024.Move
高層マンション、リコの自宅。
「ねぇ母さん、この珍しい缶飲料は何?」
冷蔵庫に入っている見慣れないラベルの飲料を、リコは訝しげに見ている。
「ああ、この間エレベーターで一緒になったノエル君達に貰ったのよ。
飲んでも構わないけど、流しに捨てちゃだめよ」
「ええっ、開栓した飲み物を捨てるなんて、そんな勿体ない事をする訳ないじゃない!
それじゃ飲んじゃうね」
プシュッ!
「うげえっ!何これ?」
「はははっ(引っかかったな!)。プルタブを開けたからには、ちゃんと全部飲むのよ!」
「これ腐ってるんじゃないの?」
「ドクターペッパーと一緒で、米帝でもマニア向けの飲料だからね。
頑張って飲み干してね!」
「母さん、騙したな!
でも味に煩いノエルから貰ったなんて、酷い嘘だね」
「へへへ、やったね!
本当に彼から貰ったんだけど、出処は校長先生らしいよ」
「うわっ、納得だよ!」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
場所は変わって同じ高層マンションのノエルの自室。
今日の夕食は、テイクアウトした大量の牛丼である。
ユウが苦手な米帝製ショート・プレートを使ったメニューであるが、二人と一匹にとっては好物に属する食事なのであろう。
二桁の数を持ち帰ったのであるが、既に空の容器がテーブルの上に積み重なっている。
「なんか恐ろしい位の急展開だよね?」
逃亡犯と目される人物の職員枠採用は、校長の唯我独尊を良く知っているミーファにとっても予想外の展開だったらしい。ちなみに彼女はこれも大量にテイクアウトした好物のお新香を、牛丼の合間に摘んでいる。
「黒服機関に喧嘩を売ってるとも言えなくは無いけど、非があるのは彼らの怠慢だからね」
先日インターンで黒服機関に行っていたノエルにとっても、彼に対する人道から外れた酷い扱いは腹に据えかねるものだったのであろう。
「まるで『Le Comte de Monte−Cristo』じゃない?」
「でも巌窟王のお話みたいに、彼が復讐をするのはイメージと違うかな」
「ミャウ!」
リッキーは汁がしっかり染みたご飯も好きなようで、アタマとバランス良く食べている。
しっかりと紅生姜を挟んで口直しをしているのは、やはりグルメに育っている証左なのであろう。
「そうだね。
キャスパーが実際に面談して、処遇が決定したんでしょ?
それなら誤魔化しとかあり得ないから、適切な対応なんじゃないかな」
「でもいきなり教壇に立つのは、無理なんじゃない?」
「非常勤で研究職として雇用したみたいだよ。
ほらプロメテウス国民が受給できる、ベーシックインカムもあるしね」
「それじゃ住居が確定したら、会いに行ってみようか。
僕たちにも縁がある相手だからさ」
☆
DD収集の帰路、偶然だが彼の住居が近隣にあるというので二人は寄り道をしていた。
「凄い山奥だけど、このログハウスはすごい立派だね」
車から降りると、ノエルはかなり大きな建物を見上げる。
北欧のキットを組み立てたのであろうか。
手作り感が全く感じられない、モダンなデザインである。
「限界集落で近隣の住民は居ないから、近所付き合いが無いのが良いみたいだよ」
「ここの売りは、家の前までの道路がきちんと整備されてる点かな。
宅急便も割高になるけど、個別契約して配達が可能なんだって」
「でもインフラはどうなってるのかな?
水道とかが無いと、超不便だよね」
「セルカークの技術があるから、その辺りは抜かりがないんじゃない?
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「こんな辺鄙な場所で、寂しくないですか?」
いきなりの訪問にも関わらず歓迎された二人は、リビングルームで話が弾んでいる。
お茶を煎れるためにキッチンへお邪魔したノエルだが、電磁調理器やオーブンレンジまで完備されたキッチンはとても使い勝手が良さそうである。
「世界中のテレビを視聴できる上に、ネットも高速で閲覧できますからね。
不満なんて全くありませんよ。ただ……」
「???」
「人里離れた住居を希望しておいて我儘かも知れませんが、自由に食べ歩きできないのが唯一の不満ですかね」
「Congohの余ってる社用車を、一台回して貰えれば良いんじゃないですか?
免許証はキャスパーにお願いすれば、融通して貰えますしね」
「なるほど。近隣の都市なら、それで食べ歩きも可能になりますよね」
「それに大都市に出張するなら、ビジネスホテルに滞在するのは慣れてますよね」
「あはは。そうでした!
その辺りだけは、経験値が高いのを忘れてましたよ」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
「あのお節介かも知れませんが、食べ歩きに関する本を執筆するなんてどうでしょう?」
ノエルは手土産として持参した マカダミアナッツ入りのクッキーを頬張りながら呟く。これはオワフ島で手に入れた定番のお土産で、米帝風の素朴な味が特徴である。
「私の立場で本の執筆ですか?」
「美味しくてお値打ちの食事に関する嗅覚は、僕たち二人が保証しますよ」
「はぁ、お世辞であっても嬉しいですね」
「ニホン以外に居住する外国人向けとしては、貴方の視点は完璧に役に立つと思うんですけどね」
「うん。私も賛成!
予備知識無しにニホンで食事を楽しむガイドブックとしては、素晴らしい出来栄えになるんじゃない?」
「グルメなお二人にそう言っていただけるなら、市販のガイドブックも参考にして考えてみます。
この惑星ではまだ紙の本が流通しているので、そういう形になるものを生み出せるならやる気も出てきますね」
オワフ原産のマカダミアナッツが入ったクッキーは彼の嗜好に合っていたようで、ノエルと一緒に摘んでいる大缶のクッキーは中身がどんどん減っていく。微妙な歯ごたえのナッツが食欲を刺激しているのか、クッキーを頬張っている彼は実に表情が豊かである。競うように一緒にクッキーを摘んでいるノエルは、味の好みを共有できている彼に不思議な共感を感じているのであった。
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