039.Takin My Time
食後にキッチンをしっかりと片付けた後、シンはジョーの運転で市街地へ向かっていた。
シンはレイ本人から所縁があるクラブやバーの名前を聞き及んでいたので、それらの店をジョーの案内で訪問する為である。
もちろんシンはいつでも好きな場所をジャンプで訪問できるのだが、米帝の場合はクラブの年齢制限が煩く特殊なコネでも無いと入店するのは難しい。
ハードリカーを注文しなくても、ブルーズが演奏されている場所の立ち入りは非常にハードルが高いのである。
彼が真っ先に案内してくれたのは、かなり年期の入ったバーカウンターとステージが併設されているクラブである。
米帝では21歳未満はバーに入店出来ないが、ここは酒類販売免許を持ったレストランという位置付けらしくシンはIDを掲示する事無く入店する事が出来た。
尤も地元の有名人で常連であるジョーの案内なので、顔パスが効いた可能性もあるのだが。
「ここは沢山あるクラブの中でも、最も歴史がある場所でね。
大物ミュージシャンが昔から出演している、由緒ある店なんだ。
僕もツアーが無い時には、飛び入りで演奏することもあるよ」
ジョーはカツメシをしっかりと食べたばかりなのでソフトドリンクのみを注文したが、シンはソウルフードに対する好奇心を抑えきれずにメニューに載っていた馴染みの無い料理を複数注文する。
「ああっ、シン君それは……」
注文しているシンにジョーは制止の声を掛けようとしたのだが、恰幅の良いウエイトレスの女性に睨まれて黙ってしまう。
数分後、雑談をしている二人のテーブルに、シンがオーダーしたメニューが運ばれてくる。
「へぇっこれがチタリングスですか……うん、ずいぶんと個性的な味ですね」
ニホンでモツ料理を食べ慣れているシンであるが、小腸自体の鮮度が低く処理が甘いので臭みがかなり強い。
グリーンペッパーの辛味と玉ねぎの風味で臭みを中和する味付けなのだろうが、実際にはかなり料理に対する許容範囲が広くないと口にするのは難しい味なのである。
「ジョーさんは食べないんですか?」
「いや、ぼ、僕は、まだ満腹なんで遠慮しておくよ」
「ジョー、営業妨害は関心しないわよ!
最近髪型や服装がこざっぱりして感心してたのに、好き嫌いはまだ直らないの?
グレニスにお小言を言うように、早速連絡しなきゃ!」
「シン君、ちょっと……トイレにいってくるわ」
二人のテーブルにやって来た女性は、この店のオーナーなのだろうか。
ジョーはいつものお説教から逃げるように、トイレにそそくさと逃げ込んでしまう。
「へぇ、あなた半分位は食べてるじゃない?
物珍しさから旅行者の人が良く頼むんだけど、ほとんどの人は一口でギブアップするのにね。
……あら、あなた若い頃のレイにそっくり!
もしかしてレイの息子なの?」
「いいえ。息子ではありませんけど、甥っ子です」
「もう随分長い間レイの姿を見ていないけど、彼は健在なの?」
「ええ、今はトーキョー在住でとっても元気ですよ。
レイさんが子供の頃を、ご存じなんですか?」
「Absolutely!
小さい頃レイは、ここに入り浸ってたからね」
「へえっ、レイさんの幼馴染みたいな方だったんですね」
「レイは前のオーナーの母さんに可愛がられて、この店は顔パスだったし。
私も家族みたいに一緒に食事をしたり、勉強を良く教えて貰っていたのよ!」
「もしレイさんに伝言があるなら、伝えますけど」
「それじゃぁ、ジャスミンが宜しくって言っていたと伝えてくれる?」
「はい。確かに伝えます」
彼女がテーブルを離れると、シンは胸元にそっと呟く。
「SID、今の様子はちゃんと録画出来てるかな?」
「Absolutely!
すべて記録に残ってますよ」
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「この壁には、伝説のブルーズマンの写真が沢山並んでいてね。
でも僕は面白い事に気が付いたんだ……ほらこの人物!」
トイレから戻ってきたジョーは、苦手な女主人が居ないので安心したのか急に饒舌になっている。
「ほら、ここにも。
ねっ、これってレイに似ているだろう?」
似ているも何も少年時代の本人なのだが、シンの口からそれをジョーに伝える事は絶対に出来ないだろう。
「レイって、係累が此処に住んでたって聞いた事があるんだけど。
これってレイの親父さんか何かなのかな?君はレイから何か聞いたことが無いかな?」
「さぁ……レイさんは昔話は、全くしませんからね」
「でもレイって、昔のブルーズマンに異様に詳しいからさ。
まるで本人から直接手ほどきを受けたような、そんな演奏をしているんだよね」
「……」
シンはジョーの核心を突いた一言に、心底驚いていた。
日常生活では朴訥で大雑把な人物なのだが、音楽に関する洞察だけはしっかりと深くそして鋭いのである。
(音楽に対しては隙が無いというか、さすが超一流のミュージシャンだよね)
「シン君のボーカルも、なんか教会で歌っていたゴスペルシンガーを彷彿とさせる雰囲気があるよね。
初めてのアルバムがどんな内容になるのか、僕も今から聞くのがとっても楽しみなんだよ!」
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空港まで送って貰う道すがらシンは暫く滞在するようにジョーから懇願されたが、ガールフレンドが待っているからとなんとか開放して貰う事が出来た。
結婚後に悪い友人関係は清算したようなので、グレニスが気に入ったシンにはできるだけ長く滞在して欲しかったのだろう。
「今度ニホンに来た時には、奥さんと一緒に美味しい食べ物屋さんを案内しますから!」
「それは楽しみだね!
早速ニホンのプロモーターに連絡して、ブッキングを頼んでみるよ!」
巨大なメインエントランスでしっかりと握手をして分かれたシンだが、もちろん帰路便に搭乗する予定は無い。
ただテキサスまで来て手ぶらで帰る訳にはいかないので、複数のエリアに分散している免税店を見て回りお土産を物色する。
「まさかテンガロンハットとか、ブーツを買って帰る訳にも行かないしなぁ。
米帝は洒落た土産物が少ないんだよな……これならホワイトハウスのギフトショップの方が、遥かにまともだったよね。
仕方が無いから、あそこのダイナーに寄ってパイでも買って帰ろうかな」
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直後のテキサス州某所。
ハナの馴染みであるこのダイナーは2回目の訪問だが、年配のウエイトレスはシンの事をしっかりと覚えていてくれたようだ。
カウンターに腰かけて軽く挨拶すると、シンはコーヒーと一緒に持ち帰り用のホールケーキの注文を入れる。
シンがカウンターで濃厚なブラウニーを味わっていると、ウエイトレスでは無い女性が静かに近づいてくる。
メリハリの効いたグラマラス・ボディは完璧なバランスを保っていて、靴音すら全く聴こえない。
「シン君、『人食い虎』っていうのはレディに対して失礼じゃないのかな?」
「うわっ、……アンジーが喋っちゃったんですね」
気配を消してまるで大型の猫科の猛獣のように近寄ってきた彼女の声に、シンは過剰に反応してしまう。
流石にコーヒーを吹き出すような粗相はしないが、口に入っていたブラウニーを懸命に飲み込んでいる。
初対面の時ほどは緊張していないが、やはり彼女の持っている圧迫感は凄まじい。
シンは背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、カウンターから立ち上がってこの場から逃げ出したい衝動を必死に抑えている。
「あの子をファーストネームで呼ぶなんて、君は見掛けより手が早いのかな?」
「ええと、年上の優しい女性がタイプなのは否定しませんけど、そういう関係では無いですよ」
「でも一緒のベット……ゴホン、まぁ良いわ。
君の事は私も気に入ってるから、近いうちに体術と料理、両方鍛えて上げるから覚悟しておきなさい!」
「はい。そう仰っていただけるなんて身に余る光栄です」
「ふふふ、今の一言を忘れないようにね。
それじゃ、カーメリで会いましょう!」
「えっ、カーメリって?」
アイは微笑みを浮かべながら、シンに返答せずに無言で立ち去ったのであった。
☆
Tokyoオフィスリビングルーム。
「フウさん、これテキサス土産です」
シンはピーカンパイが入った白箱を2つ、フウに手渡す。
「あれっシン、随分と早い帰還だな。
2、3日は戻れないと思っていたのに」
「またアイさんに会っちゃいましたよ。
なんか最後に、カーメリで会いましょうなんて仰ってましたけど」
「ああ、彼女に見込まれたら、この惑星上どこに居ても逃げられないからな。
今度の長期休暇は、コンディションを整えて臨んだ方が良いだろうな!」
「でもアイさんって、今は軍属じゃないですよね?」
「おいおい、プロメテウスの人間は国民皆兵なのを忘れたのか?
予備役だとしても、彼女の階級は司令官クラスの更に上だぞ」
「……うわっ、世界最強って言われてるのは伊達じゃないんですね」
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場所は変わって学園寮。
「シン、お帰りなさい。
あれっその紙箱って、またあのダイナーに寄ったんですか?」
ユウによる格闘技のレッスンを終えたばかりのエイミーは、ソファに深く腰掛けて体を休めている。
「偶然かどうか分からないけど、またアイさんに会っちゃったよ」
「あの……シン君、なんか母さんからさっきメールが来てね。
なんか君の事を、色々と聞いて来てるんだけど」
インストラクターとして寮に来ているユウが、申し訳なさそうに呟く。
「ああ、アンジー経由で色々と伝わっちゃってるみたいなんで、ユウさんには何の非もありませんから。
カーメリでは苦労するだろうと覚悟してましたけど、僕の人生はイタリアで終わってしまうかも知れませんね」
紙箱から取り出したピーカンパイをカットしながら、シンが発した際どいジョークにエイミーが呆れたような表情を浮かべている。
「留守番をしてるつもりだったんですけど、シンが最後を迎えるならば私が同行しないわけには行きませんね」
「……そうなると、私もカーメリに行かざるを得ないかな。
まぁレイさんからヘルプも出てる事だし、同行できるようにスケジュールを調整してみようかな」
「ヘルプって、何の件ですか?」
「カーメリに新規導入している機体の件なんだけど、どうもアビオニクスのローカライズに問題があるみたい。
イタリア空軍のテスト体制もかなりいい加減なんで、米帝側も対応に苦慮してるみたいだよ」
☆
翌日。
「ミックスダウンの最終チェックは、シン君の仕事だからね。
君からOKが出ないと、マスタリングにも進めないから」
レイから要請があった翌日、シンはニューヨークの大手レコード会社のスタジオに来ていた。
年配のエンジニアが多数居るコントロールルームに入室したシンは居心地の悪さを感じていたが、予想外にもシンは室内のメンバーからとても歓迎されているようである。
そんなヴェテランの中に妙齢の女性が唯一人混じっていて、入室して以来何故かシンをじっと見ている。
その強い視線にシンは直ぐに気がついたが、彼にとってはお馴染みの出来事なので特に注意を払うことはない。
それが強い敵意を含んだものでない限り、無視する事にシンは日常的に慣れているのである。
「最初はニホンで収録した音源のミックスダウンだと聞いて嫌がるエンジニアも居たんだけど、実際に音源を聞かせたら態度が一変してね。
かなりスムースに作業が進んだんだよ」
レイがシンの耳元に、ニホン語で小さく呟く。
耳が肥えたエンジニア達もセッションファイルの演奏には感銘を受けたようで、ミックスダウンした音源を聞きながら絶賛の声を上げている。
スタジオのモニタースピーカーから流れてくる音を聞きながら、シンはアルバムのアートワークについてレイと打ち合わせをしている。
「ジャケットのフォトとかはレイさんが撮ってたもので良いと思いますけど、出来るだけ正面を向いたフォトは少なめでお願いします」
「ああ、その辺はフウさんからも言われてるからね」
「あとはクレジットだけしっかりと入れて貰えば、他に要望は無いですね」
「了解。
その方向で、デザイナーと話しを纏めておくよ。
それでミックスダウンについては、納得できたかな?」
「はい。もちろんOKです!」
シンは笑顔でレイに言葉を返したのであった。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「渋い内装で、なんか落ち着く店ですね」
二人は昼休憩で、スタジオの近くのイタリアンレストランに来ていた。
シンはニューヨークは観光以外で来た事が無いので、店はレイの選択である。
最近室内が妙に明るいニホンの飲食店に慣れてしまったので、シンは他国のレストランに入るとやたらと薄暗く感じてしまうのは仕方が無いのであろう。
「ああ、ここは家族経営の店で、かなり昔からあるみたいだよ。
飛びぬけて美味しいっていうよりも、なんか安心できる味の店なんだよね」
「レイさんとこうして二人で外食する機会は、滅多に無いですから。
あっ、このリガトーニのトマトソース美味しいなぁ!
なんか酒精の味がほんのりして、ああウォッカが入ってるんですね!」
「ニホン風に言うと2品が選べる定食なんだけどね。
この辺りって、パスタメニューは有名店でも何故か酷いのが出てくる店が多いから。
ここは当たり外れが無いから、何を頼んでも安心して食べられる良い店なんだよ」
「こっちのチキンも、マルサラソースが美味しいですね。
こういうソースは、ニホンのイタ飯屋では食べれない味だなぁ」
「シン君は僕よりも世界中を巡ってるから、料理に対する許容範囲が広いよね」
「ああっ許容範囲と言えば、この間テキサスでチタリングスを食べましたよ。
ユウさんと違って、あれが僕の食べられるギリギリの範囲ですかね」
「あれはね……今じゃ怖いもの見たさの観光客向けの料理だからね。
僕が子供の頃でも、あれを注文する人は滅多に居なかったんだよね」
「それでジャスミンさんって方が、レイさんに宜しくって言ってましたよ。
後でその時の動画を、SIDに見せて貰って下さい」
「そうか、彼女はまだ健在なんだ……懐かしいなぁ」
「そういえば、ジョーさんってあんなに品行方正な人だとは思いませんでしたよ。
昔見たミュージックビデオだと、なんか如何にもロックミュージシャンって感じのワイルドなイメージだったので」
「最初ニホンに来た時には、取り巻きも大勢居て結構凄かったんだけどね。
しっかり者の女の子と結婚したから、矯正されちゃったんだろうね」
「グレニスさんですね。
ところでレイさんは、アイさんの事は良く知っているんですか?」
「ああ、うん。
知っての通り僕の母親はかなり変わってるから、彼女が育ての親みたいなものだから。
シン君とフウさんの関係と、同じような感じだと思うよ」
「そうだったんですか……。
なんか最近目をつけられちゃったみたいで、テキサスに行く度に遭遇するんですよね」
「ユウ君はもう一人立ちしてるから、気に入ったシン君に絡んでみたいんじゃないかな。
あの人はクールな見掛けと違って、情が深いタイプだからね。
それにシン君は世界中の料理に精通しているから、その辺りもアイさんのお眼鏡に適っちゃったのかな」
「うわぁ、喜んで良いのか複雑な感じがしますね」
「まぁ気が済むまで絡んだら許してくれると思うけど、彼女もう長い間独身だからかなり危険なんだよね」
ドルチェのコーヒーアフォガートを食べながら、レイはシンを憐憫の眼差しで見ていたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




