……ああ、そういう事かぁ」

 シンはこの瞬間、別れ際に意味深な笑みを浮かべていたアイの事を思い出したのであった。



                 ☆


 数日後。


「シン君、F●DEXが来てるよ!出先はニューヨークだね」


 管理人室に呼び出されたシンは、小さなサイズの荷物を受け取っていた。

 中身はジャケットの印刷が終わったばかりのサンプル盤である。


「あ、すいません。関税とか請求されてませんよね?」


「ああ、サンプルだから要らなかったみたい。

 インボイスにもしっかりとサンプルって書いてあるしね」


 リビングに戻ったシンは小包を開封して、シュリンクされていないCDケースをエイミーに手渡す。


「うわっ、もうサンプル盤が出来たんですか?

 あっ、ジャケットに皆の名前もしっかりと載ってますね!」

 ジャケットの冊子を広げて、エイミーは自分の名前が載ったクレジットをさっそく確認している。


 ジャケットの表紙はシンがコミュニケーターで撮影したアラスカの風景で、自身がグラヴィタスで作った『氷の城』が鮮明に写っている。

 アラスカベースはCongoh秘匿施設なので厳重に情報統制されているのだが、このフォトには施設関連のものは映り込んでいないのでなんとか使用許可が下りたのである。

 また掲載されている他の写真はシンを真正面から捉えたものは無く、すべて顔の印象が残らないように加工されている。


 ちなみにレーベルのマーケティング担当者はシンの顔アップをジャケットにすべきだと強く主張していたのだが、この『氷の城』も自分自身の作品であるという意味不明のシンの一言に押し切られてしまったのである。


(最初で最後になるだろうから、何人かのお世話になった人にだけ送っておこうかな……)

 頭の中で、マツを先頭とする送付リストを考えているシンなのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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