027.More Than One Way Home
「一週間も居ると、それなりに愛着が湧きましたね」
定時に離陸したアラスカベースからの帰路便の中で、エイミーがぽつりと呟く。
「まぁ僕の場合はそれは無いけど、良い骨休めにはなったね」
「なによりシンと二人きりで一週間過ごせたのは、とても良かったです」
新婚旅行帰りの新婦のように、エイミーは少しだけ照れた表情でシンの耳元に囁く。
寮やTokyoオフィスでも同じ部屋で生活している二人だが、余人の干渉が無かったという点ではその通りなのだろう。
シリウスは退屈していたかと言えば、実はシンの除雪作業に付き合って雪原を走り回っていたので活気に満ち溢れている。
街中では抑え込まれているハスキーの本能が、如何なく発揮されて彼女もリフレッシュされたのであろう。
「あれっシン君、荷物増えてない?」
副操縦士?にコックピットを任せたサラが、後席にやってきた。
もちろんシンがアラスカベースの厨房を借りて用意した、昼食をご馳走になるためである。
「これはレイさんのギターなんですけど、持ち帰るように頼まれて」
「レイって、今Tokyoオフィス所属なんだって?」
「ええ、サラさんレイさんをご存知なんですか?」
「パイロットやってて、レイを知らなきゃモグリでしょ。
ん~この間のサンドイッチも旨かったけど、今日のお握りも美味しいなぁ」
「食堂では簡単に厨房を貸してもらえたんですけど、本場のライスボウルは珍しいから沢山作って欲しいなんて頼まれちゃいましたよ」
「ああ、食材のストックは沢山あっても、あそこのコックたちはニホン料理の知識が無いからなぁ」
「僕はユウさんから教わったんですけど、食べた時に中身が崩れるようにふっくらと握るのが案外難しいんですよ」
「ああ、ハワイのコンビニで買ったスパムむすびは、なんか握りがぎゅっと硬かったもんな」
「昆布とかおかかを入れて作ったら、こういう風に使うのかって驚かれちゃって。
日本のコンビニで一度でも買い物をすれば、すぐに分かるんでしょうけど」
「フェルマさん、お味はどうですか?」
帰路便に同乗していた彼女も、シンに勧められておにぎりを頬張っている。
どうやら彼女は、ナナが所属しているニホンの研究所に急遽移動になったらしい。
「いや……こんなに美味しいんだ、おにぎりって」
彼女は具材に牛肉のしぐれ煮がはいったおにぎりを片手に、目を潤ませて感激している。
あれだけの規模でバリエーションに富んだメニューがありながら、アラスカベースの食堂に白ごはんが無かったのは摩訶不思議である。
トーコの母親を含めて東洋系の研究者は少なくない筈なのだが、食に関して無頓着な人ばかり集まっているという事なのだろうか。
「暫くTokyoオフィスに滞在するって、聞いてますけど」
「ええ、まずは日本語の特訓をしないといけないから」
「その間は、ユウさんのニホン料理を食べられますよ」
「あっ、いいなぁ……羨ましい!」
「サラさんも、遊びに来てくださいね」
「うん、そのうち。
でも輸送機パイロットは人材不足だから、当分無理そうだけどね」
☆
同時刻のTokyoオフィス
ジャンプでハワイから戻ったユウは、早速フウに報告をしていた。
「その評判っていうのは、『カレーの日』が原因だろうな」
「えっ、そうなんですか?」
報告中にユウが発した『ハワイで耳にした思わぬカツカレーの評判』について、フウが断定口調でコメントする。
「お前が思っているより、沢山の人間がここに来ているからな。
別の拠点の関係者も多かったし、評判が広まるのは当然だろう」
「厨房で作るのに忙しくて、ぜんぜん気が付きませんでしたよ」
「食べれるようにして欲しいか……そういう要望があるなら、取引のある食品メーカーに頼んで依託製造して貰うのはどうだ?」
「もしかして、無理を聞いて貰える伝手があるんですか?」
「ああ、エナジーメイトを特注した時に、特許絡みでINUZUKAグループと付き合いが出来たからな。あそこの食品部門はほら、二ホンのレトルトカレーの元祖だろ」
「ああ、なるほど。
でしたらINUZUKAの担当の方を紹介して欲しいんですが」
☆
数日後。
オーサカにあるINUZUKAグループの食品部門に、ユウは打ち合わせのために来ていた。
もちろん近くにある馴染みの場所までジャンプで移動して、移動時間を大幅に短縮しているのは当然である。
オーサカ市内の中心部にある自社ビルディングは、かなり年季が入っていて大手企業にしては質実剛健な感じを受ける。
補修されずにヒビが入っている古い建物を見たユウは防衛隊基地の兵舎を思い出しブルーな気分になるが、気を取り直して受付に向かう。
今日のユウは変装用?の上等なビジネススーツを着ているので、名刺交換をする姿にも違和感は無い。
「お送りいただいたサンプルの味に、私共はとても感銘を受けました。
ただしご依頼を受ける事ができるかどうかは、調理行程をマニュアル化した場合同じ味が出せるかどうかかという点にあります」
チーフコックの肩書がある部長はむっつりと黙っているが、同席している担当課長がユウに説明する。
「ええと、具体的にはテストキッチンで、同じ味が再現できれば良いんですよね」
「はい。ですが今までも納得できる味にならなくて、中止になったケースも多いんですよ」
社内にあるテストキッチンに到着すると、ユウは大量に持ち込んだ食材を並べて調理に入る。
今回のためにユウがわざわざ近所の大型スーパーで買い求めたカレー用の材料は、すべて市場に流通している一般的なものばかりである。
但しトッピングに使うトンカツ用のロース肉については、クーラーボックスに入れてTokyoオフィスから持参しているのだが。
調理工程は詳細部分を含めて全てビデオで撮影され、食材や調味料に関してもデジタル秤で計量して記録に残される。
調理用の作務衣に着替えたユウが鮮やかな手並みで野菜の下拵えを始めると、仏頂面だったチーフコックの部長が驚いた表情でユウに話しかけてくる。
普段から社内では煩型で通っているのか、材料の計測を行う担当の女性が顔を強張らせてフリーズしている。
「おねえさん、作業中悪いけどそのペティナイフをちょいと見せてくれるかい?」
「はい?」
ユウは皮むきを中断して、年期が入ったペティナイフを部長に手渡す。
ペティナイフは長年の酷使で刃が原型を留めないほど短くなり、取っ手の黒檀は摩耗して黒光りしている。
「刃が相当ちびてるが、これはどれくらい使ってるんだ?」
「えっと……15年位ですかね」
「15年って、あんたいつから料理をしてるんだ?」
「ええと、修行を始めたのは7歳くらいですかね。その包丁は何年か後に師匠からいただいた物なので」
戻してもらったペディナイフで皮むきを再開しながら、ユウは返答する。
「そうか……じゃぁお手並みをじっくりと見させて貰おうか」
先ほどまでの不機嫌な様子から一転して穏やかな表情になった部長は、どっしりとパイプ椅子に腰かけて手許のノートを開いた。
滅多に見られない部長の上機嫌な様子に、周囲の社員達は一様に驚いた表情をしている。
ノートに細かくメモを取っている部長の質問に答えながら、ユウはてきぱきと調理を続け特製カレーは一時間ほどで完成した。
途中で使っている調理技法について自分の母親から教わったと答えると、部長のユウを見る目がさらに柔らかくなったような気がする。
「本来ならここで半日ほど放置してから再度火入れをするのですが、とりあえずこれで完成です」
テストキッチンで追加で揚げたトンカツをトッピングして、ユウはまずチーフコックの部長に盛り付けしたカツカレーを配膳する。
炊きたてのご飯についてはユウの手は入っていないが、社内で評価用に使われている炊飯器と銘柄米の組み合わせなので特に心配はしていない。
部長がカレーを食べ始めるのを横目で見ながら、ユウは用意されていたカレー皿に次々とカツカレーを盛り付けていく。
特に何人分用意するようには言われていなかったが、いつの間にか匂いに釣られてテストキッチンには大勢のギャラリーが集まっていた。
彼らの表情を見れば、お昼前のこの時間帯に何を期待しているのかは一目瞭然である。
上等なスーツを着た役員らしき人物も何名か居るが、ユウは特に注意を払わずに盛り付けたカツカレーを分け隔て無く配膳していく。
食べ始めたギャラリー達はチーフコックが居る手前感想を言わずに黙々と食べているが、その様子から少なくとも口に合わないという事は無いように見える。
(まぁ、この人たちにとってみれば当たり前の味のカレーなんだろうな)
ユウはいつもの味を再現できた安堵感で、やっと緊張が緩んできたのを感じていた。
ちなみに中サイズの寸胴に仕込んだカレーは、既に半分以上が試食で無くなっている。
「当たり前の食材なんだが……最初のサンプルと全く同じ味になってるな。
市販されている食材だけでこんな味が作れるとは、良い勉強をさせて貰ったよ。
で社長、お味はどうですか?」
「??」
「上からの紹介なので味見に寄らせてもらいましたが、これは何というか幾ら食べても食べ飽きない味ですね。
できれば……その、お変わりをいただきたいのですが?」
社長の一言でおかわりのリクエストが殺到し、この日の打合せは思わぬ好評のうちに終了したのであった。
お読みいただきありがとうございます。




