024.Always Enough
小宴会場。
「今日はルーとハナ発案の温泉旅行に、参加してくれてありがとう。
時間的な余裕が無くて一泊だけの短時間ではあるが、普段の食事とは違う温泉旅館のご馳走を存分に堪能してくれ!」
フウの短い挨拶で、宴会はスタートした。
小宴会場は参加人数に見合わない立派な船盛の刺身や、巨大なサイズの鍋料理、山盛りにされた地元の名産品で埋め尽くされている。
参加者は旅館備え付けの浴衣に着替えているが、なぜかシン一人だけは普段のカジュアルな服装のままである。
「ユウ、慰労の一番の対象者はお前だ。
今日は食べる方にだけ専念して、存分に楽しんでくれよ!」
「ははは、有難うございます。
ちょっと腰の座りが悪いですけど、楽しませて貰います。
キャスパーも後で合流するみたいですし」
旅館側への事前注文として、相撲部屋の宴会を想定して見栄えの華やかさよりも実際のボリュームが必要であると念を押してあったらしい。
特に鮮度が高いイセエビや貝類等の海の幸は、普段の食事では出て来ない食材なのでマリーは目を輝かせている。
ビールサーバーが宴会場に運び込まれているのは、ビール好きのメンバーが多いのでやはりフウの注文なのであろう。
日本酒の一升瓶や他のアルコール類も、テーブル一つ分のスペースを使用して抜かりなく大量に用意されている。
「フウさん、短時間でよくこれだけの準備が出来ましたね?
仲居のおばさん達は、人数に見合わない量に吃驚していたみたいですけど」
「いや、ここは付き合いが長い旅館だから、この程度の無理は問題ない。
それよりこういう団体旅行が出来るようになったのは、シンとユウ二人のお陰かな」
「?」
「特にお前が居れば、いざという時にはマリーを連れて現場に直行できるだろう?
これが大きいんだ」
「ああ、なるほど」
「以前ならTokyoオフィスを空にするなんて、安全保障上無理だったからな。
そうそう、お前そろそろ入国管理局に迎えに行く時間じゃないか?」
「そうですね、じゃぁキャスパーさんを迎えに行ってきます」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
場所は変わって入国管理局。
総合受付を通り地階のオフィスまでキャスパーを迎えに来たシンは、デスクに張り付いて目を吊り上げているキャスパーの姿を発見する。
普段の余裕たっぷりの彼女しか知らないシンは、そのギャップに唖然としてしまい中々声を掛けることが出来ない。
「もう嫌だヤダ、いやだぁ~!私は帰らせてもらう!
楽しい宴会が待ってるんだ~」
手足をバタバタさせて暴れる子供のように、キャスパーは不機嫌さを表明している。
シンの持っていた彼女の冷静沈着なイメージが、脆くも崩れ落ちた瞬間である。
「課長、これが無事に始末が付いたら、明日はオフで良いですから!」
直属の部下らしい眼鏡の女性が、子供を宥めるような口調で彼女に催促する。
「ホント?やっぱり無しはダメだよ!」
「はい、バステト神に約束しますよ」
キャスパーはマルチリンガルのシンですら聞きなれない言語で、電話で話を続ける。
どうやら、電話で相手と議論をしているらしい。
数分後。
「よぉ~し、片付いた。宴会だぁ~
……あれっ、シン君いつからそこに居たの?」
室内に所在なさげに立っていたシンに、彼女は今になって気が付いた様だ。
「『ヤダ、いやだぁ』辺りからですけど」
「……たった今、貴方が見たものはすべて忘れなさい!良いわね?」
「はい。バステト神に誓って」
含み笑いしながら、シンは部下の女性と同じ口調で応える。
「うっ、変な台詞を覚えられてしまったわ!」
☆
宴会はキャスパーの悪酔い以外はトラブル無く進み、深夜近い時間帯になってやっとお開きになった。
アルコールを飲んでいないエイミーも、さすがに疲れたのか早々と布団に入って熟睡している。
シンは誰も居ない家族風呂に、一人ゆったりと浸かりリラックスしていた。
深夜に近い時間帯なので照明は自動調光され、薄暗い浴場から大きな窓越しに夜景がくっきりと見えている。
「シン、居るの?」
入口付近から聞きなれた声がかかって、シンの意識は現実に引き戻される。
「ああ、リコ。
お邪魔みたいだから、出ようか?」
「いや、追い出すのはイヤだから、そのまま入っていて。
でもお願いだから、こっちを見ないでね。
トーコさん、ほらこのまま入りましょう!」
「あれっ、トーコも来たんだ」
「シ、シンが居るなら、私は部屋へ戻りますから!」
「トーコ大丈夫、そっちは見ないから。
折角来たのに、温泉に入らないで帰ったら勿体無いよ」
「……」
掛け流しの水音の後に、二人は静かに湯船に入ってくる。
トーコはシンから距離をとるようにしっかりと離れているが、リコはシンの視界に入る位置に前を隠さずにやってくる。
「リコは恥ずかしがらないんだね」
シンは視線の位置に注意しながら、リコの顔に目線を向ける。
ぼんやりと見える少女らしい細い肢体は、胸のふくらみも控えめでまだ成長途中という感じである。
「ええ、混浴はともかくニホンの銭湯には慣れていますから。
それに恥ずかしがるほどに育ってませんから、エイミーとそんなに変わりませんよ」
「そんな事はないでしょ?
この間の飛行訓練で、かなりシェイプアップされたんじゃない?」
「私は兎も角、シンって意外と着やせするんですね。
腹筋もしっかりと割れていて、格好良いですね」
リコは普段の奥手な感じとは違って、シンの上半身をしっかりと凝視している。
「最近かなり体重が落ち気味で、体脂肪が減りすぎちゃってね。
フウさんの持論によると、ある程度の脂肪の蓄えがないといざという時にガス欠になりやすいんだって」
「ああ、それはこの間訓練で実感しました。
でもスタミナをつけながら、体形を維持するっていうのも難しそうですよね」
「ああ、無事に訓練が終わってほんとに良かったよね」
「トーコさん随分と大人しいですねって……
シン、トーコさんが鼻血を流したまま、気絶してます!」
遠目で見えるシンの全裸と、リコとの会話でトーコが興奮しすぎてしまった様である。
「湯舟に落ちないように、抑えていて!
トーコ!ほらしっかりして!」
シンは湯船の中で迅速に動き、トーコの体を抱きかかえる。
トーコの薄く日焼けした柔肌がシンに密着しているが、今はそんな感想を言ってはいられない。
意識が混濁している為か、彼女は小さく目を開けるだけで反応が鈍い。
シンは自分も全裸のまま彼女を横抱きすると、湯船に立ち上がり脱衣所に向かって歩き出す。
トーコが前を申し訳程度に隠していた小さなタオルも、もちろん湯船に浮かんだままである。
シンは全裸のトーコを静かに床に横たえ、脈拍と瞼の裏を確認する。
鼻血は既に止まっているが、短時間で湯あたりしてしまったのだろう。
ここでようやく余裕が出来たシンは、全裸のトーコにそっとバスタオルを掛ける。
顔のあたりを汚していた血しぶきを、タオルで優しく拭っていく。
「あの……シンも何か羽織って下さい」
横で心配そうに見ていたリコは、全裸のシンから目を離せずに真っ赤な顔をしている。
「おっと御免、余裕が無くてそこまで気が回らなかったよ」
「いえ、とっても良いものを拝見しました」
リコは真っ赤に染まった顔のまま、シンに笑顔を向けたのであった。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
翌日朝食の席。
マリーは、小宴会場に並べられているバリエーション豊富な朝食バイキングにご機嫌である。
ラーメン丼に山盛りにしたご飯を片手に、選び放題のおかずをズラリと並べてひたすら食べ続けている。
「ねぇリコ、昨日温泉に入った後の記憶がなんか曖昧なんだけど、何かあった?」
一晩経ったトーコは、昨夜の家族風呂でのことを全く覚えていないように振る舞っている。
ちなみに小食で朝が弱い彼女は、クロワッサンとコーヒーだけのいつもの慎ましい朝食である。
「……いえ、特に何も。
疲れていたんで、記憶が飛んでるんじゃないですか。
そうですよね、シン?」
リコは納豆を小鉢の中でかき混ぜながら、シンに話を振ってくる。
「ああ、うん。
疲れてると、良くあるよねハハハ」
普段は小食のシンは、トーストとコーヒーだけの簡単な食事である。
同室のハナは早い時間帯から熟睡していたので、何が起きたのかは分からない筈である。
ただしエイミーにはそれは通じないので、彼女は食事の手を止めると悪戯っ子のような表情でシンをちらりと見てから一言爆弾を投下する。
「トーコさん、ちょっと初心すぎです!
シンの裸くらい見慣れないと、シャワーすら一緒に浴びれませんよ」
「ぶーっ!!!」
トーコが口に含んでいたコーヒーを噴出した。
(ああ折角無かった事にしようと思ってたのに、台無しだぁ)
苦笑いしたシンは真っ赤になって下を向いているトーコに、どうやってフォローしようか頭を悩ませていたのであった。
☆
バスはほぼ正午に学園寮の前に停車し、帰路は何の問題も発生しなかった。
報復を想定して身構えていたシンは、これで中華連合の残党が諦めてくれるのなら嬉しいと心から願っているのだが。
「管理人さん、これ温泉のお土産です!」
エイミーはハンドキャリーに縛り付けた大量のお土産を、管理人に手渡す。
荷物を運べるバス旅行だったので、今回はクーラーボックスに入った活きエビも持ち帰っているのでかなり豪華である。
「おっ、これは新鮮そうだね!わざわざありがとう!」
「やっぱり老舗旅館の温泉は気持ちよかったです!」
エイミーの朗らかな一言に、一緒に管理人室に来ていたトーコが何故か下を向いて俯いている。
「でも実は、ここの寮でも温泉に入れるんだよね」
「えっ、それはどういう意味ですか?
温泉を引いてるなんて、聞いた事がありませんけど?」
シンが身を乗り出して質問する。
「寮を建設する前に良質な源泉を掘り当てていて設備も完備してるんだけど、温泉専門の清掃業者が確保出来なかったからいまだに利用開始できていないんだよ。
地下一階のエリアには、立派な大浴場もあるのにね」
「ええっ、そんなの利用案内にも書いてないじゃないですか?」
「だって現実的には使えないから、載せてないもの」
「じゃぁTokyoオフィスみたいに、自分達で清掃出来れば使って良いんですか?」
「うん。だけど無駄に広いから高圧洗浄機を使っても大変だよ。
あと汲み上げポンプとかの操作に、知識が無いと難しいかな」
「そういう設備については、知識が豊富な知り合いが居ますので大丈夫ですよ。
さっそく呼び出しを掛けなきゃ!」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
午後の学園寮。
バスの中で簡単な昼食を採っていた一同は、地下一階の大浴場に集合していた。
本来ならば旅行帰りの休息の予定が、大浴場の清掃作業に変更されている。
設備関係ならば何でも詳しい入国管理局のパピには、食事をご馳走する約束でアポを取っている。
今日は外回りが無いので、夕方にも可能ならばこちらに顔を出してくれるそうである。
高圧洗浄機でシンが大雑把に綺麗にした大浴場の中を、他の寮生は細かい部分をタワシで清掃していく。
お湯はすでに湯船に流れているが、浄化装置を経由しているとは言え数日は掛け流しが必要であろう。
「温泉から帰って、温泉掃除っていうのも変な感じだよね」
シンは洗浄機のホースで、まだ汚れている部分の洗浄を繰り返す。
重力制御を使っているので、扱い難い最高圧の水流で汚れた部分が瞬時に綺麗になっていく。
「あの……ちょっと小耳に挟んだんですけど。
トーコさんが、素っ裸でシンにお姫様抱っこしてもらったって本当ですか?」
専用の溶剤を使って蛇口の周辺を洗っていたハナが、ポツリと呟く。
小耳に挟んだということは、リコが雑談の際につい漏らしてしまったのだろう。
「ぶーっ!!!」
水分補給のために口に含んでいたミネラルウォーターを、トーコがまるで高圧洗浄機のように噴出する。
「ハナ、それはちょっと誤解がある表現だからトーコが可哀想だよ。
湯あたりして倒れたのを、僕がちょっと運んだだけだからね」
「という事は事実なんですね……羨ましい」
「……」
シンは余計な一言が地雷になるのを分かっているので、ここは無言である。
「大丈夫ですっ!
裸をしっかりと見られたんですから、シンには責任を取ってもらいますから!」
「裸を見なくても、別にトーコは家族だから責任はちゃんと取るよ?」
シンが今さら何をという不思議そうな表情で、じっとトーコを見る。
「うっ……そうですか」
トーコは真っ赤な顔をしているが、シンの一言に何故か嬉しそうである。
「トーコさんは免疫が無さすぎます!
今後はここを皆で利用して、混浴で鍛えましょう!」
清掃に熱中していたエイミーが、唐突に会話に入ってくる。
「き、きたえるっ?……鍛えるって何を……」
「ああっ、トーコが今度は鼻血を吹いたよ!」
シンとトーコが温泉で一緒に寛げる日は、まだまだ先になりそうである。
☆
夜半の雫谷学園カフェテリア。
この時間帯のカフェテリアは、ユウが担当しない日以外はジーの担当である。
最近ではルーがすっかりTokyoの生活に馴染んでいるので、夜間に来る生徒は殆ど居なくなっているが皆無では無い。
集団生活やニホンにまだ馴染めない生徒に対して、積極的にフォローするための夜間担当は非常に重要なタスクなのである。
「サラ、ボナだけど。暫くこちらに滞在するから宜しく。
埋め合わせに、君のお気に入りのシンに何か差し入れを届けて貰うから」
温泉帰りに学園を訪問していたボナは、壁面のコミュニケーター経由で音声通話をしている。
「それは酷すぎだよ!こんな何もない処で留守番延長なんて!!
食事はカレーが食べられるから我慢できるけど、なんで此処って専属コックがいないの?
ねぇ、ボナ聞いてる?……×÷ΔΛΣ!!!」
留守番のサラからは罵詈雑言が発せられているようだが、ボナは通話を一方的に終了してしまう。
「それで二人の曾孫とは、ちゃんとコミュニケーションできたのかな?」
ボナのお土産である温泉饅頭を頬張りながら、ジーは米帝語で会話を続ける。
厨房から出ているジーは、いつものジーンズにコットン地のエプロン姿である。
「いや曾孫というよりは、いきなり娘が二人も出来た気分だよ。
二人とも可愛いし、もう本国に帰る気もなくなっちゃいそうだね」
「長年の懸案事項について、やっとやる気になったみたいだね」
「うん。やる事が出来たから、引き篭もってないでそろそろ表に出て活動する事にするよ。
マリーやルーみたいな自分の血を分けた子供達が、不幸になると困るからね」
「ここのシンは、なかなか有望だろう?」
「うん。あれだけ万能な能力を手にしているのに、心根が優しいのはフウの育て方が良かったのかな。
あのバステトの子が、しっかりと手綱を握ってるのが良い方向に向いてるみたいだね。
久しぶりに出てきた有望な男子だから、逃げられないように大切に育てなきゃ」
年長者の二人の使っている言語は、米帝語からいつのまにか古のラテン語になっている。
数十年ぶりに交わす二人の会話は、翌朝まで取り留めも無く続いていたのであった。
いつもお読みいただきありがとうございます。




