033.Healing Water
「おおっ、肩が熱くなってむず痒くなって来た!」
アキラが肩を触ると、タケさんから普段は聞いたことがないような大声が上がる。
「どうですか?肩を動かしてみて下さい」
「うわぁ、あの鈍い痛みが消えてる?
まるで●●治療みたいだ」
「痛みが和らいだのは、一時的に血行が改善しただけで治療した訳では無いんですよ。
タケさんの肩の状態は、週一回でも軽い筋トレとマッサージを続ければ良くなるレヴェルですね」
「もしかして、入会するのにかなりの費用がかかるとか?」
「全国チェーンのトレーニング施設みたいに、高額じゃないですよ。
うちの一般会員さんは、近所の主婦とか商店主さんがほとんどですから」
☆
「なぁアキラ、なんか最近芸術家風の一般会員さんが増えてるんだが?」
「ああ、知り合いになった、師匠の音楽仲間ですね。
結構多忙な人が多くて、肩こりとか腰痛が酷い人が多いんですよ」
「そりゃ厄介な人が大勢居そうだな」
「いや逆ですね。リズム感が尋常じゃない人が多いから、そういう人は治療効果が出るのが早いんですよ?」
「それなら、なんで普通の治療院で効果が出ないんだ?」
「患部だけ直そうとしても、生活習慣が悪いと駄目なんですよね。
トレーナーとしては、食習慣とか仕事するときの姿勢とか、細かく指導しないと」
「……うちの体制は、アキラにおんぶに抱っこだなぁ。このままで良いのだろうか?」
「もう少しでミーナもトレーナーとして活動できるようになりますから、それまでの辛抱ですね」
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「タケさん、忙しいからと言っていつも立ち食い蕎麦で済ませちゃ駄目ですよ」
「うん、分かってるけどさ……」
タイトなスケジュールの中でジムを訪ねて来たタケさんは、アキラからマッサージを受け終えるとスタジオへ向かおうとする。
「これ自分が作った弁当です。
レコーディングの合間にでも、食べて下さい」
「アキラは凄腕料理人だって聞いてたけど、わざわざ用意してくれたの?」
「今日は大量に弁当を作る日だったので、手間はかかってませんよ。
それじゃ来週!」
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アルマイトのドカ弁は、開ける前の予想をくつがえし色どりも綺麗な中華弁当である。
白米では無くミーナが炊いた鶏ごぼうご飯であるが、それが丁度よいアクセントになっている。
「タケさん、仕出しじゃなくて愛妻弁当ですか?
うわぁすごい弁当じゃないですか!」
「いやいや、新婚時代も弁当なんか作ってくれなかったよ。
これはジムのトレーナーが、用意してくれたんだ」
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数日後、タケさんの自宅。
レコーディングスタジオに向かうタケさんに、奥さんが声を掛ける。
「あなた、これ持っていって下さい」
「???これ弁当か?」
「ええ。
レコーディングの合間は、立ち食い蕎麦じゃなくてこれを食べて下さいね」
「……」
アキラと同じセリフを聞いて、タケさんの動きが一瞬フリーズする。
「あれっ、タケさん可愛いお弁当箱ですね。
今日はホントに愛妻弁当なんですね」
「うちのカミさんはじつは栄養士の資格も持っていて、料理が上手なんだ。
何も相談しなくてもいきなり用意してくれて、今朝はビックリしたよ」
嬉しそうに弁当箱を開けると、タケさんはすぐに気がつく。
「あれっ、この卵焼き!」
数日後のジム。
「アキラ、もしかしてうちのカミさんが訪ねて来なかったかな?」
「はい。ここまでお弁当箱を返しに来られましたよ」
「……それだけ?」
「お弁当に入っていた菜脯蛋の調理をお教えしましたけど、余計な事をしちゃいました?」
「いや自分があの卵焼きが美味かったって呟いただけなのに……
面倒かけたね」
「奥様は台湾に行った経験があったみたいで、卵焼き料理と聞いてすぐにピンと来たみたいですよ。空の弁当箱には高級チョコレートが入っていて、ミーナがさりげない気配りに感激していました」
「料理もお上手ですし、私もああいう気配りができる奥さんになりたいです」
「もしかして自宅にまでお邪魔したの?」
「はい。ニホン料理のレパートリーを、教えてもらう約束もしましたよ。
そうだ、こんどご夫婦で夕食にいらして下さい。皆も喜びますよ!」
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後日、ジムでの雑談。
「アキラはどういう音楽が好みなのかな?」
「自分は辺境と言って良い辺鄙な場所で育ちましたから、音楽的なバックボーンみたいなものが全く無いんです。高校の音楽の授業ですら、浦島太郎状態でしたから」
「最近はご無沙汰だけどレイ君が頻繁に参加していた頃は、ブルーズの名曲とかを良く演っていたんだ。
今のロックとかのベースになった音楽だから、聴いてみたらどうかな?
僕が思うところで恐縮だけど、アキラはたぶん気に入ると思うよ」
自分の手持ちのコレクションでは無く、通販で購入した未開封のCDの束をタケさんはアキラに手渡す。
弁当の件で手間をとらしたので、その御礼という事なのであろう。
「このギターの演奏方法って、変わってませんか?」
ジャケットの伝説のブルーズマンの姿に、アキラがいち早く反応する。
「ああ、スライドバーを使った演奏だね」
「僕の故郷でも、一本だけの弦の弦楽器?みたいなものがあって、原始的ですけど演奏を聴いたことがあります。とっても興味深いですね」
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