008.Hellbent For Mexico
翌朝。
「リッキーの朝ご飯?私も手伝う!」
手伝いを自分から言い出したセーラは、既に部屋着に着替えている。
普段は全裸にバスローブ姿でウロウロしているので、非常に珍しい状況である。
ちなみにリッキーは人間と同じ食事が可能なので、普段から二人と同じものを食べている。
ただし前夜にノエルが約束しているので、今朝は高級ベーコンをふんだんに使ったリッキー用の特別メニューである。
「ユウさんから、チャーハンの作り方は習ってる?」
前夜から解凍し、サイコロ状に切ったベーコンをノエルはフライパンで炒めている。
「うん。そのベーコン、凄い良い匂いがする!」
「このベーコンから出た脂で、チャーハンを炒めるから」
大きなボウルに入ったご飯に、ノエルの指示で溶き卵をセーラが混ぜ込んでいる。
中華料理のエキスパートであるシンは忌避する調理方法だが、失敗しない作り方としてユウが教えたのであろう。
「こんなに濃い味にして、大丈夫?」
しゃもじを2本使って大きなフライパンをかき混ぜながら、セーラがノエルに尋ねる。
塩胡椒の量が多いので、疑問に感じたのであろう。
「うん。リッキーは人間用の味付けで大丈夫だから」
「私もお腹が空いてきた!」
用意してあった食事用のボウルに、チャーハンと焼き付けたベジョータを大盛りにする。
リッキーは既にリビングに来ていて、犬のようにお座りし配膳されるのを待っている。
「それじゃ、リッキーの朝食のおこぼれに与りますか」
ベーコンはご飯に混ぜ込まれていないが、ベジョータの脂の風味がしっかりと感じられる。
強く甘みが感じられるのは、この脂の所為なのであろう。
リッキーは夢中でチャーハンを食べ続けている。
ベジョータのベーコンは彼女の食べやすいサイズにカットされているので、食べ辛いという事はなさそうだ。
「美味しい!」
「一晩で急にリッキーと親しくなったみたいじゃない?」
「一緒に寝てたみたいだけど、すごく安眠できた!
リッキーはフカフカで、抱き心地が良かった!」
「そうなんだ」
「ノエルに抱きついていると興奮するけど、リッキーと一緒に居ると落ち着く」
「ミーファと寝てると逃げちゃうみたいだけど、リッキーはセーラの事を特に気に入ってるみたいだね」
「ワゥ!」
「おかわり?。さすがに好物だと食いつきが違うね」
「ワゥ!ワゥ!」
☆
翌日、都内某所ライブハウス。
「セッションで集合が掛かるのは、久しぶりですね」
リハーサルに現れた顔馴染みに挨拶を繰り返しながら、ノエルはユウと雑談をしている。
客席のノエルの隣には、慣れない場所で不安そうな表情のセーラが腰掛けている。
「ほら、ノエル君はこの間も長期出張してたから。
シン君も久しぶりに手が空いてるし」
ステージ端でアコギのプリアンプ・セッティングをしているシンは、ノエルに気がついて小さく手を振っている。
「セーラも来て欲しいというのは、誰のリクエストですか?」
「う〜ん、全員かな」
「???」
「君がニホンに来たばかりの頃から知ってる顔馴染みにとって、初めて出来た?彼女に興味津々みたいだよ」
「ははは。
セーラは音楽の才能はあるみたいですけど、ユウさんみたいには歌えないと思いますよ」
「とりあえず、ステージ隅にあるピアノの前に座っていてくれれば良いかな。
ノエル君は私と一緒にコーラスね」
「……帰りたい」
慣れない場所で不安そうなセーラは、聞こえないほどの小さな声で呟く。
「セーラちゃん、今日の打ち上げはメキシコ料理だけど嫌い?」
「それなら、参加する!」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「セーラちゃんと呼んで良いかな?」
セッションの取り纏めをしているタケさんが、まるで孫娘に接するように優しく声を掛ける。
強面やユニークな髪型のメンバーが多いので、彼女に威圧感を与えないように注意しているのであろう。
「はい。私は学生なので、呼び方はそれで構いません」
「それじゃ、もし良かったらピアノをちょっと弾いてもらえるかな?」
「……はい」
ピアノの前に腰掛けた彼女は、柔らかいメロディーのイントロを奏で始める。
慣れない雰囲気の中で緊張しているが、指運びは実に滑らかである。
♪〜God Of This City〜♪
後ろでドラムセットのスタンバイをしていたヌマさんが、前触れ無くピアノに合わせてリズムを刻み始める。
セッションについて予備知識が無いセーラであるが、シンがアコギのコードストロークを始めると即興でピアノに主旋律を追加していく。それを聞いたステージ脇に居た小柄なサックスプレーヤーが、音を埋めるようにピアノに合わせてメロディを被せていく。
セッションのリハーサルが、本番とも言えるレヴェルの演奏になるのはいつもの事である。
緊張の表情だったセーラも、余裕の笑みを浮かべて演奏を続けている。
凄腕のスタジオ・ミュージシャン主体のこのセッションは、何の制約も無しにすべて自由に進行するのである。
客席で聞く側に回っているタケさんが、ノエルの横で感心した様子で呟く。
「へえっ、彼女は若いのにクリスチャン・ロックの名曲を知ってるんだね」
「家で僕が弾いてるのを見て、耳で覚えたみたいですね。
まぁ僕もシンさんの演奏を通じて、CCMを聞くようになったんですけどね」
「ルックスも抜群だし、周りのスカウトも彼女を放っておかないだろうね」
プロデューサーとして新人発掘もしているタケさんは、シンがCDデビューした当時の喧騒を思い出していたようだ。
「彼女は欧州で酷い目にあってるので、顔を売るのはちょっと不味いんです。
祖父が現役の政府官僚ですし」
「そうなの?
それはすごく残念だね」
「でも彼女が楽しそうなんで、連れてきて良かったです」
少しづつ平穏な日常を取り戻している彼女を、笑顔で見守っているノエルなのであった。
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