034.The Fundamental Things
数日後のアラスカベース。
「おおっ、ひさしぶり!シミュレーターの調子はどうだい?」
シンは指令に訪問の挨拶をした後、整備ハンガーで作業中のベルを訪ねていた。
ハンガーの中には、ユウが好みそうな80’Sのハードロックが大音量で流れている。
航空機のレストアというのは、想像以上に地味でしかも繊細な作業である。
たとえばプロメテウス義勇軍の主力機体であるF-16は全世界で使われているベストセラーだが、それでも正規のルートで部材が入手できる事は殆ど無い。
金属疲労を検査し、足りない部品を世界中の闇ルートから手配し、それでも入手できない部品はコンピュータ制御の最新工作機械を使用して新造する。
この地道な作業を繰り返し、実戦に耐えうる機体が一機づつ手作りで完成されているのである。
ハンガーの中はゴミ一つ落ちていない状態にクリーンアップされ、コンピュータ制御で変形するジグに固定されたジュラルミン製の機体が、LED照明の強い光できらきらと輝いている。
コミュニティの中でさえもジークと呼ばれているベルだが、この仕事場を見れば世間一般のマニアとはレヴェルが違うのが一目で理解できるだろう。
「もしかして、あのシミュレーターってベルさんが調整してくれたんですか?」
シンはお土産として、イケブクロのスーパーを回って買い集めた大量のカップラーメンをベルに手渡す。
インスタント食品に馴染みが無いシンにとっては、どれが新製品なのかSIDが作ったリストを見ても分からずに大変な苦労をしたのであるが。
「うん。外部のコントロールユニットはレイが調整するけど、本体のハードウエアは私の担当だからね。
うわぁ、見たことが無い新製品が沢山あるよ!これは嬉しいお土産だな」
「ベルさんって、ホントにニホンのカップ麺が好きなんですね!
一瞬レイさんに担がれたかと思いましたよ」
「ここの食堂は文句なしに美味しいんだけど、夜中とかにエアシューターの注文をするのはかなり面倒なんだよ。
ニホン製のカップラーメンは、ハンガーで仕事しながら食べてたらもう手放せなくなっちゃってね。
商品情報はWEBからしか手に入らないから、味見できるサンプルがあるとJANコードも分かるしホントに助かるんだ」
「なるほど」
「それで今日は何の用事?
時間があるなら、秘密ハンガーにある戦闘機コレクションを見せてあげようか?」
「ちょっと荷物を取りに来たんですけど、レイさんの倉庫の合鍵はベルさんが持ってるんですよね?」
「おっ、あの魔窟に入るのかい?勇気があるね!」
「魔窟って……それはあまりにも大袈裟なんじゃないですか?」
「ふふふ、それは自分の目で確かめるべきじゃないかな。
これがキーね。場所はわかるかな?」
「はい。子供のころはここに住んでいたので、かなり奥の区画までわかると思います」
「それじゃ、無事に帰ってくるのを祈ってるよ!」
「……」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
数分後。
定温倉庫が並んでいる真っ暗な区画を、シンは人感センサーの照明を頼りに歩いていた。
延々と続く同じ外見の扉は、自分の現在位置を喪失してしまいそうな不思議な光景である。
漸く目的の部屋に到着したシンは開錠して両開きの分厚い鋼鉄製のドアを開けるが、そこにはもう一枚の気密ドアが存在した。
どうやら以前訪問したマツの木材倉庫と同じ空調設備が、ここでも使われているようである。
施錠されていない気密ドアを開けて入室すると、室内は空調がしっかりと効いていてカビ臭さやホコリっぽさが無いクリーンな空気が感じられる。
点在する柱には常備灯が付いているが、夜目の効くシンであっても室内の様子は殆ど分からない。
ドアの横に照明スイッチを見つけたシンは、レバースイッチを上から順番に入れていく。
明かりが付いた室内は想像より広い空間で、ちょっとした体育館ほどの広さがあるだろうか。
天井はそれほど高くは無いが、頑丈な柱を挟んで壁面が見えないほどに段ボールの山が積み重なっている。
近づいて見ると、積み重ねられた段ボールの山は木製のパレットに乗せられて周囲を荷物用のラップでしっかりと固定されている。
段ボールにはF●NDERやG●BSONのロゴマークが入っているので、これらは同一種類の楽器やアンプなのだろう。
(このパレットに乗ってるのは、全部同じギター・アンプだね。こういうのが、本当の大人買いって奴なんだろうな)
段ボール箱に入っていない楽器が並んでいる奥のエリアには、古めかしいツイードや焦げ茶色の変色した色合いのケースがびっしりと並んでいる。
ハンドルの横には中身の説明タグが付いているが、『50’S』や『60’S』という記載が殆どである。
所々には変わった外見のケースで『20’S』や『40’S』の物も並んでいるが、こららは厚みがあるので中身はアコースティックギターなのだろう。
ヴィンテージの楽器について知識が無いシンであっても、これらがとんでもない宝の山であることはすぐに理解できる。
(探し物は……かなりの台数があるって言ってたから、このパレットの山のどれかかな。
これは魔窟って言ってたのは、あながち間違いじゃないかも知れない)
シンは小一時間も行ったり来たりを繰り返し、ようやく目的のアンプの山を発見した。
再生紙の段ボールが使われ始めた頃の製品らしく、くすんだ色の段ボールには『F●NDER SUPERCHAMP』というロゴマークが印刷されている。
パレットのラップを小さく切り崩し箱一つだけを取り出したシンは、再び同じラップを使って補強し荷物が崩れないようにしておく。
他にも倉庫の中を注意深く巡回し、荷崩れが起きそうな部分は新しくラップをまき直してしっかりと補強を行う。
(今度いつ此処に来れるかわからないけど、荷崩れが起きていたら最後に入室した自分の所為になると悲しいからね)
このアラスカベースは非常に安定した地盤の中に作られているので、地震が起きることが殆ど無いのをシンは知らない。
だが文化遺産とも呼べるこのお宝の山に、敬意を持って接しているのは間違いでは無いだろう。
こうしてシンが倉庫から出るまでには、数時間を必要としたのであった。
☆
翌日カナガワの某所。
ダンボール箱に入ったままのアンプを持参して訪れたのは、もうすっかりお馴染みになっているマツの工房である。
ちなみにエイミーはユウの格闘技の訓練と予定がバッティングしたので、今日はシンに同行していない。
「デッドストックのスーパーチャンプか!
お前らしいというか、渋い選択じゃないか」
シンが昼飯用に作って持参したカルビ丼を食べながら、マツは上機嫌である。
カツサンドの豚肉も脂身のあるロースが好きな彼は、年齢にも関わらずボリュームがあるメニューがお好みの様だ。
「楽器店でR●VERAっていう小さなアンプを試奏して気に入ったんで、レイさんに相談したら何故かこれを使うように勧められたんですよ。
遥か彼方の保管倉庫まで取りに行って、大変な思いをしましたけど」
流石にシンはアラスカまで取りに行ったとは言わないが、マツも大体の事情を知っているようで納得したようにウンウンと頷いている。
「ああ、実にレイさんらしいな。
このアンプはレイさんのお気に入りでもあるから、米帝に居る間にメーカーと交渉してまとめて購入したんだろう。
ちなみにこいつは、R●VERAアンプの設計者がF●nderに在籍していた頃に設計した有名なアンプなんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「この間完成したストラトには、新品のアンプより年期の入ったこいつの方が相応しいとレイさんは思ったんだろうな」
「なるほど。
で、いきなり電源を入れないでマツさんに見てもらうように念を押されたんで、ここ来たって訳なんです」
「確かに30年以上倉庫で眠っていた電化製品だからな。いきなり真空管が爆発する事は無いと思うが」
マツは慣れた手つきでシャーシをキャビネットから取り外し、内部を点検している。
「うわっ、これってプリント基板が使われてないんですか?」
横から作業を覗いていたシンが、驚きの声を上げる。
シャーシの中に並んでいる抵抗やコンデンサーは、浮いている配線でまるでスパゲティのように半田付けされている。
「うん。ポイント配線で作られた昔ながらのアンプだから、結構作りにバラツキがあるんだよな。
特にコンデンサーは問題なさそうだから、真空管を新品に交換して電圧調整だけやっておこうか」
☆
夕方の学園寮。
「これしか荷物が無いんですか?」
意表を突いて早々に引っ越しして来たケイとパピだが、運んできた荷物はいつもの大型クルーザーに余裕で収まっていた。
「うん。私もパピも私物がほとんど無いからね。
それにここは家具も揃ってるし、クリーニングも寮生と同じシステムを使う事になったから洗濯機とかも要らないし。
火器類だけは、後から輸送隊が届けてくれる手筈になってるんだ」
地下駐車場で荷物を降ろしながら、ケイは明るい表情でシンに説明する。
どうやら生活が不便だったアサカから離れられたのが、本当に嬉しいようである。
「面倒な洗濯から解放されるだけでも、嬉しいよね!」
洗濯物を溜め込む性癖があるパピとしては、それだけでも引越しする価値があると思っているのだろう。
「荷物を部屋に入れたら食事にしますから、リビングに来てください。
歓迎会は今更ですから、今日の夜に軽くビールでも飲みましょうか」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
夜半のリビングダイニング。
顔見知りの二人を歓迎しない訳では無いが、多忙過ぎる寮のメンバーが一同に顔を揃えるのは難しい。
トーコとハナは仕事の締め切り直前で部屋に篭ったままだし、ルーはまだTokyoオフィスから帰ってこない。
エイミーはユウとの訓練疲れで早々に就寝してしまったので、結局今リビングに居るホスト側のメンバーはシン一人だけである。
おまけにパピも温泉に行ったきり帰ってこないので、シンとケイは差しでグラスを傾けながら雑談をしている。
作戦に一緒に参加したり、混浴して背中を流したりと距離はかなり縮まっていると思うが、パピに対する気安さと違って、シンはケイに対して一寸違う感情を抱いている。
膝を付き合わせた酒席でも砕けた雰囲気にならないのは、その辺りが影響しているのだろう。
「結局、自分達と同じフロアに入居することになったんですね」
シンはパイントグラスに入ったビールで喉を潤しながら、ケイに尋ねる。
彼女は温泉上がりに大判のトレーナーの上しか着ていないので、綺麗なバストラインが強調された上に無地ネイビーのショーツがちらちらと見えているかなり色っぽい恰好である。
「最初はいくら政府機関からの依頼でも、学園に無関係な人間に施設は貸せないってあのファンキーな校長先生が反対してね」
ケイが手にしているのは、ショットグラスに入ったいつもの純米大吟醸である。
「……」
シンは無言であるが、『ファンキー』というくだりには深く納得して頷いている。
「結局交渉の末、私とパピは月一回だけだけど特別講師をやる事になっちゃったよ。
だからここでの身分は、特別講師と兼任の保安要員なんだって。
キャスパーは賃貸の経費が一銭も掛からないって、大喜びしてたけどね」
「……」
「パピはああ見えて米帝の教員資格を持っていて教えられることは多いんだけど、私の場合は軍事教練が専門だからなぁ」
「……あの偉そうな事をちょっとだけ、その、言わせて貰って良いですか?」
「?」
「ケイさんは、存在そのものが自分たち学生のお手本のような気がするんですけど」
「どういうこと?」
「酒宴でですけど、ユウさんから聞いた事があるんですよ。
自分はニホンの国家公務員としては失格だった、ケイさんみたいに自分の置かれた環境で実力を発揮することが最後まで出来なかったって」
「そりゃぁ、私の場合は成り行きでこうなっちゃってるからな。
キャスパーとの大きな柵もあるし」
「でも今入国管理局に居るのは、自分の意志なんですよね?
こちら側に来れば、ギャラだって桁が違う金額が貰えるのに」
「まぁ高額なギャラに興味が無いとは言わないが、今は自分の出自より育てて貰ったこの国に恩返ししたいという思いがあるな」
「そういう強い信念を持っていて尊敬できる人をこの間任務で警護しましたけど、やっぱり言葉の重みというか深みが違うんですよ。
僕も損得勘定や命令を別にしても、思わずその人の力になりたいって自然と思いましたし」
「……」
「ケイさんは今のままで、例えば雑談をしてるだけでも立派に先生役が務まると思いますよ」
「……ふふ~ん、シン君はやっぱり口が上手いなぁ。
そうやっていつも女の子を口説いてるんじゃないか?」
「残念ながらケイさんを口説くには、経験値がかなり足りないみたいですけどね!」
シンは人前ではあまり見せない、満面の笑みでケイに反撃する。
「……冷酒の酔いも醒めちゃったから、もう一回温泉に入ろうかな!」
何故か顔を背けたまま、踵を返してケイはリビングを出ていく。
シンには見えていないが、その顔はアルコール以外の理由でなぜか真っ赤になっている。
「はい。お疲れさまでした!
それじゃぁ、また明日」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「あれっ、こんな時間に何処へ行くの?」
温泉で茹っていたパピが、濡れ髪にタオルを当てながらエレベーターから降りてきた。
湯あたり寸前だったのだろう、顔や首元がしっかりとピンク色に染まっている。
「目が冴えちゃって眠れないので、ちょっとだけギターの練習に。
アンプで音を出したいんで、地下の練習場所に行きます」
「ねぇ迷惑じゃなければ、ちょっと涼みがてらに見学させてよ」
「良いですけど、単純な練習だから面白くないかも知れませんよ」
荷物用エレベータにパピと一緒に乗り込むと、最下層の手前の階であるボタンをシンは押し込む。
シンのアンプを使った練習場所は分厚い防護壁で仕切られた、パニックルームである。
この部屋は設置されてから本来の用途では一度も使われた事が無いので、遮音性能が高く電源が必要な楽器の練習場所として使うのを管理人さんが許可してくれたのである。
防音は勿論だが長時間の篭城でも問題が起きないように空調がしっかりと効いているので、酸欠になる心配が無い使い勝手の良い練習場所なのである。
「へえっ、立派なバンドの機材が一式揃ってるじゃない!」
狭い空間に押し込められたドラムセットや巨大なベースアンプ、スタンドに並ぶキーボードを見ながらパピが感心している。
「セッションで顔見知りになった皆さんから、格安で余剰機材を分けて貰ったんですよ。
中古ですけど、どれもプロ仕様ですから良い音がしますよ」
シンは持参していたギターケースを開けると、ブルーのストラトにケーブルを差し込む。
整備して貰ったギターアンプは、当然だが昇圧トランスを使って米帝と同じ電圧で接続されている。
ボンッという音を立てて、ギターアンプの電源が入った。
ボリュームをかなり上げているので、歪が少し入った艶っぽい音色がスピーカーから流れてくる。
「おっ、T●MAのドラムラックじゃん。
あっ、リズムマシンを使う位なら、私がクリック代わりに叩いてあげるよ」
「えっ、パピさんってドラムも出来るんですか?」
「うん、ほんの真似事程度だけどね」
スティックを手に取りセットの小さな椅子に収まったパピは、ハイハットとタムタムを使ってシンプルなリズムを刻み始める。
そのテンポは正確で、ちょっとだけ出来るレヴェルでは無いのがシンには叩き出しの一瞬で分かってしまう。
(うわっ、スティーリーダンみたいな跳ねるリズム!気持ち良い!)
単純なスケールから始まったシンの練習は、快適なドラムのリズムの乗って最後はセッションのような演奏となり延々と続いたのであった。
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場所は変わってすっかりと深夜になっているリビングダイニング。
「あれで真似事なんて、大嘘を付いてましたね!」
咎めるというよりも嬉しそうな表情で、シンはパピに冷蔵ケースから取り出したセブンアップの缶を手渡す。
「いや、ホントだって。週末のパーティバンドに、おまけみたいに参加してただけだから。
ねえシン、時々あのドラムセットを使って良いかな?ドラムを叩くと、ストレス解消になるんだよね!」
プルタブを開けて冷たい炭酸飲料を呷りながら、パピはシンに笑顔で返答する。
温泉上がりに追加で汗をかいてしまったのは、彼女がストレスをしっかりと発散できた代償という事なのだろう。
濡れ髪はすっかりと乾いていたが、手に持った吸水タオルは今度は首元に流れる汗を拭うのに活躍している。
「ああ、その時はぜひ一声掛けて下さいね。僕も一緒に練習できると嬉しいですから」
「もちろん!」
ここでパピの明るい一言が、深夜のリビングに大きく響いたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




