011.Everything You Do
体育の授業。
常人離れした運動能力を見せないように言われているアキラは、体育の授業が苦手である。
特に集団競技である球技では目立たないようにしていても、必ずボールが回ってくるからである。
「……アキラ、他の教師には口外しないから、たまには本気を見せろよ」
授業開始前に、体育教師がアキラの耳許で呟く。
どうやら彼はアキラの事情の一端を、理解しているようだ。
普段のバスケットボールの授業では、アキラにボールが回っても彼がドリブルしたりジャンプシュートを放つ事は無い。彼はボールを受けても、味方に即座にパスをするか、わざと外れるスリーポイントシュートを放つだけである。
授業開始前の担任の呟きが効いたのか、アキラの動きがいつもと違って伸びやかに?見える。
極め付きは、まるで羽が生えているようにゴール前で飛んだアリウープである。
同級生はいつものアキラと違うバスケ部のエースのような軽快な動きに、皆一様に驚いている。
「ようし、今日の授業はこれまで」
用具の片付け登板だったアキラと、体育教師はここで二人きりになった。
教師は周囲を確認すると、アキラに気安く語りかける。
「どうだ。普段のストレス解消になったか?」
「……どうして(手を抜いているのが)分かったんですか?」
「そりゃ、アキラが商店街のコートで、3オン3をやってるのを見たからな。
あの動きを見ちゃうと、授業で三味線を弾いてるのがバレバレだな」
「……バスケットボールは見様見真似で、そんなに目立っていたとは思いませんでした」
「お前は、本来なら運動部が率先して勧誘すべき逸材なんだがな。
ジムでのバイトで時間が取れないという理由を出されると、どうしようも無いけど」
「はぁ」
「それに商店街の人たちから、とても頼りにされてるし」
「もしかして、先生ってここが地元なんですか?」
「ああ。アキラも行きつけの美容室は、僕の兄が経営してるんだ。
まぁちょっと変わった性癖の兄だから、内緒にして欲しいんだが」
「この間はミーナがお世話になって、とっても素敵なお兄さんですよね」
「素敵!?
アキラは本当に懐が広いというか、商店街の曲者達にも絶大な人気があるのも頷けるよ」
☆
商店街のジム。
「アキラ、動物病院の先生が顔をだして欲しいってさ」
いつものバイトに出勤したアキラに、会長が声を掛ける。
「……わかりました」
「今日は一般会員も来てないから、先に顔を出してきなよ。
あそこの先生はこの商店街の顔役だから、無碍には出来ないからさ」
「先生、お呼びですか?」
動物病院の院長は2代目でまだ若々しいが、とても評判が高い。
素人であるアキラに躊躇わずに意見を求めるなど、頭も柔らかく本質を見失わない優秀な人物である。
「あぁアキラ君、呼び立てて申し訳ない。
実はこの子なんだが、検査してもどこが悪いかさっぱり分からないんだ」
「ハスキーの仔犬ですか。
勉強熱心な先生でも分からないなんて、珍しいですよね」
アキラは診察台の上で緊張で縮こまっているハスキーを、触ることもせずにじっと見ている。
視線を感じているハスキーは怯える事なくアキラを見返しているが、どことなく動きがぎこちなく見える。
「僕も君みたいな患者の心がわかる獣医を目指してるんだが、ぜんぜん修行が足りてないみたいだな」
「先生、仔犬の割には肋骨がしっかりと見えてますよね」
「うん。かろうじて体重は標準の範囲内なんだけど、ごはんの食い付きが悪くてね。
最初は消化器系統の病気かと思ったんだけど」
「先生、この子がいつも食べてるフードって分かります?」
「ああ。飼い主から預かってるこれだけど、この子絶対に口を付けないんだよな。
飼い主によると、これ以外のフードは絶対に食べないって言うんだけど」
フードの外袋を見ただけで、仔犬が目を逸したのをアキラはすでに気が付いていた。
ここで彼はフードの中身を手のひらに載せ、躊躇せずに口に放り込む。
「えっ、食べちゃうの?!」
「なんか苦味が強くて匂いもおかしいですよ。
先生、これフードが傷んでるんじゃないですかね?」
「ああなるほど。それは基本的な事を見逃してたかも。
ドライフードは、保管してても傷まないって思い込みがあるからね」
「こんな半分腐った食事をずっと与えられたら、虐待に近いんじゃないですか?
成長期の仔犬にとって、酷い仕打ちだと思いません?」
「たしかに。
でも良くドライフードを、直接味見しようと思ったよね?」
「えっ、飼い犬と言えども家族の一員ですよね?
大事な家族に食べて貰う食事は、普通味見しませんか?」
「なるほど。
僕も今のアキラ君の一言を、肝に銘じておくよ」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
翌日。
「先生、あの子はどうなりました?」
ジムのバイト終わりにアキラは、ミーナを連れて動物病院に立ち寄っていた。
「ああアキラ君、心配で見に来てくれたんだ。
それが、販売元のペットショップを巻き込んで大騒動になってさぁ」
入院患者では無くなったので仔犬はケージに入っていないが、広い診察室の片隅で横になっている。
先日よりは元気になったようだが、自分の立場を本能で理解しているのか目に力が無い。
「仔犬は元気が無いし、おまけに一緒に売りつけられたフードも不良在庫で。
飼い主からの怒りのクレームで、阿鼻叫喚状態になっててさ。
可哀想にこの仔は、双方からもう要らないなんて言われてて」
「……」
「うわぁ、まだ仔犬なんですね」
ここで事情を詳しく知らないミーナが、仔犬を抱き上げ目線を揃える。
抱き方が慣れているのは、過去に犬を飼っていた経験があるからだろう。
仔犬は初対面のはずのミーナの口もとを、ペロペロと舐めている。
大型犬に慣れている彼女は、嫌がるそぶりも無く満面の笑顔である。
「あらら、人に懐かない仔犬なのにミーナちゃんには違うね。
こんなに尻尾をバタバタさせてるのを、初めて見たかも」
「先生、しばらくミーナに面倒を見てもらったらどうですか?
すごく相性が良さそうですし」
「里親募集しようと思ってたんだけど、このままたらい回しになると可愛そうだしね。もし負担にならないなら、お願いして良いかな?」
「はい。私でよければ喜んでお預かりします」
ミーナはアキラに目線で確認した後、嬉しそうに返答する。
「ただ大手のペットショップで展示販売されてた仔だから、しつけがちょっと難しいかもね」
「ああ、同じマンションにハスキーを飼ってる知り合いがいますから、その子に教育するように頼んでみますよ」
「アキラなら、直接頼めそうだよなぁ。
それにこの仔も、アキラの言う事なら聞き分けるような気がするよ」
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