029.Ordinary Day
翌日の学園のカフェテリア。
「ねぇシン君……」
シリウスを膝の上に載せて持参した犬用のおやつを与えながら、リコという生徒がシンに尋ねてくる。
彼女はシリウスをとても可愛がっていて、昼食の時間帯の膝の上はシリウスの指定席になっている。
「なあに、リコ?」
リコは雫谷学園では珍しい黒髪、黒い瞳のアジア系の特徴を持っている女生徒だ。
だがショートボブでくっきりとした二重瞼はトーコの日本人形のような印象とは違って、メトセラ特有の国籍不明の面立ちと言えるだろう。
「ううん、何でも無い……ごめんなさい」
「?」
彼女はメトセラの女性では珍しい控え目な性格をしているので、シンは日頃から対応に気をつけているつもりなのだが沈黙されてしまうと言葉を繋げない。
ここ数日同じ事が何度も繰り返されてシンは気になっているが、こちらから尋ねるタイミングを逃しているので未だに会話が出来ないでいるのである。
☆
「ユウさん、僕の同級生のリコっていう子を知ってます?」
寮のコミュニケーター経由でユウに音声連絡しているシンは、前置き無しに本題に入る。
彼女は格闘技の授業に参加しているのでユウが知らない事はあり得ないが、顔と名前が一致しない可能性もあるからだ。
「ああ、あのリコちゃん。格闘技の授業にも出てるし、この間カフェテリアでちょっと相談を受けたかな」
「シリウスをとても可愛がってくれてる犬好きの子なんですけど、なんか最近僕に話したい事があるみたいで。何か知ってます?」
「ああ……知ってるけど、私の口からは言えないなぁ。
まぁ色恋沙汰の相談じゃなくて義勇軍についての相談だったから、彼女から直接聞いてみたら?」
(義勇軍としての相談って何だろう?)
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翌日の放課後、レイに合う用事があるという事でリコはシン達と一緒にTokyoオフィスに向かっていた。リードを付けたシリウスを従えながら、リコはハミングを口ずさみスキップしそうな程にご機嫌な様子だ。シリウスはリードを引っ張ることも無く、リコの傍をつかず離れず微妙な距離をとって歩いていく。普段のスキンシップのおかげで、シリウスは彼女を信頼しているのだろう。
「リコって、ホントに犬が好きなんだね」
「うん!
自宅では母さんも留守がちだから飼えないけど、最近はシリウスと頻繁に会えるからとっても嬉しい!」
普段の控え目な態度と打って変わって、シリウスと一緒に歩いている彼女は元気一杯だ。
Tokyoオフィスに到着するとリコはレイに会いに彼の仕事部屋へ直行するが、シン一行はリビングでいつものように寛いでいた。
特に急ぎの伝達事項は無いようだが、フウにハワイの件でミーティングするという事で参加メンバーは呼び出されていたのである。
「今、レイさんの処で飛行訓練についてインタビューを受けていたの。
それでこの間からシン君に聞いてみたいことがあって……」
レイの部屋から戻ってきたリコは、意を決した様子でシンに話し掛けてくる。
シンはリコに余分なプレッシャーを与えないように、何も言わずに優しく微笑みながら頷いて見せる。
「レシプロの飛行訓練を受けるつもりなんだけど、私は生まれてからずっと平和でのほほんと暮らしてきたし。そんな私が参加して良いのかなぁと、自分自身で疑問に思ってしまって。
シン君たちは、もう作戦に参加した経験があるんでしょ?うちの母さんは義勇軍については何も話してくれないし、もしかして私って場違いなのかなぁって」
「ユウさんに相談したって聞いたけど?」
「うん。
もし飛ぶことに憧れがあるなら、適性があるのだから迷わずに参加しなさいって。
私の年齢の頃は、ユウさんは既にFAA双発機の計器飛行ライセンスまで持っていたって聞いたし」
Conogohが設立した雫谷学園は、一般の入学希望者を受け付ける事が無い言うならばプライベートスクールである。
優秀な人材を確保して育成するための教育機関であり、ここでは生徒が特定の技能習得を希望する場合それをバックアップするカリキュラムがある。
アンの様に積極的にプロメテウス義勇軍の訓練に参加して、ファイタージェットを操縦するまでになっている在校生は流石に例外であるが。
「リコはニホンの公立学校に居た経験があるから、空気が読める子なのですね。
でも、雫谷学園ではそんな気遣いは不要ですよ。
それにプロペラ機が操縦できても、いきなり義勇軍に参加を強制される訳でもないでしょう?」
訓練には参加しないが、休暇を兼ねて同行することになっているトーコが第三者として発言する。
「それはユウさんにも言われたけど、もしジェットに乗りたければ義勇軍に参加しないと無理だろうって……。私小さい頃からパイロットに憧れてて、雫谷学園に来たのもそれが一番大きな理由だし」
「リコ、僕が子供の頃飛行機事故に会ったのを知ってる?」
「?」
「最近やっと飛行機に平常心で乗れるようになった僕が参加するんだから、リコくらいの熱意があれば参加して当然じゃないかな。
確かに飛行技術は軍務に直結するけど、アンみたいに中尉にまで昇進して作戦に参加しているのは例外中の例外だし。それにせっかくのチャンスを逃しちゃうと、先々後悔するかもしれないよ」
途中からリビングに現れて黙って話を聞いていたフウだが、リコを見ながら普段の軍隊口調では無く穏やかに問いかける。
「リコ、お前が操縦訓練を受けたいと母親に相談した時、彼女は何と言ってた?」
「いえ、特に何も。
そうって一言だけでしたけど」
「リコ、これから見せるものはお前の母さんには絶対に内緒だぞ。
SID、20年前のカーメリ基地の集合写真を探してくれ」
「カーメリって、サラさんが居るイタリアの空軍基地ですよね?」
最近各拠点に知り合いが増えつつあるシンが呟く。
「メンバーの集合写真を出します」
リビングの巨大モニターに拡大表示された画像には、当時の義勇軍の標準機体だったA-4を前にしてフライトジャケットを着たメンバー達が笑顔で写っている。
また写真のちょうど中央にはかなり背が高いグラマラスな女性と、リコに良く似た小柄な女性がくだけた様子で肩を組んでいる。
「あっ!
母さんが昔カーメリに居たなんて……」
「一緒に写ってるのは、今の基地司令のゾーイだな。
私が聞いた処では、お前の母さんはかなりの腕っこきパイロットだったようだぞ。
つまり君が空を目指したいというのは、血筋もあるのかもな」
「……」
「有視界の単発機のライセンスは在校生なら誰でも取れるが、もしそれ以上の高度な機体を操縦したいならユウが言ったように義勇軍に積極的に参加する必要があるだろう。
ハワイベースにもジェット練習機や今の標準機体のF-16はあるが、義勇軍に参加していない民間人の身分では乗れないからな」
「リコの場合はニホン国籍を持っているから、ユウと同じに防衛隊大学校経由で航空防衛隊に入るという進路もあるだろう。
もっともユウと同じ苦労を繰り返すのは、あまり薦められないとは思うが」
「……」
「いずれにしても、自分の進路は自分自身で決めなきゃいけない。
自分の水先を案内できない様では、パイロット失格だからな」
「自分で決める……ですか」
「そうだ。それがパイロットというものだろう?」
「はい」
俯きがちの小さな声ではあったが、その返答にはしっかりとした意志を感じられたのであった。
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