001.Good Morning Little Schoolgirl
プロメテウス義勇軍アリゾナ・ベース某日。
フライト恐怖症を理由に先送りしてきたシンのブートキャンプ参加だが、ハワイでの初級操縦過程を無事に終了したシンにはもはや先送りする正当な理由が無くなっていた。
ほぼ同い年のアンが中尉にまで昇進している事実にシンは無関心だったが、フウの命令により直近のブートキャンプに強制参加することになったのは当然の流れである。
言うまでもないが、シンは公共交通機関を一切使わずに自前の移動手段でこのキャンプまでやってきた。
地図にも載っていないこの場所に車を使わずに忽然と現れたシンに、最寄の空港からチャーターバスで到着した他の参加者達は不思議そうに首を傾げている。
「Fall In!!」
シン以外すべて女性で占められた参加メンバーが、リサと呼ばれている司令官の号令で整列する。
アリゾナにある基地であるから、Conogohの規定により公用語はもちろん米帝語である。
総勢は10名に満たない人数でシンと同世代のメンバーが揃っているが、直接の面識がある人物は誰も居ない。
「これが映画ならばブートキャンプの常としてお前たちを罵倒するシーンが入る処だが、生憎と我が義勇軍にはそんな『伝統芸』を見せる余裕が無い。
お前たちが、人としての常識と良心を持っているものとして訓練を開始する」
ブートキャンプの教育に基地司令が出てくるなど他国の軍隊ではあり得ないが、アリゾナ・ベースに常駐している要員は非常に少ない。
使用頻度も年に数回行われるブートキャンプや地上攻撃演習のみであり、ハワイ・ベースのような常時出撃可能な作戦能力は持っていないのである。
「シン、列の前へ」
「???」
「お前はブートキャンプ参加初日をもって、 特技兵へ昇進だ。
なおこの昇進は、貴殿の過去の実戦参加の功績と取得した特殊技能が加味されている」
戦闘服の襟章を司令自らに交換されながら、シンは予想外の出来事に唖然とした表情をしている。
「シン、お前フウに担がれたな。あいつ昇進について何も言っていなかっただろう?」
襟章の交換が済むと、離れ際に司令官がシンの耳もとに小声で囁く。
シンは出発当日、笑いを堪えるような微妙な表情をしていたフウの不審な様子を思い出していた。
「よってこの新兵訓練に参加する必要は無いが、貴殿の技能を鑑みてブートキャンプ期間中は特別任務を与える。
非常に重要な任務なので真摯に励むように」
「Yes,Sir!」
シンは日頃からフウに叩き込まれている敬礼で返応する。
早速シンを除く全員が兵舎に戻り訓練を開始していたが、一人残された彼に向かって野戦服姿の女性が近づいてくる。
細身ながらメリハリのある魅惑的なボディは、野戦服を着ていても隠しきれていない。
「シン君、私はこの基地で雑用を担当しているドナと言います。
私が先任の伍長になりますが、階級は同じなので気楽に名前で呼んで下さいね」
「はい。ドナさん」
彼女の優し気な語り口は、モデルのように整った外見とは違ってとても気さくな印象を受ける。
メトセラのコミュニティで育ったシンが、こういう柔らかい雰囲気の女性に直ぐに好感を持ってしまうのは仕方がない事なのであろう。
「訓練期間中の用意する必要がある食事は、朝食と夕食のみです。食事が必要な人数と、メンバーの経歴と写真はこちらにリストがあります。
とりあえず食物アレルギーを持っている者は居ないので、メニューに関してはすべて貴方の裁量で決めて下さいね」
「特別任務って……炊事当番だったんですか」
シンはドナから手渡された命令指示書を捲りながら呟く。
「ええ、毎年ブートキャンプには外部から料理人を頼んでたんですが、評判が悪くて困ってたんです。
フウさんの話だと大量の食事を作るのにも慣れていて、レパートリーもとても広いと聞いています。
ぜひ新兵の皆さんがめげないように、美味しい食事を出してあげて下さいね」
厨房に案内されたシンは設備や食材についてチェックを行うが、設置されている機器はハワイベースなどと共通の仕様なので何の問題も無い。
勿論ピッザ窯やサラマンダーもあるので、バリエーションがある献立が用意できるだろう。
蛇口をひねって水に口を付けたシンはその味に安堵した表情を見せるが、常温保管庫の食材のチェック中に表情が突然険しくなる。
「ドナさん、他の食材は問題ありませんが、米だけは乾燥しすぎで割れてしまって使えませんね」
米袋には常温保存と書かれているので、食材庫に放置した間にアリゾナの乾燥した気候で品質がかなり劣化してしまった様だ。
「困りましたね……定期配送便はブートキャンプが終わるまで来ませんし。
それを見越して食材を大量に仕入れたんですが、食材を細かくチェック出来る人間が居なかったものですから」
「SID、誰かTokyoオフィスに居る?」
シンは胸元のコミュニケーターに小声で尋ねる。
周囲に人家が全く無いこのアリゾナの荒野であっても、マルチバンドを使用するコミュニケーターはクリアに通信が可能である。
「今は在宅してるのはフウさんだけですね」
「今、通話ができるかな?」
「……どうぞお話し下さい」
「フウさん、シンです」
「おお、どうした?」
声が若干うわずって聞こえるのは、笑いの発作を抑えているからだろう。
「細かい事情は後ほど説明しますが、在庫している新米をちょっと分けて貰えませんか?
とりあえず10kg袋を3つ程欲しいんですが」
マリーが在籍しているTokyoオフィスでは米の在庫が100kg単位で入荷するので、より近場のハワイベースよりも借りられる可能性が高いのである。
「米を炊くのか?じゃぁ水と炊飯器は大丈夫なのか?」
「Congoh標準装備の軟水器はちゃんと動いていますので大丈夫です。炊飯器もそちらのキッチンと同じものがあるので問題ありません」
炊事当番を押し付けるなら事前に言ってもらえば手間が省けたのにとシンは文句を言いたかったが、メトセラの年長者にはそういう常識はもちろん通じない。
「米はどうやって運ぶ?
とりあえず他の食材で凌いで、定期配送便まで待てないのか?」
「ここは近場にデビスモンサンがある関係で、ブートキャンプが終わるまで配送出来ないみたいです。
自分が取りに行きますので、玄関に用意しておいていただけますか?」
「了解」
「えっと、それじゃ司令に許可を貰って米を取ってきます」
「取りに行くって???」
会話でフウの音声が聞こえなかったドナは、まさか通話先がTokyoオフィスだとは思っていないだろう。
座学の授業にこっそりと割り込み司令に許可を取ったシンは、前触れ無しに先任伍長の目の前でいきなり空中に浮遊する。
唖然と口を開けているドナに向けて小さく手を振ると、シンの姿はアラスカ・ベースから一瞬にして掻き消えたのであった。
約一時間後……。
「只今戻りました」
兵舎の建屋に帰ってきたシンが、窓越しに姿が見えたドナに声をかける。
両手にはかなり大きな米袋が複数抱えられている。
「えっ!どこまで行ってきたんですか?」
「えっとTokyoオフィスですけど。
なんとか持てたんで40kgほど銘柄米を借りて来ました」
「……」
普通ならば法螺話の類なのだろうが、彼女は自分の目で空中を浮遊して姿を消したシンの姿を見ている。
おまけに近隣の米が手に入る店は数百キロは優に離れている怪しいアジア食材店のみで、そこではニホン産米を販売しているなどあり得ないであろう。
「ブートキャンプの参加者には、沢山食べそうな子が何人か居ましたよね。
美味しく炊いた新米はぜひ食べて貰いたいけど、これで足りるかなぁ」
マリーの食事の支度を頻繁にしていた関係で、食事量に関しての感覚がかなり麻痺しているシンなのであった。
☆
夕食時の食堂
いきなり重装備をつけての強行軍でバテバテになっているのかと思えば、参加者全員がかなり余裕の表情をしている。
メトセラのメンバーならば体力的にも余裕だろうが、参加している非メトセラのメンバーも持久力にはほとんど問題が無いようである。
「おかわりを希望する方は、皿を持ってきて下さい」
初日はブッフェスタイルにするには時間が足りなかったのでユウが開発したレトルトカレーを使ったのだが、シンが味見しても普段のユウが作っていたカレーと味の違いが分からない出来栄えである。教官を入れても10名程なのでトンカツ50枚は揚げすぎかと思っていたが、ほぼ全員がお変わりを繰り返しあっという間にトンカツは勿論、炊き立ての新米も米粒一つ残さず無くなった。
ニホン式のカツカレーなど食べたことが無いメンバーにも関わらず、食べ残した皿が全く見当たらないのはシンにとって嬉しい誤算である。
「よし食事は終了だ!就寝まで各自スケジュール通りに動くように」
ただ一人ゆったりとした動作で食べ続けていた小柄な女性が、名残惜しそうに自分の皿を見ながら席を立つ。
(あの子、食べ始めるのも遅かったし、ただ一人だけ食べきれてないな)
「ねぇ君、ちゃんと食べれたかな?」
「いえ……私食べるのが遅くて……ごめんなさい」
食器の返却場所に残食と皿を流しながら、彼女は消え入りそうな小さな声で返答する。
「口に合わなかった?」
「味はとっても美味しくて、正直もっと食べたかったです」
「ここの朝食は各自の都合で自由に食べ始められるから、明日は早めにおいでね」
「はい!」
通常の軍隊のブートキャンプでは新兵にストレスを与え続けて鍛えるのが常であるが、プロメテウス義勇軍ではそのような古典的な訓練は行われていない様だ。
スケジュールは分刻みで細かいが自由時間もそれなりにあり、夜間点呼や突然の行軍、早朝訓練も全く行われないとシンはドナからも聞いていたのである。
「ねぇ参考の為に聞いておきたいんだけど、君の好物は何?」
「ミートボール・スパゲティとピッザです」
首をかしげる可愛らしい仕草の後、彼女はやはり小さな声で答える。
「了解。覚えておくよ!」
シンはさり気ない動作でポケットからチョコレートバーを抜き取り、彼女にトスする。
これは米袋と一緒にシンが運んできたもので、一本食べるだけで食事の代替になる超高カロリー品なのである。
「さぁ、急がないと消灯時間になっちゃうよ!」
シンは笑顔で彼女に告げると、厨房の後片付けにキッチンへ戻っていく。
彼女は手にしたチョコレートバーを見て小さく首をかしげていたが、小さくシンに向けて会釈すると自分の宿舎へ戻っていったのであった。
☆
翌朝。
日中は行軍中なので、用意されたレーションで昼食を済ませるとシンは聞いていた。
訓練期間が一週間と短いので、より効率的にカリキュラムを進めるために昼食のために宿舎へ戻る無駄を省いているのであろう。
プロメテウス義勇軍のレーションはフランス軍のそれにも負けていないレヴェルが高いものだが、それでも昨夜の旺盛な食欲から考えて量が足りないのは明らかである。
普通ならば朝食はボリュームを抑えめにして行軍に備えるのが常識だが、動けなくなるまで食べ過ぎる自己管理が出来ないメンバーは居ないだろうとシンは楽観的に考えていた。
本日の朝食メニューは、イタリアの切り売りビッザのように事前にカットを入れた四角いピッザ、大きな保温バットに入ったミートボールスパゲティ、大皿に山盛りにされたサンドイッチと、人数分のサラダボウルである。サラダは栄養管理上一人毎に用意しているが、それ以外はビュッフェスタイルで各自が自由に皿に盛り付けできるようになっている。
ビュッフェスタイルにしたのは、アラスカベースの食堂を暫く利用した最近のシンの経験があるからだ。
米帝風の食事スタイルに馴染みがないメンバーは今回は参加していないし、宿舎で毎日取る食事がストレスになるようでは洒落にならないからである。
「サラダボウル以外は、残さないなら好きなだけ食べて良いよ」
厨房で慌ただしく追加分を調理しながら、シンは新兵達に気さくに声を掛ける。
昨夜カツカレーを半分も食べれなかったハナという女の子は、朝一番で食堂に来て出来立てのピザとスパゲティを時間を掛けながらもかなりの量を食べている。
シンが想像したより盛り付け方は大人しいが、再び席を立っておかわりしている子も沢山居るようだ。
シンは自前の鍛えられた観察眼を使って、食事の風景を観察し問題のありそうな点を調理の傍らにメモしていく。
特に食欲が無い子や飲み物ばかり飲んでいる子は要注意だが、今朝に関しては問題無いようである。
…………数日後。
厨房の使い勝手に徐々に慣れてきたシンが作るメニューは、ビュッフェスタイルという事もあって日毎に品数が増えていった。
近隣に土地勘があるユウに教えてもらって、焼きたてのバンドミやフランスパン、新鮮な魚介類を入手するルートも早々と見つけてある。
カーボナイズを意識した炭水化物のメニューは、パスタとピッザから始まり、ピラフやドライカレー、ユウが様子を見に来てくれた日には稲荷寿司すらメニューに加わっている。
定期配送便で大量に送られて来ていた牛肉は地元産の質が高いもので、シンプルなステーキや薄切りを焼いてタレを付けた『丼』にしても文句無しに美味しい。
受け入れられるかどうか心配だったカルビ丼は新米の美味しさも相まって特に人気メニューになり、積み上げられた丼は食事が開始されるとあっというまに無くなっていく。
テリヤキソースに馴染みがあるので、甘辛い醤油の味付けも抵抗無く食べられるのだろう。
また冷凍状態で大量にストックされていた米帝産牛肉を使用したハンバーガー用パティは、シンの予想していたより遥かに品質が高くグリルで焼いて塩胡椒しただけでもとても美味しい。
産地で製造されたパティはこんなに味が違うのかと驚いたシンだが、残念ながらバンズを入手出来なかったので、これらはサンドイッチの具材として活用される事になった。
軍隊の必需品であるデザートに関しては、手間の問題もあって定期配送でストックしてあった特注の冷凍カットケーキを使用している。
冷凍品とは言えユウが開発に携わったカレーソースと同じで、自然解凍した味はホームメイドのケーキと比べても遜色が無い美味しさである。
期間中はほとんど仕込みと調理で厨房に籠りきりのシンだったが、すごい勢いで並べた料理が無くなっていくのを毎日目にして確かな手応えと遣り甲斐を感じていたのであった。
☆
「サバイバル訓練中に、ハナが行方不明になったと聞いたんですけど?」
その日は最終日の夜間訓練だったので、夕食の支度が無かったシンが帰等したばかりの司令に尋ねる。
「ああ、今捜索用のヘリを準備してるが、周辺の空域を飛ぶには米帝の許可が必要なんだ。
今はデビスモンサンからの連絡待ちだな」
「範囲はどの辺りですか?」
「座標でいうとこの辺りからここまでだろうな」
リサが周辺地図を見ながら、シンに詳細を説明する。
「位置関係は把握しました。自分も捜索に加わって宜しいでしょうか?」
「お前一人が加わっても……そうかお前が居れば上空から探査できるか。
確かレーダーでは捕捉できないんだよな。よし参加を許可する」
(赤外線探知なんて機能は……流石に急ごしらえ出来ないよな)
「SID、聞こえる?」
宿舎の前からいきなり空中に浮遊したシンは、高度を上げながら胸元のコミュニケーターに呼びかける。
「……はい、通信状況は良好です」
「ローテーション中の監視衛星から、赤外線探知で人影は見つけられないかな?」
「この辺りはほとんど熱源がありませんので、可能性はありますね……見つけました。
誘導しますので、低速でゆっくりと飛んで下さい」
シンは重力制御を使いながら、ゆっくりと目視可能な高度で移動していく。
焚火をしている女性の姿を見つけたのは、わずか数分後であった。
音も無く着地したシンは、彼女を驚かせないように声を掛けながら近づいていく。
「やぁ!大丈夫?」
「あっ、シンさん!どこから来たんですか?」
捜索の対象になっている割には、彼女には全く憔悴している様子が見られない。
頼りない普段の見た目と違って、実は肝がすわっている子なのだろう。
「うん。ちょっと空から」
「あれっ、ヘリの音は聞こえませんでしたけど」
「どこか怪我してない?」
「いえ、大丈夫です。野良犬と遊んでいるうちに進路を見失っちゃったので、気が付いたら日が暮れてるし。
仕方がなく野営していたところなんです」
「さすがに、この辺に野良犬は居ないよ」
「え~、ハスキーみたいな顔をした愛想の良い子でしたよ。
すごく人懐っこくて、連れて帰りたい位でした」
犬好きらしい彼女は、シンの同級生のリコと同じようなうっとりとした表情をしている。
(もしかしてカイオーテ?……人に慣れるなんて聞いたことがないけどね)
「随分と上手に焚き火してるね?サバイバルには慣れてるのかな」
「ええ、一人で頻繁にキャンプしてましたから」
「荷物はこれだけだよね?」
水筒の水で焚き火が完全に消えたのを目視してから、シンはハナの持ってきた装備を確認する。
「あっ、私が持ちますから」
「いや背のうを付けられると、君を運べないからね。
よいっしょ」
「あの……どういう事でしょう?」
いきなり横抱きされたハナは、暴れることはないが居心地悪そうに身じろぎしている。
『お姫様抱っこ』が恥ずかしいのか、シンの持っているポータブルランタンの明かり越しに顔が真っ赤になっているのがわかる。
「さぁ、キャンプに帰るよ……
SID、司令に発見したと連絡を入れてくれる?」
シンはコミュニケーターと会話をしながら、ふわりと空中に浮遊した。
その瞬間普段は声が小さいハナの盛大な悲鳴が、シンの胸元から聞こえたのはここだけの話である。
お読みいただきありがとうございます。




