027.When You Know
学園寮のリビングダイニング。
「はい。その日はスケジュールが開いてますので、大丈夫です。
えっ、今回はコーラスじゃなくて最初からボーカルでのご指名ですか?」
レイからの突然の音声連絡は、定例セッションへの参加依頼である。
多忙を極めるシンだが、セッションへの参加は最も優先順位の高い趣味なので時間が許す限り参加する事にしているのである。
「うん。この間のY●uTube動画が結構な評判になっててね。
それにSteelyD●nナイトの評判も上々だったから、参加メンバーの総意として今度はLeadボーカルでやってもらおうって事になってね。
前半のセットは、シン君がメインで好きな曲を演って良いことになってるんだ」
「でもあんな子守歌一本だけで、注目されるなんて変じゃありませんか?」
「投稿者は、シン君のストリートの演奏を多数アップロードしていた人みたいだね。
タグに『ハーメルン』って付いてるから、関連動画のビューもどんどん増えてるみたいだよ」
「うわっ、意図してないところで目立っちゃいましたね。
フウさんに怒られそうだな」
「まぁシン君がメジャーデビューでもしない限りは、単なる街角のパフォーマンスだから問題にはならないと思うけどね。
この間の子守歌を含めて、顔を識別できる動画は一本も無いし」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
レイとの通話は、シンのソロパートの曲を決定する事で直ぐに終了した。
シンはエイミーとの会話で思いついたアルバムタイトルを上げて、この中からシンプルなピアノ伴奏の曲のみをやりますと即決したからである。
このフリーセッションではメジャーな曲なら打ち合わせ無しでこなしてしまう凄腕メンバーが揃っているが、初見の曲を演奏する場合には事前に音源だけでも渡しておくのが望ましいのである。
音声通話を横で聞いていたエイミーは、突如SIDに指示を出してY●uTubeにアクセスしている。
「シン、ありました!これを見て下さい!」
リビングダイニングの大画面に流れているのは、かなり以前にイケブクロ東口でシンが演奏している動画である。
「へえっ、これはエイミーと初めて会った時の映像だね。
こうして見るとエイミーは、短期間で背も伸びてるし大きくなってるんだなぁ」
光沢のある不思議な生地のワンピース姿のエイミーは、今よりも頭一つ分小さくかなり幼く見える。
撮影していた人物も金髪の美少女の存在が気になっていたのか、シンの演奏と一緒に立ちすくむ彼女の姿がしっかりと画面に入っている。
「私はまるで昨日の事みたいに、鮮明に思い出せますけどね」
「SID,この画像を加工して写真品質でプリントアウトできるかな?」
「B6程度のサイズでしたら可能です。
額装する注文を入れますか?」
「うん、お願い。
フレームのデザインはそうだなぁ、あの画面のワンピースみたいな色で光沢があるのを選択しておいてくれる?」
「了解です」
☆
数日後、セッション当日の某ライブハウス。
「なんで私がこんな処までわざわざ出張って、子守をしないといけないんだ?」
口では文句を言いながら、イズミの赤ん坊を抱えてミルクを飲ませているフウは何故か嬉しそうだ。
育児の経験が豊富なフウは、実はかなりの子供好きなのである。
「すいません。
僕の周りで子守を安心して任せられるのは、フウさん以外に居なかったもので」
「この方は、シン君のおねえさん?」
シンのリクエストで急遽参加することになったイズミは、どう見ても20代後半にしか見えないフウに挨拶する。
「いや、どちらかと言えば母親代わりかな。
子供はしっかりと面倒見てるから、安心していて良いよ」
今日の演奏開始時間は早いが、アルコール・ドリンクがあるライブハウスなのでエイミーを含めて寮のメンバーは誰も連れてきていない。
いまごろ寮のリビングダイニングの大型モニターで、中継画像を見ている筈である。
数分後、シンとイズミがステージに登場すると、客席に黄色い歓声が起きる。
普段のセッションではあり得ない声援なので、シンの追っかけの女の子たちに出演が嗅ぎ付けられてしまったのだろう。
シンはいつものベースボールキャップとサングラス姿の変装だが、なぜかツバを後ろにした逆方向にかぶっている。
イズミがステージ中央のマイクスタンドの前に立ち、素通りしたシンがエレピの前に座ると客席からはちいさな響きが起きる。
シンがキーボードを演奏するのが、かなり意外だったのだろう。
♪Faithful♪
ピアノのシングルトーンで始まるこの曲のイントロは、ドラムのハイハットのリズム以外には余分な音が無い。
シンが奏でる伴奏のピアノはシンプルなコードのみで、美しいバラードの旋律を邪魔しない。
伸びやかにシンのボーカルは、歌い上げる。
教会で捧げられる賛美歌のように。
神の偉大さとその愛を切々と問いかける歌詞はシンにはピンと来ない内容だが、観客には歌詞の内容を詮索する余裕は無いだろう。
シンのせつない歌声に、客席は静かに聞きほれているからだ。
サビのメロディは、イズミのボーカルとのデュエットだ。
子守歌を二人でデュエットした時にも気が付いたが、彼女とシンの歌声は声質がとても似ている。
彼女のソロパートを追いかけるように、シンの伸びやかな歌声が重なる。
歌詞の力よりもメロディの叙情で、この曲は聴いている人の胸を打つ。
難解な歌詞を理解していない人でも、教会の礼拝に無縁なニホン人であっても、この曲の感情に訴えるメロディはきっと理解できるだろう。
シンのソロパートはこうしてスタートしたのであった。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
セッション終了後。
本日の主役だったシンは、さすがに空気を読んでいつもは遠慮する打ち上げに参加していた。
会場のライブハウスはメキシコ料理が評判の店なので、テーブル上の見慣れない大皿料理に加えて、タコスやワカモーレ、トトポスがずらりと並んでいる。
シンは手許にある乾杯に使った缶ビールにちょっと口をつけただけで、今は世話をフウから引き継いだイズミの娘をあやしている。
ライブを終えたイズミが抱くとむずかっていたにも関わらず、今はシンの胸元が定位置のように赤ん坊はスヤスヤと熟睡している。
「いやぁ、シン君が選んだ最初のあのバラードは良い曲だよね。
|Chris TomlinはCCMだから観客には馴染みが無い筈だけど、昔のAORみたいにどれもニホン人好みの曲調だと思ったね」
子守に異様に手慣れているシンの様子に驚きながらも、セッション常連のヴェテラン・ドラマーがシンの選曲を褒めてくれる。
シンはAORというニホン特有のジャンルが分からなかったが、尊敬する凄腕ドラマーの言葉なので素直に頷き笑顔を見せる。
「シン君は、実は敬虔なクリスチャンでワーシップで歌ってたとか?」
イズミを含めて、ここのメンバーはシンの出自や経歴について何も知らない。
ニホン人では無いのはさすがに気が付いているだろうが、このセッションは演奏を楽しむための場なので詮索するのは気が引けるのだろう。
「いえ、教会で歌うのは子供の頃のアルバイトで、僕は洗礼を受けていないしクリスチャンじゃないですよ。
当時住んでいた家の隣が教会だったので、一曲歌うと$20貰えたんです」
「えっ、生活が大変だったの?そんな風には見えないけど」
「いいえ、当時僕は6歳だったんで、他に自分の小遣いを稼ぐ手段が無かったんですよ。
そこの牧師さんはかなりの音楽マニアで、言うならば僕の音楽の師匠みたいな人でした。
ただ今日CCM中心の選曲にしたのは、妹からの強いリクエストがあったからなんですけどね」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「シン君、譜面も読めるみたいだしコーラスでスタジオワークに参加してみないかい?」
プロデュース業が得意なキーボードで参加しているメンバーが、酒の勢いでシンに言葉を掛ける。
スタジオボーカリストは豊富な人材が揃っている分野なので、アマチュアのシンに対してこういう勧誘をするのは珍しいだろう。
「ええと、お世話になってるメンバーさんからの依頼なら喜んで参加します。
でもどこかに所属したり長時間拘束されるのは、今は時間的に無理ですね」
「でも学生なら、時間が有り余ってるんじゃない?
既に大学の入学資格も持ってるし、学業の方も暇なんでしょう?」
先日ちょっとだけシンの事情を垣間見たイズミが、シンに突っ込んでくる。
自分の娘がすっかりと懐いているのもあって、シンとの距離が以前の知り合いから大分近くなっているのだろう。
「いえ、母国の方の仕事が詰まってまして、全くもって余裕が無い状態ですね。
それに空いた時間は、寮生の食事の世話とかもありますから」
「シン君ってもしかして、政府機関の人なの?」
「ええっと、映画に出てくるスパイみたいに見えるなら嬉しいですけど、実際は何でも屋みたいな感じです。
大使館の職員としての身分はありませんけど、国営企業のインターンみたいな扱いですかね。
僕の母国はヨーロッパでも本当に小さい国なんで、人材が足りなくて色んなことに駆り出されることが多いんですよ」
「なんかガールフレンドがすごく沢山いるって聞いてるわよ?
赤ん坊の扱いと一緒で、女の子の扱いも上手そうだわよね」
シンの関係者であるレイとユウは、口を挟まずにシンとイズミとのやり取りを聞いているが二人とも口元が緩んでいる。
話の出所は二人の内のどちらかなのだろうが、シンがどう切り返すのかお手並み拝見という感じなのだろう。
「はい。寮で一緒に住んでる女の子が何人か居ますけど、僕にとっては家族同然ですね」
「あらっ、躊躇なく言い切ったわね。
つまりハーレムを目指してるのね!」
「僕は小さい時に母親を事故で亡くしてるんで、身近に居てくれる人は大事にしたいんですよ。
さっき子守をしてくれた叔母が居るんで天涯孤独にはなりませんでしたけど、出来るだけ家族は沢山欲しいんです。
実際の僕の役回りとしては家政夫とか執事みたいなもので、いつでもお世話をする側なんですけどね」
イズミの一言に、苦笑いしながらもシンはしっかりと返答したのであった。
☆
ユウの運転で寮に送って貰ったシンは、自室のベットで熟睡しているエイミーを見届けると一人で地下の大浴場へと向かう。
「SID、バーチャルウインドウに、今日の演奏を出してくれる?」
湯船に漬かりながら、シンは大浴場の壁面にあるコミュニケーターに向けてリクエストする。
どうやら温泉でリラックスした状態で、今日の反省をするつもりなのだろう。
「動画を表示します。大音量は階上に響きますので、音は小さめでご容赦を」
定点カメラはかなり解像度が高いらしく、ライブハウスの様子が鮮明に表示されている。
(人前でピアノを弾いたのは初めてだけど、まぁまぁ弾けてるかな)
ギターに関してはレイという師匠が居るが、ピアノに関しては教会で触ったアップライトで勝手に演奏を覚えた本当の我流なのである。
「バウッ!」
その時、シンの集中を乱す小さな吠え越えが聞こえた。
すぐに見慣れた小さな姿が、浴場に駆け込んでくるのが目に入る。
「あれっ、シリウス?
よく僕がここに居るのが分かったね?」
「バウッ!バウッ!」
シンが寝ているエイミーを確認した時に目を覚まし、シンを追ってこの浴場まで辿り着いたのだろう。
シリウスは大型エレベーターのボタン操作なら、前足を使って起用にこなす事が可能な天才犬なのである。
「分かったよ。別に除け者にした訳じゃないから、ここの浅いお湯なら足が届くから入ってごらん」
シンは手を伸ばして、浅い湯舟にシリウスが入るように促すと、温度を確認するように前足をちょこんとお湯にいれてシリウスは静かにお湯の中に入って行く。
「……クゥ~ン」
足湯か幼児用に作られた浅い湯舟はシリウスに丁度良い高さらしく、薄目を開けてとても気持ち良さそうな表情だ。
顎を湯船のふちに預けてリラックスしている様子は、まるで温泉に入っている観光地のカピバラを連想させる姿である。
(お湯はこっちの浴槽に流れてこないで排出されるから、まぁ衛生的には問題無いかな。あとでフィルターをチェックしなきゃ)
自分の演奏を細かくチェックしながらも、シンはシリウスの様子も視野の隅に入れて注意している。
(今回はストリートと違って静かな曲ばかりだったから、もうちょっと構成を考えないと盛り上がりに欠けるかな。
お客さんがCCMにアレルギーが無さそうだと分かったのは収穫だけど、やっぱり歌詞を聞いてないからなのかな)
シンもシリウスに倣うように、湯船の淵で腕を組んだ上にで顎をのせてリラックスしている。
その一人と一匹が並んでいる様子は、まるでロックウエルのウィットに富んだ絵画の様に見える。
(ああ、イズミさんの表情が晴れやかになってるなぁ。
やっぱり歌うことで、ストレス発散が出来てるんだね)
多忙でしかも煩雑な日常の中でも、音楽に身を任せることで救われている部分が多いとシンは自分自身でも感じている。
懸命に守るべき日常は確かに此処にある。
それを湯船の中で、再確認したシンなのであった。
お読みいただきありがとうございます。




