010.Lift You Up
ミーファの就寝後。
ソファに掛けているノエルの膝上にリッキーが寝そべっているが、何故か彼女の視線はノエルが時折口にしている缶ビールに注がれている。デフォルメされた犬のエンブレムが特徴のそのビールは、個性的な醸造方法により世界中でファンを獲得している。
(ビールに興味がある猫って、聞いた事が無いな)
新しい缶を冷蔵庫から取り出すと、やはり彼女の視線はノエルの手許の缶にしっかりとロックオンされている。
「SID、ナナさんと今話しが出来るかな?」
部屋に備え付けのコミュニケーターから、瞬時に返答が返ってくる。
「会話は可能です、どうぞ」
「ナナさん、さっきからリッキーがビールを飲みたがってるみたいなんですけど?」
ちなみに雫谷学園のカフェテリアでは、在校生が軽いアルコール飲料を嗜むのを禁止していない。ビールやワインのサーバーから、昼食時でも自由に飲むことが出来るのである。
「……おおっ、名前はリッキーにしたんだ。飲みたがっているんだったら、何でも与えても大丈夫だよ。
それにしてもピートとは、ちょっと嗜好が違うみたいだね」
「英国製のホップがきついビールなんですけど、何で興味があるんでしょうかね?」
「ああ、その子は毒物に対する耐性がK−9と同じで高いから、苦味に対する忌避感が無いんだろうね」
「それじゃ、ブラックチョコレートとか好きそうですよね」
「そうだね。普通の猫にとってはチョコレートは猛毒なのにね」
「アルコールに対する耐性はどうなんですか?」
「メトセラの遺伝子も使ってるみたいだから、君と変わらないんじゃない?
酔っ払ったらその場で寝ちゃうだろうし、中毒に関しては心配は無用かな」
「了解しました。ほどほどにするように気をつけますね。
でも今さりげなく『爆弾発言』があったような?」
「いや、K−9と同じだから特に問題にならないと思うよ。
また気になる事があれば、連絡してね!」
通話を終えたノエルは給餌に使用しているボウルにビールを注ぐと、リッキーの前に置いてみる。
彼女は躊躇せずに、ホップの香りが強いビールを舐め取り始め、瞬時にボウルが空になっている。
リッキーはノエルを見上げて甲高い鳴き声を上げて、お替りを催促している。
「驚いたな、本当にビールの味が好きなんだね。
アルコール度数が高いから、これで最後ね」
お替りをボウルに注ぐ時に、ノエルはリッキーにしっかりと念を押している。
「キュッ!」
知能が異様に高いリッキーは、ノエルのニホン語を的確に理解しているようである。
☆
翌朝、学園へ向かう道すがら。
雫谷学園では許可を受けた場合ペットの同行が認められているので、リッキーはリードを持ったノエルの横を歩いている。リードは可変式で長さがあるものだが、彼女はノエルの真横に付かず離れず微妙な距離を保っている。
「なんかリッキーに懐かれて、ノエルは嬉しそうだね」
学園への登校を拒否していたミーファだが、ノエルの引率という名目で自分の中で折り合いを付けた様である。彼女の受け継いでいる知識や経験は学園の講師を遥かに凌ぐレベルであり、実は校長から教える方に回って貰いたいと打診を受けているのであるが。
「うん。いままで戦場で保護した犬や猫は、人や譲渡施設へ任せる前提だったからね。
飼い主としてしっかりと懐いてくれると嬉しいかな」
「最近は私のベットよりも、ノエルと一緒に寝てる方が多いでしょ。
ちょっと妬けちゃうかな」
「ははは。
なんかこの子は、猫というよりとっても犬っぽいんだよね」
「ああ、たぶんベースになった猫種の性格が影響してるんじゃない?」
『ノエル、前方から大型犬が来ますので注意して下さい』
ノエルの胸元に挿しているコミュニケーターから、音声による注意喚起が行われる。
「あぁボルゾイか、リードも引っ張って無いし穏やかそうな子だね」
欧州では富裕層に人気があるこの大型犬は、当然ノエルにもお馴染みの犬種である。
何故か飼い主とともにノエルに向かってくる白いボルゾイは、尻尾を大きく降っている。
細身で女性にしか見えないノエルを、遊んでくれそうな相手と認識したのであろうか。
ここでノエルの横を穏やかに歩いていたリッキーが、突然立ち止まる。
長い首や手足を突っ張って自らの姿を大きく見せると、鋭い目つきで大型犬を睨みつける。
強い視線を受けたボルゾイはその場でフリーズし、目を泳がせて落ち着かない様子である。
尻尾が後ろ足に巻き込まれて不安そうな表情は、リッキーのひと睨みに本能的な恐怖を感じたのであろう。突然挙動不審になった愛犬に戸惑っている飼い主は、この状態がリードに繋がれた猫が引き起こしたとは夢にも思っていないようだ。
ノエルはボルゾイを迂回して歩き続けているが、横を歩くリッキーは目線を向けずに大型犬を完全に無視している。
「ははは、リッキーは私よりノエルにご執心みたいだね」
「……」
ノエルは苦笑いを浮かべて、無言で歩を進めたのであった。
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学園のカフェテリア。
「うわっ、可愛い!
耳が大きいチーターみたい」
リッキーと初対面であるリコはいきなり彼女に触れるような事はせずに、ゆっくりと顔を近づけて挨拶している。
様々なペットを飼った経験がある彼女は、嫌われない猫の扱いを熟知しているようだ。
「短い期間で、随分と育ちましたね」
同席しているエイミーはリッキーがカプセルから取り出された瞬間を目撃しているので、成長具合に驚いている。
「ノエル、まずいよ!私が持っているチョコレートを、リッキーが狙ってる!」
鼻を突き合わせてリコをしっかりと認識したリッキーは、彼女の吐息にチョコレートの匂いを感じたのであろう。リコの手にもっているチョコレートの箱を、じっと見ている。
「ナナさんに確認したけど、食べさせても大丈夫だってさ」
「マジ?」
「ミヤゥ!」
リコが掌に載せたブラウニーのようなチョコレートを、リッキーが一瞬にして舐め取る。
咀嚼するように口を動かしていたが、味を気に入ったのかリコの手に頬ずりしてお替りを要求しているようだ。
「ああ、やっぱり苦味があるチョコレートは好きみたいだね」
「本当に大丈夫なの?」
口にした疑問とは別に、お替りのチョコはすでにリッキーの口に入っている。
「シンさんの相棒のシリウスと同じで、問題無いって」
「食べ物の好みは違いますが、確かにこの子はシリウスと同じで知能が高そうですよね」
「ミヤッ!」
カフェテリアで皆に注目を浴びているリッキーは、街中での様子と違って実にリラックスしているように見えたのであった。
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