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003.Little Queen Of Spades

 護衛任務の当日。


 シンは約束の時間前に、トーキョー入国管理局に一人で到着していた。

 ペアで行動する予定だったルーは、何故かキャスパーからの要請でTokyoオフィス待機になっている。


 受付に来訪を告げてロビーで待っていると、カジュアルなジーンズ姿のケイがエレベーターホールからやって来る。

 3型迷彩服姿では無い彼女を見るのは、シンは初めてかも知れない。


「おはようございます」


「悪いね、朝早くからこんな所まで来てもらって」

 

「いいえ、正式な依頼業務ですしケイさんに頼まれたら断れませんよ。

 それで『警護対象者』はまだ最下層ですか?」

 一般には知られていないが本庁舎の最下層には検疫施設を含む特殊な区画があり、地下トンネルによってナリタ空港と繋がっている。

 よって異星から来た要人の護衛任務は、入国管理局の敷地から外へ出た時点で始まるのである。


「いや、もう地下駐車場に行ってる筈。

 シン君も移動車に同乗してくれるかな?」

 シンと一緒にエレベーターに乗り込みながら、ケイは地階のボタンを押す。


「了解です。それで宿泊場所は、Tokyoオフィスで間違いないですか?」


「うん。

 プレジデンシャル・スイートの予約を取ってあったんだけど、ご本人から嫌だと言われてしまってね」


 エレベータを降りると、ケイは広い地下駐車場の奥に停められているミニバンに向けて迷う事無く歩いていく。

 彼女が近づくと電動スライドドアが静かに開き、ケイと同じカジュアルな服装の美少女がシートに収まっているのが目に入る。


「あれっ、実働部隊に新人さんが入ったんですか?」

 ダークブロンドのショートカット、均整が取れた見事な肢体はキャスパーとほぼ同じ背丈だろうか。

 しっかりと筋肉の存在を感じさせる首筋が、彼女が見掛け倒しではなく実用的な身体能力の持ち主であることを示している。

 

「いや、彼女が警護対象者だ」


「えっ、この腕っぷしが強そうな美人さんがですか?」

 警護対象者はニホン語が通じないという思い込みがあって、シンは不用意な一言を発してしまう。


「貴方がシン君ね。

 お世辞がスラスラと出てくるという事は、想像していたより女の子の扱いが上手なのかしら?」

 女性の口から発せられたニホン語は、ネイティブスピーカーと見紛うほどの流暢さである。


「いきなり失礼しました。

 でも、なんでそんなにニホン語がお上手なんですか?」

 フランクな彼女の口調に合わせて、シンも言葉遣いを改めずに返答する。


「ちょっと前からこの惑星には興味があってね、米帝語はともかくやっぱりニホン語は難しいわ。

 ああそうそう、私のことは『ノーナ』と呼んでね」


 助手席に先に乗り込んでいたケイは、二人の会話に口を挟まずに何やら携帯で連絡を取っている。

 キャスパーの姿が見えないので、彼女と業務連絡をしているのだろうか。


「はいノーナさん。数日の間ですが、こちらこそ宜しくお願いします」

 スライドドアを閉めながら、シンはノーナの横並びに座り改めて挨拶を行う。


 ミニバンは既に地下駐車場から走り出しTokyoオフィスへ向かっているが、ノーナと名乗った少女はTokyoの街並みにはそれほど関心が無い様だ。

 だが飲食店の看板には細かく反応しているので、もしかして空腹なのかも知れない。


 後部座席に座っているシンは初対面でしかも要人である美少女が隣に居るにも関わらず、ある単純な理由でとてもリラックス出来ていた。

 

(ああ、彼女から微かに漂うこの香り……これはエイミーやキャスパーさんと同じだな)


 毎日同じベットで寝ているエイミーから漂う香りは、この惑星に存在する香水の刺激的な匂いとは全く違っている。

 それはシンにとって、もはや日常生活の中でのアロマのような安心を誘う芳香になっているのである。

 流石に良い香りですねなどと、セクハラ紛いの一言を漏らしたりはしていないが。


(とすると、この人は2人の関係者なんだろうな)

 シンが想像を巡らしている間に、彼女から突如言葉が発せられる。

 

「あっ、ちょっと路肩に止めて」


「ん、どうかしましたか?」

 普段とは全く違う丁寧なニホン語で答えたパピが、運転していた車をスムースに減速させ歩道側に停車する。

 ケイは周囲を鋭い目線で見渡して警戒しているが、まだ通勤が始まったばかりの時間帯なので周囲には人通りも疎らで車の通行量も少ない。

 

「シン君、そこでマフィンのモーニングセットを3つ買ってきて。

 飲み物はカフェオレと野菜ジュースを二つ。サイドメニューは3つともハッシュポテトで」

 スライドドア側に座っているシンに、命令するのに慣れている鷹揚さで彼女は言った。


「了解」

 彼女の威厳に押されたわけでは無いが、外へ飛び出したシンはお客が誰も居ないカウンターへ軽快に走っていく。

 この辺りはシンがメトセラの女系家族で育った弊害であり、セバスチャン体質と呼ばれる所以(ゆえん)でもあるのだが。


(でもなんで、大手ハンバーガーチェーンのメニューを完璧に暗記してるんだ?)

 カウンターで注文をしながらシンは疑問に思うが、あっという間に商品が揃ったので思考を中断し紙袋を手に移動車へ戻って行く。



「ご苦労さん。

 ああ、久しぶりのこの味!」


 トーストで焦げ目が付いたイングリッシュマフィンのサンドイッチを頬張りながら、彼女は幸せそうに声を上げる。

 気を利かせたシンが具材が別の3種類を選択したのだが、紙袋一杯のモーニングセットはあっという間に彼女一人によって完食されたのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 数分後のプロメテウス大使館駐車スペース。


「フウ、久しぶりですね」


「キャスパーが黙ってたから、もしかしたらと思っていたが。

 アンタが警護対象なら断ればよかったな」

 駐車スペースに出迎えに出ていたフウと、降車したノーナがいきなり旧友同士の様な応酬を始める。

 口調と違ってフウは明るく笑っているので、歓迎していないというのは冗談なのだろう。


「ふふふ、15年ぶりに会ったのにそんなに邪険にしないで下さい」


「なんで宿舎をわざわざ此処にしたんだ?

 ホテルの方が我儘が通るし、ルームサービスの食事も頼み放題だろ?」


「一晩数百万円の部屋に泊まると、予算のやりくりに苦労しているキャスパーが卒倒しそうですからね。

 それにここにはユウが居ると聞いてますので、ホテルより食事が良さそうなので。

 エイミーが居る寮も、ここから歩いていける距離なのでしょう?」


 傍でやり取りを聞いているシンは、彼女の来訪の意味をこの瞬間にしっかりと理解した。


「それではシン君、早速外出しますのでエスコートをよろしく」

 室内ではシンのコミュニケーターの画像を見ているエイミーとルーが待機中だが、プロメテウス大使館の建物に入ることなくノーナはいきなり外出するつもりだ。      

 フウは彼女のせっかちな一言に苦笑を浮かべていたが、唐突な行動には慣れているようで特に反論を行わない。


 車で移動するという警護の段取りはこの時点ですべて白紙になり、シンは胸元のコミュニケーターを指差しながら助手席から降りていたケイに目配せで意思を伝える。

 これはコミュニケーター経由で画像を見ていてくれ、というシンのリクエストである。


「まずはご近所で腹ごしらえをしましょう」

 シンに道案内をされるまでも無く、大使館の正門を出た彼女はどんどんと商店街に向けて進んでいく。

 まるで事前に周辺の地理を調査済みのような、土地勘を感じさせる歩き方である。


「さっきモーニングを3人前食べてましたよね?」


「シンは小食なのですね。あの程度では食べたうちに入りません。

 エイミーも育ちざかりだから、かなり沢山食べるでしょう?」


「ええ、最近は僕の倍近くの量を食べますね。

 まずエイミーに会わなくても良いんですか?」


「数日は滞在する予定ですから、急いで会う必要はありません。

 シン君とエイミー二人が揃った時にでも、ゆっくりと話をしましょう」


 彼女は意味深な笑みを浮かべると、開店したばかりの須田食堂に入っていく。

 平日は早い時間から開いていることが多いこの店であるが、ここがCongohの提携食堂だとあらかじめ知っていたかのような態度である。


「あれっ、来てたんだ?」

 マリーの隣席に腰掛けながら、シンは彼女に声を掛ける。

 開店直後なので、お客はいつもの4人掛けテーブルに腰掛けている彼女以外には誰も居ない。 

 

「ユウが準備で忙しそうなので、お昼は外食」

 シンが作る料理はいつでもマリーのお気に入りなので、口数が少ない彼女であってもシンを邪険に扱うことは無い。

 マリーはラーメン丼に入った山盛りご飯と、同じく大皿に唐揚げが山盛りになった特製定食を食べている。


「うわぁ、その唐揚げ出来たてで湯気が出てるよ~。

 おばちゃん、私にも彼女と全く同じものを下さい」

 立ったまま壁のメニューを眺めていたノーナは、シンの対面席に腰掛けると早速注文を入れる。

 

「えっ、全く同じってご飯の量も?」


「ええ、もちろん!」


「僕はご飯もおかずも普通盛りで」

 間違って同じものが提供されると困るので、シンは念を押して注文する。


 大量の唐揚げは追加で揚げたばかりのようで、熱々の定食が二つ、待つ間もなく運ばれてくる。


「いただきます」

 合掌こそしないが、箸を取ったノーナは一言呟くとすごい勢いで食べ始める。

 シンは自分の定食を食べるのも忘れて、彼女の食べっぷりを唖然として見ている。


「あんた、マリーちゃんと同じで大食いなんだね。

 それに外人さんなのに、箸の使い方も上手だね」


 シンから見ても、彼女の箸使いは見事でしかも食べ散らかすような事もなくあくまでも優雅である。

 だが食べている分量は半端では無く、唐揚げの山やラーメン丼のご飯が瞬く間に少なくなっていく。


「おばちゃん、この糠漬け美味しい!」


「へえっ、漬物好きなのかい?よかったら古漬けもあるから、食べてみるかい?」


「うわぁ、ありがとう!

 ああ、この味は此処じゃないと食べれない味だね」


「シン君は、相変わらず食が細いね。彼女やマリーちゃんを見習わなきゃ駄目だよ!」

 店員のおばちゃんの一言に、やっと食事を始めたシンが苦笑を浮かべている。


「マリー、ユウさんに夕食の炊飯の量を増やすように伝言してくれる?」

 お変わり御飯を食べ終えたマリーが席を立ったので、シンは小さい声でマリーの耳元に囁く。


 ユウは身内だけで行う歓迎会の準備をしているが、品数が多いので炊飯の量までは気が回らないかも知れないからだ。


了解ラジャ

 マリーはノーナの食べっぷりを見て、シンの伝言に深く頷いたのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「おばちゃん、凄く美味しかった!

 また食べにくるから、それまで元気でね!

 じゃぁシン君、次は六本木へ行きましょう」


 追加で漬物を貰っただけではなくラーメン丼の大盛りご飯までおかわりしたノーナは、定食をキャベツの切れ端一つ残さずに完食し席を立つ。

 勿論勘定はお付きであるシンの役割である。


「じゃぁタクシーを見つけるか、車を廻して貰いましょう」


「ふふふっ。その必要は無いのでは?」

 彼女はシンを上目遣いでじっと見つめた後、周辺に人気が無いのを確認してからシンの懐にいきなりぐっと接近する。

 遠目で見ていると女性がキスをねだっているような色っぽい状況だが、そうでないのはシン自身がしっかりと理解している。


「はい。じゃぁちょっと失礼して」

 シンは一挙動で、近寄って来たノーナを横抱きにする。

 重力制御は使っていないが、重さはユウよりはちょっとだけ軽い感じである。


「とりあえず、青山墓地を目標に宜しく!」

 何故か嬉しそうな表情で彼女は、シンの耳元に小さく囁く。


「了解。数秒で到着しますから」


 空中に浮遊した二人の姿は、忽然と街並みから消えたのであった。



                 ☆



「なかなか、気分が良い移動方法だね」


 青山墓地の人気の無い場所に着地した二人は、道路を隔てたガラス張りの美術館へ向かっていた。

 ノーナは終始ご機嫌で、シンに腕をしっかりと絡ませて恋人のように隣を歩いている。


 海外有名美術館の出張ツアーの割には、人出が少ないのは平日でしかも昼食時間帯だからだろうか。

 館内に入ると、目玉展示であるフェルメールの作品の前で彼女は立ち止まり、腕組みをしてじっと動かなくなる。


 饒舌だった彼女が突然の観賞モードで沈黙を続けているので、シンは彼女の邪魔をせずに壁際の小さなベンチに腰掛けて周囲の様子を見ている。


 まばらな入場者達はお目当てのフェルメールの前で必ず立ち止まるが、同時に作品を凝視している現実離れした美少女が視界に入ってしまう。

 作品が放っている歳月を得た重厚さと対比するように、生気が溢れたブロンドの美少女はまるで彼女自身も唯一無二の美術品のように目立っている。

 絵画を見るのと同じ視線でノーナを鑑賞した入場者は、何故か満ち足りた表情で展示室を出ていく。


(ユウさんがキャスパーさんと美術館に行くと落ち着かないと言ってたのは、こういう事なんだろうな)


 ノーナは周りの目など全く気にならない様子で作品を数分に渡り凝視していたが、ふと気がつくと彼女の頬に涙が伝っている。

 静かに近寄ったシンは流れる涙をそっと自分のハンカチで抑えるが、柔らかい頬の感触と共に彼女の芳香がシンの鼻をくすぐる。


「ふふふ、ありがとう。

 見かけ通りのやさしい子なんだね、君は」


「そんなに感動しました?」

 母親に褒められたような気恥ずかしさもあって、シンは唐突な口調で彼女に言葉を返す。


「うん。私が見ているのはこの絵画の表面上の姿だけでは無いからね。

 この絵の描かれていた当時の様子や、この絵を手にしてきた人たちの歴史も一緒に見えてしまうから」


「それはキャスパーさんやエイミーが持っているのと、同じ能力なんですか?」


「エイミーはまだ幼いから、自分の視たものを理解できていないかも知れないけど。

 私たちがこの惑星の文化遺産を愛おしく思うのは、その辺りが理由なんだろうね」


 時代を超えて愛される美術作品には多くの背景や物語があるのはシンも理解しているが、誰に説明されるまでも無くそれらが視えてしまうのはどういう気分なのだろうか。

 たとえば、ダ・ヴィンチのモナリザのように、生涯手許に置いて描き続けた作品を見たときに彼女には何が見えるのだろう?

 

「さぁまだまだ見逃せない展示は沢山あるから、急ごうか」


 ノーナの一言で現実に引き戻されたシンは、優雅な動きで階段を上っていく彼女の後姿を見ながら脳裏に浮かんだ複雑な想いを振り払ったのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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