030.Stars
ハワイ本島マウナケア山の頂上付近には、各国の公立機関が建設した天文台が点在している。
天体の地上観測に最適であるこの場所は、肉眼で見える眺望が素晴らしいので人気のツアーコースの一つでもある。
普段はジャンプを私用に使う事が無いユウだが、観光客が居ない時間帯を見計らって今日もお気に入りのこの場所をこっそりと訪れていた。
ゆったりと路肩に腰掛けて夕暮れの絶景を眺めながら、持参したスキットルをちびちび飲むこの瞬間はユウにとって至福の時間である。
通常ならば標高4,000メートルで強いアルコールを摂取するなど自殺行為だが、ユウの体と一体化したケラウノスは周囲の大気圧を自動調整しているので何の問題も無い。
ユウ本人は光学迷彩のお陰で周囲に姿が見えていないと思い込んでいたが、実際には迷彩は自動起動されずに観測所の職員達にしっかりとユウの姿は目撃されていた。
ツアー客では無いラフな服装の黒髪の女性が夕暮れ時に突然出現し、瞬きをした瞬間に跡形も無くその姿が消えてしまう。
この現象を、科学者がメインである天文台の職員達が不審に思わない筈が無い。
その目撃情報が複数回に及ぶころ、いつしか夕暮れに現れる黒髪の女性の姿はハワイ神話の女神である『ポリアフ』と呼ばれるようになり、都市伝説として語り継がれる事になるのはユウには与り知れない話である。
当の本人は今日も絶景を目の前に、シンが作ったジャーキーを齧りながら大好きなバーボンでちびちびと喉を潤しているだけなのであるが。
(そういえば、今ハワイベースにシン君達が滞在してるんだよね。できれば滞在中にここの景色を教えてあげたいなぁ)
☆
「えっと……滞在中はずっと僕が食事当番ですか?」
和光技研のプライベートジェットで、ハワイベースに到着した一行はリビングで寛いでいた。
レシプロの操縦訓練を受けるのはシンとルー、そして雫谷学園の同級生リコの3人だが、エイミーは本人の希望で、トーコはレイのプログラミングの授業を受けるために同行している。
「すまないね。エリーがシン君の料理が食べたいから是非にって。
できれば滞在中の夕食だけでも頼めないかな?」
ハワイベースの責任者であるジョンは、どこで覚えたのかニホン風の拝むポーズをしながらシンに申し訳なさそうに言う。
「せっかくシンが居るんだから、いつもと違うメニューが食べたいの!
シンが作る料理はどれも美味しいし、あとハンサムだから大好き!」
「……料理の腕前の方がハンサムよりも先に来るんですね」
シンに胃袋を掴まれているという点では何も言えない筈のトーコが、ぽつりと呟く。
「なんなら僕が作ろうか?シン君ほどのレパートリーの広さは無いけど」
ルーとリコに、早速ソファーでリラックスしながらもセスナの基本構造を講義しているレイが言う。
「とんでも無い!教官で来ているレイさんに料理を担当させるなんて。
エリーのお願いだし、夕食はもちろん僕が担当しますよ!」
Tokyoオフィスでマリーのための食事の支度に慣れているので、シンは大勢の食事の支度も以前ほどは苦にしていない。
早速冷蔵庫の中を覗くと新鮮なマグロがあるので、好き嫌いが多いトーコを踏まえてメニューを考えていく。
(トーコは烏賊は食べれた筈だから、今日はマグロとイカのカツレツという所かな。イカの衣は黒ゴマをまぶして香ばしさを出してと……)
「ねぇ、リコは食べれないものがあるの?
滞在中に食事でストレスになると大変だから、今のうちに言ってほしいな」
食材の在庫を確認しながらメニューを考えているシンは、先ほどの文句とは裏腹にとても楽しそうな表情を浮かべていたのであった。
☆
翌朝のハワイベース。
レシプロの操縦訓練に参加する3人は、レイが運転する和光技研のセダンで米帝の空軍基地へ移動していた。
早朝に出発しているので、朝食はハワイベースでは採らずに途中で寄ったコンビニで調達している。
「なんで一旦ヒッカムに行かないといけないんですか?」
シンはクラブハウスサンドイッチを齧りながら、レイに質問する。
バックシートの女性二人は、ニホンのコンビニでは売っていないスパム握りをハムハムと頬張っている。
「ああ、それは空域制限の問題でね。
プロメテウスはオワフに居候してる立場だから、軍事作戦以外はあくまで米帝の使用が優先されるんだよ。
それにうちの練習機は、ヒッカムのハンガーに預けてあるしね」
数分で基地の入り口に到着し、レイがIDカード提示してゲートを通過する。
「この機体が練習機?」
ハンガーでセスナ172を目にしたルーが、レイに子供のような声を上げる。
ハワイに来て以来、ロシア語で頻繁に会話する二人の親密そうな様子からもルーはレイに対してかなり心を許しているように見える。
「単発のレシプロ機としては、世界中で使われているベストセラーだからね。
さてと、今日は交代で水平飛行の実技からかな」
ルーは嬉しそうに頬を緩め、リコは緊張のあまり顔が強張り、シンはあくまでも普段通りのリラックスした様子と、三者三様の表情で操縦訓練は開始されたのであった。
☆
同時刻のハワイベース。
飛行訓練に参加しない二人と一匹は、敷地内にあるプライベートビーチに来ていた。
「砂浜を貸切で日光浴というのは、贅沢ですね」
スクール水着に近い地味で露出が少ないワンピース姿のトーコは、ビーチチェアに寝ころびながら呟く。
トーコは幼児体型では無いが、全体的にスリムなのでボディラインの起伏はかなり控えめである。
「シリウスが嬉しそうですね」
飛んでいるカモメを追いかけてビーチを駆け回るシリウスを見ているエイミーは、パラソルで日陰になった隣のチェアで同じように寛いでいる。
こちらは幼児体型そのものなので子供向けの簡素なビキニを着ているが、以前は起伏が無かった胸も少し大きくなって美幼女から美少女へのクラスチェンジは順調に進行中の様だ。
「エイミー、なんか最近だいぶ成長してきましたね」
「へへ~、この間アラスカベースのドクターにも言われちゃいました。
あっという間に育って、キャスパーさんみたいなナイスボディになるのが目標です!」
「日差しが強くて、これは気をつけないとあっという間に真っ黒になりそうですね」
「私は日焼け止めをエリーに塗って貰ってから来ましたから、トーコさんには私が塗りましょう!」
日焼け止めのボトルを手に近寄ってきたエイミーは、ココナツの強い香りがするサンプロテクトを手のひらで温めると躊躇なくすらりとした脹脛から太ももにマッサージするように塗っていく。その小さなてのひらは予想以上に力強さがあって、マッサージの効果でトーコは強烈な眠気に襲われる。
寝ぼけたトーコはワンピースの水着の肩がずりおろされた様な気がしたが、トーコは気持ちよさに抗うことも無くそのまま眠ってしまったのであった。
☆
「この場所で良くユウさんが、夕暮れに一人でお酒を飲んでるって。
シンも一緒に飲もうよ」
シンが作った夕食を皆で囲んだ後、ルーがシンを誘って管制室へと向かう。
ルーは冷えたビール缶を持てるだけ胸に抱えているので、水滴が部屋着の薄いTシャツを濡らしている。
風呂上りでブラジャーは付けていないらしく、スリムだが小さくないルーの胸元の柔らかい起伏があらわになっている。
ハワイベースの居住エリアから一段高くつくられた管制室は、四方がガラス張りで眺望が良い。
照明を付けていない室内には、監視レーダの淡い光が漏れているだけでガラス越しに夜景が綺麗に見えている。
「ビール……なら良いかな」
ルーの濡れた胸元から目をそらしながら、シンはビール缶を受け取る。
「二人だけなんて……ずるいです。
私も飲みます」
日焼け止めを塗っていたにも関わらず、若干肌が赤くなっているトーコもビールのタブを開ける。
トーコはルーに誘われていないが、シンの後を追って管制室にいつの間にか入ってきたのである。
幼少時からフウの晩酌に付き合わされてきたシンはビールならばいくら飲んでも酔わないが、アルコールに弱いトーコはちょっと口を付けただけで真っ赤になっている。
目の焦点がぼんやりとして、シンの肩にもたれてあっという間に落ちてしまった様だ。
「あらら、トーコはアルコールに弱いね」
「ワイン一杯で真っ赤になっちゃうから、普段は飲ませないようにしてるんだ」
肩にもたれた状態からさらに姿勢が崩れて、シンの太腿の上に頭がざばっと落ちてくる。
不自然な体勢に身じろぎしたトーコは、シンの膝枕で満足そうな表情をして静かな寝息を立てはじめた。
「シンは、トーコのお兄さんみたいだよね」
「そうかな」
トーコの乱れた前髪をそっと直しながら、シンはトーコが一口だけ飲んだビールに口を付ける。
「エイミーが上の妹で、トーコはその下って感じかな」
「ははは、当たってるだけにトーコが聞いたら怒りそうだね」
「ねぇ、私はどう?兄妹にしてくれる?」
膝枕をしているソファのシンににじり寄って、ルーがシンの耳元で囁くように尋ねる。
ハワイベースの浴室に常備しているシャンプーの香りが、シンにはより強く感じられる距離である。
「う~ん、ルーは妹というよりも同い歳の兄弟みたいな感じかな。
なんか他人とは思えない、双子のような感じがするよ」
さりげなく伸びたシンの手はルーの頭を軽く撫でた後、ルーの肩の上にそっと置かれる。
「フウさんが、彼女になるより先に背中を守れるようになって欲しいって」
シンに密着した背中を特に意識することなく、ルーはリラックスした表情のままビールを口にする。
「へぇっ、そんな事をフウさんが言うなんて、ルーはよっぽど気に入られてるんだね」
「そうなの?」
「ベックなんかは、スパルタで突き放されてる感じだから。かなり人を見る目がシビアなんだよね」
「それで妹としては?」
「うん、もちろん大好きだよ。
僕はもうルーのことも大事な家族だと思ってるけど……もしかして迷惑かな?」
「いや、すごく嬉しい。
やっぱり、学園に来て良かったな」
「ハワイは気に入った?」
「ハワイももちろん暖かいから気に入ったけど。
ここに来られて、生まれてはじめて自分の居場所を見つけた気がするんだ」
ルーが一本目のビールを飲み干したのを見て、シンはまだ冷たさが残る新しいビールをルーに手渡す。
管制塔のガラス越しでも、市街地の照明がまばらになっている時間帯なので満天の星空がしっかりと見える。
本島の天文台からの景色には及ばないが、ここの夜景も十分に見応えがあって美しい。
シンにもたれかかって話をしていたルーも、いつの間にか静かに寝息を立て始めた。
アルコールに強い彼女も、日中の慣れない操縦訓練で疲労が蓄積していたようだ。
シンはまだ残っているビール缶を手に取ると、寝息を立てる二人の顔を見ながら一気に飲み干したのであった。
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