016.Go Back Home Again
飛行訓練のオフを利用して、シンは久しぶりにテキサスに来ていた。
目的はもちろん、ハナが常連だったダイナーを二人して訪問するためである。
郊外の人気の無い場所に降り立った二人は、目的の店を目指して歩いていく。
道幅が広い道路とゆったりとした舗道の市街地には、見渡す限り高いビルディングが無い。
(欧州の街並みだともっとこじんまりとして見えるのに、横に広がる米帝のこの土地の使い方はやっぱり特殊なんだろうな……)
ここ暫く密集したTokyoで暮らしているシンとしては、広々と開放的な街並みに違和感を感じてしまうのである。
「……母親ですか?いやぁ惜しい人を亡くしました」
薄く日焼けをしたハナは近々の激務で体重が絞られていることもあって、ブートキャンプで出会った頃よりも精悍に見える。
シンはオワフの現地民のような明るい柄のオープンシャツを着ているが、ハナは日焼けした肌が映える白いブラウスを着ているので猶更である。
「あれっ、研究職でアラスカベースに居るってフウさんから聞いてるけど?」
シンはリラックスした様子で歩きながらも、周囲をくまなく警戒している。
テキサスの市街地には偏執的な中華連合のメンバーは居ないと思うが、金品を狙った地元のギャングに襲われる可能性はゼロでは無いからである。
「私の中では幼少時に亡くなったのと同然です。
もう何年も顔を見ていませんし、こちらから連絡を取ることもありませんから」
普段の陽気な語り口とは違い、かなり棘のある口調でハナは会話を続ける。
口に出すのも嫌という態度は、トーコと同じ親子の間にあるかなり深い蟠りを感じさせる。
「ハナ、僕から言わせて貰えば、健在で何時でも会えるっていうのはとっても幸せなことだと思うんだけどね」
シンは語気を荒げることも無く、いつもの静かな語り口でハナに答える。
それはハナの一言を咎めるというよりも、シン自身が失ってしまったものに対する羨望なのかも知れないが。
「……無神経な一言でしたね、ごめんなさい」
飛行機事故についてシン本人から聞いた事があるハナが、口調を改め謝罪する。
無言でハナに近寄ったシンは、笑顔を浮かべながら悪戯するようにハナの頭をくしゃっと撫で回す。
言葉で返す必要がない程に、今や二人の絆は深くなっているのだろう。
☆
「へえっ、レトロなデザインだね。
まるで映画の中に出てくるセットみたい」
シンは市街地の外れに出現した、シックな装飾のダイナーに声を上げる。
「寂れていく店も多いですが、ここは店構えも内装もいつでもピカピカなんですよ。
お客さんはそれなりに入ってますけど、やっぱり見栄えに拘りがあるオーナーの趣味なんでしょうかね」
「ハナは、オーナーさんとは面識があるの?」
「いえ、お会いしたことはありません。
なんでも母の昔からの知り合いだとは聞いていますが」
オーニングの下の両開きドアに手を掛けて、ハナは店内を見渡す。
気が付いた常連客の何人かに目で挨拶しながら、彼女は窓際のボックスシートの空きを確認する。
「あら、ハナちゃん、いらっしゃい。久しぶりねぇ」
「こんにちは。連れが居るんでボックスシートを使っても良いですか?」
「ええ、どうぞ。あら、格好良いボーイフレンドを連れて来たわね!
レイの若い頃にそっくり!」
ボックスシートに落ち着いたシンは、ウエイトレスの女性の不躾な視線に困惑しながらも改めて店内を見渡す。
年季が入りながらも綺麗に磨かれたステンレスのカウンターや、懐かしさを感じさせる人造大理石の床。
今となってはアンティーク扱いのジュークボックスは、内部にドーナツ版が並んだレプリカでは無い本物である。
メニューは写真が一切使われていない簡素なものだが、並んでいる料理の種類が多くまるで『ニホンの定食屋のお品書き』のような印象を受ける。
「ハナが普段食べてたメニューを、全部注文してくれる?」
「全部ですか?」
「うん。折角来たんだから、できるだけ色んなメニューを味わってみたいんだ。
もし食べきれなかったらDoggy Bagに入れて持ち帰れば良いからね」
もともと人間用の料理を食べても問題無いシリウスだが、最近は手作りであっても薄味の犬用ご飯には飽きてしまっているようだ。
もしシリウス用に持ち帰れば、普段は食べれない味の料理が沢山あるので彼女は大喜びするであろう。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
数十分後。
ハナの遠慮の無い注文でボックスシートの大き目のテーブルは、並んだ料理で埋めつくされていた。
チーズバーガー、クラブハウスサンド、グリルドチーズサンドイッチ、チリドッグ
オムレツ、ワッフル、パンケーキ、フレンチトースト、アップルパイ、ピーカンパイ等々……。
(ああ、この赤いフードピック、初めてチーズバーガーを食べたときにも刺さってたよね)
母親の知り合いがオーナーだというこの店は、ハナが毎日通っていたまるで自宅の台所のような場所である。
無造作に口に運んでいた筈の料理もこうして改めて味わってみると、当時の小さな出来事や感情が次々と蘇ってくる。
(うん美味しい!やっぱり自分にとってのMom’s Cookingは、この店なんだわ)
感慨深げにチーズバーガーを齧っているその横で、シンはハナの様子を静かに見ている。
「ここはマリーを連れて来たら、大喜びするだろうね。
どのメニューもボリュームがあって外れが無いし、これなら常連さんに愛されて繁盛するのも頷けるよね。レシピを考えてる人が、凄いんだろうな」
シンはメトセラのメンバーの中では小食の部類に入るが、特に胃袋が小さいという訳では無い。
隣に座っているハナの様子を眺めながらも、シェアしたメニューの特徴を確かめるようにしっかりと味わっている。
「ああ、何かそれ聞いた事がありますよ。
オーナーさんが高名な料理研究家で、メニュー全般を監修してるとか」
シンの一言で現実に引き戻されたハナは、涙が零れ落ちそうな瞼を手で拭おうとするが指先がチーズバーガーの肉汁とケチャップでベタベタである。
卓上のナプキンケースにハナは手を伸ばすが、料理の皿が邪魔になって紙ナプキンを上手く取ることが出来ない。
素早くハンカチを取り出したシンは、潤んだハナの瞼を優しく拭うと彼女の目の前にハンカチをそっと置く。
「あ、ありがとう……」
感情が高ぶった泣き顔に、微かに笑みを浮かべた複雑な表情でハナはシンに小さな声を返す。
ようやく手にしたナプキンで指先を拭ったハナは、シンのハンカチを使ってしっかりと目元を拭うが何故か顔は真っ赤である。
「成程。このピーカンパイも焼きたてだし本当に美味しいね。
これは持ち帰って皆に食べてもらいたい味だなぁ」
目の前のハナの恥じらう様子から目を逸らしながら、コーヒーリキュールの香りが微かに漂うピーカンパイの残りをシンは大きく頬張った。
味付けもカラメルが入ったダークシロップを使っているので、カルアと合わせて複雑な苦味も感じる事が出来る素晴らしい出来栄えである。
☆
その後、時間は掛けてすべての料理の皿を平らげた二人は席を立った。
シンの手元のショッピングバックには『Doggy Bag』では無く、持ち帰りをお願いしたピーカンパイの紙箱が二つ収まっている。
「あなたがシン君?」
レジカウンターで会計をしていると、背後からカジュアルな服装の女性が突然声を掛けて来た。
身長はシンより若干低いが、完璧なバランスの立ち姿は格闘技に精通した達人のみに見られる特徴である。
「はい?何で自分の名前をご存知なんでしょうか?」
ゆっくりと振り向いたシンは、彼女の姿を一目見るなり背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
彼女はフウやゾーイと同じ軍務経験者の同胞であるのは間違いないだろうが、プロメテウスの拠点以外で所属が分からない相手に対して油断するのは自殺行為である。
シンは特に意識しないままに、女性の視線からハナを隔てる位置に体を移動させる。
今日は丸腰だが、狭い室内では二次被害の危険があるので、貫通力が高すぎるケラウノスはどちらにしても使えない。
「あなたの事は、ユウから何度も話を聞いているからね」
シンのハナを守ろうとする無意識の動きを見ていたのか、無表情だった女性の表情に微かな笑みが浮かぶ。
「ユウさんから……あっ、という事は?」
女性は無言で小さく頷きながら、言葉を続ける。
「先ほどハナの御母堂から連絡が入ってね、貴方宛に伝言があるのよ。
『暇な時にアラスカベースを訪ねて来て下さい』だって」
いきなり名前を呼ばれたハナだが、その威厳がある彼女の態度に口を挟むことが出来ない。
ユウの事をファーストネームで呼び捨てにしているという事は、彼女の知り合いであるのは間違いないのだろうが。
「それじゃぁ確かに伝えたから。
それとユウに会ったら、カレールウのスパイス配合を見直すように伝えてくれる?
特にコリアンダーの量が多すぎるって言っておいてね。
じゃぁまた会いましょう!」
質問も余計な会話も無しに入口ドアを通過した女性は、エンジンを掛けたままだった赤いミアータに乗り込み急発進させる。
颯爽とした姿は、まるで現場へ急行する刑事ドラマの主人公の様である。
「今の綺麗な方は、もしかしてここのオーナーさんですか?」
複数枚のオーダーシートを見ながらレジを打っていたウエイトレスに、シンが尋ねる。
「ええ。アイさんでしょ。
普段はアリゾナに住んでいるんで、ここに来るのは月数回だけだけどね」
「うわぁ、やっぱり。ちょっと面立ちが似てる感じがしたんだよなぁ!」
「シン、一体どういう事ですか?」
先ほど呼び捨てにされてフリーズしていたハナが、シンに怪訝な表情で尋ねてくる。
「ああ、あの人はユウさんのお母上みたいだね。
通りでどのメニューも絶品な訳だな」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「あの人、唐突に現れて風のように去っていきましたね。
なんか伝言にかこつけて、シンの顔を見に来たような気もしますけど……」
やっと店を出た二人は、通りをゆっくりと歩いていく。
人目のある店頭からいきなりジャンプは出来ないので、監視カメラが無い場所が必要だからである。
「あのタイミングで現れたのは、やっぱり店内がモニターされてるからだろうね。
SID、さっきの店内には監視カメラがいくつあるのかな?」
「通常のコミュニケーターが一つと、監視カメラが10台設置されてますね」
「さっきの女性は、アイさんで間違いないよね?」
「はい。仰る通りです」
店内がモニターされているのはSIDは勿論知っていたが、シンに尋ねられない限りは警告を発したりはしない。
メトセラの利益を最優先に行動しているにしても、メトセラ同士の利害の衝突に関してはSIDは関知するところでは無いからである。
ようやく人気の無い公園を見つけたシンは、周囲をSIDに確認して貰ってからハナを横抱きにしてジャンプを行う。
ケーキの入ったショッピングバックをハナが抱えているのでかなり窮屈な体勢だが、空中に浮遊した瞬間にシンは密着したハナの耳元に囁く。
「まだ時間が早いから、疲れてなければ一旦アリゾナに寄り道しようか。
ああそうそう、アリゾナと言えばハナに聞きそびれてたんだけど……」
「ブートキャンプに参加した理由ですか?」
何度かシンと一緒にジャンプを経験しているハナは、横抱きされながらも身体は力が抜けてリラックスしているようである。
シンの囁き声を聞いた途端に、耳だけが赤くなっているのは原因不明?なのであるが。
「うん。まぁ義勇軍に参加するのは義務ではあるんだけど、いきなり歩兵のブートキャンプに参加するのはハナらしくない気がしてね」
「あの時は現状を打破したいという焦燥感が、かなり強かったんでしょうね。
ハイスクールには通っていましたけど、飛び級を繰り返してクラスに馴染めない私は図書館に篭って自習する毎日でしたから。
GEDにはハイスクール入学前に合格していましたしSATの点数も高かったので誘ってくれる大学は沢山あったんですが、レールに乗せられているようでそのまま進学するのが嫌だったんでしょうね」
低い高度で飛ぶ有視界ジャンプは、米帝の草原地帯や森林を渡り鳥のような高度で通過していく。
その早回しされた風景は、まるで映画のSFXシーンの様な非現実的な光景である。
「あと私には、生まれて此の方親友や家族と呼べる存在が全く居ませんでしたから、淋しかったのかも知れません。
ブートキャンプにはきっと、私に似た境遇の人が居ると思いましたから。
結果的に何人か知り合いが出来ましたし、それに何よりシンに出会える切欠になりましたから」
自分の言葉に耳以外も真っ赤になったハナは、顔をそむけて真っ直ぐにシンを見ることが出来ない。
先ほどまでリラックスして横抱きされていたハナだが、今では首に回している腕に力が入ってまるでシンにしがみついてるような密着具合である。
「ハナ……抱えてるケーキの箱がつぶれちゃうよ」
普段と変わりない明るい口調で呟くシンの一言に、ハナははにかんだ笑顔を浮かべたのであった。
いつもお読みいただきありがとうございます。




