034.Slowdown Sundown
シンは自分もジャンプ能力が欲しいとフウに洩らしたことがあるが、今回のアクティベーションはフウからのリクエストである。
すでにアンキレーをアクティベートして数ヶ月が経過しているユウや、使用開始時期が不明なソラのアヴァターラボディにも問題は特に起きていない。
もっともソラの場合はSIDからのコントロールを失う可能性があるので、ジャンプ能力を一度も発動していないのであるが。
アンキレーに関しては現時点ではユニットに対する情報が殆ど無く、正式な使用方法はおろか解除方法すら判明していない完全なブラックボックスである。
にも拘わらずフウから積極的な提案があったということは、何か情勢が変わりつつあるのが理由ではないかと漠然とシンは考えていた。
過去にDDがこの世界に及ぼす実害は非常に小さかったが、探査ロボット?やシリコン生命体モドキが立て続けに現れて認識は変わりつつある。
質量保存の原則に倣いこの世界からパージされた分だけ別の宇宙からDDが送られてくるという意見も、現状ではあながち的外れとは言えなくなってきた気がする。
普段は思い悩まないシンであっても、前夜は様々な出来事が頭を駆け巡り寝つきが非常に悪かった。
同じベットのシンの横では、この惑星に来て以来の習慣でパジャマ姿のエイミーがいつものように安らかな寝息を立てている。
寮のシンの部屋は家族用の部屋なので当然備え付けのベットは標準で2つあったのだが、エイミーが2つめのベットを使用する事は無かった。
シンがもうそろそろ1人でベットを使えばと提案する度に、エイミーは悲しそうな上目使いの表情でじっとシンを見るのである。
根負けしたシンはもともと接続タイプだったベットを繋げて、現在ではダブルベットとしてエイミーと一緒に使っているのである。
まだ日課のトレーニングのために起床する2時間ほど前だが、浅い眠りから目覚めてしまったシンはエイミーを起こさないように静かにベットから起き上がる。
既にしっかりと覚醒してしまったので、ここで二度寝してしまうといつもの時間に起きれないのは確実である。
「SID、これからちょっと外に出るけど、僕の位置情報をトレースしてくれる?」
前日フウから預かった最新型のコミュニケーターを、着替え終わったダンガリーシャツの胸ポケットに入れながらシンは小声で呟く。
アクシデントに備えて、現金やクレジットカードが入った財布も忘れずに身に付けている。
「了解です」
コミュニケーターからはSIDの応答がクリアに返される。
マルチバンドで接続しているこの小さく薄いユニットは義勇軍のミルスペックに適合した強度を持ち、しかもアラスカ基地周辺でさえ問題無く通信が可能である。
自室から内廊下をそっと出たシンは、毎朝使っているトレーニングルームでは無くエレベーターで屋上に向かう。
住宅街の午前3時は、新聞配達のバイクが時折走るだけで静寂に包まれている。
明るすぎる周辺のネオンも消灯されているので、夜空の星も比較的よく見える時間帯である。
日の出までかなり時間があるので、いつも騒々しいカラスの群れもまだ見当たらない。
(普通に重力制御も使える筈だよね)
過去に繰り返し訓練した自らの体を浮遊状態にする重力制御を、屋上の床を踏みしめながらシンは意識して発動する。
(あれっ、いつの間に!)
軽く屋上の床を蹴っただけなのに、スムースというよりも一瞬にしてシンの体はイケブクロの上空に浮かんでいた。
雫谷学園が入っている高層ビルの展望台よりも高い位置からの景色なので、300メートル以上は高度がある筈である。
(いつもの浮遊感より安定していて、移動距離が大きい……。
景色が流れるからジャンプじゃないけど、とんでも無いスピードが出てるな)
シンは水平方向へ意識を集中するが、一瞬で目の前の景色は海岸線が見える海沿いの場所に移動する。
「SID、僕の位置は補足できている?」
空中で静止したシンは、胸元のコミュニケーターに向かって囁く。
「はい。レーダーから一瞬消えましたが、現在位置はチバ上空になります。
ナリタからの離発着便にニアミスしないように、注意して下さい」
SIDはソラの残留記憶?からアンキレーの一部動作に関しては情報を得ているようで、詳細な説明は不要のようである。
「了解。ちょっと南下して性能をチェックしてみるよ」
☆
「シン、それで調子はどうだ?」
前日の約束通りの時間にTokyoオフィスに顔を出したシンに、フウは声を掛ける。
ただ一人シンに同行して来たエイミーは、フウにドリップして貰ったマグカップのココアを美味しそうに飲んでいる。
「あっ、ちょっとテストで遠出してたのでこれお土産です」
白いビニールバックに入った、ずっしりと重い茶色の紙袋をシンはフウに手渡す。
「ワイアルアの紙袋って……いきなりハワイに行ったのか?」
リビングに居たマリーが店の名前に反応して、紙袋を見ているフウの傍にそそくさとやってくる。
紙袋を開いて中に並んでいるバナナブレッドプディングを見ると満面の笑顔になり、シンに目線で了解を取ってからブラウン色のプディングに手をのばす。
ボリュームがあってバナナの風味が強いこのプティングは、ニホンでは買えないマリーの大好物なのである。
「SID、僕の飛行中の画像は流せる?」
「残念ながら飛行中は通信が途絶していたので、バッファーに残っている画像を出しますね」
「なんだこの早送りの映像は?ジャンプでは無いな」
「これでも通常速度の再生です。速度換算でマッハ7前後ですね」
SIDが画像と時間経過から、この惑星の航空機ではほぼ不可能な推定速度を算出する。
「飛行経路のレーダー記録はどうなってる?」
「小さすぎるのが原因かも知れませんが、探知した記録がありません」
「ジャンプだと初見の場所に行けないから、不便だなぁと思っていたんですが。
チバから数分で見慣れたオワフ島が見えたんで、ビックリしましたよ」
「エリア上空にあった監視衛星からの画像なんですが、熱探知でも痕跡がありませんね」
「この世界の物理的制約を受けない、言うならば有視界亜空間飛行か……」
シリアスな表情で考え込むフウやシンをよそに、マリーは朝から上機嫌でプディングをはむはむと食べている。
「久しぶりに食べたら美味しかった!シンまた買ってきてね!」
周囲の困惑した状況とは関係無しに、マリーは今日も平常運転なのであった。
☆
徒歩で寮に戻ってきたシンとエイミーは、自室で寛いでいた。
「エイミーを抱えたまま飛べそうな気がするけど、近すぎる距離だと逆に難しいかな」
「ユウさんのジャンプとは違って、初見の場所にも行けるんですよね?」
「うん。ただし航路をある程度理解していないと、迷子になりそうな気がするけどね。
オワフに関してはこの間の訓練で位置情報をしっかりと把握していたし、それが良かったのかも知れないけど。
ところで……シリウスはまだ管理人さんの所?」
「いえ、仕事の締め切りで部屋に籠りきりのトーコさんが、一人だと寂しいからと自室に拘束しているようです。
シリウスも嫌がってないので、放置していますけど」
「ルーも座学で外出中だから、午後から予定も無いし二人でどっかに行こうか?」
「デートですか?すごく嬉しいです!」
「どこか行きたい場所はある?」
「あの、ニュースで見た海の上にあるパーキングエリアに行ってみたいです」
トーコとシリウスの昼食を手早く用意してから、二人はエレベーターで屋上へ向かう。
ユウのジャンプは一人限定だが、シンはエイミーを抱えたまま飛べる事に何故か強い確信を持っていた。
「エイミー、しっかりと掴まっていてね」
エイミーを横抱きしたままシンが重力制御を使うと、周囲の風景が展望エレベーターのように小さくなっていく。
「これが噂の『お姫様抱っこ』なんですね」
短期間で急成長しているとはいえ、エイミーはまだ小柄で体重も軽い。
ほとんど頬が触れるような距離感でエイミーはシンに密着しながら、展望台の高さから街並みを見下ろしている。
「Hear We Go!」
シンの一言で、エイミーの視界に映る風景がまるで早送りするように動き出した。
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「うわっ、もう着いたんですか」
ほぼ数秒の飛行で、いきなり二人は四方海に囲まれた展望台の上空に到着した。
光学迷彩が起動されていたらしく、上空から滑らかに展望台に着地した二人の姿は周囲には気付かれていなかった様である。
「SID、この展望台に監視カメラはあるのかな?」
お姫さま抱っこから名残惜しそうな?エイミーを下ろしながら、シンは監視カメラの有無をまずSIDに確認する。
「出現した位置は幸いにもカメラの死角なので、記録には残っていませんね」
「展望台も殆ど人が居なかったから、ラッキーだったな」
「う~ん、潮風の感じがハワイとは違いますね!」
海に囲まれた景色を見渡しながら、エイミーは背伸びをする。
施設の海に面したブロック敷きの部分には、沢山のカモメが羽を休めているのが見える。
展望台からの景色をしっかりと堪能し、施設の内部を散策した後にシンはエイミーに提案する。
「せっかくチバに来たから、まず海の幸を食べようか」
「はい!」
寮の自炊では材料が入手出来ないので普段はあまり食べないが、エイミーは好き嫌いが無く魚介類も大好きである。
(確か近場の魚市場の中に評判の店があったよね)
チバには土地勘が無いシンだが、マリーが釘付けになって見ていたグルメ番組でその店の名前はしっかりと記憶に残っていた。
展望台からエイミーを抱えたシンは、再び上空に出てチバ寄りの漁港へ向かう。
目視で行う近距離の移動は一瞬の早送りであり、通り過ぎないようにするコントロールが意外と大変である。
大型の魚市場に併設された食堂は、昼時の喧騒を過ぎてお客が僅かだった。
古びた店構えだが、市場関係者が多数利用するだろうメニューはバラエティに富んでいて、魚関連のメニューが特に新鮮そうである。
「ユウさんのお寿司の日以外に、美味しい刺身を食べる機会があんまり無いからね。
こういう店では刺身定食がお勧めかな」
学園の寮に配送される食材ストックは日持ちを重視しているので、新鮮な魚介類が入っている事は殆ど無い。
トーコは好き嫌いが激しいので骨の多い魚介類は食材として使わないし、マグロや刺身類が欲しい場合にはTokyoオフィスの食材ストックから融通して貰う場合が殆どなのである。
平皿に並べられた、ヒラメ、タイ、マグロ、ホタテ、イカ。
刺身の切り口はきれいに立っていて、素材が新鮮でしかも上手に捌かれているのが分かる。
市井の食堂ならではの手作りの小鉢やシジミの味噌汁の味は、シンも食べなれている須田食堂の味を連想させる。
また追加で注文したなめろうもタルタルステーキを思わせる調理方法で、エイミーには違和感が無いようだ。
「お刺身もなめろうも、とっても美味しかったです!」
暖簾をくぐって店外に出たエイミーは、料理に満足した様子である。
「じゃぁ仕上げに、夕日を見てから帰ろうか」
人気の無い市場からエイミーを抱えてジャンプしたシンは、観光客がまばらに居る砂浜を避けて土産物屋の裏手に着地する。
今朝オワフ島へ行った経験から、地図上で位置を明確に把握している場合には通り過ぎる心配は少なくなるのをシンは学習していたのである。
「ここは?」
「チバのタテヤマ」
海岸を歩いているうちに、夕暮れの時間が近づいてくる。
「綺麗……」
夕日が空を染めるオレンジ色のグラデーション。
空の色が沈んでいく太陽とともに徐々に青く変わっていく。
「シン、これからも色んな場所に連れて行って下さいね!」
海岸をシンと手を繋いで歩くエイミーは、半日を二人きりで過ごせたのでご機嫌である。
「もちろん!
じゃぁお土産屋さんに寄って何か買っていこうか。エイミー選んでくれる?」
「はい!」
その後、物珍しい海の幸を大量に買い過ぎて、宅急便で送る羽目になったのはここだけの話である。
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