019.Who Am I
ハワイで事業用免許の取得を完了したシンは、間を置かずにハナの母親が居るアラスカ・ベースに来ていた。
ハナが希望しなかったので、同行しているのは前回のアラスカ遠征でも一緒だったエイミーである。
研究者の居住スペースを訪ねた二人は、まずレーコにトーキョーで入手した朝生菓子を差し入れする。
大袈裟に喜んでくれる彼女からハナの母親の部屋番号を確認した二人は、ハナの母親の居室へ向かう。
事前にデータベースで調べてあっても、様々な理由で実際に居住している場所が記録と変わっているケースが非常に多いからである。
髪色と瞳の色は違うがハナの姉のような雰囲気の彼女は、予想外の気さくな態度で二人を歓待してくれた。
「何年ぶりかしら。
立派に育って……レイの若い頃にそっくりね」
綺麗な発音のクイーンズイングリッシュは、ブロークンな米帝英語に慣れたシンの耳には格調高く感じられる。
二人にマグカップのココアとショートブレッドを勧めながら、本人は自分のカップに大量のきび砂糖を入れている。
アラスカベースでは研究者が多い土地柄から、コーヒーや紅茶よりもしっかりと糖分を補給できるココアを愛飲している人が多いらしい。
「何か最近は会う人ごと言われるんですけど、もしかして昔お会いした事があるんでしょうか?」
「もちろん。貴方のお母様は顔が広かったし、久々に誕生したメトセラの男子だったしね。
皆で競って、あなたのオムツ交換をしたものよ。
あなた達一家が飛行機事故に遭ったときにも、世界中に居る知り合いが総出で捜索したんだから」
「それは……自分は当事者だったのに全く知りませんでした。
自分は気がついた時には、病院のベットの上でしたから」
「二人の遺体は捜索を丹念に繰り返しても出てこなかったし、私はまだ二人が『何処かで』生きているような気がするんだけどね」
「……」
「ハナは我侭言って、貴方を困らせてない?」
「いいえ、全く。
ハナは素直で心根も優しい子で、寮で一緒に生活できてとても嬉しく思っています」
「そう……あの子のことを気に入ってくれたみたいで、母親としてもとても嬉しいわ。
育ちのせいかコミュニケーション能力が低いから、いきなり押しかけて嫌われてないかと心配だったのよ」
「ブートキャンプでも彼女とは個人的に接点がありましたし、そんなに唐突では無かったですよ」
こうして話をしていると、ハナが話していたエキセントリックなイメージと実際の彼女とは大きくかけ離れているように感じられる。
穏やかな語り口と自信に裏付けされた余裕のある態度は長く生きてきたメトセラに共通する特徴だが、戦場で生き抜いてきたフウやゾーイとは違うベクトルの『叡智』のようなものが彼女からは感じられるのである。
「あの子は私のことを、酷い母親だと言っていたでしょ?
私とあの子の関係も普通のメトセラの親子に良くあるように、良好ではなかったから」
「自分も育児放棄された環境で成長したから、ハナにはしっかりと愛情を与えて育てようと努力はしたのだけれど……子育てはやっぱり思った通りにはならないのよね。
気がついたら自分の母親とあまり変わらない親子関係になってしまって、『後悔先に絶たず』を日々実感していたわ」
彼女の誤魔化しが無い真摯な言葉に触れて、シンは彼女が抱えてきた深い苦悩を他人事では無い実感として感じることが出来た。
身近でも親子関係が破綻している実例が溢れているので、他人事とは思えないのである。
「親としてあなたにお願いできる資格は無いかも知れないけど、どんな形でもあの子と長く一緒に居て欲しいと私は願うわ。
母親からしっかりと愛情を受けて育ち、妹想いの情が強かった貴方は、私から見てもハナの理想のボーイフレンドだと思うから。
できれば子供を作るくらい仲良くして欲しいのだけれど、それは当人同士の問題だからね」
「子供の部分は……随分と飛躍があるような気がしますけど」
「君自身と、君の持っている遺伝子はそれ位の価値があるってことなんだけどね。
もう暫くすると、ナナさん辺りから出頭命令があると思うから覚悟しておいた方が良いわね」
「出頭命令ですか?
……あっ、これTokyoオフィスのレイさんから預かってました」
シンは渡すタイミングを逃していた、重さがあるショッピングバックを彼女に手渡す。
「ふ~ん、レイから」
「食品だから、保管に注意するように言われましたけど」
「嵩張るのに、わざわざ運んで貰って御免なさいね。
定期配送便は大雑把なリクエストは出来るんだけど、生菓子については注文出来ないからレイも気を使ったんでしょう」
「ああ、さっきレーコさんに和菓子をお土産で置いてきましたよ」
「多分この中身は、生チョコレートとか洋菓子でしょう。
レイは付き合いが長いから、私の好物を良く知っているし」
「折角来たんだから、これを手土産に渡しておきましょうか。
紛失しないように注意してね。中身は多分シン君が今一番必要としているものだと思うから」
「???」
シンが受け取ったUSBメモリは、Congoh標準のセキュリティが掛けられるタイプだが中身については見当も付かない。
ハナからも彼女の専門分野については聞いていないし、彼女はかなり上級レヴェルの研究員なのでデータベースにも研究内容については記述されていないのである。
「それじゃ、機会があったらまた会いましょう」
ドアまで見送りに出てくれた彼女の達観したような穏やかな表情は、シンの脳裏に強い印象を残したのであった。
☆
面談にも同席していたエイミーだが、挨拶以外の言葉を発することなく彼女はひたすら沈黙を続けていた。
口を挟まないように弁えているというよりは、彼女の複雑な表情から何か別の理由があるようにシンは感じていた。
馴染みのあるフードコートに到着するとようやく硬かったエイミーの態度が一変し、普段と同じリラックスした様子で料理を次々とトレーに配膳していく。
「エイミー、さっきは随分とおとなしかったね」
「……はい。
お逢いする前まではナナさんのような研究者気質の方を想像していたのですが、ハナさんの発言とは全く違う方でしたね。
彼女は学園の校長先生のように、視ていても『畏怖』を感じてしまうタイプです」
「『畏怖』を感じるって、うちの校長先生はそんな風に見えないけど?」
いつでもヒッピー風の60年代ファッションに身を固めているあの人には、シンが思う威厳や風格という言葉がどう考えても結びつかないのである。
「これは私の種族固有の能力ですから説明が難しいのですが、その人がどういう背景の中で生まれて、どうやって生き抜いて来たのかが私達には視えてしまいます。
校長先生の背後には膨大な数の骸があって、あの方はそれを背負って生きて来たのが分かります。
ハナさんのお母様も校長先生ほどではありませんが、かなりの波乱万丈があったのでしょうね。
見えて来た沢山の光景で、眩暈が起きそうになりましたから」
「うちの校長先生は2千年以上生きているという噂は、実は本当だったという事なのかな。
コミュニティに残っている人は、自然と『淘汰』されてこの形になっているってフウさんは言っていたけど。
最近はその『淘汰』という言葉の意味がなんとなく分かってきたような気がするよ」
「……うわっ、やっぱりこのシチュー美味しいですね」
エイミーはシリアスに偏った会話を中断して、大皿にたっぷりと盛ったシーフード・シチューに感嘆の声を上げる。
わざわざアラスカを訪れてまで味わいたかったこのシチューは、ニホン人にも馴染み深いブイヤベースとは一味違う濃度があって深みのある味なのである。
「うん。厨房の人に聞いてみたら、大量にまとめて作るからこの味になるみたいだね。
オヒョウみたいにトーキョーだと手に入らないサイズの魚も使ってるし、再現するにはハードルが高そうだね」
前回アラスカを訪れて以来メールで厨房担当者とやり取りをしているシンは、ここのフードコートの内情にも詳しい。
厨房機器についてのアドバイスについてはセミプロであるユウに答えて貰うことが多いが、出来る範囲でのアドバイスも継続して行っているのである。
「あっ、いつの間にかおにぎりも並んでますね」
「前回コックさん達に教えたのが、レギュラーメニューになってるみたい。
業務用のおにぎりの型枠を使ってるから、仕上がりも以前より綺麗になってるね。
夜食に注文が多いって言ってたから、レーコさん辺りもきっと毎日食べてるんだろうね」
☆
場所は変わって雫谷学園学生寮。
深夜に出発し昼食前に寮に帰還出来たシンとエイミーだが、中途半端な時間なので登校せずに寮に残っていたトーコと外食する事にした。
ハナはTokyoオフィスでAIの授業を受講しているので、寮にはまだ帰って来ていない。
シリウスには帰宅後直ぐにドギーバックで持ち帰ったお土産の食事を与えているので、新鮮なシーフードの味に彼女は尻尾をバタバタと振ってもう夢中である。
「ずいぶんと早いお帰りでしたね」
須田食堂に向かう道すがら、トーコは何故かご機嫌である。
「うん。時差ボケにならないように、温泉に入らないで泊まらずに帰ってきたからね。
最近ジャンプを多用してるから、時差ボケが累積してるみたいだから」
「トーコさん、今度一緒にTokyoオフィスの大浴場に入りましょう。
あそこは混浴ですから、シンとも一緒に入れますよ!」
「ああ、Tokyoオフィスの人達って、混浴に慣れてるみたいだからね。
僕とレイさんが湯船に入っていても、平気でタオルで隠さずに入ってくるからなぁ」
「こ、こんよくって……混浴って!
そ、そんなの駄目に決まってるじゃないですか!」
「トーコさん、どうしました?
あっティッシュが真っ赤!また鼻血が!」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
深夜のリビングダイニング。
シンがいつものようにテキストを広げていると、部屋でシャワーを浴びたばかりのハナがふらりと現れる。
ショーツ一枚とダボダボのTシャツだけを身に着けたハナは、体のラインが薄い布地越しにしっかりと透けているが、シンの目線を特に気にした様子は無い。
湿った髪に吸水タオルを首にかけた彼女は、いつもの炭酸飲料のプルタブを開けながらシンに尋ねてくる。
「それで母の様子は……どうでしたか?」
「ん~やっぱり母子っていうのは、そっくりなんだね。
とっても素敵なお母さんだと思うよ」
「素敵?あの人のどこが素敵なんですか?」
シンの座るソファの横にゼロ距離で腰掛けた彼女は、甘えるようにシンにもたれ掛かってくる。
「悪い因習から逃れようと、精一杯努力していたからかな。
結果が芳しくなくても、取り繕ったり言い訳は一切していなかったしね。
ハナの誠実なところは、お母さんから受け継いだんだろうな」
「私には……意味が良くわかりませんけど」
「特に言われたのは、ハナと末永く仲良くしてくれって頼まれたことかな」
「……おせっかいですね」
否定的なその台詞とは裏腹に、母親のお墨付きを貰った彼女の口もとは大きく緩んでいる。
「そうかな。
僕はあんなに心配してくれる綺麗なお母さんが居るのは、羨ましいの一言だけどね」
シンは自分にもたれかかっているハナの、まだシャワーで湿った髪を吸水タオルを使って丁寧に拭っていく。
それは妹の世話に追われていたシンにとっては無意識の動作だが、その優しい手つきにハナの目元はほんのりと赤くなっている。
「まぁシンが彼女のことを気に入ってくれたなら、それで良いです」
口調は険しいが、髪を触られながらハナは見るからに上機嫌になっている。
「あぁそうだ、あそこのダイナーの名前を教えてくれる?
ユウさんにメールするって約束してたんだ」
「マリーさんを連れていけば、大喜びだとは思いますが。
でもダイナーを訪問するために、Tokyoオフィスのプライベートジェットは飛ばせないと思いますよ」
「あっそうか、結局は僕の出番になっちゃうんだね」
シンの拍子抜けした情けない顔を見て、ハナは満面の笑顔で頷いたのであった。
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