035.I Don't Know How
DragonFly機内。
ユウはキャノピー上部の可動式シェードを動かして、窮屈なヘルメット越しに空を見上げる。
太陽光線が強くコックピットに差し込んでくるが、与圧服のヘルメット・バイザーのお陰で眩しさは感じない。
自動操縦の機体が高度が1万メートルに到達すると、雲海を見下ろしたお馴染みの光景が目に入ってきた。
コックピットの中は、エンジンの鈍い稼動音で満たされている。
高度が上がっていくにつれ地平線が滑らかな曲線に変わり、眩しかった頭上はいつの間にか漆黒の闇に変わっていく。2万メートルに到達したタイミングで、自動操縦装置で機体は水平飛行に移行している。
「気分はどうですか?」
インカムを操作して、後席のジョディにユウは話し掛ける。
「……体調は問題無いですが、この凄い光景を何と言ったら良いのか!」
「特殊な機体で無いとここまで上がれませんから、ジェットパイロットでも中々見れない光景なんですよ」
「……いやぁ、オワフに来て本当に良かったです!」
戦術ネットワークは周囲のレーダー画像を表示しているが、当然のように認識できる機影は見当たらない。
ヒッカム基地が、こちらのテストスケジュールを見越して配慮をしてくれたようだ。
「この高度で、他の機体に遭遇する事はあるんですか?」
「米帝の同じU−2と遭遇する確率はゼロではありませんけど、世界全部で30機しかありませんから宝くじが当たるようなものですね。NASAの実験用のSR−71は、予算不足で飛ばせないと聞いていますし」
「……本当に宇宙との境目なんですね!」
「『渚』って言われてるのも納得でしょ?
ねぇSID、何かこの光景に合った音楽を流してくれる?」
「了解」
SIDがいつもの作戦中の口調で応える。
♪Space Traveller♪
ベースのリズミカルなリフに合わせて、渋いコーラスがタイトなリズムの中に溶けていく。
囁くような歌声は派手さは無いが、心に染み渡るようなメロディにピッタリである。
「へえっ、昔ラジオで聞いた事がある曲です。
ユウさんの音楽の趣味は、かなり渋めなんですね」
「ははは、渋めというか単なる音楽マニアですから。
いつまでもこの光景を見ていたいですけど、もうそろそろハワイベースへの帰投の時間ですね」
自動操縦装置をオフにすると、ユウは操縦輪を握りなおしたのであった。
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DragonFlyでの遊覧飛行の翌日。
与圧服の着用でも殆どダメージを受けなかったジョディは、ノエルを同行してホノルル観光に繰り出していた。当初は体力を回復するという意味合いのスケジュールだったのであるが、厳しいスキューバ訓練の経験がある彼女は元気そのものである。
最初に訪れたシン御用達の台湾料理店はロコ以外見当たらない地味な店構えであるが、適度に日焼けしている二人は一見さんには見えない。
「ノエル君、私でも操縦できるようになれるかな?」
地雷を踏まないように慎重に注文を済ませたノエルに、ジョディが気安く話掛けてくる。
ノエルのインターンシップ以来の付き合いになる二人は、既に姉弟のような気安い関係になっているようだ。
「セスナとかは操作が簡単ですから、車の運転みたいなものですね。
せっかくハワイベースに居るんですから、考えるよりもやってみれば良いと思いますけど」
既にセスナの操縦をこなしているノエルは、自らの経験から彼女にアドバイスしている。
「Practice Makes Perfectなのかな?」
ここで注文していたメニューが、一気に運ばれてくる。
ノエルもジョディに負けずに大食漢なので、テーブルの上は注文した皿で一杯になっている。
「うわっ、美味しそう!
でも、今から操縦に手を付けるのは、さすがに遅すぎるのかなぁと思ったりして」
ジョディはまず人数分を注文していた、油飯に手を伸ばす。
「年齢は関係無いんじゃないでしょうか。
ジョンさんは退役してから初めてセスナを操縦したと聞いていますけど」
ノエルはさっぱりメニューの担仔麺に手を伸ばすが、彼女が味見したそうにアイコンタクトして来たので小皿に取り分けている。
「見た目どおりさっぱりしてる味付けだね!
でも操縦を習うのって、かなりのコストが掛からないかなぁ?」
「いや、Congohの関係者は、費用を請求されないと思いますよ。
ヒッカムに預けてある複座の172も、整備済みでスケジュールが空いてるし」
「米帝の基地に、機体を置いてあるの?
うわっ、この水餃子皮が美味しっ!」
大皿に入った水餃子は、テーブルに常備してあるタレを付けて食べるらしい。
もともと餃子好きの彼女は、大ぶりの水餃子を夢中で頬張っている。
「空域管理の問題で、ハワイベースの滑走路は使用が限定されてると聞いてます。
逆に言えばヒッカムの航空管制に従っている限りでは、かなり訓練フライトは融通が効くらしいですよ」
ノエルは店主に振り向いて、水餃子を追加注文する。
食べ慣れた焼き餃子を置いていないのが、残念に思える皮の美味しさである。
「魯肉飯は何で注文してないの?」
「シンさんの味に慣れちゃってますから、外で食べるのは遠慮してるんですよ」
「ああ、彼の作ったのは凄く美味しかったよね。
でも油飯は食卓に出てなかったのは何故なんだろ?」
「タイワンでは、慶事に食べるメニューだからじゃないですか?
シンさんの料理の師匠は、タイワンの方だったと聞いていますから」
「黒服機関は米帝出身者しか居ない組織だったけど、Congohにはいろんな出自の人が居て面白いよね」
「古くさい言い方だと、本当のコスモポリタンの集団ですから」
「確かにそうだよね」
お読みいただきありがとうございます。