029.The Garden
新年スペシャルではありませんが、若干長めです。
同日ホワイトハウス。
輸送機での緊急移送を断って自前のジャンプで到着したシンとシリウスは、指定された北西通用ゲートの前に立っていた。
移動に掛かった時間は数分なので、時差の関係で日付はまだ変わっていない。
(うわぁ、映画やドラマで見たのと一緒だ!)
政治ドラマが好きなシンは、ホワイトハウスをロケハンした作品も数多く見ているので不思議な既視感を感じていた。
そんなシンの感慨深げな様子を、横に居るシリウスは首を傾げて不思議そうに見ている。
背の高いスーツ姿の凛々しい少年と、首を傾げた愛らしい中型犬。
シンとしてはなぜ耳目を集めてしまうのか分からないのだが、いつの間にかシンとシリウスを眺めるためだけに通行人が足を止めている。
ちなみにシンはギターを爪弾いたり、子守唄を歌っているわけでもなく、ただ道に静かに立っているだけなのであるが。
ここでシンの存在に気が付いたセキュリティゲートの係員が、ようやく詰め所から出てきた。
たぶんシンの到着については、事前に詳細な申し送りがあったのだろう。
係員の案内でセキュリティゲートを簡単に通過し、シンとシリウスはウエストウイングの大統領執務室にいきなり通される。
シンは米帝の永住権は持っているが市民権を持っていない外国籍なので、セキュリティ上からもこれはかなりの特例なのであろう。
おまけにシンに渡されたIDカードは、身分こそインターンだが『大統領個人秘書』という肩書がしっかりと付いている。
「シン君、わざわざ来てくれてありがとう。
君が来てくれたらもう安心だわ」
差し出された右手は力強く、重ねあった掌の皮膚はしっかりと固い。
シンの周りでは当たり前の、実務を積み重ねている『働いている手』である。
「ご指名頂いて光栄です。大統領閣下」
「バウッ!」
「うわぁ、可愛い子ね!こっちへいらっしゃい!
シン君も遠慮せずに、掛けて頂戴」
ソファに腰かけて張りのある若々しい声を上げる彼女は、控えめに見ても20代後半が相応しい年齢だろう。
おまけにシリウスを膝の上に抱き上げた彼女の表情はモデルのように整っていて、海兵隊出身の歴戦をくぐり抜けた猛者にはとても見えない。
だがシンの鍛えられた観察眼は、薄いファンデーションでは隠し切れない額に残る銃創や、首筋や上腕に残っている複数の刃物傷をしっかりと捉えていた。
爪は綺麗にネイルされているが極端に短く、非常事態になってもしっかりと火器や刃物を扱える状態である。
おまけに履いている靴すらもヒールでは無くローファーなのは、いざという時に動けるように配慮しているのかも知れない。
「大統領、私はホワイトハウスの警備を預かる者として到底納得できません!
こんな子供に身辺警護など、できる訳がありません!」
シンとの和やかな雑談を遮るように、顔見世の為に同席していたシークレットサービスの責任者が大声を上げる。
「シン君、この礼儀知らずの警備主任はシールズ出身なのだけれど、彼を黙らせるのに何秒かかる?」
シリウスに抱き付いてモフモフしている大統領は、犬好きなのかまるで警備主任のことなど眼中に無いようである。
シリウスはされるがままの状態だが、扱いが上手なのか全く嫌がっているようには見えない。
「手段を選ばないのであれば、1秒は必要ないと思いますが」
ソファからゆらりと立ち上がったシンは、静かにジャケットを脱いで身長が頭一つ分大きい警備主任の前に立つ。
「ふん、出来るものならやってみろ!」
ボタンダウンシャツに細目のタイのシンは完璧なバランスで立っているが、巨漢の警備主任はマーシャルアーツの心得が不足しているようでシンの能力を全く推し量れていないようである。
「ここは執務室なのだから、血を流しては駄目よ。
カーペットの交換が大変だから」
「了解です」
シンはゆっくりと伸ばした右手の人差し指で、向かい会った警備主任の右胸のあたりをスイッチのように軽く押す。
「オ マ エ ハ モ ウ シ ン デ イ ル」
あまりに虚を突いた動作だったのだろう、警備主任はシンの動きに何の反応も出来ずに白目を向いてその場に崩れ落ちる。
もちろん胸を突いたのは全くのフェイクであり、シンは重力制御を使って彼の頭蓋骨を微細に振動させていたのであるが。
周囲で遠巻きにしていたスタッフから、おおっと感嘆の声が上がる。
心配の声や悲鳴が聞こえないのは、彼にあまり人徳が無いということなのだろう。
「……この方を医務室へお願いします。
症状は脳震盪と伝えてください」
「い、いまの技は何ですか?」
シークレットサービスの副官らしき人物が、インカムで担架を要請しながらシンに尋ねてくる。
シンに対して全く敵意が見えないということは、この責任者と呼ばれる人物は直属の部下にすら好かれていないのだろう。
「ホクトシンケンです」
シンは大統領に一礼すると、静かにソファに戻り着席する。
大統領はニホンのサブカルにも詳しいのかシンのジョークに大笑いしているが、他のスタッフは生真面目な顔で首を傾げている。
あとでWEBで検索して、彼らが唖然とするのは確実であろう。
「ああ、これでやっと静かになったわね。
彼は自信過剰の上に融通が利かないから、ちょうど良いお灸だったわ。
副主任、彼が戻ってくるまで引き継ぎを宜しくね!」
「はいっ!」
「それじゃシン君、公邸に案内するから付いてきてくれる?
今日は残っているスケジュールが無いから、これから二人で打ち合わせをして終了にしましょう」
「了解です」
☆
「公邸に入ったら敬語は禁止ね。私のことはアンジーと呼びなさい」
ウエストウイングと直結している通路を歩きながら、大統領はシンに笑顔で語りかける。
通路にはシークレットサービスの要員が周囲を警戒しながら、彼女の通過をインカムで報告している。
「はい……アンジー」
公邸に入ったシンはエイミーが喜びそうな歴史のある調度類を眺めながら、監視カメラの位置をさりげなく確認する。
廊下には複数のカメラがあるが、さすがに室内には動態探知も含めてセンサーは設置されていないようである。
「あなたのワードローブ一式は届いているから、ここにぶら下げてあるわ。
あと寝るのはこのベットね」
プライベートルームに敷き詰められた超高品質なカーペットの肌触りに、シリウスは早速寝転がってご機嫌である。
「あの……ここはマダムの寝室かと思うのですが?」
「うん。あなたは個人秘書で私を専任でガードするのだから、当然でしょう。
シリウスはここで私を守ってくれるのよね?」
「バウッ!」
「個人秘書と言っても、同じベットで寝るのはどうなんでしょう?」
「あれぇ、あなた妹さんと未だに同じベットで寝てるって聞いてるけど?」
「……」
「それに私は旦那に先立たれて以来ずっと独身だから、別に同じベットで寝たとしても問題は無いのよ」
「……」
「大丈夫よ。ゴシップ誌には若いボーイフレンドって載っちゃうかも知れないけど、すぐに忘れられるわ」
「……」
「シン君、お願い!
最近眠りが浅くて、あなたが隣に居てくれれば安眠できるような気がするのよ」
米帝の大統領と言えば、豪胆な性格と強気の外交戦略で知られている。
それに加えて海兵隊の出身である彼女は、軍部の高官にも崇拝に近い支持を受けている。
今の芝居がかった一言は半分は冗談かも知れないが、心が休まらないというのは彼女の本音でもあるのだろう。
「……わかりました。
でも添い寝以上のことは、拒否しますからね」
「ふふふ、あなたが我慢できたらね」
「……」
☆
数時間後の公邸、プライベートキッチン。
「打ち合わせは一通り終わったし、ささやかだけど歓迎会代わりだから。
遠慮無く食べてね」
隣接する小さなダイニングルームへと運ばずに、キッチンのコールドテーブルに並んだ出来立ての料理を彼女はシンに勧める。
キッチンで食事をするのは給仕するための余人を介さないためであり、スタッフすら誰も呼んでいないのはシンがリラックスできるように配慮しているのだろう。
粗末な折り畳み椅子に腰かけてスクーナーグラスに入れたワインを飲む彼女は、執務室で纏っていた威厳というオーラが全く感じられない穏やかな表情をしている。
「大統領閣下、何度か申し上げましたが、態々厨房の中で召し上がらなくても。
それに美味しいワインは正しいグラスで香りを楽しむもので……」
「クロエ、だってこの方が実家で食事をしているみたいで楽しいじゃない?
それにあんな千ドルもするようなヴィンテージのワイングラスじゃ、味も美味しく感じないわよ」
「このナマズのフライ、癖が無くて食べやすいですね!
泥抜きが完璧なんでしょうね」
世界中の料理を味わってきたシンであるが、希少な食材ゆえにシンが暫く口にした事が無い米帝の料理も数多く並んでいる。
「でしょ?私の専属シェフは、リクエストすれば何でも作ってくれるのよ」
「うわっ、このポットローストの鹿肉も柔らかくて美味しい!
ニホンじゃ鹿肉を食べたくても、中々手に入らないんですよね」
シンと同じものを食べているシリウスも、尻尾をブンブンと振り回しながらかなりのご機嫌である。
とにかく彼女は珍しい味付けや、食べたことが無い食材がとても好きなのである。
「プライベートシェフだから引き受けましたけど、ふつう海兵隊の炊事兵を引き抜いたりしませんよ」
クロエと呼ばれた浅黒い肌の女性は30代後半だろうか、しっかりと束ねたポニーテールが凛々しい印象である。
「でもあなたを引き抜くのに、数人の佐官を買収したり大変な根回しと労力が必要だったのよ!」
「クロエさん、どの料理も素晴らしいです!」
「バウッ!」
一人と一匹の心からの賛辞に、クロエは嬉しそうに一礼する。
「そういえば、シン君は料理が趣味だって聞いてるけど?」
「はい。家族が食べてくれる料理を作るのは大好きです。
この間アリゾナでも、なりゆきで一週間炊事兵をやることになりましたし」
「それなら、彼女にチャーハンの作り方を伝授して欲しいな。
時々食べたくなるけど、この近辺の中華料理店に行こうとすると周りの目が煩くてね」
「僕が作る中華料理は家庭料理ですから、それで良ければ」
「でも君は東洋系の血筋が入ってるようには見えないけど、いったいどこで中華料理を習ったのかな?」
「子供のころ近所に住んでいた、タイワン出身のお婆ちゃんに習ったんですよ。
僕の中華料理とタイワン語は、そのおばあちゃん直伝なんです」
☆
翌早朝。
「昨夜は激しかったわね……」
「あのアンジー、そういう誤解を招くことは言わないで下さい」
シンを抱き枕にしていた彼女は、しっかりと熟睡しながらもシンを一晩中離してくれない。
ベットの上で寝返りを打つと、彼女が無意識にシンを追いかけてその動きを封じる。
これが一晩中続いていたので、シンは明け方まで熟睡することが出来なかったのである。
「若い男の子のエキスを久しぶりに肌から吸収して、元気溌剌だわ!」
「あのアンジー、さらに大きな誤解を招くことは言わないで下さい」
「へへへ」
寝起きでメークをしていない彼女はセミロングの乱れ髪から良い香りが漂い、更に若々しく見える。
おまけに一枚だけ身に着けているロングTを押し上げている胸のラインは、しっかりと張りがあり彼女の均整の取れたボディラインを強調している。
全裸より刺激的なその姿に思わず見とれてしまったシンは、咳払いで自分の視線を誤魔化しながら発言する。
「スケジュール調整しているとは言え、午前中に面談がいくつかありますからさっさと起きましょう!」
「はぁい!」
素直に頷くその返答は、まるでシンには少女のようにあどけなく聞こえたのであった。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
場所は変わって、公邸内トレーニングルーム。
「毎朝こんなにハードなんですか?」
「そう。外を走ると警護が大変だから。
私が着任してから、トレッドミルも最新型に入れ替えたし快適よ!」
室内での長距離ランと、ノーチラスによるウエイトトレーニング。
そして実戦に限りなく近い組手。
一通り相手をしたシンは、早朝から汗だくである。
場所が変わっている所為か、早朝トレーニングにいつもは付いてくるシリウスもベットルームの快適なカーペットの上からまだ起き上がって来ない。
だが睡眠中であっても、シリウスの耳はピクピクと動きシンの現在位置をしっかりと把握しているようである。
「若さを維持してるのは遺伝子だけど、運動能力はさぼっているとどんどん衰えるからね」
彼女は汗で色が変わったトレーニングウエアを、シャワールームへ向かって歩きながら器用に脱いでいく。
このストリップティーズのような真似は、明らかにシンをからかって遊んでいるのだろう。
シンは着衣を脱ぎ捨てる彼女の後ろをついて歩き、下着を含めた衣類を集めていく。
ショーツを脱ぎ捨てた彼女の後姿を見ると分かるが、全身綺麗に脱毛された肢体には数えきれない傷がある。
背中に沢山ある銃創やナイフで抉られた切り傷は、彼女の経歴を示すもう一つの履歴書でもあるのだろう。
「あの、客観的に言わせていただければ、貴方は世界の為政者の中でも最強の方だと思いますよ」
着衣をすべてランドリーボックスに放り込んでから、シンは漸く隣り合ったシャワールームで汗を流し始める。
「格闘技の腕前は、未だに師匠の足許にも及ばないけどね」
格闘技の師匠が誰なのか手合わせしたシンには見当が付いていたが、この場で敢えて尋ねる事はしない。
手早く自分のシャワーを済ませたシンは、タオルを一枚腰に巻いただけの状態で全裸の彼女に真新しいバスタオルを渡す。
大きなバスタオルで水滴を拭った彼女は、全裸のままでプライベートルームへ向かう。
これらは内扉で繋がっている部屋なので、廊下の監視カメラにはその姿はもちろん映らないようになっている。
アンジーはドレッサーに座り、シンに催促の目線を投げかける。
小さく溜息を付いたシンは、観念したかのようにタオルを併用しながら彼女の髪にドライヤーを当てていく。
ここでシンが、温泉上がりのシリウスのブラッシングを思い出していたのは内緒の話なのであるが。
「シン君ありがとう。
朝からハンサムな男の子にご奉仕されてるなんて、夢のようだわ」
ブラシを使って髪型を仕上げながら、彼女はにっこりと微笑む。
ショートボブの彼女の髪型は動きやすいメリットは勿論だが、手入れのし易さも十分に考えられているようである。
「ところで、ナナさんは時間をかければ、全身の傷も消せると言ってくれたけど、シン君はどう思う?」
全裸のままドレッサーから立ち上がった彼女は、シンに向かって挑発的なピンアップガールのようなポーズを取る。
ボディビルダーとしては体脂肪率が高すぎるだろうが、女性らしいボディラインに実用的な筋肉が付いた彼女はプロのテニスプレイヤーに似た印象である。
ここでシンは深謀遠慮せずに、自分自身で感じた素直な印象を口にする。
「僕の周りの軍歴が長い人たちは、育ててくれた叔母も含めてみんなアンジーと同じ状態ですからね。
僕には当たり前すぎて判断できませんよ」
「そっか……シン君は傷物でもあんまり気にしないのね。
嬉しいわ!」
ここで彼女はやっとクローゼットを開けて、下着を選び始める
「……それで僕が呼ばれたのは、やっぱり空爆対策なんですか?」
シンは既に、着替えを終えて外出できる状態であり、下着を手にどれが良い?いう彼女の問いかけはさりげなく無視している。
「そう。ネガティブな方策で悲しいけど、ここは防空圏としては穴だらけでね。
屋上には防空ミサイルもあるけど、もし複数の機体で攻撃されたら対処できないし。
バンカーを攻撃された場合にも逃げ場が無いから、その時は情けないけど貴方に頼るしかないのよ。
今や黒服機関の連中は、全く頼りにならないしね」
スケスケで布地が少ないブラジャーを付けながらも、彼女は深刻な表情をしている。
「軍事ネットワークに関しては今はなんとか対処できているけど、大量の無人機を奪還されたのは予想外だったわ。
過去にあった軍事ネットワークのハッキングでは、沢山の犠牲も出しているしね」
「防衛隊第8飛行隊の生存者は、ユウさんだけですからね」
「あの事件の後に師匠が演習の責任者だった太平洋空軍の大将に直電してね、電話口でうちの娘に何をしてくれたんだって怒鳴りつけたらしいのよ。
その将官は恐怖のあまりに、その場で失禁したという噂が流れてるわ」
ストッキングをはき終えた彼女は、ボディラインにフィットしているチャコールグレーのタイトスカートを身に着ける。
彼女のプロポーションの良さが強調されるので、シンとしては全裸でいられるよりも目のやり場に困ってしまう状況である。
「ああ、それ納得できますね。
僕もお会いしたのは一度だけですけど、あの人の発する圧力っていうのは人食い虎って感じですよね」
「人食い虎かぁ……早速師匠に電話して今の感想は伝えなきゃ!」
着替えを終了したアンジーは、受話器を取りシンに向けてにやりと黒い表情を向ける。
「げっ……頼みますから勘弁して下さい!僕は今後もアイさんとお会いする機会がありそうなんですから!」
顔面蒼白になっているシンを見ながら、彼女は今朝一番である満面の笑顔を見せたのであった。
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