003.Sparrows
高い土塀に囲まれた立派なニホン家屋。
お屋敷という呼び方がしっくりと来るその建物が、意外にもミーナの実家である。
ニホンの習慣に疎いアキラであるが、さすがにミーナと無断で同居しているのは気になっていたようで、漸く挨拶に訪れたのである。
ちなみに洋式に改装されたリビングに案内された二人は、学生服姿である。
母親の前だというのにミーナがかなり緊張した面持ちなのは、そういう希薄な関係の親子なのであろう。
ソファに腰掛けると、前置き無しに母親からいきなり話が切り出される。
「After a long time、my daughter is a woman」
アキラがニホン語が流暢では無いと聞いているのか、会話はいきなり米帝語である。
女性にしては大柄の彼女は、学園寮に出入りするプロメテウスの女性幹部達と似た雰囲気を持っている。30代そこそこにしか見えない美しい顔立ちは、当たり前だがミーナに似ている。それにも増して素人とは思えない胆力を感じるのは、波乱万丈の人生を歩んできたからであろうか。
「You seem to have great assets、but are you a rich secret child?」
流暢な米帝語は、ネイティブスピーカーのように淀みが無い。個人の資産調査まで目が届いているという事は、大手銀行に信用調査すら依頼できる立場なのであろう。
「いいえ。
僕にはミーナ以外の身寄りはいませんから、手持ちの資産はすべて自分自身で稼いだものです」
毅然とした表情で答えたアキラは、まっすぐに母親と視線を合わせている。
緊張も虚勢も感じられないその落ち着いた態度は、どうみても普通の高校生には見えないであろう。
「あら、ニホン語ももうマスターしてるのね」
「はい。ぼちぼちですけど」
おかしな方言が入ったその言い方に、母親は思わず吹き出しそうになる。
険しかった表情が緩んだのは、気の所為だろうか。
「プロメテウス国籍を持っているという事は、あなたも特殊な能力を持っているんじゃない?」
「いいえ。
僕はごく普通のヒューマノイドで、特に変わったことは出来ません」
「娘が惚れた未来の旦那様という前提で、君の事はしっかり調査させて貰ったわ。
とくに驚かされたのは、君の周囲からの評判の高さね」
未来の旦那様という一言に、ミーナが恥ずかしそうな表情を浮かべているが、その一言を否定するつもりは無いようだ。
「……」
母親が言及している『高い評価』について、アキラは首を傾げてただ黙っている。
「悪く言う人が居ないっていうのは、裏を返せば胡散臭いという事になるんだけど。
君は宗教の開祖か何かを目指してるの?」
「いいえ。
それは全く興味が無い分野ですね」
「うちの娘の変わりようを見ていると、君の言ってる事はぜんぜん信じられないけど」
「ミーナは磨けば磨くほど輝く水晶のような子です。僕の出来る事は彼女を飾り立てるのでは無く、磨き上げて無駄な曇りを取っていく事だと思っています」
「ふ〜ん、君の一言は変貌した娘を目の前にすると説得力があるわね。
ミナコ、あなたはアキラ君をどう思ってるの?」
「私を、大事にしてくれるだけじゃなくて、叱ってくれます。
お父さまや兄さまが居たら、こういう感じかと」
「へぇっ、もう私よりも本当の肉親になってるのね。
男を見る目は、ちゃんとあったという訳か」
育児放棄をしているような母親ではないかとアキラの保護者でもあるキャスパーは心配していたのだが、実情はそんなに単純ではなかったようである。和やかな雑談が続く中で、彼女は初対面よりもより柔らかい表情に変わっている。
「娘と同居しているということで、周囲からのやっかみや妨害がこれからは入ってくるでしょう。
学校も公立高校から、転校しなければならないかも知れないわね」
「噂されるのは気にしませんが、担任教師からも同じような注意を受けています。
転校先のオファーは既に受けているので、いつでも編入試験を受けれる状態になっています」
「ミナコ、編入試験に落ちると、アキラ君をがっかりさせるかもよ」
「もちろん頑張る!いえ、頑張ります!」
「ふふふ。この様子なら安心ね」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「それでは、そろそろ失礼します」
ソファから立ち上がった二人は、ミーナの母親に見送られて玄関へと向かう。
「それじゃアキラ君、ミナコの事を宜しくね。
2世誕生の知らせを、楽しみに待ってるわ」
「お義母さん、ちょっと失礼しますね」
いきなりお義母さん呼ばわりされた不意打ちもあって、彼女はアキラが背後に接近するのを防げない。触れた肩からわずか数秒で手を離したアキラだが、彼女自身にはすぐにはっきりとした変化が感じられる。
「商店街のジムにミーナと一緒に居ますから、そのしつこい肩こりを完治させたいならぜひ訪ねて来て下さい。あと晩酌のアルコールの量は、ちょっと控えめにお願いします」
玄関が閉まると、彼女は改めて自らの肩に手を当てる。
上腕を持ち上げて肩を動かすと、彼女の表情に強い笑みが浮かんでいる。
「あらら。
あのしつこい痛みが、一瞬で無くなってる。
特殊能力は無いと言ってた癖に、まるで……」
☆
商店街の須田食堂。
「あらアキラちゃん、ミーナちゃんいらっしゃい」
「おばちゃん、僕はいつものおまかせで。
ミーナは?」
「……今日はカツカレー大盛りと、生野菜サラダで」
「ミーナちゃんは、体重も増えて量も食べれるようになってきたわね。
女の子が食欲旺盛だと、やっぱりおばちゃんも嬉しいわ」
もっともこの食堂の常連の中で、少食な女性など殆ど居ないのであるが。
「ミーナちゃんはカレーが好きなの?」
「子供の頃は●ンカレーばかり食べていたのですけど、ここのカレーは大好きです!」
「僕がまだカレーを作れないので、外で食べるのが多くなるのかも知れませんね」
「あら、それならユウちゃんに相談したら。
最近うちのカレーは業務用のレトルトに変えたんだけど、評判が良くなってカレーが出るようになったのよね」
「ええっ!こんなに美味しいカレーがレトルトなんですか?」
「そう。うちの旦那も業務用でもレトルトは邪道だなんて言ってたんだけど、一口食べたら意見がコロリと変わってね。カレーの仕込みが減った分、他のメニューも出せるようになったのよ」
「これが出来合いのカレーですか」
ミーナの皿から一口もらったアキラは、なんとも複雑な表情をしている。
まだカレー自体の味に慣れていないからであろうか。
「それで仕入れてるカレーって犬塚食品製で、どうやらユウちゃんが考案したレシピらしいのよね」
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