013.Joy Will Come
Tokyoオフィス。
レイとの面談でAIの特別クラスを受講する気になったハナは、約束の時間にミーティング・ルームに来ていた。
ここはプログラミングの授業でも使われている、会議用の大きなテーブルと複数の椅子が置かれた部屋である。
「私がAI構築の授業を担当するソラです」
自己紹介した女性が羽織っている白衣には、胸元にローマ字でNanaと刺繍されている。
また彼女がかけている眼鏡は伊達なのか、レンズが素通しに見える。
「ええと、ナナさんですよね?」
以前データベースで見たレイの母親の顔写真を思い出しながら、ハナは目の前の女性に尋ねる。
髪の色や瞳の色もレイと同じ濃いブラウンで、これは自分と同じ組み合わせなので強く印象に残っていたからである。
「いえ、ナナは私の母親……では無く、私は娘のソラです」
アヴァターラボディについての顛末は公開されていないので、ソラについて詳細を知っているのは作戦に参加したTokyoオフィスの当事者達だけである。
「ということは、アンさんのお姉さんなんですね」
血縁関係を詮索するのはメトセラのマナーに反しているが、ソラの外見はどう見てもアンより年下には見えないので素直な感想をハナは口にする。
「……それは、ご想像にお任せします。
レイから話があったと思いますが、AIに関して貴方に技術的なヘルプや指針を与えるのが私の仕事です。
カリキュラムに沿った授業は行いませんので、疑問点がある時には何時でもコミュニケーター経由で私を呼び出して下さい」
「コミュニケーター経由、ですか?」
SIDに依頼して音声通話を接続可能なのはハナも知っているが、電話番号を既知の相手に対しては手間が増えるだけでメリットは少ない。
わざわざコミュニケーター経由と彼女が指定する意図が、この時のハナには理解できなかったのである。
「ええ。それではスクリーンを見て下さい。
これが現在動作しているSIDの基本部分です。これらはハードウエアでは無くスパコン上のエミュレーションプログラムで……」
☆
数日後の学園寮。
「ハナ、ちょっと入って良いかな?」
ソラが担当する初回授業以来、ハナは部屋に缶詰状態で食事の時間すら出てこない。
課題が多いというレヴェルでは無くいきなり提出期限が決められた複雑な回路設計をしているので、睡眠や食事の時間すら削ってハナは作業に没頭している。
ソラに対する技術的な質問も待ち時間無しでコミュニケーターから返答されるので、ハナは結果的に切れ目なく作業を続けている。
彼女は集中していると空腹すら忘れてしまうトーコと同じタイプらしく、シンは早々に彼女から目を離すのは危険であると結論付けていた。
「……はい。どうぞ」
「これ、手が空いた時にでも食べて」
シンは白いテイクアウト用のピッザの紙箱を、小さなサイドテーブルの上に置く。
飲み物は最近ハナの部屋に設置された、小型冷蔵庫の中に大量に在庫されている筈である。
「ピッザですか?有難うございます」
寮のキッチンにもサイズが小さいが電気窯があるので、焼き立てをいつでも提供することが出来る。
もっとも生地の仕込みに時間がかかるので、発酵済みの冷蔵生地を少量だけTokyoオフィスから分けて貰うことも多いのであるが。
わざわざTokyoオフィスから譲って貰った紙箱に入れたのは、皿に置いてラップをかけるより湿気を吸わずに保温効果が期待できるからである。
「じゃぁ、夕飯の時にまた声を掛けるね」
シンは前回持ってきたサンドイッチが綺麗に平らげられているのを見て、少しだけ安堵する。
トーコの場合は、切羽詰って持って行った差し入れすら手がつけられていない場合があるからだ。
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作業がひと段落ついたらしく、シャワーで濡れた髪もそのままにハナは夕食の席に来ていた。
見かねたエイミーが給水タオルを持ってきて髪を拭っているが、彼女はやはり集中すると周りの事が見えなくなる典型的な研究者タイプなのだろう。
エイミーと同じ大皿に盛りつけたボリュームのあるミートボールスパゲティを、ハナは美味しそうに食べ始める。
目の下にはうっすらと隈が出来ていて、少しぽっちゃり気味だった顎のラインがシャープになったように見えるのは数日に渡り根を詰めて作業をしていた所為だろう。
「シンにはブートキャンプの時に食べ物の好みを聞かれましたけど、なんでピッザのトッピングやスパゲティの具材の好みも知ってるんですか?」
食後にリラックスした口調で話し始めたハナは、ここ数日のプレッシャーからやっと解放されたようである。
「いや、これは僕が決めたんじゃなくて、SIDから指示があったんだ。
食事の様子でも、モニターされてたんじゃないの?」
「いえ、テキサスの自宅にはコミュニケーター端末はありませんし、モニターされてたというのはあり得ません」
「じゃあデリバリーピッザの配達記録とか、レストランとかの監視カメラだろうね。
メトセラの子供は誘拐の危険があるから、しっかりと常時モニターされてたんでしょ」
「食事はいつも近所のダイナーで一人で食べてましたけど、見られたんですかね」
「見られてたというよりも、見守られていたというのが正しいと思うよ。
でもアリゾナのダイナーって、なんか伝統的な米帝料理が食べれそうだよね?」
「ええ、自分が利用してたのはかなり歴史がある店で、いろんな料理の味は殆どそこで覚えましたね。
あとフライトスーツ姿のレイさんの写真が、壁には複数飾ってありましたよ」
「へぇっ、やっぱりレイさんは地元では有名人なんだ」
「空軍関係者からは、神様みたいに崇められていますから。
そのダイナーのウエイトレスのおばちゃんは、ハイスクールの頃のレイさんを覚えているようで逸話も一杯聞きましたよ」
「ハナのお母さんは、研究室の人なの?」
デザートのチョコミントアイスをディッシャーで掬いながら、シンが尋ねる。
エイミーの好みに合わせて注文したアイスだが、着色料は使っていないので色は特徴的なグリーンではなく殆どバニラアイスと変わらない。
彼女はアンの店で作られたジェラートも好きだが、食後のデザートとしては特徴的な味付けのミントアイスが好みなのである。
「ええ、私は母親の手料理というものを食べた記憶が全くありません。
食事はダイナーかファーストフードですし、自分で料理が出来ればもう少しまともな食生活を送れたと思うのですが」
「なんか話を聞くと、トーコとの共通点が多いね。
SID、トーコの嫌いな食材をリスティングしてみて」
「ピーマン、ゴーヤ、オクラ、ハラピニオ、ジョロキア、ハバネロ……」
「SIDストップ!人の個人情報を列記しないで下さい!プライバシー侵害ですよ」
「いや、今出たのは当然僕は全部把握してるから、プライバシーとは言えないんじゃないかな。
今上げた食材で、ハナが好きなのはあるかな?」
「……殆ど全部苦手ですね」
「好き嫌いが多い割には、トーコはアンチョビは大丈夫だよね?」
「ええ、ニシンだとは知らずに食べてましたから。
あの塩辛い味がトマトソースと妙に合うんですよね」
「ハナもマリゲリータにアンチョビトッピングが好きなんだよね」
「……はい」
「二人ともシリウスが大好きだし」
『それは食べ物の好みとは関係ないのでは?』
『シリウスは食べ物じゃないと思いますが?』
「二人は息もぴったりですね」
エイミーがアイスクリームを頬張りながら、満面の笑顔で発言する。
「ところで来週からハワイベースに行くんだけど、ハナも同行するよね?」
「一人で寮に居ると寂しいですから、同行します。
それにビーチで日光浴もしたことが無いので、ちょっと楽しみです!」
☆
週末のTokyoオフィス。
「敷地の中でバーベキューパーティーが出来るなんて、凄いですね。
屋外で調理したものを食べるなんて、お祭りみたいで何かわくわくします!」
キャンプやバーベキューというものを映像記録でしか見たことが無いエイミーは、普段よりもハイテンションである。
「ああ、ここは地下施設との兼ね合いで、敷地内に無駄な空地が多いからな。
最近は室内のイベントばかりだったから、偶には屋外も良いだろう?」
フウは巨大なクーラーボックスから取り出した冷えたビールを煽りながら、人で溢れている敷地を見渡す。
Congohトーキョーのメンバー以外にも、入国管理局関連や、招待していないイタリアや米帝大使館の関係者が大勢押しかけてかなりの盛況である。
「シン、まだ?」
「もうちょいかな。炭火でもこのサイズだと時間が掛かるからね」
キャンプ用の大きなグリルの前でバーベキューをサーブしながら、シンは片手間で焼いている肉の塊の様子を見ている。
竹串を指して中の温度を確認しているが、まだミディアムというよりもレアに近い状態である。
ハワイに行く前に冷蔵庫の中味を整理するために、作っているステーキの塊はおよそ5kgの重量がある。
バーベキュー用の炭火では何時間も時間がかかりそうなので、あらかじめオーブンで加熱して準備していたがまだ中まで完全に火が通っていないのである。
隣では大きなグリドルで、ユウが両手にターナーを持って何かを炒めている。
ユウの横にはビールを片手にリラックスしたケイが立っていて、調理中の彼女と談笑している。
「ユウさん、このパスタみたいなのは何ですか?」
最近は様々な料理に詳しくなったエイミーだが、さすがにジャンクな屋台料理までは知識が追い付いていないようだ。
「ああ、これは日本のお祭りとかで売られている、屋台風の焼きそばだね」
「なんか色が黒くて、辛そうですね」
「まぁこれもニホンのソウルフードの一つとも言えるかな。
とにかく食べてみてよ」
焼そば用の生麺は近所のスーパーから調達したものだが、味付けの肝であるウースターソースは屋台で良く使われているものをわざわざ取り寄せて使っている。
揚げ物と相性が良いソースなので、薄いチキンカツや串揚げにもピッタリの味だとユウは考えていた。
「見た目ほど辛くないですね。
天かすと焦げ気味の具材が、良い感じで麺に絡んで美味しいです!」
「マリー、焼上がったよ。紙皿じゃ危ないから、ホーロー皿に載せたから。
そこのテーブルを使って」
「こんな大きなお肉は久しぶり!」
肉塊にナイフを入れていくと、切り口はローストビーフに近い綺麗なピンク色である。
「ああ、焼き具合は丁度良いみたいだね」
「ん、おいし!」
「ご飯を一緒に食べるなら、持ってこようか?」
「うん。ラーメン丼に特盛で!」
「了解」
シンがいつものマリーを真似て敬礼する。
「ハナ、ちょっとバーベキューを見ててくれる?」
「はぁい」
「バーベキューも慣れてるね」
キッチンから戻ってきたシンは、マリーの前に超大盛りご飯と、漬物の小鉢を置きながらハナに声を掛ける。
「ええ、一人でキャンプに行くのが好きだったんで」
ハナは肉を次々と網の上に追加して、絶妙な焼き加減でひっくり返している。
バーベキューグリルの前には、いつの間にかパピとベックが貼りついてエンドレスで焼き上がりを頬張っている。
「物騒な目に合わなかった?」
「ショットガンは忘れずに持っていきましたし、結構射撃は上手なんですよ」
「わぁ、00Bで蜂の巣にされないように気をつけなきゃ」
「ふふふ、不埒なことをされても未来の旦那様は撃ちませんから安心して下さい」
「……」
シンはクーラーボックスから取り出したビール缶を右手に持ちながら、ハナに目くばせする。
彼女が小さく頷いたので口をつけずに冷たい缶をそのまま彼女に手渡すと、新しい缶をクーラーから取り出す。
「トーキョーはゴミひとつ落ちてない綺麗な街ですが、星はあんまり見えないんですね」
ビールに口をつけながら、ハナは夜空を見上げる。
イケブクロの繁華街とは少し距離があるが、周囲のネオンの明るさの所為か星はまばらにしか見えない。
「テキサスだと、夜空は綺麗なの?」
「市街地以外は高い建物も無いし、人工的な照明も殆どありませんからね。
星も沢山見えますよ」
「じゃぁ、ちょっと見に行こうか」
「??」
「ユウさん、近場をちょっと散歩してきますので、グリルをちょっとお願いします」
「了解」
☆
「ねぇエイミー、シンとハナの距離が大分近いみたいだけど、放って置いて良いの?」
息の合った様子でバーベキューを焼いている二人を横目で見ながら、ルーが焼きそばを食べているエイミーに話しかける。
ルーは並べてあったオードブルで既に満腹になっているようで、今はデザートのソフトクリームを食べている。
「ああ、はい。
ハナさんは傍系ですがかなりシンと遺伝的に近いですから、波長がピッタリ合うんでしょうね」
「えっ、エイミーって視ただけでそこまで分かっちゃうの?」
「はい。ルーさんとマリーさんの場合は、さらに距離が近い感じですけどね」
「ああ、それは姉さんとの初対面で分かったよ。他人じゃないって。
でもそんな距離感の二人を放置してエイミーは心配じゃないの?」
「ふふふ。ルーさんも気になるんですね。
でも距離が近すぎて、それ以上にはならない場合もあると思いませんか?」
「う~ん。
でも距離が近いって言えば、エイミーも何かシンとの関係が不思議だよね。
なんか最近は本当の兄妹にしか、見えなくなってるしさ」
「残念ながら、私たちは自分自身の分析は出来ないんですよ。
私達の女王陛下が、何か知っている口ぶりでしたが」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「ほら、この辺りが高度10、000メートルかな。国際便のジェットではお馴染みの景色だよね」
ハナがシンに横抱きにされて運ばれるのは2回目だが、前回は低い高度で飛んでいたので景色が全く違う。
非現実的な光景ではあるが、周囲に全視界で広がる光景にハナは強く心を揺さぶられていた。
「うわっ、旅客機の小窓とは臨場感が違いますね!雲に手が届きそうな感じがする……」
「この辺が、ハワイでドラゴンレディが昇れる上限かな。25、000メートル付近だね」
「シン、空の色が違いますね。この高度が『宇宙の渚』と言われるのも分かります。
私にだけこんな景色を見せてくれるなんて、恐縮しちゃいますね」
「いや、ハナを特別扱いしてるんじゃなくて、僕の周りで希望する人は誰でも案内してるんだ。
パイロットになるつもりが無いなら、この景色を肉眼で見れる機会はまず巡ってこないからね」
「たしかにこのこの光景は、人生観が変わりそうな気がしますね……」
ハナは自分を横抱きにしているシンの腕の力強さを感じながら、この幸せな瞬間を忘れないようにしようと心に誓っていたのであった。
いつもお読みいただきありがとうございます。




