009.Dare To Believe
ノエルの自宅マンション。
ナナによって送り届けられた『猫』について、ノエルはミーファとミーティングをしている。
中身はともかくミーファの身体はまだ幼女なので、現実的に世話を担当するのはノエルになる。受け入れて一緒に暮らす上で知らない事があると困るのは、やはりノエル本人なのである。
「トイレの躾は、どうなってるのかな?」
早速ノエルが慣れた手付きでペットブラシを掛けているが、『猫』は嫌がる素振りも無くじっとしている。
ミーファに対しては出会った瞬間に心を許していたが、ノエルに対してはまだよそよそしい態度なのは仕方が無いのであろう。
「Congoh製のペットトイレを、来た日から普通に使ってるみたい」
Tokyoオフィスや学園寮にも設置されているペットトイレは、水洗機能はもちろん温風乾燥機能も付いている優れものである。
「ああ、あのトイレには僕が此処に来た時から設置されてたからね。
ナナさんはちゃんと使い方を教えてくれてたんだ。
それで、他に必要なものは?」
ノエルが今度は前足を持ち上げて、爪の長さを確認している。デリケートな肉球を触られても『猫』は嫌がる素振りを全く見せていない。どうやらノエルがきちんと世話をしてくれる技量があると、納得してくれたのであろう。
「ナナがグルーミングに必要なものは、全部送ってくれてるから。
寝床も私のベットにもぐりこんで来るから、要らないかな」
「それで、名前は決まった?」
ノエルの膝上にしっかりと収まった『猫』は、ノエルの気持ち良い場所を攻めてくるマッサージにされるがままになっている。先程までノエルを値踏みするように見ていた眼差しは、今やうっとりとした半目に変化している。
「ピートの同族なら、やっぱり『リッキー』でしょ?」
「それって、小説の登場人物か何か?」
年齢の割に博学なノエルであるが、流石に『名作SF小説』の知識は持っていないようだ。
「そう。Congohの電子ライブラリにもフランス語版があるから、読んでみなよ」
「うん、フランス語版があるなら」
「それにしても、ノエルは猫の扱いに慣れてるんだね。
リッキーもぜんぜん嫌がってないし」
お腹の辺りを優しくマッサージするノエルに、リッキーは身体をくたっと預けて全くの無防備である。
「戦場に放置されてた飼い猫を、かなりの数保護してるからね。
それで今後も成長するとして、室内飼いだと運動不足にならないか心配だなぁ」
「散歩に行けない時には、トレッドミルを使えば良いみたいだよ」
「そういえばユウさんが、Tokyoオフィスの敷地の中で遊ばせるのも良いって言ってたな。
それにピートと一緒に遊ばせるのは、猫同士の躾を含めて効果があるかも知れないね」
☆
数日後、Tokyoオフィス。
この場所に顔を出したがらなかったミーファも、リッキーのお供という名目でノエルに同行していた。
多忙なユウも顔を出し、広い敷地の中を凄い速度で駆け回っている二匹を見て目を細めている。
ちなみにTokyoオフィスの敷地は、地上部分に重量鉄骨の建物があるだけで非常に広い更地である。セキュリティ上の問題から立木や植物等の遮蔽物が一切無いので、まるでサッカーグラウンドのような敷地にぽつんと一軒家がある異様な光景である。
「ピートがすごく嬉しそうですね」
「年寄りだから普段は遊びをせがむ事は無いけど、やっぱり一緒に遊べる相手が居ると嬉しいんだろうね。
彼女は今はほとんどピートと同じサイズだけど、手足が大きいからかなり大きくなりそうだよね」
「サーバルとかチーターと同じサイズになりそうってナナさんが言ってましたから、この証明書が本当に必要になりそうなんですよね」
海外のサバンナ・キャットのブリーダーに用立ててもらった血統書は、現実的には虚偽の書類である。
だが問い合わせがあった場合話を合わせてくれるだけで、環境省から特定動物として横槍が入る可能性を排除出来るのである。
「ナナさんがこんなに気遣いしてくれるなんて、私は本当にビックリだよ」
「そうですか?なんか僕には、初対面からいつも優しいですけど」
「実の娘の私でも、優しい言葉一つ掛けてもらった事が無いのに」
様子を見に来たアンが、思わず抗議の声?を上げているのは当然であろう。
「……あの人もやっぱり、母親から育児放棄されてたんだよね」
アンに目線を向けずに、ミーファは小声でぽつりと呟く。
「それは、初耳だわ。
……本人からは全く聞いた覚えが無いけど」
「だから育児では、距離を置いていたのかも知れないね。
レイさんも母さんに任せっきりだったし、アンもフウさんに預けられてそれっきりだったでしょ?」
「レイ兄さんのフォローがあったから、私はグレずに育ったけど。
自分が子供を授かった時には、どうなる事やら」
何か言いたげだったミーファは、大きく深呼吸をして言葉を飲み込んでいる。
ここで言い訳がましい発言をしても、当人では無いので意味が無いと気が付いたのであろう。
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場所は変わってノエルのマンション。
「このペットフードみたいなのだけで、本当に大丈夫なのかな?」
ノエルがボウルに配膳した缶入りのフードは、かなりのボリュームである。
既に食べ慣れているのか、リッキーはゆったりとしたスピードで咀嚼を繰り返している。
「食べたそうにしてる物があれば、これ以外でも何でも食べさせて良いって言われてるよ」
「えっ、ネギとかチョコレートとかは危険だよね?」
「シリウスやピートと同じように、見掛けと違って味覚や消化器系統もアップグレードされてるんだって。
普通のヒューマノイドと殆ど同じ味覚と消化能力があるから、食べちゃいけない物は無いんだってさ」
「なるほど。
さっきフードをちょっと味見したら、思ったより味が濃いのはそういう理由があったんだ」
「ピートは昔『普通の猫』だった頃の記憶があるから、習慣として食べないものがあるらしいけど。
この子は、シンの愛犬と同じ扱いになるみたい」
「ああ、あの賢い子はエイミーが作るものを、何でも美味しそうに食べてたもんね。
生イカとか海老が入ったちらし寿司を食べてたのは、ビックリしたけど」
「K−9はヒューマノイドとペアを組んで、仕事をするように作られた種族だからね。
特別に食事を用意しなくても良い様に、新陳代謝が改良されてるんだって」
「うちの食生活は美食にはほど遠いから、まぁシリウスほど美食家にはならないと思うけど。
この子の食事があるから、外食は少なくしないといけないかな」
「それなら須田食堂とかで、テイクアウトして貰えば良いんじゃない?」
「そうだね。空いている時間なら、店で食べさせるのも可能かも知れないし。
オバちゃんに相談してみようかな」
「ミャウ?」
ペットフードを早々に食べ終えたリッキーは、ノエルとミーファが食べているテイクアウト牛丼に興味津々である。
「Tokyoオフィスのユウさんはここの牛丼は絶対に食べないみたいだけど、君は美食家では無いのかい?」
「ミャッ!」
多数買ってきた牛丼弁当の一つの蓋を開けると、紅生姜を添えてノエルはリッキーの前に容器をことりと置く。
「ミャミャ!」
上に載せられた濃い味付けのショートリブを、リッキーはご飯と一緒にバランス良く口に運んでいく。
どうやらニホン製の油っぽいジャンクフードは、彼女の嗜好に合っていたようである。
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