031.Blink Of An Eye
Tokyoオフィス。
「シン、おかえりなさい!」
リビングのソファーから跳ね上がるように立ち上がったエイミーが、シンの腰にしっかりと抱き付く。
嬉々とした表情で頬をこすりつける彼女の仕草は、まるで飼い主に対して甘える猫のようにも見える。
「うん、ただいま!」
「……なんか肌に匂いが染みついているような?」
毎朝しっかりとシャワーを浴びていたシンだが、アンジーと数日同じベットで寝ていたので皮膚に愛用の香水が浸透してしまったのかも知れない。
「うん、アンジー……大統領を避難させるために、横抱きにしてジャンプを繰り返したからね 」
エイミーに下手な弁解は通用しないので、シンは『近々の事実のみ』を正直に説明する。
唇のルージュは寮にシリウスを置いてきた時にアルコールを使って念入りに拭き取っているので、エイミーには気づかれていないだろう……多分。
自分の匂いで上書きするようなエイミーのすりすり攻撃は続いているが、リビングでユウが呆れた表情でこちらを見ている。
「ユウさん、これナショナルズパークで買ってきました。
こっちの大きな袋は、有名な巨大バーガーが2つ入ってますのでマリーに渡して下さい」
エイミーのすりすり攻撃から漸く解放されたシンは、お土産をユウに手渡す。
「えっ、態々球場まで買いに行ってくれたの?」
茶色のショッピングバックを受け取りながら、ユウは漂ってくるソーセージと牛肉の強い匂いにここで漸く気が付く。
「ええ。D.C.で一番有名なチリドックは、あんまり美味しくなくて。
ワシントンで一番評判なのは、この球場のホットドックみたいですよ」
「うわぁ、嬉しいな!ありがとう!」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
徹夜続きで部屋で熟睡しているハナと、レイの授業中だったトーコは後で迎えに来ることにして、エイミーを連れたシンはジャンプで一旦寮に戻っていた。
まずは出張の為に2週間ほどさぼっていた、温泉の清掃をする必要があるからだ。
最近は朝湯に入ることが多い管理人さんが細かい部分の清掃をしてくれていたので、シンは一旦お湯を抜いて浴槽の清掃を開始する。
重力制御を使って2本の高圧洗浄ノズルを同時に駆使し、シンはあっという間に浴槽の洗浄を終えた。
圧力を最強にしたかなり危険な清掃作業なので、エイミーには自室でシリウスのブラッシングをして貰っている。
寮の管理人室。
「暫く留守にしましたけど、なんとか戻ってきました」
「D.C.では市街戦みたいになって、かなり大変だったと聞いてるよ」
「ええ、慌ただしく帰ってきたんで……これギフトショップで買ってきたお土産です」
「気を使わせちゃって悪いね。
帰ってくるなり、温泉の清掃もやってくれたんだって?」
「ええ、自分達で使うものですから。
できるだけ快適な状態で、楽しみたいですし」
「ああそうそう、なんか最近防衛隊のケイ君とかが頻繁に温泉に入りにくるよ」
「あれっ、管理人さんってケイさんと面識があるんですか?」
「うん。僕も防衛隊に居たことがあってね。
彼女を訓練で絞ってた側なんだけどね」
☆
場所は再びTokyoオフィスリビング。
ハナとトーコを迎えに来たシンは、リビングで久々に会ったレイと雑談をしていた。
授業を終えたトーコは割り当てられた部屋で休憩中。ハナは昼夜が逆転してしまったようで、まだ眠りから覚めていないようである。
「シン君、以前コブラのシミュレーターについて話をしなかった?」
「はい。シミュレーターがあるなら、ぜひ使わせて欲しいって言った覚えがありますけど」
「もうほとんどの国で退役した機種だから、シミュレーターも手に入りやすくてね。
此処の地下に設置したから、使いたければいつでもOKだよ」
「うわあ、ありがとうございます。
操縦桿の感触を忘れないうちに、予習したいと思っていたので助かります!」
「その件だが、アリゾナの演習場は今回のホワイトハウスの件が尾を引いていてな。
当分の間は使用許可が降りそうにないんだ。
だからシンには士官教育を先にやってもらう事になるな」
二人の雑談を遠目で聞いていたフウが、会話に割り込んでくる。
「?」
「具体的には今度の休暇時期に、2週間カーメリで研修を受けてもらう予定だ」
「カーメリって空軍基地ですよね?
戦闘ヘリの訓練も、一緒に出来ると嬉しいんですが」
「ああ、それは大丈夫だ。
リサが出張して教えるって、張り切ってたぞ」
「あれっ、ゾーイさんじゃないんですか?」
「今カーメリは新機種導入で混沌状態だから、ヘリパイロットとしてのお前を鍛える時間は取れないんだろう。
リコとルーの受け入れも、年明けに延期するように念を押されたからな」
「それってイタリア空軍に導入予定の、マルチロール機種ですよね?
モスボール再生が主力の義勇軍とは、全く関係が無いような気がするんですが」
「今のイタリア空軍にはろくなテストパイロットが居なくてな……うちが全面協力してるって内幕なんだよ」
「機密だらけの最新鋭機を、そんな事で大丈夫なんですか?」
「ほら、うちには実際にソフトウエア・コーディングの最終チェックを頼まれているレイが居るからな。
今更隠し事をしても、無意味だってことを上層部も理解しているんだろうな」
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入り口のインカムで声を掛けてから、シンはトーコの臨時に割り当てられた部屋にそっと入室する。
「トーコ、ただいま!」
「ああ、シン!もう帰らないのかと思いましたよ」
ベットから起き上がった彼女は、小柄な身体がさらに縮んでしまったように見える。
「ああ、こんなに頬がこけちゃって……ちゃんと食べてないでしょ?」
「そんなことはありません!多忙でお腹一杯食べる余裕が無いだけですよ」
ベットから起き上がろうとしたトーコを、シンはしっかりと横抱きにして抱えあげる。
「シン、いきなり……」
トーコは顔を真っ赤にして抗議するが、なぜか表情は嬉しそうである。
「体重を戻すまでしっかりと監視するから、観念しなよ」
「もう、お節介なんですから」
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トーコを送り届けた折り返しのTokyoオフィス。
「ハナ目が覚めた?」
「……あっ、シンおかえりなさい!」
ハナに割り当てられた部屋には、デスクの上にカラフルなチョコレートバーの包み紙が散乱している。
どうやら夜食代わりに、チョコバーを食べるのが習慣になってしまったようである。
「ああ、すっかり体重が戻ったね。
顔色も良いし、体調が良いのは何よりだよね」
「ええっ、レディにその一言は酷いですよ!
まぁ私はまだ良いんですけど、トーコがちょっと不味い状態になってるんで」
「ああ、さっき寮に連れて帰ったから。
もともと細いのに、5kgも体重が減っちゃったのは一大事だよね」
「シン、もしかして横抱きにすると正確な体重が分かっちゃうんですか?」
「うん。でもハナの場合は見ただけでわかるかな」
「シンの意地悪!」
☆
学園寮のリビングダイニング。
「これは……グラタン?マカロニチーズですか?」
いつものシンが作る大皿料理が並んでいるが、今日は見慣れない大きなグラタン皿が加わっている。
熱々の表面には綺麗な焦げ目が付いて、香ばしいチーズの匂いがしっかりと漂ってくる。
「うん。大統領のプライベートシェフに、作り方のポイントを教わってね。
米帝料理のレパートリーがちょっとだけ増えたんだ」
シンは取り分けた分をトーコの前に置くが、出来立てなので盛大に湯気が立ち昇っている。
「こんなTVディナーもどきのベタな米帝料理なんて、フーッ、フーッ……あれっ、美味しい!」
冷凍食品のマカロニチーズを幼少時から食べていたトーコにも、手作りの味は新鮮に感じるようである。
「良質なペンネを使うのと、ベシャメルソースの作り方も教えて貰ったんだ。
それに原木で貰ったパルミジャーノをチェダーチーズと一緒に使ってるからね。
香ばしい焦げたチーズと、ペンネの歯ごたえも食欲をそそるでしょう?」
「シン、クフィノナカヤケドシタ!」
「ルー、そんなに一気に頬張るからだよ。ちょっと冷ましてからにしないと」
冷水の入ったグラスをルーの前に置きながら、シンは苦笑いする。
「これは本当に食欲が出てくる味ですね!シン、これ以上私を太らすつもりですか?」
ハナは抗議の声を上げるが、スプーンを頬張るその表情は満面の笑顔である。
「ハナは、レイさんが備蓄していた夜食のチョコレートバーを食べ過ぎなきゃ、すぐに体重が戻るでしょ?
トーコはもりもり食べて、体重を戻さないとね」
「まるで母親みたいな世話の焼き方ですね」
「ああ、トーコとハナ2人とも娘を宜しくって言われてるからね」
「シン、私は?」
「ルーは放っておいても、生活力が旺盛だからね。
逆に僕がピンチの時に、助けて貰わないと」
「うん。頼りにしてて!」
スプーンを片手に持ったまま力こぶを誇示するルーのポーズに、一同から笑い声が上がる。
久々にメンバーが揃った学園寮は、今日も平和な時間が流れていたのであった。
☆
夜半、シンの私室。
「シン、当分の間はお出掛けしないですよね?」
シリウスはまだ時差ボケがあるのか、床で熟睡している。
今日は夕飯も食べていないので、明日は空腹で早くから目を覚ましそうである。
「うん。次の長期休暇はイタリアで研修だけど、それまでは特に予定は入ってないかな」
「ホワイトハウスはどうでした?」
「古い家具とか、美術品とかが置いてある部屋を見せてもらってね。
エイミーが興味ありそうな歴史の遺物みたいなのが、かなり沢山並んでたよ」
「今度見学ツアーに連れてって下さいね」
「うん。新しいIDも貰ってるし、今後は気安く訪問できると思うよ。
ああ、そうだ。これアンジーからエイミー宛に預かってたんだ」
シンは黒く光沢がある小さな置物を、エイミーに手渡す。
表面は摩耗して強い光沢があり、かなり古びた感じに見えるのはお土産用の絶妙な加工技術なのだろうか。
「シン……これは拙いんじゃないでしょうか?」
「ん、大統領から正式に頂いたものだから、特に問題ないんじゃない?
お土産用のレプリカで、ランクが高い持ち出し禁止品じゃないって言ってたよ」
「これ、イミテーションじゃなくて、エジプト時代の本物のバステト像ですよ。
博物館で展示される文化遺産レヴェルの品だと思います」
「ああそう言えば、国賓レヴェルで招待される人たちのお土産は、かなり危険なものがあるってスタッフの人たちも言ってたなぁ」
「?」
「ナショナルギャラリーのキュレーターが出張してきて格付けをするらしいんだけど、時々専門外の品物について鑑定を見誤ることがあるんだって」
「……」
「でも見方を変えれば、これってエイミーのご先祖様ゆかりの品なんだよね?」
「はい」
「これは持つべき人の所へ、戻ってきたというのが正しい見方なんじゃないかな?」
「……そうかも知れませんね」
「うん。こんど大統領に会った時には、ちゃんとお礼を言って欲しいな」
「はい。忘れないように覚えておきますね。
それにシンの肌に染みついた、香水の件も聞かないといけませんし」
「ゴホンッ……あのエイミー、ちょっと温泉の様子を見てくるよ」
「はい。それじゃぁ先に休んでいますね」
「うん。おやすみ」
そそくさと部屋を出ていくシンを見守るエイミーの表情には、隠し切れない微笑が浮かんでいたのであった。
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