018.Heroes
数日後、ロイヤルハワイアンセンターのステーキハウス。
「事業用ライセンス取得おめでとう。二人とも良く頑張ったね」
初級ジェット講習もひと段落付いたので、レイが音頭を取って本日の夕食は打ち上げを含めた外食である。
レイの出したオーダーは大量の取り分け用ステーキを含んだほぼメニュー全種類であり、広いテーブルの上は普段見た事が無い料理に埋め尽くされている。
シンはこの店でステーキ中心の食事を何度もした事があるが、古典的な米帝風のサイドメニューは初めて目にしたものも多い。
「ルーはあと数日双発機の追加訓練を受けて貰うけど、リコは今日で初級ジェットの訓練終了かな。
次回の訓練はイタリアに行って受けてもらう事になるから、時期についてはゾーイと相談してね」
「それとシン君ももうちょっとで滞空時間が足りるから、回転翼の事業用免許も見えてきたね」
付け合せのペースト状のスピナッチの味に意識を集中していたシンは、レイの言葉に慌てて頷く。
いつもは見かけから食わず嫌いしていたメニューだが、予想外の味に興味を惹かれていたのである。
レイはシンの様子に苦笑いしながらも、無事に二人の教習にひと段落が着いたので嬉しそうである。
「おいシン、お前訓練ペースが早過ぎだぞ。
免許取得できたら私は慌ただしいカーメリに戻らなきゃならないんだから、もうちょっとペースダウンしろよ」
専属教官として出張で来ているゾーイだが、オフタイムには数か月ぶりのハワイを満喫している。
シンの作る料理も気に入っている彼女は、訓練にかこつけてハワイ滞在を延長する気満々である。
「ハワイって司令官が不在ですから、このまま転籍するっていうのはどうですか?」
「お前なんていうことを言うんだ。誘惑に負けそうになるだろ!
それにここの司令官の座は皆が狙ってるから、そう簡単に事が運ぶ訳が無いだろ」
(ここで転籍するなんて言い出したら、副司令官のレアが発狂して呪い殺されるかも知れないしね)
「ふふぅ~シン!」
「ん、リコ、どうかした?」
普段はビールで酔ってしまうほどアルコールに弱くはないが、久々に飲んだ空きっ腹のアルコールでリコは早々に出来上がってしまったようだ。
彼女はシビアな訓練のお陰でぽっちゃり気味だった身体が引き締まり、美少女度が大幅にアップしているのは思わぬ副産物と言えるだろう。
「ふふっ、ありがとう。
ちゃんと見守っていてくれて!
シン大好きっ」
リコは椅子に腰かけているシンの上半身に抱きついて、しっかりと頬に口付けをする。
シンはいきなり抱きつかれて照れたような笑顔を返すが、キッスをした側のリコの顔はアルコールのせいもあるが茹で上がったように真っ赤である。
「ありゃりゃ、酒癖の悪いのは母親譲りなのかな」
ゾーイはリコの様子を見ながら、苦笑している。
エイミーはチラリと視線を向けただけで、表情を変えずに脂身が多いリブアイ・ステーキをしっかりと味わっている。
ハナは酔ったリコに特に関心もなさそうに巨大なベイクドポテトをつついているが、やはり視線だけはしっかりとシンから離れていない。
ルーとマリーの二人は周りの事など全く意に介さず、大皿に盛ってもらったご飯のお替りを繰り返し、ステーキをおかずにモリモリと食べ続けている。
この二人の様子はまるで須田食堂でカルビ焼き定食を食べているのと同じであり、高級ステーキハウスのドライエイジングビーフもちょっと焦げ気味の牛焼肉という認識なのであろう。
ただ一人シンとリコを睨み付けるように凝視していたトーコは、好物のフィレミニオン・ステーキにナイフをいれながらブツブツと怨嗟の声を呟いている。
「リコまで!また競争相手が……周りにいる人間が皆シンとくっついて……」
ナイフで肉をじりじりと切りながら、呟くこの恐ろしい台詞は勘弁してもらいたいものである。
「シン、お前は皆に大事にされてるんだな」
かなりカオス度が高くなってきたTokyo在住の女性陣を眺めながら、ゾーイがぽつりと呟く。
「はいっ?」
「若い頃のレイとは違って、女の子を扱いなれてるからかな」
「ゾーイさん、古傷には触れないようにお願いしますね」
苦笑いしているレイは、ビールを飲みながら普段よりリラックスしている様に見える。
「まぁ賑やかな日々も、あと数日かな。
シン、カーメリまでは送ってくれるんだろう?」
「ええ、荷物無しでよければ一時間ちょっとで到着しますよ」
「よし、明日からも頑張って滞空時間を稼いでくれよ」
ゾーイは前言を翻して、シンを激励する。
実はカーメリ基地はイタリア空軍の新規導入機体のテストで非常に忙しく、副指令から早く戻るように毎日のように催促が来ているのである。
「了解!」
シンの癖になりつつある敬礼の真似に、本家のマリーまでも立ち上がって可愛らしい敬礼を返したので、テーブルは爆笑で包まれたのであった。
☆
場所は変わってオオサカ、犬塚製薬のテストキッチン。
Tokyo居残り組であるユウは、アイの助言に従って製造委託しているカレーソースの味付けについて相談に来ていた。
「なんだって、スパイスの配合を変更しろって?」
「はい。うちの母からアドバイスがありまして……」
「なんだ!お前の母ちゃんは、プロの俺に対して意見するのか!
お前の作った味をスパイスレヴェルで再現するのには、信じられない苦労と手間がかかってるんだぞ!」
「ええ、勿論それは理解していますが。
ただあの……うちの母も料理に関しては決して素人ではありませんので」
「お前の仕込まれた料理の腕前を見てれば大した人だって事は解るが、俺は頭ごなしに命令されるのが嫌いなんだよ」
「それは分かりますけど……」
ユウは年長者と口論することに躊躇は無いが、この総料理長に対しては尊敬に近い感情を抱いている。
できれば穏当に事を済ませるために、いままで使わなかったカードをここで切ることにする。
「あの……総料理長のこの部屋に置いてある『世界料理大全』なんですが……」
「ああ、あの本は俺にとって若い頃からのバイブルだからな。
初版本で全巻揃えているし、もう背表紙が擦り切れるぐらい熟読してるぞ」
「この著者に味付けのアドバイスをされたら、どうしますか?」
「そりゃぁ、喜んでアドバイスを聞かせてもらうのが当たり前だろう?
なんたって、この著者は俺の心の師匠みたいなもんだからな」
「はい。それであの本の著者は私の母親なんですが……」
「えっ、ええっ!!!」
「これでご納得いただけましたでしょうか」
「ちょ、ちょっと待てよ……あの本の著者はもう結構なお年だろう?
プロフィール写真では、もの凄い綺麗な人だってのは知っているが。
お前はかなり年がいってからの、子供なのか?」
「えっとですね……うちの母方の一族は年を取りにくい血筋でして、年の事を言われるとちょっと不味いんですが。
これが最近の写真ですけど」
シンは数か月前に撮影した、ハワイベースの集合写真をコミュニケーターの画面に表示させる。
「どこに写ってるんだ?
隣の人は、お前の姉さんか?」
「いえ、隣がこの本の著者である私の母です」
「えっ、えええっ!!
確かに俺の見たプロフィール写真と同じ人には見えるが、全部たちの悪い冗談なんだよな?」
「説明が難しい事が多過ぎますけど、これが全部事実なんですよ。
まぁちょっと気を静めるために、これでも食べて下さい」
ユウは持参してきたシンのお土産であるピーカンパイの残りを、総料理長に差し出す。
マリーに殆ど食べられてしまったので残りは僅かだが、このパイも料理大全にしっかりと掲載されているメニューである。
「何だこれ!こんな美味しいピーカンパイは食べたことが無いぞ。
複雑な隠し味……コーヒーリキュールだけじゃないな?」
「これはお土産でいただいた物ですが、どうやらうちの母親のダイナーで出している通常のデザートみたいですよ」
「この絶妙な味付けをしているデザートが、店の通常メニューなのか?
……なるほど、スパイスの件は了解したが、一つ条件、いやお願いがあるんだ」
「はい?」
「あの……お前の母親に、是非一度合わせて貰えないかな?」
普段の強面から想像できない小さな声で、総料理長は呟いたのであった。
☆
打ち上げ終了後のハワイベースのリビング。
少量のステーキと大量に余った料理はすべて持ち帰りにしてもらったので、留守番していたシリウスは尻尾をブンブンと振って大喜びである。
リブアイステーキに付いていた骨を取り除いた後、シンがバランス良く盛り付けたプレートを彼女は凄い勢いで食べていく。
シリウスは牛肉よりも脂身がしっとりとしているベーコンの味が気に入ったようで、あっというまにプレートの上は空になり彼女は小さな吼え声でお代わりの催促をする。
リコはビールの飲みすぎで酔っ払ってしまったので早々に就寝してしまったが、他のメンバーはまだリビングで休憩している。
ルーは明日以降も続く訓練の準備なのか、A-10のフライトマニュアルを真剣な表情で捲っている。
「ここでの滞在が終了したら、アラスカベースに行くんですか?」
アルコールはビール数杯だけだったハナが、シンに尋ねてくる。
手にしているのは、いつもの個性的な味の炭酸飲料である。
「うん、テキサスでの伝言を無視できないからね。ハナは同行する?」
「いえ、大喧嘩になるのが目に見えてますので遠慮します」
「トーコはどうする?ずいぶんとレーコさんと会ってないんでしょ?」
「シン、他人の母親を親しげにファーストネームで呼ばないで下さい!」
「ええっ、だってご本人から名前以外では呼ぶなって言われてるしね。
ああそうそう、お義母さんって呼んでも良いとも言われたけど」
「ぶーっ!!!」
「トーコ、どうしたの?」
口にしていたソフトドリンクを勢いよく噴き出したトーコに、シンはティッシュの箱を手渡す。
「何でもありません!この会話の続きがあると困るので、私も行きません!」
「トーコさん、顔が真っ赤ですよ。
じゃあシン、いつも通り私が同行しますね。あそこの食堂で久々に食べたいメニューもあるし」
エイミーは冷凍庫から取り出した好物のミントアイスを、美味しそうに食べている。
「それじゃ、一泊して一緒に温泉に入ってから帰ってこようか」
「はい!
あそこの温泉は広くて、二人で入ると気持ち良いんですよね」
「ぶっぶふっ!!!」
「トーコさん、今度は鼻血が?」
シンが手渡したティッシュの箱は、今日も大活躍である。
お読みいただきありがとうございます。




