003.I'm Sorry
アキラと会長の雑談は、続いている。
「再デビューも含めて、うちに移籍した方が円満に行くかも知れないなぁ」
「ええ。本人も環境が変わって、気持ちの変化もあるかも知れませんし」
「なるだけ穏便に話を進めるけど、ジュン本人はどう思ってるんだろう?
お〜い、ジュン!」
いきなり話を振られた彼女は、モップを手にしながら小首を傾げている。
本人としても自身をとりまく環境が激変したので、どう対処したら良いのか決めかねているのだろう。
「今の状況は八方塞がりなので、移籍を含めて会長とアキラにお任せします。
どうしたら良いのか、今の私は混乱していて判断できないので」
☆
数カ月後。
前所属ジムを円満に辞めた彼女は、アルバイトとしてアキラやミーナと一緒に働いている。
ただし選手として移籍した訳では無く、現在の立場はあくまでも雑用のアルバイトである。
「最近、ずいぶんと穏やかな顔をするようになったな」
「……そうかも、知れません。
いろんな生活のプレッシャーから、開放された気がしますし。
それに……」
「?」
「学園の皆や大使館の人達が、仲間として普通に扱ってくれるので。
生まれて初めて、親しい人がたくさん出来たような気がします」
「身体もだいぶ出来てきた感じがあるな」
「はい。身長も少し伸びて体重も増えました」
「再デビューも視野に入ってくるが、どうする?」
「……あの、ちょっと思うところがあるので。
興行の話は、先延ばしにしていただけないでしょうか?」
「ほう。大きな心境の変化があったのかな?
あんなに試合をするのに、拘っていたのに」
「はい。自分が如何に弱くて口先だけだったのを、ここ最近思い知らされましたので」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
ジュンは学園の授業やアルバイトの合間を縫って、Tokyoオフィスを訪ねるようになっていた。
大使館の責任者であるフウの座学はソファでVRグラスを使用するカジュアルなものであるが、語学を含めて学習効率はとても高い。もちろんそれ以外の体術もトレーニング・ルームで頻繁に行われ、彼女のモチベーション維持に役立っている。ちなみにフウが指名した体術のメンターは、ジュンと似たような境遇で育ったルーである。
「アキラからは、自由に教えてくれって言われてるんだけど。
総合の選手を目指してたんでしょ?」
スパーリングを終えたジュンとルーは、クールダウンしながらいつもの雑談をしている。
「はい。アキラからも引き出しを増やすには、いろんな人から教わるのが早道だと言われてます」
「スパーリングでもう駄目だと思ったら、ちゃんとタップするんだよ。
一旦筋肉や関節を痛めちゃうと、練習どころの話じゃなくなるからさ」
「了解です。
ところでルーさん、此処の人たちって、なんで皆さんあんなに強いんですか?」
ジュンはマリー以外のTokyoオフィス・メンバーと何度もスパーリングを行っているが、誰一人として相手からタップを取れた試しが無い。
「……それは軍隊格闘技のエキスパート揃いだし、なにより経験値が段違いだからじゃないかな?」
「経験値ですか?
ユウさんやアンさんとは、そんなに年が離れているとは思いませんけど?」
「人生経験というより、若くして命のやり取りを数限りなくしてるからさ。
ユウやアンみたいな穏やかな表情をしていても、何度も死にかけた経験があるのが普通だからね」
「人は見掛けでは、判断できないって事ですね」
「うん。プロメテウスの将官の人たちは、米帝の国家機関や傭兵として働いた経験があるしね。
それに殆どの人は、日頃から命の遣り取りをしてる戦闘機パイロットだから」
「ミーナもセスナの免許を取得したと言ってましたけど、私にも出来るようになるんでしょうか?」
「それは数年前、自分がユウに言った台詞と同じだな。
もちろん問題無く出来るようになれるから、それまで語学を含めて地道にマスターしないとね」
「がんばります!」
「そうそう、夜は焼き鳥屋で歓迎会をするから、ジュンも参加するようにね。
アキラ達にも声を掛けてあるから」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「こういう店に来たのは、初めてです」
「ビールと酎ハイは、自由に注文して大丈夫だから。
それ以上に強いお酒は、もう少し歳を取るまで我慢してね」
ユウは学園の職員でもあるので、学園生であるジュンに強い酒は自重するように念を押している。
実際に欧州出身の生徒も在籍する学園では、ビールやワインを嗜むのは合法であり問題にされていないのである。もっともTokyoオフィスの面々はこの店の常連なので、過去に問題になったことは一度も無いのであるが。
「あれっマリー、いつもの焼き鳥丼を注文しないの?」
ここでユウが、彼女に気安い口調で突っ込みを入れる。
「人は経験から進化する!!
締めに食べる丼は、もっと串をしっかりと味わってから!」
ハカタ風の鶏皮串は、全てのメンバーの大好物である。
横咥えしながら鶏皮を味わうマリーは、とても満足そうな表情をしている。
「ははは。
最近は、生酎ハイも飲むようになったしね」
「あの、マリーさんはルーさんと姉妹なんでしょうか?」
酒の席ということで、ジュンから普段聞けない質問が飛び出す。
「ああ、それは良く言われるんだ。
姐さんも僕も戸籍が不明な部分が多いからはっきりとは言えないけど、血の繋がりはあるみたいだね」
「それを言うなら、プロメテウス出身者は血の繋がりがあるのは当たり前。
調べたら、異母兄弟だらけ」
「DNA検査とか理屈っぽい事を言わなくても、普通に手を繋ぐだけで分かるんだ。
この子は同じ血が流れてるとね」
ルーは過去の体験から、経験則として学習したのであろう。
「はい。色んな人と初対面で握手する度に、それが理解できるようになりました」
「『戻ってくる者はいつでも歓迎し、去る者は追わないけど忘れない』のが国是だからね」
フウがジョッキを傾けながら発した一言は、紛れもない事実だったのである。
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