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005.Need Somebody

 『彼女の場合』


 トーコが雫谷学園に入学したのは、Congohに長年勤務している研究者である母親の薦めだった。


 仕事に没頭しそれ以外の事は全く無頓着な育児放棄気味の母親と、一卵性親子と呼ばれるほど母親に似ていたトーコは当然の事ながら折り合いが悪かった。

 そのため進学せずに僅か15歳で独立するつもりだった彼女にとって、拘束時間が長く窮屈な高校生活は真っ平御免だった。


 だがある日自宅を訪ねて来た学園関係者の熱心な勧誘と、手渡された学校案内を見てその考えをあっさりと変えることになる。


 Congohが優秀な人材確保の為に運営しているこの学校は、ヒガシイケブクロの高層オフィスビル内にあって学費及び諸経費は全て免除で全寮制。

 カリキュラムは殆どが自由選択で、高卒検定に合格している生徒については必須科目を取る必要も無い。 

 また校内には24時間無料で利用できるカフェテリアが完備され、寮も学校に隣接したモダンな造りのマンションである。

 つまり入学してしまえば良質な食・住環境がタダで確保できる上に、煩わしい母親から離れる事が出来るという願ったりの環境である。


 トーコは入学直後に高卒検定に合格し、あとは特技であるプログラミング関連の選択科目のみ履修登録して悠々と高校生活を楽しむ目論見だった。

 小学生の頃から独学でプログラミングを習得し、現在ではシェア・ウエアの収入で中堅サラリーマン以上の収入を得ている彼女にとって、いくら天才養成学校といえそのカリキュラムはたいした事はないだろうと高をくくっていたのである。

 入学後に最初の授業を受けるまでは……。


                ☆


 最初の授業は校外で行うと聞かされて、トーコが向かった先は学校のすぐそばのプロメテウス大使館だった。

 大使館の建物に入っている民間会社で授業をするというイレギュラーな事態も、母親から学校のスポンサーについての内情を聞いていた彼女にとっては不自然では無い。

 プロメテウスという欧州の小さな国は世界最古の企業であるCongohの母体であり、企業国家とも言える密接な関係にあるからだ。


 正門からオフィスに入る際も、渡されていたIDカードを下げているだけでロックが自動解除され、誰にも呼び止められない。

 更に玄関から音声案内された会議室に入るまでの間、和光技研の家事ロボット以外に誰にも出会わなかったのは不思議な感じである。


 建物に入ってはじめて見かけた人間は、会議室で彼女を待っていた二十代中頃に見える男性だった。

 彼はリラックスした様子で、手許のタブレットを操作している。


「やぁ、おはよう」


「おはようございます。……他の生徒はまだ来ていないのでしょうか?」


「いや他の生徒は来ないよ。それじゃあカリキュラムの説明をしようかな」

 レイと名乗ったその男性は、怪訝な表情のトーコの目を真っ直ぐに見ながら優しい笑顔で答える。


「君が卒業するまで、プログラミング関連はすべて僕が専任の講師という事になる。

 今、Congohでは、優秀な社内プログラマーが枯渇していて人手不足が深刻なんだ。

 よって授業の内容も新しい言語の習得から、仕様作成とコーディングまで幅広く実地で学んで貰う事になる。

 中途半端なアルバイトをするより嘱託社員として全ての工程で破格のギャラが出るから、君にも大いにメリットがあると思うよ」


「授業でギャランティーですか……」


「これが君の名刺とCongoh職員のIDカードね。あとクライアント先に行く時はスーツ着用を忘れないで。

 スーツ一式は、明日の寮のクリーニング配送と一緒に届くから」


 名刺には『Congohトーキョー支部 エンジニア』と肩書きが付いている。


「…………」

 トーコは一言も言い返せずに、呆然と話しを聞いていた。

 他人の(てのひら)の上で踊らされるのが嫌いな彼女としては、ここで皮肉の一つも言ってやりたい内容である。


「私にそんな大役が務まるとは思いません。私は15才になったばかりの普通の女の子なんです」

 レイに目線を合わせないように意識しながら、反骨心を振り絞りトーコは口を開いた。


「年齢は全く関係無いし、君はそれだけのキャリアを既に積んでいる。

 それに君を強く推薦したのはSID(シド)だから、プログラミング能力についての評価は間違えようがないんだよ」

 SID(シド)という聞きなれない人物?については何の知識も無かった彼女だが、どうやら相手の方がトーコより一枚上手らしい。


「トーコさん、一緒に仕事が出来てとても光栄です」

 壁面のコミュニケーターから流れる聞き覚えがあるような?声の正体を、トーコが知るのはまだかなり先のことである。



              ☆



「ねぇ、パスタ作りすぎちゃったんだけど食べてくれないかな?」

 寮の共有スペースでトーコがその少年に声をかけられたのは、入学後それほど経っていない5月の頃だった。


 余裕で学生生活を送るつもりだったトーコだが、目論見はいきなり外れて日常は多忙を極めていた。


 新しいプログラミング言語の習得と、山のようなコーディングの課題で睡眠時間を確保するのも難しい。

 いつも通りカフェテリアから無料でテイクアウトしたサンドイッチで夕食を済ませるつもりだった彼女は、少年の事はもちろん知っていた。

 生徒数が少ない雫谷学園で更に希少な男子生徒の彼は目立っていたし、Congohトーキョー支社でも何度か顔を合わせていたからだ。

 彼が寮の共有キッチンで調理したらしいパスタの皿は、出来立てで湯気が立上っている。


「私、野菜が苦手だから……」


「冷蔵庫に上等なパンチェッタがあったから作ったんだ。豚肉以外に入ってるのは玉葱とニンニク、若干の香辛料かな」


「それなら……大丈夫かも」

 かなり捻くれた性格のトーコだが、空腹の今、出来立ての美味しそうな料理を無視する事はさすがに難しかった。


「粉チーズはこれを使って。嫌いじゃなければ沢山かけた方が美味しいよ」


「あ……ありがとう。それじゃぁ……」

 トーコはサンドイッチの包みを横に除け、おずおずとパスタを口に運んだ。

 そういえば暖かい食事をするのは久しぶりかも知れない。


「あっ……おいしい!」

 豚肉の脂身が浸透したパスタは旨みが行き渡り、にんにくとチーズの香りと相まって食欲を刺激する。


「それは良かった」

 飾り気の無い少年の笑顔に、人付き合いが苦手なトーコも自分で気がつかないままに笑顔を見せていた。


 パスタを一緒に食べながらの他愛も無い会話は、彼女にとって久々の食卓の団欒だった。

 こうして気がついた時には、シンという同級生が作る食事を寮で一緒に食べるのが彼女の習慣になっていた。

 彼女の専任講師であるレイはシンと血縁であり、多忙なトーコの食事の世話をしてくれるように彼に密かに依頼していたらしい。


  シンはエキセントリックで捻くれたトーコと辛抱強く付き合い、理不尽な暴言を吐かれても無視されても一緒に食事をするのを止めなかった。

 また彼女はどんなに怒っていても、自分の為に用意された暖かい食事をどうしても無視することが出来なかった。


 シンの持っているメニューのレパートリーはとても幅広く、トーコが食べたいものをリクエストすると嫌な顔一つせず何でも作ってくれる。

 食事というのは子供の頃からコンビニの冷たい弁当であり、良くしてファミレスの定番メニューでしかなかったトーコにとってこれは人生の大きな転機と呼べる変化であった。


 食事を作ってくれる人が身近に居て、一緒に食卓の席を囲む。

 子供なら当たり前の家族の団欒を知らないトーコにとって、シンは人生で初めて出来た近しい存在かも知れない。


 単に胃袋をつかまれただけと、言えなくもないのであるが。

お読みいただきありがとうございます。

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