021.Mercy
食後のコーヒーを飲みながら、会話はつづく。
「アキラも、義勇軍に軍籍があると聞いている」
濃いコーヒーがシンと同様に苦手なマリーは、食後のルンゴにもしっかりと砂糖を入れている。
店主はお得意様であるマリーの好みを理解しているので、彼女用にエスプレッソの湯量を増やすルンゴ用のカップも用意しているのである。
「ええ。僕もプロメテウス国民ですから、義務から逃げる事はしません。
まだ招集もありませんけど」
アキラはコーヒーの味をまだ理解できていない?からか、手元にあるカップに口を付けていない。
ミーナはデミタスカップ片手に、プティフールの中のチョコレートを美味しそうに頬張っている。
「……こんなに美味しいチョコレート、生まれてはじめてかも」
「ミーナ、気に入ったなら僕の分も食べて」
彼女は目を輝かせて、嬉しそうな表情を見せる。
何でも好き嫌い無く食べる彼女としては、珍しい光景である。
「あの、よろしければチョコレートの追加をお持ちしましょうか?」
「……いいんですか?
それじゃ、お願いします」
いつも控えめな彼女としては、珍しい自己主張かも知れない。
別皿に用意されたボンボン・オ・ショコラは、種類が違うものが並んでいる。
どれも見た目の派手さは無いが、バランスが意識された綺麗なデザインである。
「このチョコレートは、こちらで作ってるんですか?」
「いいえ。残念ながら当店ではパティシエが居ませんので、マリーさんに紹介された近くのショコラトリーから仕入れてるんです」
「定期配送便のリストにも載っているけど、ミーナが食べたいなら直接買いにいける!
ただし工房では小売はしてないから、いつでも開いてるわけじゃないけど」
「ミーナは我儘一つ言わないから、こういうリクエストをしてくれると嬉しいですよね」
「そう。
アキラには、どの料理もしっかりと味を覚えておいて欲しい」
「……???」
「私はトラブルがあって、幼少時の記憶が一切無い。
もちろん母親や、食べ物の味の記憶も」
「……」
「プロメテウス国民は、何より食べ物に関して拘りが強い。
苦しい時、ピンチになった時、大切な記憶があると絶対に頑張れると私は思う」
☆
イケブクロ西口のジェラテリア。
行列こそ出来ていないが、今日も店内は子供客を含めて盛況である。
「すいません、クリハラさんいらっしゃいますか?」
アルバイトの店員さんに声がけして、ミーナは知り合いを呼んで貰っている。
「あら、ミーナちゃん久しぶりだね!」
バックヤードから出てきたクリハラは、凛々しいパンツルックのマネージャー姿が実に様になっている。
「ご無沙汰してます」
「あのショコラトリーの工房が近くにあると聞いて、訪ねてきました。
クリハラさんもスタッフの一員だと聞いたので、工房主さんに紹介して貰えると嬉しいんですが」
「オーナーのアンちゃんから聞いてるかも知れないけど、工房主がちょっと変わった人でね」
「……」
「もし今日会えなくても、がっかりしないで欲しいんだ」
店舗から出た二人は、同じ雑居ビルの2Fへ上がっていく。
何の看板や案内が出ていない事務所のようなドアには、モニター機能が追加されているインターフォンが設置されている。
「テミちゃん、居る?」
数分後、かすかな物音とともに、インターフォンから返答が返ってくる。
「クリ……後ろに居るのは誰?」
「学園生で、テミの作るチョコレートの大ファンなんだって」
「……帰って貰って」
「……」
入り口ドアの前で、クリハラは実に申し訳なさそうな表情をしている。
「ごめんね。人見知りが激しいだけで、決して気難しい人じゃないんだ。
日を改めれば、きっと普通に会えると思うんだけど」
「あの、いいえ、いきなり押しかけた私が悪いんです。
作られたチョコレートを食べて、生まれて始めてチョコレートの味に感激して。
この思いを、作った人に伝えたいって思って……ほんとに自分勝手でしたね」
ここで音も無く、ドアが開く。
インターフォン越しに会話していたテミと呼ばれる人物は、大きめのコック服を身に着けた小柄な女性である。おどおどした態度で目線を合わせないようにしているのは、クリハラの説明通りに人見知りするタイプなのであろう。
手洗いを促した後、フロア全体を専有している工房の中に二人を招き入れる。
ミーナの知識では何に使うのが分からない機器が多いが、個人工房として充実した設備だと思われる。
「クリ、今日の試作品を味見して。
そっちの人も」
自己紹介もせずに、いきなり彼女はコールドテーブルの上に大量に並ぶ試作品を指し示す。
綺麗な円柱形のボンボンショコラは、試作品なので一切の装飾が省かれているのであろう
「ほんのり柑橘系の香りがするわね。
まだ国産ミカンを追い続けてるんだ」
ジェラテリアのマネージャーでもある、クリハラの味覚は鋭い。
このショコラトリーの運営を手伝っているのも、アンからの強い要請があった為である。
「あの……どれも美味しいですけど、酸味と甘みが大きく違いますね。
国産蜜柑の懐かしい味で、オレンジとは違う味ですね」
「へえっ、ミーナちゃんは、かなり鋭い味覚を持ってるんだ」
「いいえ。祖父が蜜柑好きだったので、私も幼少時から沢山食べていただけなんです。
おかげで小さい頃は、いつも手のひらが真っ黄色で」
お読みいただきありがとうございます。