006.A Place Called Hope
育ての父親の死後、長い彷徨いの後にルーはやっと自分の居場所を見つけることが出来た。
毎日の寝床や食事の心配は、もう必要無い。
今では生きるためのささやかな目標も、そして気の置けない仲間も沢山居る。
ただ一つだけ心に引っ掛かっているのは……
「ルー、シミュレーターや座学もかなり進んでるんだって?」
寮のリビングでは、シンとルーが雑談をしている。
日付が変わるまでにはかなり時間があるが、シンはエイミーが就寝した後の読書や雑用は自室ではなく此処で行うようにしている。
「うん。ぼちぼちかな」
ルーはビールサーバーから並々と注いだパイント・グラスを手に持っている。
寮ではビール以上の強いアルコールを飲まないというユウとの約束を、量はともかくとして彼女は忠実に守っているようだ。
「それは羨ましいな。なにせヘリのシミュレーターは無いから、ハワイまで行かないと実技が経験できないからさ」
「でもシンなら、ハワイまで数分で行けるだろ?」
「今は行けるけど、インストラクターをアサインしないと一人じゃ飛べないからね。
結局は夏休みまでは、教本と睨めっこの日々かな」
「シンは、もうこれを付けてないんだ」
ルーは自分の胸元の、チョーカーの金具を指し示す。
「うん。制御に関してはもう大丈夫だという自信があるからね」
「姐さんも、同じことを言ってたな。
私にとってはアノマリアなんて邪魔な能力で、こんなもの無くなってしまえと日々思ってるんだけどね」
「僕の場合は、この能力が無かったら深海魚の餌になっていたのは間違いないから。
感謝することはあっても、疎ましく思う事はなかったかな。
ただ、もっと前からこの能力が使えたなら、妹を守れたかも知れないと思うと複雑だけどね」
「……シンが飛行機事故にあったのは大分小さい頃だったんだろ?
いつごろからそんなに前向きに考えられるようになったの?」
「フウさんに引き取られてからも、暫くは毎日ぼんやりと暮らしていたかな。
何せ僕の妹は、0歳児の頃から全て僕が面倒を見てたからね」
「それは、シスコンどころの騒ぎじゃないな」
「ははは、その通りだね。
母さんは、自分が急逝するという予感があったみたいなんだ。
だから兄妹で生きていけるように考えていたんだろうね」
「それで今はエイミーが妹なんだね」
「この間ノーナさんにも言われたんだけど、妹の代わりというよりも最近はエイミーが本当の妹のように思えるんだ。だからまた妹を守れなくて後悔だけはしたくないから、色んなことに前向きっていうか必死になってるんだろうね」
「でも最近のシンは、余裕が無いようには見えないし、とってもリラックスしてるように見えるよ」
「そりゃぁ、ルーを筆頭に頼もしい仲間が増えてるからじゃないかな。
なんでも自分で出来るなんて、そんな傲慢な事は露ほども思ってないしね」
☆
「うわぁ、荒野の中にこんな場所があるんだ!」
シンが行っているアノマリアの個人トレーニングは、以前ブートキャンプで訪れたアリゾナのCongoh所有地で行われている。
本来は時差を利用した一人きりでの訓練なのだが、今回は訓練の様子を見てみたいというリクエストがあったのでルーが同行している。
「一応アリゾナベースの敷地だけど、キャンプからはかなり離れてるし自由に使える許可を貰ってるんだ」
「すごいね。常設のコンバット・シューティングのコースなんだ」
「ユウさんの知り合いがこの近くのレンジを閉めるって聞いて、ターゲット一式と備品を格安で譲ってもらったんだ。
トレーニングに便利だからって、ユウさんも設営を手伝ってくれたしね」
「でもシン、今日は丸腰じゃん?」
「ハンドガンの訓練はTokyoオフィスの地下でも出来るけど、それ以外の訓練かな。
じゃぁその辺りで見学しててくれる?ひと段落したら声を掛けるから」
シンはコースのスタート位置で、ベルトに付けたシューティングタイマーをスタートさせる。
スティールターゲットが着弾の甲高い音を鳴り響かせ、シンのアノマリアのトレーニングが始まった。
☆
「ユウさんがケラウノスを撃ってる映像を見せてもらったけど、シンもすごいね。
なんか複数のターゲットを、同時にヒットしてるように見えたけど」
シンのトレーニングが一通り終了したので、二人は日よけの屋根の下で休憩している。
この簡易休憩所のような屋根一式も、シンが廃業したシューティングレンジから持ってきたらしい。
「威力を抑えている代わりに、マルチロックも練習してるんだ。
まだターゲット2つしか狙えないけど、市街地で銃撃戦になった場合にはすごく有効でしょ?」
「アノマリアで正確に照準するのって、何かコツみたいなものがあるのかな?」
「照準のコツって……ルーはあんなに射撃が上手いのに?」
「ハンドガンなら外した場合なんて考えないんだけど、ちょっとトラウマになる出来事があってさ」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「シン、あれって何?オオカミにしてはサイズが小さいけど」
雑談の最中に、突然ルーが会話を中断して目線を遠く離れた方向へ向ける。
ロシアに居たことがあるルーには、森林オオカミは馴染み深い動物なのだろう。
一目でその動物が野犬でないのを認識したようだ。
「ああ、あのカイオーテまた来ちゃったよ……」
その中型犬のような動物はシンの姿を見つけるとすごい勢いで駆け寄って来るが、シンは警戒する様子を見せていない。
カイオーテはシンの回りを跳ね回った後に足元に体をこすりつけ、まるで構って欲しい飼い犬のようにじゃれついてくる。
「わかった、わかったから……ルー悪いけど、そこのクーラーボックスを取ってくれる?」
「シン、野生動物に餌付けをするとまずいんじゃない?」
「いやこの子は、アリゾナベースの司令官が生まれてすぐに餌付けしちゃったから手遅れなんだよ。
人に馴れすぎちゃってるから、いざという時には責任を持って自分で始末するって」
「ふ~ん」
「この周辺には街が無いから、この辺りに留まってくれた方が問題はなさそうだけどね。
首輪を付けて、キャンプで飼うって方法もあるかも知れないけど」
クーラーボックスを受け取ったシンは、真空パックの牛肉の塊を開封するとカイオーテの目の前に放り投げる。
空中で肉塊を器用に受け止めたカイオーテは、前足で肉を抑えながらガツガツと生肉を食べ始める。
「賞味期限が過ぎた牛肉をどうするのかと思ってたら、こういう事だったんだね」
「牛肉だから賞味期限を過ぎてもステーキにすれば、普通に美味しく食べれるんだけどね。
この子は一度餌をやると、邪魔をせずにおとなしく帰ってくれるから」
カイオーテは生肉に満足したのか、シンに近寄って甲高い声を上げると軽快な足取りで去っていく。
ルーはカイオーテの後姿をぼんやりと眺めていたが、視界一杯に広がる荒野の風景の中に一瞬だけ小さく反射するものを見たような気がした。
これは長年荒事に携わっていたルーの第六感のようなもので、この感覚のおかげで命拾いした経験も一度や二度では無い。
焦点を意識して遠方に固定し周囲に隈なく意識を集中すると、50メートルも離れていない場所にライフルを構えているハンターの姿を発見する。
無意識のうちに右手が腰のハンドガンを探すが、ポケットに小さなフォールディングナイフがあるだけで他に武器は持っていない。
(しまった!今日は丸腰だった!)
ハンターが狙っているのは明らかにカイオーテだが、射線の後ろにはシンが居る。
大口径ライフルの場合は軽量なカイオーテなど楽々と貫通してしまうので、かなり危険な状況である。
「シン! Get Down!」
ルーはシンに向けて叫びながら、人差し指をハンターの方向へ伸ばして先ほどのシンの射撃の様子を思い出す。
(SHOOT!)
ルーの右手からは発射音はおろか、もちろん『閃光』も『高圧電流』も発せられない。
だがハンターの持っているライフルの機関部ははじけ飛ぶように分解され、スコープやバレルがその重量で地面に転がる。
重量のあるボルトは勢いよくハンターの前頭部を強打し、スリングに接続されたライフルだったものの残骸とともにハンターはばたりと地面に倒れこむ。
カイオーテは派手な音を立てて倒れこんだハンターには目もくれずに、違う方向へ颯爽と走り去っていった。
「ルー、ありがとう!助かったよ」
シンは伏せた状態から、土埃を払いながら起き上る。
彼はライフルを構えたハンターの存在を、全く認識出来ていなかったようだ。
「数年ぶりだったけど、失敗しないで良かった!」
ルーはいつもとは違う、何故か寂しげな笑顔で応えたのであった。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「シンです。例の演習地に来てるんですが、怪しいハンターがうろついていたので確保しました。
ええ、カイオーテを追って来たみたいですが、駆除許可証も何も持ってないですね。
SIDによると、此処からちょっと離れた場所に乗り捨てられたピックアップトラックがあるみたいです」
コミュニケーターでリサと会話をしながら、シンは気絶しているハンターの着衣を探って財布や身分証明書を確認している。
前頭部分は痣にもなっておらず呼吸もしっかりしているので、単純に気絶しているだけの様だ。
「ここは私有地だから、許可が下りる訳はないな。明確な不法侵入だから、適当に始末しちゃって良いよ」
コミュニケーターを通して、リサの情け容赦無い一言が告げられる。
「了解です。どっか離れた場所にニューラライザーで記憶を消してから放置しておきますね」
「ルー、この人をハンフリーピークまで捨ててくるからちょっと待っててね」
シンは乱暴に襟首を持ってハンターを引き摺ると、そのまま空中に浮遊し一瞬にしてその姿を消した。
☆
「あれっ、結局ここで飼うことにしたんですか?」
数日後リサに料理の差し入れを持参したシンは、キャンプの中で首輪をつけて歩いているカイオーテを目にする。
訓練のために同行していたルーは、カイオーテが人に馴れているのを知っているので身構えたりはしていない。
「ああ、この間の密猟者みたいな奴がまた出てくると、行軍の時に厄介だからな。
もし私が移動するような時は、こいつも連れてって寿命まで面倒を見るつもりだから」
カイオーテは見覚えがあるルーのもとにやってきて、長い鼻面で彼女のポケットの辺りをつついている。
どうやら食べ物の匂いを嗅ぎつけて、おねだりをしている様だ。
「お前も、居場所が見つかって良かったね」
ポケットからビニール袋を取り出したルーは、厚みのあるジャーキーをカイオーテの頭上へゆっくりと放る。
空中で楽々とジャーキーをキャッチしたカイオーテは、大きな口でボリュームのある乾燥肉をガツガツと噛み締めている。
どうやらシンお手製のビーフジャーキーの味を、シリウスと同様に気に入ってくれた様である。
「名前は付けましたか?」
シンがリサに尋ねる。
「ああ、当然ワイリーだ」
リサの一言に反応するように、カイオーテは甲高い吼え声を上げたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




