004.Good Time To Be Alive
Tokyoオフィス、トレーニングルーム。
格闘技訓練用の硬いマットの上で、ユウはセーラに逆立ちするように指示している。
トレーニングウエア姿の彼女は滑らかに倒立の姿勢に入ると、ふらつく事も無くバランスを取って静止する。
「そのまま歩けるかな?」
数年前の幼かったエイミーの訓練を思い出しながら、ユウは続けて指示を出す。
セーラはまだ少女に属する年齢だが、幼女に近かった当時のエイミーよりはかなり大柄である。
ユウの指示でスムースに前進する彼女には、苦しそうな様子が一切無い。
見掛けに反した強靭な筋力に加えて、ボディバランスが抜群なのであろう。
「へえっ、かなり体幹を鍛えてるんだね。
何かスポーツをやってたのかな?」
「バレエ」
逆立ちから綺麗な立ち姿に移行した彼女は、疲れた様子も無く平然としている。
「あとでやって貰うけど、ハンドガンは撃てる?」
「ママンから教わった」
「基本的な事を教えなくて済むのは、助かるかな。
それじゃちゃんとカリキュラムを組んで、効率良く鍛えていかなきゃね」
「ノエルは喜んでくれる?」
「セーラが自分の身を自分で守れるならば、彼は安心できると思うよ。
足手まといになりたくないでしょ?」
しっかりと頷く彼女の表情は、いつにも増して強い意思が溢れている様に見えたのであった。
☆
夕方、ノエルの自室リビング。
壁面にあるコミュニケーターから、SIDの声が突然発せられる。
『ユウさんから、音声連絡です』
「……ノエル君今話せるかな?
セーラの事なんだけど」
「大丈夫ですよ」
「もしかして、彼女は近くに居るのかな。
取り込み中じゃないよね?」
ノエルがリビングに一人なのはSID経由で分かっている筈であるが、取り込み中という控えめな表現はユウらしいと言えるだろう。
「彼女はバスタブに浸かって、のんびりとしてると思いますけど。
何か問題でもありました?」
「ううん、逆。
彼女は想像していた以上の逸材で、ビックリしたよ。
特にハンドガンの腕前は、今のトーコよりも遥かに上かな」
「へえっ。
母親から教わったとは聞いてましたけど、そんな腕前だとは知らなかったです」
「それで料理に関してなんだけど」
「はい?」
「私が教えるとジャンルがニホン料理に寄っちゃうと思うんだけど、大丈夫かな?」
「ああ、それは問題無いんじゃないですか。
エイミーが寿司を握ってる姿は、いつ見ても凛々しくて素晴らしいですよね!」
「今となっては、生魚の扱いは私より上だから」
「それは、彼女の生来の能力の所為ですか?」
「母さんも感心していたけど、自分の固有能力を調理にも応用出来るのは稀有な才能だからね。
それにエイミーは基礎体温も低いから、寿司職人として抜群の適性があるんだよね」
「もしかしたら、セーラも何かアノマリアを持っているのかも知れませんね」
「うん。
その気配は感じるけど、まだ判別するのは時期尚早かな」
「できれば、扱いに困るような能力じゃないのを希望しますけど」
「ははは。
扱いに困らない便利な能力が発現したのは、見たことが無いけどね」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
浴室から戻ってきたセーラは、羽織っただけのバスローブ姿で髪の毛を給水タオルで拭っている。
「他の女(と話してた)?」
「ユウさんだよ。
セーラの教育の事を話してたんだ」
「……そう(悪口じゃないでしょうね)?」
バスローブの前をはだけたままのセーラは、手にしていたタオルをソファに放り投げてノエルににじり寄って来る。
ソファから立ち上がったノエルはキッチンへ向かおうとするが、それを阻止するかのように彼女は半裸の上半身でノエルの背中に抱き着いている。柔らかい胸の感触は着衣越しでもノエルにはしっかりと感じられ、バスローブから覗いている下半身はしっとりと潤い内腿のあたりが光っている。
「ねぇ……」
「疲れてるだろうから、もうちょっと後でね」
はだけた身体を隠すように、ノエルは前合わせを整えて腰紐をしっかりと結び直す。
頬を膨らませる彼女の幼い表情は年相応だが、挑発した色っぽい仕草とのギャップが大きくノエルは思わず笑顔になってしまう。
「いけず!」
「へえっ、難しいニホン語を知ってるじゃない?」
ノエルは振りほどいた彼女の額に優しく口づけて、キッチンへと向かう。
「夕方のアニメで覚えた!」
「へぇっ。
そろそろお腹空いたでしょ?」
「うん!今日はカレーが食べたい」
ノエルのキッスで機嫌を直したセーラは、珍しく食べたいメニューをリクエストする。
もちろん定期配送便で入手できるユウ謹製のカレールーは、冷蔵庫に常備している。
「了解」
ノエルは慣れた手付きで白米を研ぎ、炊飯ジャーをセットしたのであった。
☆
翌朝のリビング。
「(私)ここに住む(ことにしたから)。
(ノエルは)いっぱい囲ってるから(一人くらい増えても同じでしょ)」
何時ものカフェオレとブリオッシュの朝食だが、珍しくセーラが朝から口数が多い。
込み入った内容でもフランス語にならないのは、大分進歩しているのだろう。
「囲ってるって……ジョディさんは仕事仲間だし、ミーファは妹だからね」
いつもの言語補完能力を発揮しているノエルは、彼女の意図を正確に把握している。
「(なら恋人とか奥さんのポジションは空いてるんでしょ)
問題無い(じゃない)」
「司令の許可が出ないんじゃない?」
「(グランパは、いつでも)賛成(してくれてるよ。
孫の顔を早くみたいんだって)」
「ねぇセーラ、ここに住みたいって言う事は僕の家族になる気があるんだよね?」
「もちろん!」
「そうだね。それじゃ最初に約束して欲しいんだ。
どんな苦しい状況でも、僕の前から居なくならないで欲しいんだ」
「居なくならないでって、それってプロポーズ?」
「……家族を失う辛さは、セーラも良くわかってるでしょ?
僕より先に逝かないで欲しいのは、絶対に守って欲しい約束なんだよ」
「Promesse」
ここでセーラは、真摯な表情で頷いたのであった。
お読みいただきありがとうございます。