026.Blue Mountain
「……一発しか当たらなかった」
最初に手を上げた訓練生は、肩を落として自信喪失の様子である。
だが一発でもヒットできれば合格という条件なので、彼女は十分に健闘したと言える。
「自分自身のハンドガンの腕前を、どれだけ信用できるかが鍵になるな」
「ええ。疑心暗鬼になった時点で、着弾点をコントロールするのが難しくなりますからね」
見学中の尉官二人は、この課題の本質を当たり前のように理解している。
サイトが正常に合った状態でも、ハンドガンで50ヤードのターゲットに当てるのはとても難しい。
自分のトリガーコントロールやサイティングに少しでも疑問が生じた瞬間、全ての前提条件が崩れてしまうのである。
「それじゃセーラ、次やってみようか」
「はい、教官」
ここでルーから指名を受けたセーラは、緊張感を全く見せずに予想外の行動に出る。
マガジンをアンロードするとチェンバーからも弾丸を抜き、空のハンドガンを両手で構えて目を瞑る。
ツーハンドで撃っているイメージをシミュレーションしている様子は、一体何をしているのか周囲には理解出来ないであろう。ルーは彼女の挙動を凝視しているが、特にサイトに小細工をしている様子も無いので沈黙を守っている。
だが彼女はセーラが構えているハンドガンに、『何らかのヴィルトス』が作用しているのを微かに感じていた。
新兵達は呆気にとられてただ彼女の様子を眺めるだけだが、セーラはバチッと目を開けると地面に伏せたプローンポジションでいきなり撃ち始める。
「カン!カン!カン!カン!……」
「うそっ!」
「どうやって?」
「???」
「全弾命中だな。
セーラ、見事だ!」
ここでアンロードしたハンドガンを受け取ったルーは、手元のケースから素早く同型のハンドガンを取り出して交換する。ルーの行為に怪訝な表情を浮かべる訓練生の前で、彼女はさりげなく一言を発する。
「セーラが触ったこの銃をそのまま使うと、満点続出で訓練の趣旨が変わってしまうからな」
小声を聞き取れた訓練生は思わず振り返ってセーラを驚きの表情で見ているが、彼女はルーの声が聞こえなかったのか平然としている。ヴィルトスに関して知識がある訓練生であっても、異能に近いセーラの能力については驚かずにいられなかったのであろう。
遠目で見学していたシンとリサは納得した様子で会話を続けているが、この二人の会話が訓練生に聞こえる事は無い。
「確かアンも似たような能力を持っていたな」
「ええ、でも彼女の能力は、工具を使って組み立て直さないと発揮されませんから」
アンがインターンシップで入社した和光技研で重用されているのは、エンジン組み立ての『匠』として社内で認識されているからである。
「そういう意味では、未知のアノーマリーなのかも知れないな」
「ええ。
彼女の母君に関しての、情報は無いんですか?」
「彼女はメトセラのコミュニティーとの付き合いが、殆ど無かったからな。
具体的なヴィルトスに関する情報は、何も残ってないんだ」
「はぁ、それは残念ですね」
「ただし血筋に関しては、レイやアンに近いのは確かだな」
「あっ、そうそう。今日の満点のご褒美を急遽用意しないと。
何も出さないと、不公平だって言われちゃいますからね」
☆
夕食時の食堂。
今日は珍しく、ニホン蕎麦やトロロ等の冷たいメニューも並んでいる。
シンはそばの茹で方やトロロの食べ方を新兵達に説明しているが、さすがにトロロに関しては率先して食べようとする猛者は1名を除いて誰も居ない。
「マイラ、それって大丈夫なの?」
麦とろご飯をラーメン丼に盛り付けたマイラに、同じテーブルのラウが心配そうに声を掛ける。シンを凄い料理人と評していたラウであるが、さすがに見た目のインパクトでトロロは敬遠しているのであろう。
「あれっ、ラウは食べた事が無いの?
とっても美味しいし、スタミナが付くメニューなんだよ」
マイラは蓮華を使って、麦とろご飯を美味しそうに頬張っている。
ここで厨房とつながっている小窓に姿が見えたシンに、マイラが声を掛ける。
「ねぇシンさん、よく自然薯が手に入りましたね?」
「ああ、マイラも自然薯が好物だったっけ。
ほらマリーの大好物でもあるから、ユウさんの秘蔵ストックから特別に分けて貰ったんだ」
このやり取りで貴重な食材だと分かった新兵達は、徐々に麦とろご飯に興味を持ってきたようだ。
「ラウは納豆は食べられるの?」
「もちろん。
小さい頃から食べてるし、好物だよ」
「なら麦とろご飯も、美味しく食べられるよ。
何より納豆より匂いの癖が無いし、とっても食べやすいんだよ」
マイラの助言にしたがって、ラウはラーメン丼に盛り付けた麦とろご飯を恐る々口にする。
「うわっ、何これ!
見掛けと違って食べやすいし、ご飯も香ばしくって美味しい!」
「でしょ?
この調子なら雫谷学園に来ても、食べ物は全く心配無用だね」
ラウの呟きが聞こえたのか、ここで訓練生が殺到した麦飯とトロロはあっという間に売り切れになったのであった。
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「セーラ、ルーから今日のご褒美だよ」
「うわっ、こんな大きなブラウニー初めて見た!」
食欲増進のために甘味もブッフェに並んでいるが、甘さ控えめのカットケーキが殆どである。
それでも早々と品切れになるので、やはり若い体が甘味を求めているのだろう。
「これはアイさん直伝のレシピで作ったから、かなりの自信作だよ。
ここの厨房は機器が揃ってるから、このサイズのブラウニーも焼けるんだ」
「うわぁ、シンありがとう!
ねぇ、食べたい人はスプーンを持って集まって!」
新兵達は一人残らず全員、スプーンを手に目を爛々と輝かせている。
さすが全員が女性なので、甘いものに対する欲求は別腹なのであろう。
「うわっ、このチョコの苦味がたまらない!」
「大人のブラウニーだね」
「このチョコレート、ヴァローナだよ!」
ニホンには『同じ釜の飯を食う』という諺があるが、この瞬間義勇軍のブートキャンプで新たな絆が生まれたのかも知れない。
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