009.Let It Grow
駐在大使の肩書があるフウが身元を引き受けて、シンとエイミーはようやく取り調べから解放された。
取り調べ室で出前を食べるという稀有な経験ができたのは良かったが、長時間の無意味な拘束でエイミーは殆ど寝落ち状態である。
「暫く手出しが無かったから油断してたのもあるが、中華連合の残党が国内に拠点でも作ってるのか?」
Tokyoオフィスのリビングで一息ついたフウは、エスプレッソのカップを手にしながら呟く。
「顔の知られたメンバーは殆ど今日お縄になりましたが、アジトの特定作業は継続しています。
以前の学園の誘拐騒ぎで内部セキュリティは改善しましたが、近くに厄介の元があるなら対処しないといけませんね」
SIDがフウの呟きに即応する。
「おいシン、取り調べを含めてあんまり地元警察と揉めるなよ。
地元警察を敵に回すと、何かと厄介だからな」
珍しくフウがシンに対してお小言を言う。
「すいません。ついテレビドラマの影響で、おかしな事を口走ってしまいました」
「でも出前のカツ丼は美味しかったですよ。
割り箸袋をとってありますから、今度訪ねてみましょう」
エイミーがフウの一言で、眠そうな瞼をこすりながら返答する。
「ホントにカツ丼を出前させたのか……これってうちの馴染みの長崎庵じゃないか!」
エイミーから手渡された割り箸袋を見て、フウが思わず声を上げる。
「ああ、Tokyoオフィスの馴染みの店なら、美味しい訳ですね」
「あそこの丼物は、どれも美味しい。
特にオムライスはお勧め!」
リビングで熱心にテレビを見ていたマリーが、店の名前に反応して会話に割り込んできた。
「シン、今度行ってみましょう!」
オムライスの一言にしっかりと反応したエイミーが、シンに満面の笑顔を向けたのであった。
☆
イケブクロ警察署内某部署。
「あれっ、『カツ丼兄妹』の事情聴取映像、真っ白で何も撮れてないですね。
ネットワークカメラが故障しちゃったのかな。
課長、深刻な顔をしてどうかしました?」
「外務省から早速苦情が来たぞ。
未成年の在留外国人の事情聴取は、もっと配慮して行うようにだとさ」
「出前まで取ってあげたのに、配慮が足りないって言われても困りますよね。
にしても、あのギャング連中をどうやって撃退したんですかね?
手を触れないで骨折させて、銃を壊すなんてまるで超能力者みたいですよね」
警察病院の被疑者に対する所見は、圧迫骨折だが患部に目立った外傷が無く原因が特定出来ないと記述されている。
「冷戦時には、米帝やロシア連邦でもサイキックの研究を本腰を入れてやっていたらしいがな。
あの兄妹は欧州の別の国出身らしいから、関係無いとは思うが……」
☆
夕刻。
シブヤにある落ち着いた雰囲気の居酒屋で、ユウとキャスパーは二人で晩酌をしていた。
ここは好物である鯨メニューが豊富に揃っている、キャスパーお気に入りの店である。
「なんか最近、エイミーとばかり仲良くしてるじゃない?」
ユウのグラスに瓶ビールを注ぎながら、キャスパーが珍しく棘のある言い方をする。
多忙が重なり予定が合わなかったので、二人が直接会ったのも数週間ぶりである。
「まぁ格闘技のみならず、料理でも師匠だからね。
あれっキャスパー、それって焼き餅?」
「……」
「キャスパーが大人になっていく姿は見れなかったけど、今エイミーはすごい勢いで成長してるよね。
シン君は間近でそれを実感できるなんて、本当に羨ましいよね」
「確かにシン君を、羨ましく思う気持ちはあるかも。
わざわざ母星まで行って、ノーナに挨拶までしてくれたし。
ああ、羨ましいっ!」
「……ふ~ん、そう来たか。
おねえさん、黒瓶ビールを2本追加で。
あと、尾乃身の刺身と畝須ベーコンも下さい」
ユウはグラスのビールを一気に飲み干すと、キャスパー好みのちょっと高価な鯨メニューを追加注文する。
「ふふん、食べ物で誤魔化すつもりなんだ」
「……なんかシン君が言ってたけど、母星でキャスパーの好物のXXXXXXを食べたって?」
「ああ、あのメニューは検疫があるから持ち出しできないんだけどね。
鯨に良く似た味で、ちょっと風味が独特で癖になる味なんだよね」
追加注文の刺身と紅白に色味が分かれたベーコンの皿が運ばれてくると、好物のキャスパーが嬉しそうな表情で口に運ぶ。
「XXXXXXも美味しいけど、この尾乃身も負けてないかも。
まったく食べ物で誤魔化すのが、ユウは相変わらず上手だよね」
「明日はまる一日オフなんでしょ?
しっかりと付き合うから、機嫌を直してよ」
「あれっ、ライブハウスでレイのお手伝いって言ってなかったっけ?」
「優先順位は秒刻みで変わるんだよ。
義勇軍の行動理念は、臨機応変だからね」
「それって米帝海兵隊のモットーじゃなかったっけ?」
「……」
☆
「レイさん、マツさんの所からギターを引き取って来てくれたそうで。
お手数おかけして、すいません」
マツから連絡を受けたシンは、Tokyoオフィスに調整が済んだアコースティックギターを受け取りに来ていた。
「いや他に用事があったから、ついでだよ。
なんかこの間エイミーが選んでくれた材料が素晴らしいって、削りだしたボディをタッピングしながらマツさんが興奮してたよ」
「ああ、それは出来上がりが楽しみですね」
「エリック・ジョナサンに話が伝わると、横取りされそうだから気をつけないとね。
ところで明日ライブがあるんだけど、ユウ君の都合が付かなくてね。何曲かボーカルをやって貰えないかな?」
「あれっ、不参加なんて珍しいですね。
僕が知ってるメジャーな曲なら良いですけど」
「それが、ユウ君が好きなSt●ely Danの70年代から80年代の曲なんだけど」
「久しぶりに人前で歌うのが、St●ely Danですか……。
ヴェテランの皆さんの前で歌うにしては、ハードルが偉く高いですよね」
「いや、今回はホーンが3人も集まったから、仕事で出来ないのをやりたいんだって。
他のメンバーもノリノリで、結局『St●ely Dan Night』っていう事になってね」
「……シン、私も見に行きたいです」
「残念だけどライブハウスはアルコールが出る店だから、エイミーは補導されちゃう可能性があるからね。
今回使うライブハウスは、ネットワークカメラが複数設置されてるから生中継で我慢してくれるかな?」
レイがエイミーの頭を撫でながら、申し訳なさそうな口調で返答する。
「はい……早く大きくなりたいです」
補導と言われて、イケブクロ警察の取り調べの様子を思い出したエイミーは、おとなしくレイの言葉に頷いている。
「ああ、ユウ君も子供のころに同じ台詞を口癖のように言ってたな。
今のエイミーと同じくらいの背丈の時、セスナのラダーペダルに足が届かなくてね。
無理に足を伸ばすと、今度は操縦席から外が見えなくてさ」
「ユウさんが小さい頃って、どんな感じだったんですかね?」
「ああ、今のエイミーと一緒で、毎日を一生懸命に慌ただしく過ごしていたかな。
ユウ君がエイミーを特に可愛がっているのは、その姿が昔の自分と重なるからかも知れないなぁ」
☆
「あれっ、シン君手ぶらで来たの?」
何度かローディをやっていた時に顔見知りになった、コーラスを担当する女性がシンに声を掛けてくる。
彼女はシンがストリートで演奏をしていて、それなりにファンが居ることも知っている。
「今日は、片手間で弾いてる余裕が無いと思いまして。
それにコードチェンジも難しいので、ぶっつけ本番じゃ無理ですよ」
ライブハウスの楽屋に到着したシンは知り合いのミュージシャン達に挨拶して回るが、彼女が指摘した通り今日はギターケースを持って来ていない。
「St●ely Danって、聞いた事が無いの?」
「いえ、昔から大ファンですからアルバムは全部聞いてますし、歌詞も大丈夫かと思います」
「生まれても無い頃のアルバムを全部聞いてるって、君もユウちゃんと同じでかなりの音楽マニアなんだね。
確かにこのライブハウスのモニタじゃ音程を取るの難しい曲ばっかりだけど、手弁当でギャラが出る訳でも無いから楽しんでやろうよ」
「はい、緊張はしてますがバンド演奏で歌えるのでワクワクしてます」
「ああ、ユウちゃんも途中から顔を出せたら、コーラスに入ってくれるって」
開演時間になり特にアナウンスも無く、唐突に演奏が始まる。
レイのセッションではあくまでも自分たちが楽しめる演奏が本分であり、ショーアップという意識は微塵も無いのである。
ヒッカム基地で手に入れた太平洋空軍のロゴ・キャップを深く被り、OAKLEYのスポーツグラスを付けたシンがマイクスタンドの前に立つ。
ストリートでお馴染みのシンの姿に若い女性が何人か悲鳴のような嬌声を上げるが、殆どの観客は彼が誰なのかも知らない筈である。
♪Kid Charlemagne♪
エレピとハイハットから始まるタイトな間奏。
レイのシンプルなカッティングのサイドギターと、クラビネットの音色のコンビネーション。
シンはいつもよりも声を絞って、静かに歌い始める。
そしてメンバー全員が参加しているぶ厚いコーラスの響きが、背中を押してくれる。
合間にフィルインしてくるレイのギターの音色が実に心地よい。
声域が広いシンだが、フェイゲンの『だみ声』ボーカルを真似るのは到底無理である。
ブルージーなメロディラインと空気感を壊さないように、それだけを注意してマイクの前に立ち続ける。
さぁ、いよいよギターのリードパートだ。
オリジナルの演奏は誰もが知っている名演だが、レイの作り出すメロディラインも決してカールトン師匠に負けてはいない。
観客だけではなく演奏しているメンバーも、レイが奏でる美しいメロディに釘付けである。
ロングトーンと微妙なポジションチェンジで指はゆったりと動いているように見えるが、奏でるメロディはあくまでも流麗で無駄が無い。
(うわぁ、これを聞けただけでも来てよかったかも)
レイのギターの音色に身をまかせながら、シンは幸せそうな表情で独り呟いたのであった。
♪~
St●ely Dan初期の作品を数曲演奏したセッションは、無事に終了した。
ボーカルとしては出ずっぱりでは無かったが、参加メンバーから絶賛の声を貰ったシンはとりあえずレイに恥をかかせなかった事に安堵する。
手弁当のセッションとはいえ、せっかくボーカルに抜擢してもらって酷いパフォーマンスではレイに合わせる顔が無いからだ。
最後にレイにお疲れ様の一言を貰ったシンは、打ち上げを前にメンバー一人ひとりに挨拶して早々に退出することにする。
打ち上げに参加したい気持ちはあるしアルコールが飲めない訳ではないが、此処は学園やTokyoオフィスのように融通が利く場所では無いからだ。
帰り際に出入口のドアを開けたところで呼び止められたシンが振り返ると、レイが打ち上げ用に用意してあった良く冷えたビール缶をシンに向けてスローする。
それは数か月前のオワフ島の訓練で、毎日のように口にしていた見慣れた絵柄のハワイ産地ビールである。
危なげなく受け取ったシンはウインクするレイに再度頭を下げると、ビール缶を尻ポケットにねじ込んで隣接している路地に向けて歩き出したのであった。
☆
ジャンプで一瞬にして寮の屋上に戻ったシンは、共用で使われているリビングダイニングにそっと入っていく。
備え付けの大型モニターにはライブハウスの客席で打ち上げをしている様子がまだ中継されているが、エイミーはソファで丸くなって眠っている。
シンは静かな寝息を立てているエイミーをそっと抱き上げて、自分の部屋のベットに運ぶ。
ライブ映像を見ながら頑張って起きていたのだろうが、途中で睡魔に負けて寝てしまったのだろう。
やすらかな表情で眠るエイミーを見ながらまだ冷たい缶ビールのタブを開けると、シンは静かに右手を掲げビールに口を付けたのであった。
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