005.Evergreen
とあるスーパーマーケット。
自宅傍にあるこの高級スーパーは、輸入品の品揃えが豊富なのでノエルも大のお気に入りである。
ノエルはニホン語を流暢に操るだけでは無く気さくな性格なので、店員さんの間でもかなりの人気があるようだ。だがミーファを連れて入店した場合は、様子が少し違ってくるようである。
「それ、何とかならない?」
ミーファはこの店を訪問する度に塩味のプレッツエルを大量購入するので、ノエルは不満顔である。ニホン製のバラエティ豊富なプレッツエル菓子が棚にたくさん並んでいるにも関わらず、昔ながらの塩味だけを購入しているので文句を言いたくなるのも当然であろう。
「不味いのは自覚してるけど、遺伝子記憶にしっかりと書き込まれている馴染みの味だからね」
「それにしても、何か僕でも見たことが無い危なそうな食品がどっさりだよね」
ミーファが抱えているカゴの中には、大量のプレッツエル以外にも米帝産のスパゲティ缶詰や欧州産の見覚えが無い発酵食品が放り込まれている。ミーファの食に関する嗜好が、かなり偏っているのは明々白々であろう。
「プレッツエルもそうだけど、こういうのはアイの影響かな」
「アイさんって、ユウさんの母君の?」
瓶詰めのマーマイトはノエルも食べたことがあるのでカゴから除外はしないが、手に取ったノエルは呆れた表情をしている。
「うん。あいつは子供の頃から変わった食べ物が好きで、それが高じて本職になってるからさ。
一緒につるんでた私も、少なからず影響を受けちゃってるんだよね」
「とにかく匂いが酷い食品は、近所から苦情が来そうだから禁止ね。
どうしても食べたい時には、本場のコックが居るレストランに連れていくから」
「あんなに高級なタワー・マンションで、そんな匂いの心配が必要だなんて意外だな」
「見栄えと住心地は両立してないんだよ。
タワー建築は耐荷重の問題があるから、壁や換気装置は思ったより安普請だし」
☆
翌朝、ハネダ空港国内線ロビー。
「なんでアイさんが此処に?」
前日の会話で話題になった張本人がチェックインカウンターで二人を待っていたのは、全くの想定外である。
「SIDから二人がお出かけすると聞いてね。
私もちょうどネムロに行きたい店があったから、同行しようと思って」
「取って付けたような理由ですよね」
「ははは。バレたか。
まぁ彼女の様子を見に来たというのが、一番の理由なんだけどね」
「……」
ミーファはアイと目を合わせる事無く、ダンマリを決め込んでいる。
「いやぁ、同一人物と分かっていても、懐かしさが一杯だなぁ。
こんなに小さいと、可愛らしく感じるのは不思議だよね」
「お前は老けて、可愛く無くなったな」
ここで黙っていたミーファが、普段は見せない悪そうな表情で言い放つ。
無理して低い声を出しているのは、威圧感を出すために必要なのであろう。
「うわぁ」
いきなり暴言を吐いているミーファに、ノエルはこわばった表情をしている。
彼女を相手にこんな態度を取れる相手は、司令官クラスでもそうは居ないであろう。
「現地でレンタカーも借りられないから、年長の同行者が居たほうが便利だと思うけど?
ノエル君の偽造免許じゃ、さすがに車を借りるのは無理があるからね」
ノエルが所有している大型自動二輪免許は、実年齢をサバ読みして16歳と記載されている。
入国管理局経由で入手した免許証なので偽造では無く本物なのだが、さすがに18歳として乗用車免許を発行して貰うのは無理があるだろう。
「まぁ特別に保護者枠で、同行させてやるよ」
「……」
ミーファの一言にも反応せずに表情が変わらないアイを見ながら、ノエルは背筋が寒くなる思いなのであった。
☆
「いきなりネムロに来ましたけど、何かあるんですか?」
ナカシベツ空港からタクシーに乗り込んだ3人は、ネムロ市内に向かっていた。
「うん。ちょっと興味があるメニューがあってね」
到着した商店街の中程にあるその店は、地元民に愛されているであろう気取らない雰囲気の喫茶店である。
「へえっ、ニホンらしい雰囲気ですね。
食事メニューも豊富だし」
店頭のメニュー看板を見て、ノエルは興味を持ったようだ。
「すいません。
エスカロップを3つ。
あとオレンジジュースを3つ」
入店して4人掛けのテーブルについたアイは、流暢なニホン語で注文する。
いかにも外国人風の3人組に不安そうだった店員さんも、ロシア語や米帝語では無い流暢なニホン語を聞いて安心したようだ。
「私は食後にバナナパフェ!」
同じくニホン語でのミーファの一声に、店員さんは笑顔を浮かべている。
彼女の見掛けはとても愛らしく、一見さんには中身とのギャップを全く感じさせないのは当然であろう。
薄いトンカツの揚げ時間が短いのか、注文はすぐに配膳された。
メニューの写真ではかなり食べごたえがあるメニューに見えるが、実物は皿も小さくかなり控えめなボリュームに感じられる。
アイはソースの味や全体のバランスを見ながら食べ進めていくが、ミーファは早々と食べ終えて店員さんに声を掛ける。
「エスカロップ、お代わり頂戴!」
ノエルもほぼ同じタイミングで食べ終えたが、彼にはお代わりをするほどの美味とは到底思えなかった。これならば、ユウやエイミーが作ってくれたカツカレーの方が数倍も美味いと言い切れるだろう。
「私と彼には、オリエンタルライスを追加で貰えますか?」
ノエルのアイコンタクトに応えながら、アイも追加注文を入れる。
一緒に盛られている生野菜まで綺麗に食べきってはいるが、彼女の表情は味に満足したとは到底思えない浮かないものである。
外国人客の追加注文は珍しく無いのか、追加注文されたオリエンタルライスはすぐに配膳された。
エスカロップと同じく平皿に盛り合わされたメニューは、ドライカレーとハラミ肉の上にデミグラスソースが掛けられている。
「勉強にはなったけど、これじゃ『名物美味いもの無し』と言わざるを得ないかな。
思考停止して同じものを作り続けるのは、名物じゃなくて迷物なんじゃない」
アイの小声で呟いた英語のセリフに、ノエルは大きく頷いたのであった。
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