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005.Waterfall

 ノエルの自宅リビング。


「なし崩しは良くないから、大臣の所へ挨拶に行かないと。

 誘拐扱いされちゃうと、大事になるからね」


「(既に話したから)大丈夫」

 先日ユウに習ったラテが上手に出来たので、セーラは満足気な表情である。

 

「いつの間に?コイケさん、何か聞いてます?」

 護衛任務の定時に現れた彼女は、かんたん便利なカプセルマシンでコーヒーをドリップしている。口もとには上品とは言えないが、お気に入りの焼き立てデニッシュを咥えている。見慣れたスーツ姿にしてはお行儀が悪いが、それほど違和感を覚えないのは彼女の人徳なのであろう。


「ふぁぃ。

 この部屋に滞在している場合は、詳細を報告しないで良いとの事です」


「私物は持ってこないで良いの?」


「何も(無いから)」


「それじゃ、空いている部屋を割り当てようか

 僕の部屋にあるクローゼットの中身も、その部屋に移すから」


「(いつでも一緒に寝るから)不必要」


「セーラ、独占欲が強すぎると、重たい女と思われちゃいますよ」


「……そうなの?」


「コイケさん、その説明はどうなんでしょ?」


「束縛され過ぎると冷めちゃうのは、万国共通の男性心理では?」


「……それってご自身の経験ですよね?」


「……」

 黙ってしまったコイケを無視して、ノエルは言葉を続ける。


「セーラ、今日は出掛けるから着替えておいで」


「どこへ?」


「都内近郊のドライブかな。

 セーラはほとんど観光をした事が無いでしょ?」


「うん!」

 彼女は珍しく、弾んだ声で返答したのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎



 ノエルが普段使いで借りている和光技研のEVは、Tokyoオフィス所有のセダンタイプである。

 コイケにも同乗する事を勧めたのであるが、彼女は空気を読んだのか移動用のバイクで付いてくるとの事。

 サイタマ周辺の観光地へ向かったのは、あくまでもセーラの土地勘を養うためで特に意図は無い。


「穴だらけの墳墓?も滝も、ちっちゃかった」

 ノエルと二人きり?の車内で、セーラはご機嫌で口数が多くなっている。


「ピラミッドとか、ナイアガラと比較してない?

 次回は(みささぎ)に連れて行かないと駄目かな」


「???」


「ああ、姐さんから聞いてた店はここだ。

 お昼にしようか」


 広い駐車場で車から降りた二人は、民家と変わらない作りの引き戸になっている入り口へと向かう。


「イノシシ料理?」

 アクリルで出来た簡素な看板を見て、セーラは首を傾げている。

 欧州でジビエ料理を食べ慣れている彼女だが、さすがにイノシシ料理を看板に謳っているのは予想外だったのであろう。


「最近じゃシシ料理を注文する人は、ほとんど居ないみたいだよ。

 お腹空いてる?」


「ペコペコ」


「コイケさん、ここは座敷席のみですから一緒の部屋で食べましょう」


「はい」


 畳敷きの個室が並んでいるこの店はお世辞にも綺麗では無いが、マリーのお気に入りなので料理に関しては大丈夫であろう。


「とんかつ定食と、とんかつセット。あと単品でもつ煮を下さい」


「ここはラーメンが無いから……私はカツカレーを大盛りで下さい」


「コイケさん、本当にラーメンが好きですよね」


「昔からの家訓みたいなものなので、放っといて下さい」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 席に届けられたとんかつ定食ととんかつセットは、衣の揚げ色が濃くかなり硬めに仕上がっている。

 セーラはとんかつソースを掛けた衣が硬いとんかつを、躊躇なく口に運んでいる。

 バリバリと音がしそうな衣と豚肉を、満足そうな表情で咀嚼する。


「どう、食べ難くない?」


「美味」


「そう、良かった」

 彼女は歯応え充分なとんかつを、ごく当たり前に食べ続けている。

 特に銘柄やSPF飼育されている訳では無い普通の豚肉は、老舗のとんかつ店の味を知っているノエルにとっては火が通りすぎて違和感を感じてしまう荒っぽい仕上がりである。

 とんかつもそうであるが、付け合せのマヨネーズだけを和えたスパゲティと荒く刻んだキャベツは、須田食堂のそれよりもより昭和の大衆食堂の雰囲気を残しているようだ。


 セーラは箸休めに注文してあったもつ煮を口に運ぶと、とんかつと対照的な柔らかな歯ごたえに驚いた表情を見せる。


「このViscera(モツ)、嫌な匂いがしないし柔らかい!」


「セーラは、臓物料理を欧州で食べ慣れてるもんね」

 荒っぽいトンカツと対照的な仕上がりは、調理を担当している人間が違うのか酒の肴としても絶妙の味付けである。


「ノエルさん、丁度良い機会ですからお話ししますけど。

 国内の護衛任務はそろそろ潮時かと」


 コイケはボリュームがすごい大盛りカツカレーを頬張りながら、ノエルに話しかける。

 粘度の高いカレールーがかかっているとんかつは、定食と違って適度に衣が柔らかくなっていて食べ易そうである。


「そりゃそうですよね。

 大臣の身辺警護名目も、そろそろ風当たりが強くなって来たんじゃないですか?」

 ノエルはセットに付いてきたつけ饂飩を食べていたが、セーラが食べたそうな顔をしているのでつけ汁の器をそのままセーラの方に移動する。


「そうなんですよ。

 特に国内ではトラブルも無いので、まぁ仕方がないとは思いますが」


「あっそうだ、フウさんから伝言です。

『転職するなら高待遇で歓迎する』との事です」


「……それは魅力的なお誘いですよね。

 ユウさんから聞いたパワハラとかセクハラがあり得ない職場環境は、本当に魅力的ですから」


「職場環境に魅力を感じていただけるなら、まぁじっくり考えて下さい。

 コイケさんを必要としている仕事は、いくらでもありますから」


「コイケ、いなくなるの?」

 つけ饂飩をチュルチュルと頬張りながら、セーラは上目遣いでコイケを見ている。

 ちなみにザルに残った手打ち饂飩は、もう殆ど残っていない。


「うん。でもノエル君が居るから、貴方は安心でしょ?」


「そうだけど、寂しい」


「ありがとう。その一言を聞けただけで、ここ最近の苦労が吹き飛んだ気がするよ」

 明るい声色で返した言葉とは裏腹に、彼女の瞳は潤んでいるように見えたのであった。


お読みいただきありがとうございます。

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